たとえ全てが灰燼に帰しても 2
「どうした? 随分と、良い表情になってきたようだが」
「……なんなんだ、てめぇは。その身体能力も、さっきの再生も……聞いてた力と、別物すぎんだろ……!」
「ああ、あの兄弟からかつての力でも聞いたのか」
かつての、と事もなげに言ってから、リュートは続ける。
「良いだろう、教えてやる。俺の中には、UDBの因子が埋め込まれているのだ。マリクからの肉体改造でな」
「――――――!!」
「ヒトとUDBの融合……それが、あいつの研究のひとつだ。俺は現状で唯一の成功例、ということだな。まだ半分以上はヒトのようだが」
その事実に、さすがに二人も驚愕を浮かべる。怪物性に納得できることと、常識で受け入れられないことは別の話だ。
「エルリアでの戦いの際……俺は事前に、マリクと契約を交わしていた。自由になった後にあいつに協力する代わり、危険があれば俺を救い出す、とな」
それを語る瞬間はどこか不快そうに、リュートは鼻を鳴らした。
「元々あいつとは一度だけ顔を合わせたことがあったが……俺が牢から出されたタイミングで、秘密裏に声をかけられたのだ。あいつが顔を見せた時点できな臭いとは思っていたが」
それでも、まさか英雄を相手取るとまでは思っていなかっただろう。あの状況下でリュートが己の趣味を優先させたのも、マリクの能力は認めていたからだった。その後ろ盾があればどうとでもなるだろう、と。
「そうして、窮地に陥ったところで、俺はあいつに拾われた。しかし、その時にはすでに、俺も瀕死の傷を負っていた。恐らく弱るまで待っていたのだろうがな、忌々しい道化だ」
瓦礫に半身がほぼ潰され、動くこともままならない状態だったそうだ。かろうじて生き長らえたのは、悪運と呼ぶべきであろうか。
リュートを回収したマリクは、彼の延命を行いつつ、己が思惑を語った。
曰く、このコヨーテが持つ素質に、ずっと目をつけていた。そして、よくやく準備が整ったのだと。Aランク以上のUDB数種類の、細胞の移植。
「他種の生物を植えつけるのだ。通常は、拒絶反応が起こる。肉体はもちろん、精神も侵されるのが既存の実験結果……だが、俺は例外だとあいつは言った」
――かつて傭兵としての仕事を頼んだとき、傷を治療したでしょう? あの時、血液と細胞のサンプルを少しいただきましてね。クク、事後承諾で申し訳ありませんが。
素晴らしかったですよ。あなたの細胞は……何の抵抗もなく、UDBの因子を受け入れた。他に類を見ない、完璧な適合を見せたのです。
あなたならば、確実に成功する。そこはご安心ください。
さて。あなたは今回、苦い敗北を喫しましたね。あそこまで派手な事態になったのは私も想定外ですが……恐ろしいでしょう? 世界にはあなた以上の強者が数多くいる。死が身近であること、嫌でも実感したと思います。
何より、腹が立つでしょう? 駒として踊らされたことに。こうして、悪趣味な道化から、実験台にされそうになっていることに。
――なに、長々と言いましたが、これは単純な話です。全てをねじ伏せる力が、最高の肉体が欲しくはありませんか、リューディリッツ?
「てめぇは……それに、頷いたのか。化け物に改造されるってのに?」
「実験台にされるのは業腹だったがな。命を握られた上での問いを断れば、どうなるかぐらいは想像がつくだろう」
実験台にできなければ、リュートを生かす意味はマリクにはない。生きるか死ぬか、その問いであれば前者を選ばずにいられる者は稀だろう。
「それに……癪だが、あいつは俺の性格をよく分かってその提案をしたのだろう。全てをねじ伏せる力、最高の肉体。ああ。実に魅力的な餌だったよ。断る理由はどこにもなかった」
そこまで語って、リュートはまた、口元を裂くような凶暴な笑みを浮かべた。
二人も理解した。怪物か人かなど、この男には大した話ではなかったのだと。そんなことよりも、強い力を得られる魅力が勝った。
「そうして得たこの肉体は、確かに最高だった。くくっ、何より……味覚が変化してな。ヒトの美味さを知れたのは、ことさらに僥倖だったな?」
「……貴様は……!」
「しかし、全てが向上したわけではない。UDBに近い肉体になったためか、本来のPSは失われた。その代わりに得たのが、この身体能力だ」
人知を超えた身体能力。そして、異常な再生能力。それは、ただUDBの細胞を植えられただけでは、説明がつかないものだった。
「マリク曰く、これは植えられたUDBたちの特性でもない。俺が因子に適合したことで生まれた、新たなPSと呼ぶべきもの、だそうだ」
UDBの力を得た肉体を、さらに強化する力。それが、リュートの暴虐の正体。
「この力に名はなく、常に発動を続けている。便宜的に〈亡名〉と呼ばれてはいるがな」
「ふざけた、ことを……! PSは心を形にしたもの。それを失ったのならば、貴様は精神から怪物になったということだ!」
「くくっ、生憎、俺は昔からこういう性格だ。だが、そうさな。あのような小細工はもはや不要、全てを真っ向から叩きのめせばいいという思考に変わったのは事実だろうよ」
あまりにも強靭な力を得たからこそ、本来の男が持っていた慎重さは失われ、ゆえに力は変質した。その仮説を確かめる手はないが、大きく外れてはいないだろう。
元より怪物的な思考を持っていたリュートが、怪物の肉体を得た。その力が完全にヒトとかけ離れたものになったのも、必然なのかもしれない。或いは、彼がUDBに適合したのも、その精神性ゆえとも考えられる。
「心配するな、不死身ではない。頭か心臓を潰せば死ぬと思うぞ? 試してないから保証はせんがな」
「……舐めやがって。だったら、チリひとつ残らねぇくらいに燃やしてやろうじゃねえか!」
「貴様は、もはや人とは思わない……ここで、我らが討伐する!」
「はははっ! それでこそ、食いでがある! 良いだろう、楽しもうじゃないか!」
ロウとマックスが今の話に付き合ったのは、丁度良い小休止であり情報収集だからだ。何が語られようと、この男が許されないことは決して変わらない。無論、リュートもそれは承知している。
相容れない敵がいるならば、やるべきは一つだけだ。三者は、ほぼ同時に動き始めた。
戦いは熾烈を極めた。お互いの種が割れたところで、両者は先ほど以上に激しく衝突した。
二人のギルドマスターの力は、リュートに決して劣らなかった。致命的な攻撃を捌きつつ、連携で怪物の隙を突く。
一進一退の攻防が、しばし続いた。
だが。
「……く、はぁ、はぁ……」
徐々に、ロウとマックスの動きが鈍り始める。
何発か、攻撃は通っている。しかし、どの傷も数秒残れば良い方で、あっという間に再生してしまう。それに対する消耗も見えず、リュートは暴れまわる。
一方で、二人の消耗は、無視できないラインを超えつつある。二人とも分かっていたのだ。少しでも力を緩めた瞬間に喰われると。戦いは拮抗していたが、それは全力疾走でようやく並び立てるという意味だった。
人である以上、体力に限界はある。そんな状態が長続きするはずもなかった。均衡が、崩れていく。
「……ぐぉっ……!」
リュートの蹴撃を斧で受け止めたマックスが、僅かに動きを止めた。その時、獲物を睨むコヨーテの目が、不気味に光ったように見えた。
腕が痺れて隙の生じたマックスの脇腹に、剛腕が全力で叩き付けられた。
「くはッ……が、はっ、あっ……!!」
豚人の身体が、2回、3回と地面を跳ねるように転がり、衝撃の凄まじさを物語る。肉体が硬質化していなければ、引き千切れていたかもしれない。
そのまま、壁際近くまで転がると、マックスは血を吐いて倒れた。
「マックス!!」
「――余所見は厳禁だぞ、ご老人?」
そして。前衛を失ったロウへと、狂犬の爪が振るわれた。
雷光のごとき鋭さで迫る一撃。動かずにいれば心臓が抉られる。だが、完全な回避は間に合わない。その一瞬、ロウに可能だったのは、急所を逸らすことだけだった。
狂爪が。
鯱人の腹を、深々と引き裂いた。