私の貫く正道
「儂を突破できると思うてか!」
イストール・デナムは、バルディッシュを鉄獅子へと叩き付ける。竜人の膂力で振るわれた斧刃は、強靭な獅子の外殻をも容赦なく断ち切った。
戦いが始まってから、どれほど時間が経っただろうか。テルム軍は、次から次へと襲い来るUDBの群れを、何とか押し留めている。
(とは言え、終わりが見えぬのはやはり士気に響くか……!)
だが、倒しても倒しても新手が転移でやって来るというのは、精神的な負荷が非常に大きかった。敵が減れば、目標が見えるだろう。しかし、虚空からどんどん敵が補充されるのは、無限に戦わねばならないような錯覚を彼らに与えていた。
負傷者は増える一方。そして、イストール自身の息も上がっている。その実力は本物だが、60を超える高齢だ。全盛期ほどの無茶はできはしない。
「……それでも、屈するわけにはいかぬ!」
気合いと共に振るわれた一閃は、敵を薙ぎ倒しながら地面を叩く。その場所を起点に大地から岩がせり上がり、UDBたちを強烈に突き上げて戦闘不能に追い込んでいく。
『チッ、アノジジイメ……!』
「しかし、そいつ以外は大した相手ではない! 一気に押し込むぞ!」
UDBたちの会話に合わせるように、大きな歪みが発生する。そこから姿を表した中には、数体の灼甲砦が混じっていた。
「っ……おのれ……!」
UDBたちの言葉は正しい。有能な士官やギルドは、他の地点を守っており、イストール以外に上位UDBの相手は重い。灼甲砦ほどの相手となれば、疲弊した兵を戦わせれば犠牲が出る可能性が高い。
「お主たちは後方支援に徹するのだ! あれは、儂が食い止める!」
「ですが、将軍! お一人では……!」
「……失わせはせぬ。儂も、ここで倒れはせぬ! それが……上に立つ者の責務だからな!」
この騒動で己が取った手段への後悔も、罪の意識も尽きない。だが、生き延びろと発破をかけられた。この戦いが終わった後に続くだろう苦難、それに立ち向かうことこそが、己にできる贖いなのだと教えられた。
だから、疲労で感覚が無くなり始めた腕に、力を込めて。
――見上げた空から、槍が落ちてきた。
「…………!?」
「そう、誰も失わせはしない。そのぐらいはやってみせてこその、英雄ってもんだろ!」
槍と共に降り立ったのは、ひとりの獅子人。その強襲は、灼甲砦のうち1体の脳天を貫き、瞬く間に仕留めてしまった。
そのまま、ふわりと飛び降りつつ、UDBの群れへと突撃する男。
「そなたは……」
「お初にお目にかかる! 援軍、ただ今到着……ってな!」
イストール達は、戦いの最中であることも忘れて、目を奪われてしまいそうだった。
男が槍を振るえば、蜥蜴の鱗を弾きながら虎の腹を引き裂く。飛び上がり獅子の背中を蹴飛ばすと、噴射された毒液を高く跳んで避け、宙返りのような動きのまま巨獣の喉を突き刺す。
槍がどのような軌道を描いているのか、目を凝らしても見落としてしまいそうだ。
破天荒でありながら、洗練されている。それは、完成された舞踊を見ているかのような美しさすら併せ持っていた。
その一挙一動が、攻めになり、同時に守りにもなる。その手に持つのが愛槍たる銀嶺でなくとも、獅子人――時村 遼太郎の身に着けた英雄の技は、無数のUDB達を一気に蹴散らしていく。
「そこの御仁、今のうちに態勢を整えるといい!」
「……うむ! 恩に着るぞ……!」
「なぁに、遅れた分を取り返すだけさ 。……この中に息子もいるってんなら、なおのことな!」
力は集い――されど、敵もまた、強大。この戦いの行方は、まだ知れない。
私たちギルド〈砂海〉が任された砦の一角は今――苦境に立たされていた。
最初は優勢だった。軍との連携も悪くなくて、このまま行ける、と思ったところに、あいつは現れた。
「……他の英雄まで呼び寄せるとはな。しかし、彼らとて、この砦の全てを自分たちだけで守れるわけではない」
「くっ……!」
私たちが対峙しているのは、白い獅子……ガルフレアさんから聞いていた、UDBたちのリーダー、ヴィントール。
彼ひとりだけで、一気に巻き返されてしまった。軍には多数の怪我人が出て、今は私たち3人でどうにかして相手をしている。軍は取り巻きの獅子たちを相手するので精一杯だ。
「まったく、近寄れやしねぇなこの光……!」
前衛のアレックさんが何とか食い止めているけれど、あいつの〈白夜〉は、接近戦をするには危険すぎる。ガルフレアさんも、感覚が鋭くなるPSのおかげで戦えたって言っていた。アレックさんは銃剣を射撃中心で扱って、PSによる炸裂弾で何とか押し留めている。
私とエミリーさんも、矢と氷で支援しているけれど、白夜もあいまって、身軽な獅子は狙いを定めさせてくれない。矢のストックは……あと少し。だけど、補給に戻るにも、彼を倒さないとどうしようもない。
「投降をすれば、悪いようには扱わないと約束する。これ以上の血を流す前に、刃を納める気はないか?」
「私たちも……そう簡単に全てを投げ出すほど、軽い気持ちでここに立ってはいませんわ!」
「マスターから託されてんでさ、こっちは。そうでなくとも、自分たちの国を守るためってんなら、おっさんだって踏ん張りますよっと!」
「そうか。……残念だが、ならばこそ敬意を持ってお相手しよう!」
ヴィントールというUDBは、ガルフレアさんから聞いていた通り、とても強くて……とても誠実だった。敵だけど、彼が本気で私たちのために提案したことは、分かる。でも、それなら……彼はどうして。
「ヴィントール! あなたは、本当にこれでいいの!? この侵略は……あなたにとって、正しいことなの!?」
「……ガルフレア辺りから何かを聞いていたか? ならば、答えよう……私にとって何よりも貫くべき正道は、我が創造主、マリク様のために生きることだ」
私の問いに、白獅子ははっきりと答えた。だけど、納得はしない。
「その創造主が、あなたの望まない命令をしていても!? あなたはちゃんと考えられる力があるのに、どうして!」
「我らの行いそのものが非道であることは承知。恨みは好きに向けるがいい。だが、私はあの方のために生み出された。忠義は揺るがぬさ」
「それは……考えることを止めているだけじゃない!」
「……そうなのかもしれないな。だが、少女よ。そうだとしても、この忠義は私の誇り。これすら貫けぬのであれば、私は何者でもない愚者へと成り下がるだろう。そして……そうすれば救えなくなるものもある!」
「…………!」
「それに、我らUDBの将、アンセル様は……我が命を賭して仕えるに値するお方だ。私の勝利があのお方に捧げられ、その礎となれるのならば、私は……名前通りの魔獣となってみせよう!」
短い会話。だけれど、彼がどんな相手なのか、ガルフレアさんに聞いていた以上に、はっきりと感じられた。
彼だって、考えていないわけじゃない。きっと苦しんでもいる。だけど、自分の立場の中で……自分にやれることを探している。迷いながら、全部が正しくないと思いながら、それでも、って。
それができるのは、彼の中に、絶対に揺れない軸があるからなんだって分かった。
「少女よ。名は?」
「……ハーメリア」
「承知した。ならば、私からも問おう、ハーメリア。君は貫けているのか? 己の意志を。あるべき正道を!」
問いかけながら、戦いは続く。私は矢をボウガンにセットしながら、白獅子を狙う。でも、ヴィントールに私の矢は届かない。
きっと、少し前の私なら、答えはぜんぜん違っていたし、彼の軸だって理解できなかった。でも……今は。
「私は……悪を倒すのが正義だと、ずっと思っていた。だから、悪い相手を許しちゃいけないんだって、そう決めつけていた。……私は、ずっと独りよがりだった。何が正しいのか、考えることを止めていた」
聖女の演説を聞いていた時……腹が立つのと一緒に、私はどこかで「痛い」と感じていた。
彼女はきっと、演技であれを言っていたわけじゃない。自分が正しいと心から思っている、それを感じてしまった。そう理解できたのは、きっと……私と彼女が、似ていたから。
あれは私だ、と、そう気付いてしまった。
私は、もしかしたらああなっていたかもしれない。自分が正しいんだって、正しければ何をしてもいいんだって……それに、疑問を持つことができないままだったら。あの場所に私がいたのかもしれない。
いいや。これからだって、なるかもしれないんだ。いつか私が、考えるのを止めた、その時に。
「思い知ったんだ。正しくあることの難しさを。理想ほど現実は上手くいかなくて、正しいと思ったことが誰かを傷付けることだってあるって。……それでも……!」
「………………」
「ううん、違う、そうだからこそ! 現実から目を背けるんじゃなくて、現実を知った今だから! どんなに辛くても、難しくても、私は正義を貫きたいって思ったんだ!」
「それは、また独りよがりの正義かもしれない。それでもか?」
「分かってる。でも、だからって、足を止めたら何にもならない、そう教えてもらった! 私たちは生きている限り、何かを選び続けなきゃいけない。だからこそ、私は正しいと思うことに全力を尽くしたい!」
ガルフレアさんの、アトラさんの言葉が、今さらのように染み込んでくる。また間違えないかって怖くて、投げ出したくなって。だけど、それをした瞬間……私の正しさは、きっと本当に折れてしまう。
「……質問に答えるよ、ヴィントール。私は、誰かを助けたい。そのためにこの力を使いたい! それが私の始まりで、それだけは間違えていないって信じている! それが私の意志、私の正道だ!」
ああ。そうか。言葉に出して、やっと見えた。
正義は曖昧かもしれない。それでも、その軸になる何かはきっとあって……それが、いちばん大事なものなんだ。
「私は、今度こそ見失わない! 私としての道を、何があっても貫いてみせる! だから……!」
そうして、その軸がぶつかり合うから……私たちは戦っている。相手が悪だから、とかじゃない。譲れないもののために、立ち向かう。
「今、ここで! あなたに負けるわけにはいかない!!」
「……良いだろう。私もまた、道を譲るわけにはいかない!」
白獅子は、力強く咆哮した。彼の気迫に応えるように、白夜の光が輝きを増す。