人形たちのラプソディ
「おい、しっかりしろ、ゴーシュ!! 」
「無駄よ。一度繋がった糸は切れないの。彼は、私の剣であることを……道具であることを、受け入れてしまったもの」
ゴーシュは構える。その動きは、先ほどまでの彼と寸分違わない。……人ひとりを本人と同じように動かすのは現実的ではない。ある程度の指向性を持たせるものと考えるべきか。
「ああ、可哀想なゴーシュ。あなたはいつでも素直で、正直で……愚図で、馬鹿で、簡単に思い通りになってくれて、可愛かったのにね? まさか、悪魔にたぶらかされるだなんて、本当に哀れ。だから、救ってあげるわ。最後まで私のために戦うという、誉れをあげる」
ゴーシュはもう、痛みの呻き以外に何も言葉を発さない。その顔を伝う涙は、肉体の痛み以上に、絶望から来るものなのだろう。
「言ったわよね? 何があっても、私を守るって。なら、約束を守ってちょうだい。せっかく、昔から手をかけてあげたのだから……少しくらいは、返してね?」
……ここまで……ここまで腐り果てていたか、この女は。
力を手に入れて増長してしまったのだと思っていた。だが、分かった。こいつは……元から、こうなのだと。
どうして、や、いつから、は想像しかできない。ただ、はっきりと言える。今のこの女は、決して放置できない、許せない敵だ……!
「さて、どうするの? 言っておくけれど、ゴーシュの意識が無くなろうと、PSは解除されないわよ。動かなくなるのは、死んだ時だけ……ふふ。あなたに彼を殺せるかしら、兄さん?」
「……黙れ、クソが。てめえが俺を、そう呼ぶな」
アトラは、祭壇の上に佇む女へとトンファーを向ける。その目にはもう、先ほどまであった妹への情、武器を向ける躊躇いは残っていない。
「ゴーシュ。ちょっとだけ、我慢しろ。絶対に助けてやる! その女を、ぶちのめしてな!!」
「……にい……さ、ん……」
「あら、怖いわね。そんな怖い悪魔からは……しっかり守ってもらわなきゃ」
そして、ゴーシュが動き始めた。鋭い槍の一撃が、アトラを襲う。それをトンファーで受け止め、押し戻す。
「アトラ兄さん。私、あなたのことは別に嫌いではなかったわ。……あなたみたいな人は、すぐに何かにすがってくれるからね? いつか手駒にしたら、使えそうだと思っていたの。だから、少し残念よ」
「だったら……思い知らせてやるよ、アミィ。あの時の俺とは、もう違うってことと……世の中、てめえの思い通りにならねえことばかりだってな!」
救うために戦う、その意思を固めたアトラと、傀儡となったゴーシュの激しい戦いが始まった。……今は信じて、託すしかない。頼むぞ、アトラ。
己の戦いに意識を切り替える。信者たちは……何人かを戦闘不能にはできた。だが、入れ替わるように後続が加わり、聖女への道を塞いでくる。こいつら、あのやり取りを見てもなお……!
「あなた達はまだあの女に従うのですか? 自分たちも同じように傀儡にされる未来が訪れるかもしれないのですよ?」
「何を言うかと思えば……ゴーシュは聖女さまへの信仰を失い、畏れ多くもあのお方の方針を捻じ曲げようとした! あれは当然の裁きだ!」
「あいつは我々のリーダーを気取っていたがな……元々、聖女さまはあいつの信仰心が薄らいでいたことを全体に告げておられた。つまりこれは想定どおりなのさ。はっ、良い気味だよ!」
「貴様たちは……!」
「まったく。ここまで来ると、愚かさを笑う気にもなりませんね……!」
ジンの声からここまでの苛立ちを感じられたのは初めてだ。俺も、さすがに血が沸騰しそうだ。考えることなど、とっくに止めてしまっている。こいつらはもはや、信者どころか……ただの人形ではないか。
「愚かだと言うのね、あなた達は。彼らはただ、私の正しさを理解しただけなのに」
「思い上がりも甚だしい。貴様は自分の何を正しいと思っているんだ!」
俺の問いに、アミィは小さく笑う。その表情には、ありありと余裕が表れている。
「知っての通り、私は孤児よ。今でこそ安定しているけれど、幼い時はもっと酷いものだったわ。今日の食事も満足にない、いつ死んでもおかしくないような環境だったの。兄さんから聞いているかしら?」
「問いの答えになっていませんね。突然の自分語りをするほどに舞い上がっているのですか?」
「そう慌てないで。……私はね。私のような存在が絶えず現れるようなこの国は、間違っていると思ったの。だから、正すことを決めた。そのために学び、計画を練り、力をつけ、人脈を得たの」
「……正す、だと? 国を混乱させ、多くの人が命を落としたことを、正すだと!? 間違った国は滅びこそ正しいとでも言うつもりか!」
「違うわ。作り直すのよ。一度バラバラにして、いらないものは消し去って、必要なものだけで新しくね。そうすれば物事は良くなる。必然でしょう? 」
目眩がしそうだ。こいつは、本気で……己の行動を、何も疑おうとしていない。若さというにはあまりに稚拙な理論を、心から語っている。
「私はいつだって、正しさのために努力をしてきた。世の中を良くするために力を尽くしてきたの。それが正しくないというならば、何が正しいのかしら?」
「なるほど。あなたは……本当に何も分かっていないようですね……!」
「あなた達こそ。私の正しさを理解できないのならば……あなた達は私の世界に不要な、悪よ」
孤児としての境遇、その苦しさは俺も知っている。だが、こいつの人格が歪んだことに、もはや同情はしない。……この女は止める。この際、どちらが正しいかなどどうでもいい。ただ、許してなるものか。こいつが壊したもの……もう帰ってこないもの。それを簡単に不要だから消したなどと語ったこいつは、絶対に!
――思考を中断させたのは、部屋を揺るがすような轟音だった。
視線を向ける。黒瑙暴竜の突進が、壁に衝突した音だ。
巨体が、凄まじい速度でウェアルドへと猛攻を繰り広げている。壁すら粉砕するほどの突進、地面を抉る尻尾の薙ぎ払い、そして巨大な口での噛み付き……掠めるだけでも人体が粉微塵になりそうな致命の連撃が、息つく間もなく赤狼を襲っていた。
傍目から見た恐竜の動きは、俺が今まで戦ってきたAランクUDBのそれを、明らかに上回っていた。アミィのPSは、この怪物をも間違いなく強化している。Sに迫るという言葉は、決して妄言ではないようだ。
「ウェア!」
「こちらは、心配するな! お前たちは、その女に専念してくれ!」
やや呼吸を荒くしながらも、彼は刀を振るい、恐竜と対峙を続ける。彼の剣術は、間違いなくUDBの身体に傷を刻んではいた。
だが、やはり痛覚が鈍いのか、刃がその肉を裂いても、暴竜は僅かにも怯む様子は見せない。それどころか、怒りのためかさらに狂暴になっていく。
……俺ならば、月の守護者を全開にしたとしても、相手取れるかどうか。それに、先のアミィの言葉……ウェアルドのPSに関する話が正しければ、ほぼ生身で怪物と渡り合っていることになる。いかに彼が最強と呼ばれた戦士であっても……能力も無しにUDBと切り結ぶなど、本来は無謀なのだ。
「まさしく孤軍奮闘ね。でも、いつまで保つかしら」
「あなたは我々のマスターを甘く見ているようですね。ですが、その代償はすぐに払うことになるでしょう」
「確かに、甘く見ていたのは認めるわ。ここまで粘られるとは思わなかったもの。ならば、もうひと押しといきましょう」
「…………!」
アミィは、気取った様子で指を鳴らす。途端に、空間の歪みがいくつか発生した。そこから出てきたのは……。
「灼甲砦……!」
中型のUDBが、5体も。例外なく、ウェアルドの方へと向かっていった。
まずい。万全ならばともかく、紙一重の戦いに横槍を加えられるのは、いくら父さんでも……だが、俺たちも援護をできるほどの余裕は……!
「そんじゃこっちも、援軍登場といっちゃおうか?」
場を一変させたのは、そんな女性の声。
直後。UDBたちを中心に、強烈な爆発が連続で起こった。
「な――」
爆音と、灼甲砦たちの苦悶の咆哮が響く。炎の中に見えたのは……人形? 子供が抱えるようなデフォルメがされた、人間の少女、犬、それから牛と思われる人形たちが、場違いに宙を舞っている。
「今だよ、英雄さん!」
「……承知!」
すぐさま場を飲み込んだらしい父さんは、残火の中を駆ける。閃いた刃が、あっという間に灼甲砦たちの急所を捉えた。巨体が倒れる音が、一斉に響く。
それを見届けるように、人形たちが糸に引かれて一箇所に集まっていく。……そこに立っていたのは……人間の女性。
「……これは、何の冗談かしら?」
「あっはははは! その言葉、そっくりそのままお返しするよ、アミィ。良いマヌケ面だね?」
その女性は、俺たちもよく知る人物。そして、この場の因縁に縁深い人物のひとり。激闘を繰り広げていたアトラとゴーシュ、二人の動きが共に鈍った。ゴーシュまで鈍ったのは、アミィの動揺か、それともゴーシュの動揺か。
「み……ミント!?」
「や。元気してたかい、アトラにギルドのみんな?」
ひらひらと、場違いな呑気さで手を振ってから、ミントの手元に先ほどの人形たちが戻ってくる。……状況からして、爆炎を巻き起こしたのはあの人形のようだ。あれが彼女の武器、PSか?
いや……その前に。彼女は、ジークルード砦で恋人のベルナーを失い、精神を病んでいたはずだ。回復したにしても、さすがに期間が――
「ちなみに……ゲストはボクだけじゃないよ?」
――その疑問の答えもまた、すぐに目の前に現れた。
「……おおおおぉっ!」
すぐさま動きを戻したゴーシュが、困惑するアトラへと槍を構えて突進したのに割り込むように。上空から降りてきた男が、大振りなショーテルの一撃で馬人の突進を食い止めた。
そして、その男を見たアトラは、今度こそ完全に動きを止めてしまった。
ミントと言い、いつの間に。あれは、もしや……空間転移で?
いや、それよりも……彼は。まさか、こんなことが。
「……あ……え……?」
「……ここまで狂った状況にするつもりはなかったが、すまん。あの狂犬は本当に、全てをかき乱してくれたものだ」
アトラの反応も無理はない。この状況は、あまりにも……想定外が過ぎる。
「ベ……ル……!?」
そこに立っていたのは、紛れもなく……死んだはずの、ハウンドの青年だったのだから。