仮面の下
『驚きました。まさか、こうも容易く侵入されてしまうとは』
『危機管理は大事だよ、聖女。開かない扉があることぐらいは把握していたかね?』
『ふん……だが、それだけの数で乗り込んでくるとは、随分と舐めたものだな』
「数で戦力を測るならば、後悔することになるぞ。だが……その前に、お前たちと話を望む人がいる」
『なんだと?』
この二人が出てきたのは、好都合だ。聖女にされたことを俺は許せないが……戦いを避ける余地があるのならば、力を尽くすべきだ。
ウェアは元首の通信機を前に向ける。そして、次にそこから聞こえてきたのは、元首の声ではなかった。
『二人とも……』
『…………!?』
通信機から聞こえてきたのは、女性の声。穏やかで、優しく……それでいて今は、哀しみを帯びた声。
俺が会ったのは一度だけだが……あの心が落ち着くような仕草は、とても印象に残っている。この二人にとっては、なおさらだろう。
『まさか……シスター……!?』
『……そうですか。本当に、私たちの出自を突き止めていたのですね』
彼女の……シスター・エレンの声に、男の側は明らかに動揺を見せている。聖女はただ、静かに状況を理解したようだ。
『本当は直接会わせてくれと懇願されたのだがね。今回ばかりは、吾輩の判断で身の安全を優先させてもらった。そこは誤解なきようにね』
『元首、貴様……! シスターを巻き込んだのか!?』
『吾輩に怒れる立場なのか、君が。シスターは、吾輩が真実を伝えるよりも先に、君たちの様子がおかしいことには気付いていた。そして、表から見れば君たちは行方不明になっている。彼女が、それで動かないとでも?』
『……それは』
『あと少しコンタクトが遅ければ、危険に飛び込んでいた可能性もある。彼女にここまでさせたのは、君たちだぞ』
男の側は、少なからずシスターへの負い目があったようだ。今度は元首に反論できず、勢いを失う。
そして、聖女と違って加工されているでもないその声は、長年を共に生きた相手にはすぐに特定できるものだろう。そして、彼の立場を考えれば、聖女の正体も連鎖的に、か。
『……ああ。やはり、あなた達なのですね……?』
『シスター……俺たちは……』
『お願い。どうか、こんなことは止めて。力に訴えても望む結果は得られない……私はいつも、そう言っていたはずです』
『っ……』
『話を聞かせてください。どうして、こんなことになったのか……私に至らぬことがあったのならば、それは謝ります。それでも、世界に不満があったとしても、他の誰かを傷付けてはなりません……!』
『そ、そうじゃない! 俺は、シスター、あなたには……ぐ……!』
思っていた以上に、彼は揺らいでいる。これならば……いや。問題なのは、彼女の側だ。
聖女ナターシャは、ただ静かに、そのやり取りを聞いていた。……動じることなど、何もなく。
『シスター。あなたは、私のやることを認めないと言うのですね?』
『……このようなやり方は、間違っています。どうか、思い直して……!』
「そうですか……分かりました」
聖女は、淡々と言葉を紡ぐ。
……そこには、情の熱など、全く感じられなくて。
「それでは、あなたは私の世界に不要な悪です、シスター」
『――――――』
あまりにもあっさりと告げられたその言葉と共に……聖女は躊躇うでもなく、仮面を外した。
「っ……クソ、が……!!」
……藤色の髪を肩まで伸ばした、大人しそうな雰囲気の人間の少女。――ほんの数日前に、アトラや俺と言葉を交わした女性。
彼女は……恩人へ決別を告げたとは思えないほど、ただ穏やかに、笑みを浮かべていた。聖女という呼称に違わぬ、慈愛の表情を。
アミィ・レイランド。
仮面の下から現れた顔は……間違いなく、彼女のものだった。
『聖女さま……!』
『もういいでしょう、ゴーシュ。いずれこうなることは、分かっていたはずです。それとも、私よりもシスターを信じるのですか?』
『…………。いいえ。俺は、いつだって、誰よりもあなたの味方です……!』
側近も、仮面を投げ捨てた。顕になった、馬人の顔……孤児院へと赴いたあの日、アトラとの和解を拒否した青年、ゴーシュ・レイランドだ。
『アミィ、待って! 話を聞いてください……!』
『いいえ。シスター、私はもう、あなたの庇護下にある子供ではないのです。信念をもって立ち上がった今……あなたがそれを否定するのならば、これ以上の言の葉は不要です。そして、元首も……まずはあなたの剣を討ち果たしてから、またお会いしましょう』
『む……!』
聖女がそう告げると共に……通信機から、突然ノイズ音が聞こえ始めた。それはあっと言う間に大きくなると、シスターと元首の声はまるで聞こえなくなった。ほどなく、ぷつりと通信は途絶える。
「電波妨害を……?」
『元首に裏技があるというのならば、こちらにも相応の手はあるのですよ。この遺跡の中だけであれば、我々の方が上手ということです』
ここから先に、あの人たちは不要でしょう? と、表情を変えないまま聖女、アミィは続ける。
『敵と敵が顔を合わせたのです。今さら対話でどうにかしようなどと、そのような甘い覚悟でここに来たわけではないでしょう? 元より私は、悪をひとつも逃すつもりはありません』
「俺たちが悪だから、何を言おうと消すのは変わらない、と……?」
『その通りですよ、ガルフレアさん。昔のあなたがそうしていたように、ね』
「……俺の過去は、言われるまでもない。だが、だからこそ俺は、その在り方が危険なことを知っている!」
少し前ならば揺さぶられていたかもしれないが、今はもう、やるべきことまで見失わない。過去の罪がいつか俺を裁いたとしても、ここにいる俺がどうすればいいかとは無関係だ。
「そもそも、君は自分たちが正しいと本気で思っているのか? 今さら、リグバルドとの協力を否定できると考えていないだろうな」
『否定をする必要があるのでしょうか? 彼らは、私に力をくれただけ。そう……私の正義を正しく貫き、悪を裁くための力を』
「……ふざけてんじゃねえぞ、アミィ!!」
今まで堪えていただろうアトラが、叫ぶ。……彼はここに来るまでに、ゴーシュの声に気付いていた。彼が尽くす相手がアミィであろうことにも。それでも、目の当たりにした衝撃は別のはずだ。
「シスターか不要だって? 悪だって!? お前、自分が何言ってるか、本当に分かってんのかよ!」
『誤解しないでください、アトラ兄さん。私は、シスターに今までのことを感謝はしているのです。しかし、個人の思いと善悪は、別の話というだけです。私は、世界のために善を貫く必要があるのですから』
「何が世界のための善だ! 恩人傷付けるのが善ってんなら、んなもんクソ喰らえだ! だいたいお前、聖女とは無関係だって言っただろ……!」
『私は、嘘はついていませんよ。あなたは私に、聖女を信じているのかと尋ねた。私は、聖女の信者ではないと答えた。偽りはないでしょう?』
「っ、ふざけてんのかよ、てめえは!! ゴーシュ、てめえもだ! シスターを裏切って、お前、本当にそれでいいのかよ!?」
『……うるさい! 知ったような口を利くな、真っ先に裏切った貴様が!! 俺は、他の何を裏切ったって……絶対に彼女を守り抜くと、そう決めたんだ!!』
青年は、まるで自分に言い聞かせるように叫んだ。彼はアミィほど割り切れてはいないようだが、アミィのため、という強い意志だけは感じ取れる。……かつて守りきれなかった反動、なのだろうか。
『繰り返しますが、言の葉は尽くしました。私の前に立ちはだかるのならば、私はあなた達という悪を消し去ります』
アトラが、強く牙を噛み締める。……やはり、こうなってしまうか。だが、彼女たちを止めないわけにはいかない。