自分達の力で
「…………!」
控え室にいた私には、今起こっている騒ぎが何なのかは分からなかった。
ただ、悲鳴が聞こえたから急いで来てみると、人がUDBに襲われていた。だから、とっさに力を使った。それのおかげで、何とか助けることはできた、けど、もちろん相手を倒せたわけじゃない。
とりあえず、分かっているのは一つ。状況は、最悪だ。
「き……君は!?」
「それは後です。とりあえず、逃げましょう!」
私が攻撃したUDBが怯んでいる隙に、倒れていた人も何とか頭が回ったらしくて、起き上がってこちらへと駆け出す。
けど、私の攻撃は当然ながらUDBを怒らせたみたいだ。
ミノタウロスが雄叫びを上げた。その眼が狙うのは、私だ。
「……ッ!!」
怪物の叫び声。気が狂いそうになるぐらいに……怖い。早く逃げなきゃ……!
「早く、こっちへ!」
「あ、ああ!」
まずは彼を助けないと話にならない。私は少しだけ前に出ると、牽制に『爆発』を宿した矢を放つ。動きを止め、牛鬼は怒りの叫びを上げた。
あのサイズなら控え室には入れない。そこまで行けば、非常口から上まで……!
だけど、そう簡単にはいかないみたいだ。爆炎をかいくぐって、私目掛けて牛鬼が飛びかかってきた。身体が大きければそのぶん動きも大きくて、早い。あっという間に、距離が近づいた。
「くっ……!!」
私はギリギリのところで、横っ飛びにそれを避ける。だけど、安心する暇もなくて――後ろで、轟音が響いた。
振り返ると、ミノタウロスの拳が、控え室への扉を殴りつけていた。そして、へし曲がった扉は……どう見ても、開いてくれそうにない。
駄目押しとばかりに、牛鬼は扉の上の壁を殴って、打ち砕いた。観客席から悲鳴が上がったけど、みんなリングから遠ざかっていたから、巻き込まれた人はいない。だけど、崩れた壁はさらに控え室を塞いでしまって……まさか、最初からそれを狙って?
「これは……」
「絶体絶命って、やつかな……?」
もう一つの出口は、遠く離れた反対側。そこまで走っていって逃げ切れる気もしないし、今みたいに逃げ道を塞がれたらもう終わりだ。
何か、絶望を通り越して笑ってしまう。何だろうか、この状況。……コレと戦うしかないの? この、競技用の弓で?
だけど、呆けている時間は無かった。牛鬼は咆哮すると、また私に向かってきた。
「!!」
私の判断は、一瞬だけ遅れてしまった。その一瞬のうちに……獣が、私に拳を――
「こんの……クソ牛があ!!」
――振り下ろす直前。その側頭部に、凄まじい勢いの蹴りが叩き込まれた。
その蹴り自体の威力もあるだろうけど、不意打ちを喰らった牛鬼は大きくよろめき、後退した。蹴りを放った人物は、そのまま私達の目の前に着地する。
「お前ごときに、俺の妹に手を出す資格はねえんだよ!」
その声が、妙にハイになっていた私を正気に戻した。そんな……どうして?
「暁斗!?」
「無事か、瑠奈?」
暁斗は私に微笑みかけた……つもりだろう。実際は、震えてるし引きつってる。かなり無理をしているのが丸わかりだった。そして、リングに降りてきたのは、暁斗だけじゃなかった。
「ルナ! 大丈夫か!?」
「みんな……」
レン。コウに、カイまで……
「怪我はねえか、ルナ!」
「無茶しやがって、バカ野郎が」
「みんな、どうして……?」
「どうしても何もあるかよ! 可愛い妹が襲われてるのに、ほっとけるかよ!」
「お前はオレの親友だろうが。助けるのに理由はいらねえっつーの!」
「お前には恩が山ほどあるからな。ここいらでちょっとは返済しときてえんだよ」
「……ここで逃げたら、何のために武術を習ってきたか分からないからな。言っただろ? 大切な誰かを護りたいから、って」
「………………」
みんなだけでも逃げられたはずだ。でも、私のために、彼らは助けに来てくれた。いくら友達や家族でも、逃げ出す方が普通っていうこんな状況で。
それだけ私を思ってくれてるんだって、今さらながらに自覚する。こんな状況でも、それは嬉しく感じた。けど――みんな、いつもと同じような口調で言いながら、声も身体も震えてて。
「……見栄くらい張らせろよ、瑠奈」
私が何を思っているかに気付いたのか、力なく笑って、暁斗が前に出る。それに続いて、みんなも。
震えていても、お兄ちゃんの、みんなの背中は、私が見てきた中で、一番逞しかった。
「何が起きたのか全然分からないけど……こんなことで死ぬ気はねえだろ、みんな?」
「お兄ちゃん……」
「お前も力を貸してくれ。やれるか、瑠奈?」
私も。そうだ、私だってここにいる。みんなに助けられて、そのまま終わりなんかじゃない。
怖いからって何もしなければ、死ぬだけ。そんなの……嫌だ。
「もちろん。やれるだけ、やってみる」
絶対に、生き延びる。みんなと一緒に。そのためには……今は、やるしかない。
「俺達の選択肢は二つだな。あれをやり過ごして逃げるか、あれを倒して逃げるか」
「とりあえず、あちらさんはやる気みたいだぜ……?」
「……走って向こうまで逃げたとして、見逃してくれそうにないな」
ミノタウロスはもうダメージと混乱から回復した様子で、こちらを睨みつけていた。先に逃げ道を塞いできたみたいに、牛鬼の知能はそれなりに高いって授業で言ってた。数の不利があるからか、警戒態勢のまま動かない。それにしても動きが鈍いけど、何か原因があるんだろうか。
「そういえば、ガルは? カイ、見えるか?」
言われて、カイが客席に視線を向ける。何だかんだで、一番遠目が利くのはカイだ。眼鏡をかけてるのは、空を飛ぶ時のためらしいし。
「良く見えねえが……何だありゃ。壁、か?」
「壁?」
「良く分かんねえけど、あいつ、あそこから動けなくなってるみてえだ」
「何だって……?」
それってつまり、閉じ込められてるってこと? ガルだけが?
「どうしてガルが?」
「分かんねえが、とりあえず確実なのは……あいつの助けを期待はできねえってことだな」
ガルがいれば何とかなるかも、という期待が破れたみんなの表情は、一層険しくなる。
お父さん達も、シグルドさん達も会場の外だ。異変に気づいたとしても、会場が誰かに襲われているとすると、入り口はたぶん塞がれてる。いつ来るか分からない助けを待つ余裕なんて、私達にはない。
「一応、武器は自己管理だったから持ってるけど、これでどこまで通用するかな……?」
「……本当、今さらだな」
こんなもの、実戦の場ではただの玩具だ。私のPSなら対応はできるけど、あれを倒せるくらいの力ってなると……。
「……俺がやる」
「え……?」
前に出たのは、私が助けた犬人の男性だ。一度落ち着いたからか、ドーベルマン系の精悍な顔付きには、冷静さが戻ってきていた。
「子供に助けられたあげく戦わせるなんて、あまりにも格好つかない。俺に任せて、君達は逃げろ」
「で、でも、あんた……」
「……さっきは混乱していたけど、俺にはこれでも、この大会で優勝した経験だってあるんだ」
「え……?」
そんな予想外の経歴を語りつつ、彼は腰のソードベルトから剣を抜く。しかも、それは。
「真剣……?」
「俺は本来、警備員として雇われたんだ。だから緊急事態用に持たされていた。まさか、あんなのを相手するとは思わなかったけどな」
剣を構えるその姿は、確かに経験者の構えだった……隙がない。でも、相手はあのUDBだ。いくら普通の人より強くても……無茶だ!
「お兄さん!」
「……俺の名前は瑞輝だ。俺のせいで、君達を危険に巻き込んだんだ。大人として、責任はとる」
「でも、ひとりじゃ……!」
「だけど、他に方法はない。奴が本格的に動き出す前に、早く逃げるんだ!」
確かに、逃げるチャンスは今だけかもしれない。でも……!
「ここであなたを見捨てるようなら、最初から助けに入ってないですよ!」
「そうだ。それに、方法ならあるぜ?」
「!」
そう断言したカイに、みんなの視線が集まる。
「カイ、方法って!?」
「要は、俺達が戦えりゃいいんだろ? それなら、まず、俺は武器がなくても関係ねえしな」
言いつつ、カイの鱗が赤く染まっていく。試合の時以上に、鮮やかな緋色。
どうやら、PSを全開で発動させたみたいだ。ここまで力を高めた以上、彼の格闘術は、それ自体が凶器みたいなものになる。UDBを倒すことだって、できなくはないだろう。
「で、お前らだけど。ルナ、今から言うこと、できるだろ?」
カイの口から作戦が告げられていく。それを聞いたみんなは、私の能力を知らなかった瑞輝さんを含め、一様に目を丸くしていった。
「なるほど、確かにそれなら……!」
「瑠奈、どうだ、いけるのか?」
「……できるよ。でも、少し時間はかかるかも……!」
「なら急いだ方が良いな、早速……」
そこで響いた、獣の咆哮。
しびれを切らしたか、危険を感じ取ったか、こちらを睨むだけだったミノタウロスがついに動き出した。一歩ずつ、その巨体が私達に迫ってくる。
「うわっ! ど、どうすんだ!?」
「……しょうがねえ。俺が時間を稼ぐ」
「俺もいる。君達は、さっき彼が言った通りに!」
カイが私達の前に立ち、それに並んで瑞輝さんも剣を構える。
「急げよ、ルナ。あまり長く持ちこたえる自信はねえからな……!」
「……うん、分かった。みんな、武器を!」
「あ、ああ!」
「カイ……気を付けろよ!」
心配してる場合じゃない。今はふたりを信じて、これに賭けるしかないんだ。なら、私は、私にしかできないことを……!