たとえ、その傷痕が消えずとも 2
「昨日だって、やれることをやったつもりだったよ。でも……あれは僕にとって、間違いなく……チャンスだった。無意識に……ここで死ねれば、って、そう考えていた自分も、いたんじゃないか。それを……否定、できないんだ……!」
「そんなこと……! 咄嗟に一番の選択なんて、そう簡単にできるもんじゃねえだろ! そんな、かもしれないばっか考えたって、どうすんだよ!」
「どうにもならないよ!! 分かってる、そんなこと分かってるんだ! でも、でも……!!」
感情を爆発させて、ヘリオスは泣き叫んだ。
自分がちゃんとしていたら、ベルは死ななかったかもしれない。自分があの時ああしていたら、俺は苦しまなかったかもしれない。……それを考えても過去は変わらない。だけれど、後悔だけが溜まって、やり場が無くなっていく。
……なんでだよ。俺は、そんな風に思ってほしくなかった。こいつが、こいつとシスターの存在が、俺にとってどれだけ……あの時、俺がちゃんと……いや、違う。それじゃ、堂々巡りだ。
「それでもお前は、ハーメリアを助けられたんだろ!? そんなに、自分を悪者にしてえのかよ!」
「ハーメリアだって、僕がこんな考えで助けたって聞いたら……幻滅するに決まってるよ !!」
「――どうして、そうなるんですか!!」
そんな空気に割り込んできたのは……少女の声だった。
言い合いになってたから、気付かなかった。部屋の扉は開いていて、まさに話題に挙がっていた張本人、フェレットの少女が入ってきていたことに。
「ハーメリア……どうして?」
「アッシュさんが、入れてくれました。お二人の話が、聞こえて……」
声もかなり大きくなってたから……外まで全部聞こえてたのか。
こいつも、ヘリオスのことをずっと気にかけてたから。目を覚ましたって聞いて、すぐに来たんだろう。そしたら、ヘリオスの言葉を聞いてしまった。
「私が、何に幻滅するって言うんですか、ヘリオスさん」
「……聞こえてたなら、分かるでしょ? 僕は……すごく自分勝手な気持ちで、君を助けたんだ。こんなの、軽蔑されたって……」
「そんなわけ! ないに決まってるでしょう!!」
ハーメリアは、泣きそうな顔で声を上げる。昨日、自分のせいで、って彼女は言っていた。……だからこそ、黙っていられないんだと思う。
「ヘリオスさん。勝手なことをして、あなたに怪我をさせた私が、偉そうなことを言っているかもしれません。でも……これだけは、言わせてください!」
「ハーメリア……?」
「どんな理由があったとしても、ヘリオスさん自身が認められなくても! 私は間違いなく、あなたに助けられました! それに感謝しても、幻滅なんてするわけないじゃないですか!!」
彼女の、言うとおりだ。ヘリオスが、どんな思いで力を使ったとしても……こいつが誰かを助けるために戦ったことも、それでハーメリアが助かったことも、何も変わらねえ。
「言いましたよね、ヘリオスさん。自分を正しいと思えないって。でも……少なくとも、私は知っています。あなたが、どんな気持ちだったとしても……あなたは誰かのために、ずっと戦っていた! 私は、そんなあなたのことを、尊敬できるって思ったんです……! 私の気持ちを、勝手に決めないで!!」
「っ…………」
「……正しいと思ったことで、誰かが傷付くこともある。でも、だったら……正しいと思えないことで、誰かが救われてもいい! そうでしょう? だから……あなたが救ってきたものを、否定しないでください……!!」
どんな力であっても、どう使うか……どんな気持ちであっても、どう使うか。ヘリオスの奥にそんな願望があったとしても、もっと破滅的な方法だって選べたはずだ。けれど、こいつは、誰かを助けるために力を使い続けた。だったら、それのどこが悪い。
ヘリオスが抱えていた、どろどろに煮詰まってこじれちまった罪悪感。それをきっと、アッシュとオリバーは知っていた。だけれど、当事者じゃないから、どうにもできなかったんだと思う。だから、俺に期待してくれたんだ。
……俺ひとりだと、距離が近すぎた。だけど、ハーメリアの言葉で……はっきりした。そうだよ。真っ直ぐにぶつかるしかないんだ。俺が、言いたいこと。言わなきゃいけないこと。
勝手に、決めつけんな。
「……俺を、見てくれよ、ヘリオス。いま、ここにいる俺は……そんなこと望んでいるように、見えるのかよ」
「…………っ……。分かってる、よ……君が、そう、思ってないって……! これが、僕の我儘だって! でも、君を苦しめた僕を、許すなんてできるわけ――」
「――じゃあ、それで今の俺を苦しめてもいいってのかよ!!」
「………………ッ!!」
自分で自分を許せない……分かるよ。俺だって、その気持ちぐらい。でも、さ……その傷を負わせたのが俺のことで。それで大事な親友がずっと傷付いて……それで俺も苦しくて。誰が得してんだよ、それ。ふざけんなって叫ぶくらい、許されるだろ。
「お前だって、兄ちゃんだって! いつまでも、あん時の俺を見てばっかでさ! 俺はここにいるんだよ! 生きて、ここに立ってんだよ! 昔の俺のためなら、今の俺はいくら傷付けてもいいのか!? 目の前の俺はどうでもいいってのかよ、ヘリオス!!」
「…………ぁ……」
「俺を傷付けたんだって思うなら! 俺に詫びたいんだって思うなら! 俺が何を願ってるかを、ちゃんと聞いてくれよ!! なに勝手に決めてんだよ、どいつもこいつも!!」
目の前が、滲む。悔しい。悔しくてたまらねえ。みんなして……俺自身すら。ずっと、あの日で時間が止まっていた。
今さらのように、後悔もした。俺だって……ずっと、同じように決め付けて、傷付けてた。こんなに辛い思いをさせてたのか、俺は。
でも、今は涙を拭った。だって俺たちは、ここにいるから。
「俺は……お前とまた友達として、一緒にやれたら……それだけで、良かったんだ」
「……アっちゃん……」
「生きてくれよ。それで、これから先……うんとジジイになったってずっと、俺の親友でいてくれよ……!」
それが、俺の心からの願いだ。何年も苦しんでて、すぐに割り切るなんて、難しいのは分かっているけど。あの時の俺じゃなくて、ちゃんと俺を見てほしいから。
気が付くと、アッシュとオリバーも入ってきていた。
「……ウチとオリバーだって同じだよ、ヘリオス。あんたが自分を、どう思っていたって……ウチらはあんたに助けられてきたの。頼りにしてるの。だから……同じくらい、助けたいし、頼ってほしいんだよ」
「曹長。……いいや、ヘリオス。ここまで来てなお、言葉を聞いてくれないのかい? 僕の友人は、そんなに薄情じゃなかったと思っていたんだけどな」
「……二人とも」
今は部下としてじゃなく、友達として。
ヘリオスは少しの間、目を閉じた。言うべきことは、たぶん言った。後はこいつが、それを咀嚼してくれるのを待つしかない。
「……僕は……僕は。……分からないよ。そう簡単に、切り替えられもしないよ」
「………………」
「……でも。それで……みんなを、傷付けるのは……嫌だな……」
ぽつり、と。俺たちに向けてと言うより、呟くように。
ヘリオスの顔には、いつもの穏やかな様子が戻ってきていた。……ああ。最初に出てくる言葉が、それなのかよ。こいつは、本当に……どこまでも。
きっと何かが伝わった。みんな、それは感じたらしい。
「だったら……考えましょう、ヘリオスさん。どうしていけばいいかを、どうしたいかを」
「……そう、だね。うん……考える。それを止めたら……駄目だよね」
どこかで気が抜けたのか、ヘリオスの目がぼんやりとしてきた。あんまり、無理をさせられねえな。
「今は、ゆっくり寝ときなよ。で、元気になってゆっくり悩む。それでいいでしょ?」
「たまには、僕たちに任せてもいいんだ。君の隊員は、頼りになるんだよ?」
「……知ってる、よ。君たちも、アっちゃんも……ハーメリアも。うんと、頼りになるんだって。……みんな」
半分以上は落ちているような、小さな声で。だけれどヘリオスは……確かにちょっとだけ、微笑んだように見えた。
「後は、頼んだ、よ」
そう言い残して、こいつは静かに目を閉じた。……託された。託してくれた。俺たちの思いは、きっと伝わった。
「……おう! お前のぶんも、しっかり返してきてやるぜ!」
「安心してください、ヘリオスさん。私たちは、負けませんから……!」
眠り始めたヘリオスに、誓う。俺は、負けねえ。レイランド孤児院のアトラとして……今度こそ、ちゃんと守ってやるんだ。