表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルナ ~銀の月明かりの下で~  作者: あかつき翔
7章 凍てついた時、動き出す悪意 ~後編~
344/430

時が凍てついた日 5

「…………え……」


 浩輝の思考は、真っ白になった。

 突然のことに、目の前の光景が受け入れられない。だが、現実として、兄の腹には、先ほどまでなかったはずの大きな風穴が空いている。


「……ごほっ……?」


 海翔は何かを言おうとして、しかし代わりに血を吐いた。何が起きたか分からない、という顔をして。そして、直後に、凄まじい痛みと苦悶の表情へと変わった。傷口を抱えるように、少年はその場に崩れ落ちる。


「か……海翔おおおおおおぉ!!」


「あ、あああああああぁ!!」


 悠馬と茜の絶叫が、響いた。

 血を吐いて倒れた息子の姿に、二人の思考は完全に奪われた。そして、その隙は、戦いにおいてはあまりに致命的なものだった。彼の懐に、素早く潜り込む影がひとつ。


「ぐっ!?」


 悠馬の脇腹を、深々とコヨーテの刃が斬り付けた。思考が乱れ、PSを発動させることもできなかったのだ。悠馬は何とか反射的に離脱するが――直後。その傷口が、裂けるように広がった。


「ぐ、あ、がっ……!?」


 そして、リュートの指示による一斉射撃が茜を襲う。悠馬のPSによる守護が緩み、彼女自身の動転の隙を突いた銃弾は、腹部を何箇所か貫く。


「うぁ、あっ……!!」


「あ、かね……!!」


 リュートはそのまま悠馬に斬りかかるが、何とか体勢を立て直した彼は銃剣で防御する。しかし、腹からはとめどなく血が流れて、彼の白い毛並みを染めていった。


 英雄と呼ばれた悠馬と茜の力は、この中では圧倒的だ。リュートであっても、根本的な実力差はかなり大きい。真っ当に戦えば、覆ることはなかっただろう。

 だが、この状況下において。リュートの()()()能力は、悠馬にとって、致命的に相性が悪かった。


「素直に人質を取るなど、下策でしかない。どう転んでも破滅だからな。それよりも……」


 悠馬の力は非常に強力だが、無敵ではない。あくまでも指定した範囲内での運動エネルギーの向きを変えるだけに限る。熱や電撃、毒などまで防げるわけではないし、衝撃の大きさにより必要な力も増える。

 そして、方向を変えようが防げない攻撃にも意味はない。内側から炸裂する力の方向を変換したところで、体内が傷を負うことに変わりはなかった。


 リュートの力は、起爆。己が触れることをトリガーに『アンカー』を仕込み、任意のタイミングで破裂させる。先ほど、海翔の肩に手を置いた時、最悪の仕込みは終わっていた。彼の体内、その奥深くにPSを注ぎ込むと、いつでも殺せるようにしていたのだ。


「こうして動揺を誘う材料にする方が賢いと思わないか。なあ?」


「こ、この、クソ野郎、がっ……!!」


 元々、子供たちは保険とするつもりだった。助けるべきだった相手が死ねば、まともな者ならば誰であろうと硬直する。その後に憤怒で暴れられようと、それよりも早く仕留めてしまえば関係はない。

 リュートの悪辣さを考慮できなかったことが致命的だった。人質は人質として、自分たちを仕留めるまでは利用するはずだ、というのがそもそもの間違いだと、知った今ではもう遅い。


「しかし、どちらも仕留め損なうとはな。まったく、とんでもない負債を押し付けてきたものだ……!」


 リュートは確かに悠馬の急所を狙ったし、茜への銃撃も同様だ。二人とも歴戦の英雄であったからこそ、何とかそれを逸らした。しかし、どちらも激しく出血しており、深手を負ってしまったのは間違いない。


「か、海、翔……あうっ!」


「お前たち、女の方はそのまま抑えろ。その程度も出来ないなどと言うまいな?」


「ち……やって、やるよ!」


 一気に形成は逆転した。悠馬の体力が奪われた今、彼のPSの精度は大きく落ちていた。二人は攻撃を防ぐので手一杯になり、倒れた海翔を助けに行くこともできない。それどころか、流れていく血に、自らの命すら危うくなっていく。


「兄ちゃん! 海翔兄ちゃん!!」


「……こ、うき……」


 浩輝は倒れた海翔にすがりつくようにして、叫び続ける。

 この時、浩輝は兄のことで頭が一杯になっており、周囲が全く目に入っていなかった。両親の状態にも、気付くことができなかった。

 しかし、気付いていたとしても何もできなかっただろう。目の前の海翔に対しても、何もできない。


 海翔は、自分が致命的な傷を負ったことだけは理解できたのだろう。どこか諦めたような表情をしていた。


「ごめん……ごめん、な、浩輝……」


「あ、ああ、き、傷、血を、止めない、と……」


「絶対、離れないって、言った、のに……大丈夫、だって、言った、のに、な……ごめん……でも、お前は、無事で……」


「だ、駄目、喋ったら……! 」


 床に広がっていく赤い液体。兄の傷をどうにかしようとパニックに陥った浩輝の手も、その血で染まっていく。


「……ああ……何だか、寒い、な……」


「喋らないでって! 傷が、傷が開いちゃう!!」


「……俺は、死ぬ、のかな……浩、輝……うあ……!」


 途中までは強がろうとしていた海翔だったが、思わず苦痛の声を漏らした。その身体が、震え始める。それは、痛みだけのせいではなかった。


(し……ぬ……? 兄ちゃん、が……)


 徐々に失われていく海翔の血液。間もなく兄が死ぬ、という現実が、浩輝の思考を白く染め上げていく。急速に、海翔の身体から力が抜けていく。そして、己に迫る死を、本人も感じてしまったのだろう。強がりは、とうに限界だった。


「…………怖い……」


「…………あ」


「……やっぱり、怖い……こわい、よ……」


「あ……あ……」


「浩輝……痛、い……やだ……こわい……やだ、よ……」


「ああ、あぁぁ……!!」


 苦痛と恐怖の涙が、少年の瞳から溢れる。そんな兄に何もできないまま、浩輝の喉からは形にならない叫びばかりが溢れる。


「おれ、ま、だ……こう、き……どこ……どこ、に……」


「……っ! 兄ちゃん! 待って! 行かないで! 見て、ボクを見て! ここに、ここにいるよ!?」


「こわ、い……ひと、り、に……しない、で……そば、に……」


「ボクはここだって!! ねえ、兄ちゃん、ねえっ……!!」


 海翔の瞳には、もう何も映っていない。手を取って必死に叫ぶ弟の言葉も、手のぬくもりも、何一つ彼には届いていない。


「さむ、い……よ……くらい……こう、き……とう、さ……か……さん……」



 救いを求めるように、皆のことを呼んで。

 海翔の手が、力なく地面に落ちた。


「……にい……ちゃん……?」


 返事はない。閉じた目は、開かない。呼吸をしていない。


「兄ちゃん。……海兄……」


 微かに、鼓動はある。それでも、彼は何も反応を返さない。すぐに、残り少ない命の灯火は消え去るだろう。


「……や……だ……」


 動かない。兄が動かない。その身体から、熱が失われていく。

 もう兄は死ぬのだと、理解してしまった瞬間。浩輝は、涙を決壊させ、あらん限りの声で叫んだ。


「やだ! 嫌だっ!! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁ!! 兄ちゃん、兄ちゃん、兄ちゃん!!」


 頭の中はぐちゃぐちゃで、もはや何も分からない。ただひとつ。強く、強く、少年の中に湧き上がった感情。


「こんなの、こんなの……絶対に――嫌だあああああぁ!!」




 ――そして、少年の身体が、青白い光を放ち始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ