失われたもの
……襲撃が終わってから、数時間が経った。
俺は医務室を守るために残っていたから、襲ってきた野郎は見ていない。だけど、あまりにもひどい砦の状態を見た時は、何も言えなくなった。
犠牲者は……かなりの数になったみたいだ。部隊がいくつも壊滅して、生き残ったやつも心に傷を負った。それをたった一人がやったなんて、冗談だって思いたい。当然、テルム軍の士気はどん底まで落ちている。そして、俺たちギルドも。
……聞かされた。砦で話したこともあるやつが何人も死んだこと。ミントがショックでまともに会話もできないこと。ベルが……殺された、こと……。
信じられなかった。信じたくなかった。あまりにも唐突で、現実味がなかった。それでも……見てしまった。あいつの……ひどい状態の、亡骸を。
それだけじゃない。浩輝が、海翔が、大変なことになっちまった。あっちは張本人も混乱してて、俺もまだ詳しい話は聞けていない。……色んなことが一気に起こりすぎて、もう何が何だか分からない。
そんな中、俺は……ダンクの様子を見に行っていた。
あいつは、両腕を折られて絶対安静の状態だけど、意識は取り戻していた。他にもやらなきゃいけないことはいくらでもある、けど……あいつを一人にしたらいけないって、そんな気がした。
俺が側に行っても、ダンクはまるで反応しなかった。虚ろな目は、天井をじっと見ている。
どう声をかけたらいいか分からない。ベルやミントのことも、こいつ自身のことも……簡単に慰めなんて言えやしない。それでも今、こいつの側にいてやれるのは……俺だけだと思うから。
「ダンク……」
名前を呼ぶと、ようやくあいつはぴくりと動いた。視線だけが、俺のほうを向く。つい何日か前までのぎらついてた目が嘘みたいに、怯えた表情だった。
「……惨め、だろ?」
ダンクは、聞いたことないぐらいに弱々しい声で呟いた。
「あれだけ、大口を叩いて、いたのに……何も、通じなかった。俺には、何も、守れなかった……」
「……それは、お前のせいじゃない」
「今の俺には、守る力が、あるって……そう、思って、いたのに。子供、扱い、だった。なにも……なにも、あの化け物には……!」
言葉に出して感情が揺れてしまったからか、ダンクはうってかわって、激しく震え始めた。さっきまで虚ろだったのは、心を守るためだったんだと思う。
「怖いんだ……なあ、何なんだよ、あれ。あんなのが、俺たちの敵だったのかよ……!? お、俺……俺は……うぐっ……!」
「落ち着け、息をゆっくり吸うんだ……! 傷に障る!」
「なんで、だろうな。ミントが、あんな目に、遭ったのに。べ、ベルナーが、し、死んだ……のに。悲しいとか、悔しいとかの前に……怖くて、たまらねえんだ。あと少し、ギルドが、遅かったら……俺も、こ、殺され、てた。それが……!」
錯乱している。……凄まじい恐怖と、凄まじい後悔。その言葉で、何となく分かった。恐怖に震えていることが、余計にこいつを苦しめているんだって。
「それは、おかしいことじゃない。俺だって、お前の立場だったら……そうなってたと、思う。当たり前だろ? 怖いよ。死ぬのは、すごく怖い。……お前が、ベルやミントを大事に思ってなかったからじゃない」
「…………っ!」
俺だって知っているんだ。こいつが本当は、どんなやつかってことぐらい。
兄として、ちゃんとしようとしていた。年長者として、みんなを背負おうとした。こいつ自身だって、いっぱいいっぱいな中で生きてきて……全てが上手くはできなかったにしても、こいつのその気持ちは、努力は、偽物じゃないことは分かっている。
「……俺の、せい、だ。俺が、こんなに……臆病、だから。守れなかった。俺、また、守れなかった……俺は、あいつらの、兄貴、だったのに……!!」
「止めろよ……。そんなの、俺だって、一緒だ。ここにいたのに……すぐ近くにいたのに。俺も……」
「う……うぅ……うあああぁあぁ……!!」
ついにダンクは、声を上げて泣き始めた。その姿を見て、俺も……ベル達のことが、今さらのように胸の奥に届いた。
ベルは、死んだんだな、本当に……。やっと、ちゃんと話せて、お互いに許し合って……これから少しずつ、新しい関係をって、そう思ってたのに……何で。
涙が出てきた。それを自覚すると、止まらなくなった。こんなことになるなら、少しずつなんて言わずに、もっとゆっくり話しておけばよかった……!!
ミントだって。俺との相性は悪かったけど、あいつだって、あんな目に遭っていいような悪人だとは思ってない。だって、あいつにも……弟や妹に、残り少ない自分の食糧を分けてやるような、そういうとこだってあったんだ。
……シスターに、どう説明すりゃいいんだよ。あの人に、これ以上の傷なんて負ってほしくなかったのに。
しばらく、二人で泣いて……どれくらい経っただろう。ようやく、俺の涙が止まりそうになってきた頃。
「アトラ……」
ダンクが、俺の名前を呼んだ。場違いかもしれないけど……すごく懐かしいと、そう思った。
「お前は、死なないでくれ……」
思いもよらない言葉に、思わず目を見開いた。あいつはまだ、静かに泣き続けている。
「本当は、とっくに、分かってた。お前の、言うとおり……全部、お前に、押し付けてたって。そうしないと……お前が悪いんじゃないと……お前に石を投げた俺は……何なんだ、って」
「……ダンク……」
「今さら……だよな。でも、俺、怖かった。ずっと、怖かったんだ。それを、認めたら……自分こそ、悪魔じゃ、ないかって。お前のこと、死んだと思ってた、から。……だから、お前を敵だと思い込んだフリをして。それを、見ないようにして……」
ぽつり、ぽつりと、そんな言葉をこぼしていく。弱りきって、普段の意地とかプライドとか、そんなものが全部剥がれて……。
「……ごめん……」
「…………!」
「ごめん。ごめんな、アトラ……! 俺は……悪魔なのは、裏切ったのは……お、俺の、ほうっ……」
「………………。いいよ。もう、いいんだ」
それは、確かな後悔の言葉。こいつも、本当はずっと後悔してくれていた。……虫が良いって、思わないわけじゃない。許せるかって言われれば、全部は許せない。でも、それでもいいと、そう思った。何もかも吹っ切れるわけじゃない、けど。……人は、そんなに強くない。それは、俺だってよく知っているから。
「今はゆっくり休んでくれ、ダンク。お前の、ヘリオスの、ミントの……ベルのぶんは、俺がやる」
そうだ。割り切れないことだって山ほどあるけど……孤児院のみんなをこんな目に遭わせたそいつを、俺は許さねえ。あの場所で育ったことのある一人として。
「絶対に生きて戻ってくる。だから、その時は――」
――また、兄ちゃんって呼んでもいいか。
自分でも、そんな言葉が出てきたことにちょっと驚いた。ダンクが目を丸くして……少ししてから、声も出さずに頭を沈めた。ひどく震えながら、ダンクは、喋れないほど泣いている。
「もう、行くよ。俺にはまだ……やらなきゃいけないことが、あるからさ」
ああ。俺はまだ、止まれない。その野郎だけじゃない、この国をぶち壊そうとしてる奴らをぶっ飛ばすまで……悲しむのも、悔やむのも、全部ケリがついてからだ。
……まずは、海翔たちのこと。そろそろ、みんなも集まっているだろう。あいつらが抱えてきたもの、これからどうするか。家族として、俺も一緒に考えてやりたいって思うから。