狂獣襲来
ジークルード砦の襲撃に居合わせた俺たち。アトラとハーメリア、アッシュ達には医務室の防衛を任せ――今の彼らを前に出すのは避けるべきという判断もあるが――残るメンバーはいくつかのチームに分かれ、襲撃からの防衛と救助に駆け出した。
……まさか、襲撃者がひとりとは思っていなかった。メンバーを分けたのは失敗……いや、若いみんなを同行させるべきではなかったと、敵を前にした今は思う。
俺のチームは、俺と誠司、瑠奈と海翔だ。ただでさえ砦の惨状に子供たちはかなり堪えていただろうが、敵の姿を見た瑠奈は、息を呑んでいる。
「くく。言われんでも離してやるとも……そらぁっ!」
「……いかん!」
容赦なく、コヨーテはダンクを投げ飛ばした。誠司が咄嗟に巻き起こした空気の流れが、叩き付けられる寸前に何とか衝撃の一部を殺す。しかし、それでも強く床に衝突したダンクは、ぐったりとして動かない。
そして、敵の奥に見える亡骸は……なんという、ことだ。つい先ほどまで、当たり前に会話できていたはずなのに。
その敵が見知った顔であることなど、すぐに二の次になった。前にいるだけで、総毛立ちそうだ。
「綾瀬たちは前に出るなよ! あれは、お前たちの手には負えん……!」
俺と誠司は、ふたりで前に立つ。今は、子供扱いだのと言っていられない。こいつは……俺でも人のことを言えない程度に危うい。
「まあ、そう慌てんでも良いぞ? 待ち望んでいたメインディッシュではあるが、今日は元々、下見のつもりだしな」
「下見、だと? ふざけるな……! これだけのことを、起こしておいて!」
「くく、逸るな。会話だけで帰ってやってもいいと言っているのだぞ? お前たちも、聞きたいことがあるのではないか?」
逃してはならない、という思いはもちろんある。だが……今この場で、こいつを止められるか? 誠司がいてもなお、確信は持てない。
「リュート、さん。どう、して……?」
「うん? ああ。『申し訳ありません、瑠奈さん。悲しい話ですが、これが私の本性なのですよ』……なんてな。誠実な詩人も、それなりには様になっていただろう?」
もはや、あの時の優しげな笑顔が思い出せなくなるほどに、凶悪な顔で笑いながらリュートは言った。
「全部、嘘だったの? 私たちに話してくれたこと、全部!」
「いや? 俺の身の上に関してはおおよそ本当だ。ウィンダリア貴族の末裔なのも、世界中を巡っていたのも。ああ、しかし肝心なことを言っていなかったか? 俺はお前たちの敵です、とな」
「そんな、こと……!」
「ふ、良い表情だな? 俺もそれなりには楽しめたぞ。絶望した馬鹿な顔も、前菜としては悪くない。手間をかけた甲斐があるではないか?」
「貴様は!」
俺は己の間抜けさを呪いたくなった。どうして、感じ取れなかったんだ。ここまでの悪意を……あのマリクにも勝るような、ドス黒い本性を。
「随分と悔しそうだな、ガルフレアよ? 思えば、お前との初対面も傑作だな。図らずも、俺を尋問しようとしていたあの二人の方が正しかったわけだ。ああ、気に病む必要はないぞ? お前たちが止めていなければ、連中の寿命が縮んでいただけだからな」
「小隊を壊滅させたのも、やはり貴様か……!」
「ああ。生意気なことをしてくれた礼は必要だろう? 俺は舐められるのが何より嫌いでな。己の力もわきまえず噛みついてきた子犬たちを踏み潰すのは、それなりに爽快だったぞ」
こいつは……違う。今までのどんな敵とも、まるで。マリクの方がまだ、一定の秩序を保っていた。
説得など、絶対に考えられない。こいつを放置しては駄目だと……あまりにも危険だと、もはや本能のレベルで感じ取れる。
「では、改めて名乗らせてもらおう。俺はリューディリッツ・ルイネウス=フラウシュガルト。一応リュートは本物の愛称だぞ? それよりも、狂犬の方が通りが良さそうだがな」
「……その名、予想通り、ヘリオス達を襲った男も貴様の関係者だな?」
「ああ。それなりに役に立つから俺の家名を貸してやったら、兄さんと懐かれてな。くくっ、破綻していて、実に便利な駒だぞ?」
悪趣味で、狂った義兄弟。ヴィントールが、敵である俺たちに伝えてまで止めたがったこと……今ならば、よく分かる。
「……嘘、だろ」
そんな時……掠れた声が、俺の耳に届いた。振り返るわけにはいかない。一時でも奴から目を逸らせないが……海翔?
「なんで、だ。なんで、あの、野郎が……」
「……カイ? ねえ、どうしたの……!」
「……くくっ。久しぶりだな、海翔とやら? お前のことは、よく覚えているぞ。ああ、マリクから聞かされたが、お前はあの時の記憶が曖昧なのだったか?」
……こいつは、何を言っている。なぜこいつが、海翔を知っているんだ? それに、海翔の反応は。
「ふざけるな……お前のことは、忘れたくても忘れられなかった。なんでだ。お前が、生きているわけがねえだろ。どういう、ことだよ……!」
「どういうことも何もない。俺は最初から、死んでなどいなかっただけだ。ダミーの焦げた死体は残しておいたがな」
「…………っ!!」
「欠けた記憶について、周囲から何と聞かされたかは知らんがな。俺が死んだ瞬間は、誰も見ていない。残念ながら、それが答えだぞ?」
……待て。こいつの言い草……海翔のこと、彼の記憶について知っている意味。その答えを出せるだけの情報を、俺はつい先日に聞かされていた。そして恐らくは、誠司も知っている。
「海翔。まさか、こいつが……!?」
「……そうだ。その、クソ野郎が、あの時……そいつの、せいで……!!」
「はははっ! 俺だけではあるまい? それに、あれも依頼でやったことだ。恨むのは筋違いではないか、なあ?」
悪びれもせず、いや、挑発するようにそう言い放ち、血に濡れた口で笑うコヨーテ。風が、周囲に吹き始める。誠司は……今まで見たことがないような、憤怒の表情を浮かべていた。
「そういう、ことか。貴様が……悠馬と茜の……!!」
「おお、怖い怖い。さすがに英雄のひとりとなれば、俺も遊んではいられまいが」
誠司のことを知りながら、コヨーテは余裕を失わない態度で笑う。はったりでも、慢心でもないだろう。この男……下手をすると、ウェアでも。
何もかもが、普通ではない。その精神だけではなく、これだけの暴虐を尽くせる能力は、いったい――
「だが、どうやら今回は、先客がいるようだな?」
――奴に注視しすぎていた俺たちは、気付けなかった。
俺たちの背後から駆け抜けてきた少年のことに。その少年が、目にも止まらない速さで、リュートへと斬りかかろうとしていたことに。
「!?」
血走った目の少年は、まともな思考ができているように見えない。叩き付けた銃剣は、リュートの拳が軽くいなす。それでも少年は、立て続けに、狂ったように武器を振り回した。
「ま、まさか……」
「橘!?」
別のチームだった浩輝。それが、一人で突撃してきたのだ。
どうして一人で? あの速さは、時の歯車が……いや、それにしても速すぎる。あれでは、浩輝の身体はとても保たないはずだ!
「……ふざ、けんな……」
「……く、くくっ」
「ふざけんな……ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなぁ!! なんで、てめえが、生きてやがるんだよぉっ!!」
「ふはははは! 残念ながら、間違いなく生きているぞ? どうする?」
「――ぶち殺してやる!! てめえだけはああああぁ!!」
「駄目、コウ!!」
「浩輝! 止めろ、下がれ!!」
瑠奈と海翔の叫びすら届かず、浩輝は暴れ回る。間違いなく、PSと精神が暴走している。いけない、このままでは。だが、強引に止めるにはリスクが……!
「ああ、お前もよく覚えているぞ、浩輝とやら。何しろ、俺にとって人生の転機と呼べる瞬間だったからな。お前にとっても、そうだろう?」
「うあああああぁ!! てめえさえ! てめえさえいなけりゃああああぁ!!」
「俺が憎いか? 憎いだろうなあ! 両親が犠牲になったのに、仇敵はこうして自由に生きていたのだからな!」
そう。俺は、聞かされていた。
浩輝たちの本当の両親は……とある事件に巻き込まれ、殺されたのだと――!!
「橘、止まれ! くそ……ガル、合わせてくれ!!」
「ああ!」
考えるのは後だ! リスクを無視してでも、割り込むしかない! あの男は、その気になればいつでも浩輝を……!