幕間 運命は定まる
ほんの少し、時間は遡る。
「こうして招き入れてくれて、ありがとうございます。助かりました」
「いいってことさ。一緒に戦った仲だろう?」
ジークルード砦の、ギルドが集まったのとは別の部屋に、コヨーテの詩人が招かれていた。
「しかし、まさかあのようなことになるとは……ギルドの皆さんは、大丈夫でしょうか」
「うん……何とかできれば良かったんだけど」
あの時、街の人を救うべく協力したリュートと軍人たちは、聖女の騒動の際にもその場にいた。何とかあの流れを止めようとはしたが、力は及ばなかった。
そして彼らもまた、ギルドを庇ったことど、過激な信者から追いやられることとなった。そこで、リュートの身の安全のために、こうしてジークルード砦に避難させるに至る。
「電子の聖女は、ついに現実を浸食して……いえ、この状況で気取った言い回しを考えるのは不謹慎ですね」
「職業病ってやつかい? はは、変に沈むよりは、その方が気が楽にできていいと俺は思うよ」
「そう言ってもらえると助かります。どうにも身に染み付いていましてね、こればかりはどんな状況でも止められないのです」
そんなリュートと特に親しくなったのは、鼠の軍人。あの夜、蓮と浩輝たちが衝突した時に門番をしていて、彼らを慰めてくれた男だ。朗らかで人好きのする性格である彼は、自由な気質の詩人と馬が合ったらしい。
今日は立て続けに事件が起こり、軍の中にも重い空気が漂っていた。彼らも入れ替わりで休息しているが、間もなく次の軍務に就くことになるだろう。
そんな彼らのために、リュートはいくつかの曲を奏でた。戦いに赴く者を鼓舞するような勇ましい曲で、見事な腕前だった。最初は彼に怪訝な視線を向ける者もいたが、一曲目が終わる時には、その場にいる誰もが彼に拍手を送っていた。
そうして何曲目かの演奏が終わると、鼠は満足げに立ち上がる。
「良い気晴らしになったよ。全部片付いたら、今度はゆっくり聞かせてくれるかい?」
「ふふ。僕で良ければ、いくらでも。その時が来たら、是非とも聞いてください」
「ああ、約束だぞ? 楽しみができたから、しっかり解決しないとな」
友情を感じ、笑い合う。大変な状況ではあるが、この瞬間、この場には穏やかな時間が確かにあった。
「俺たちはそろそろ準備するよ。上に話は通しているから、食堂なんかの施設は好きに使ってくれ」
「何から何まで、ありがとうございます。しかし……こうして考えると、興味深いものですね」
「興味深い? 何がだい」
「運命とは、いつ定まるのかと思いましてね」
「運命?」
首を傾げる鼠に、リュートは変わらず朗らかな表情で告げる。
「ええ。運命……その人の一生。生まれてから死ぬまで、いっそ死に様と言い換えても良いかもしれません。では……あなたの運命はいつ定まったのでしょうね?」
その言葉に、鼠が違和感を持つよりも早く。
リュートの腕が、彼の左胸を貫いていた。
「――――ぇ……」
彼は、自分の身に何が起こったのかを理解することもできなかった。ただ、順番に感覚だけは訪れる。何かが身体に埋まった気持ち悪さ。奇妙な冷たさ。一転して焼けるような熱さ。最後に、脳髄が焼き切れるほどの苦痛。意識が途絶える。二度と覚めない闇の中に、落ちていく。
「……な……!?」
「本当に、興味深い。あなた達の運命は、いつ定まったのでしょう? UDBの群れが国を襲った時? 見ず知らずの詩人を無用心にも受け入れた時? それとも……生まれた時から、今日ここで死ぬことを定められていたのでしょうか? だとすれば、実に哀れなものですよ」
まるで物語を朗読するような、気取った口調でリュートは述べていく。
だが、もはや誰もが理解していた。そこに立っているのは、穏やかな吟遊詩人などではない。自らの腕に付着したヒトの血を舐め、残虐な笑みを浮かべる男の姿は、まごうことなき狂人のものであった。
「……くく。ああ、さすがにこれ以上は滑稽が過ぎるか。戯れも悪くはなかったがな」
おかしくて仕方ないと言いたげに笑いを漏らしながら、リュートは本性を露にしていく。
それが敵であることなど、考えるまでもない。弾かれるように、兵たちは彼に武器を向けた。
「て、敵襲! 敵襲だ!!」
「撃てええぇ!!」
躊躇うものなどいなかった。ソレが凄まじく危険なものだと、本能的に誰もが悟れるほどだった。
だが、リュートは事もなげに腕を振るうと、己を狙う銃弾をあろうことか素手ではたき落とした。それでも止まない弾幕を、驚異的な身のこなしで全て捌いていく。
「く、はははは! 少々ひどいのではないか? いたいけな詩人に、一斉射撃と来たものだ」
「ど、どの口が……化け物がぁ!!」
「おっと! ……化け物、か。では、化け物らしくいくとしようか?」
言うが早いか、リュートは銃弾の雨をあっさりと潜り抜け、最も近くにいた獅子の男を押し倒す。そして、怯んだ相手の腹目掛けて思い切り口を開き、噛み付いた。
「ぎゃあああああぁ!! あっ、あがっ、がっ!!」
「ひいぃっ!?」
腹に噛み付かれた獅子は必死に暴れるが、抵抗は無意味だった。数秒とかからず、リュートの牙が腹を食いちぎる。内臓が引きずりだされ、血が噴水のように吹き出た。
あろうことかリュートは、服の破片だけを吐き出すと、食い破った肉とはらわたを咀嚼し、そのまま飲み込んでしまった。獅子は助けを請うように腕を伸ばしているが、すぐにその全身が力を失った。誰が見ても、もう助からないと分かった。
「ふむ。やはり肉の質がいまいちだな。痩せた国では、期待するだけ損か」
「ひ、とを……喰って……?」
「……しかし、贅沢は言うまい。今朝は食い足りず、どうにも空腹でな。女も少ないし、貴様たちはあまり食いでがなさそうだが……どうせメインディッシュもすぐに来るからな」
リュートは血に濡れた口で、何の気なしにおぞましい言葉を口にする。鍛えられた軍人すら、戦慄させるには十分だった。――敵ですらない。自分たちは、ただの食料としか認識されていない。そんな事実に、もはや屈辱すら感じない。あるのは、この怪物に対する恐怖だけ。
「俺は大喰らいなのでな。ある程度は満足させてくれよ、オードブル共?」
恐慌と、銃声。そして悲鳴。全てが入り交じり、響き渡る。
運命という言葉が、避けられない結末のことを指すのならば。
彼らの運命は、もう定まっていた。