黒陽の陰り
「僕たちがUDBなのは、本当のことだ。それが街の人を怖がらせるなら……確かに僕たちは、いない方がいい」
『……ソウダナ。ソレデ人々ガ衝突スルナラバ、本当ニ凶兆トナッテシマウダロウ』
「フィオ、ノックス……だけど!」
「駄目だよ。ここで、争いを起こすわけにはいかない。どんな理由であっても……そうすれば、救えるものも救えなくなる」
「…………っ」
声が出てこなくなった。こいつらが、怒れないのに……俺が、何を言えるんだ。一番、何かを言いたいはずのこいつらが、こんな顔で堪えているのに。
いや、堪える必要なんかないって、言ってやるべきじゃないのか。だって、こんなの……間違っている。どう考えたって、おかしいじゃないか。なのに、喉につかえたように声が出てこなくて……俺は。俺は……!
上村先生が、俺の横に立った。先生は、溜め息混じりに首を横に振る。
「我々がこの街を去れば、その凶兆とやらは鎮まると……そう言うのか、聖女ナターシャ?」
「ええ、その通りです。あなた達と共に、暗雲はこの地を離れていくでしょう」
「……良いだろう。ただし、仲間と合流する程度の時間はもらうぞ」
「先生!!」
「誠司、だが、それでは……!」
「いずれにせよ、今この場で留まるのはもう無理だろう。下策も下策なのは間違いないがな」
「この状況では、マスターも同じ判断をするでしょう。獅子王の皆さんも、よろしいでしょうか?」
「分かっているわ。……リックちゃんもレニちゃんも、落ち着きなさい。無関係の人まで、巻き込んじゃ駄目よ」
「……何だってのよ、ちくしょう!」
俺たちが街を離れるのは、守りを捨てることだ。でも……無理矢理に残ったところで、余計に大きな騒動になるのは目に見えている。守るどころか、争いが起きてしまう。
「聖女さま、良いんですか!? あいつらが争いを起こしているなら、ここで逃がしたら駄目なのでは……!」
「間違えてはなりません。この場に関しては、彼らが街を救ったのは事実です。その事実は、尊重されねばなりません」
その、今さらのような慈愛を取り繕った声音も、俺にはもう薄っぺらいものにしか聞こえなかった。お前……分かっていて、こうしただろう? 俺たちを追い払うために、俺たちが一番、悪者になるタイミングを狙った。いや、もしかしたら……襲撃の手引だって、こいつが。そう考えれば、UDBの変な動きにも、全部納得がいく。
いや、いい。こいつの正体が何だろうと、もう構うものか。フィオ達にあんな顔をさせたこいつを……俺は、絶対に許さねえ。
「だが、覚えておけ。ギルドは何よりも人々の安全を優先する。その言葉に偽りがあり、民の生活が脅かされるならば……オレたちは、何があろうとオレたちの信念を優先するとな」
「それには及びません。私の加護が、そして私の剣たちが、必ずや人々を守り抜きます」
「今はせいぜい、それが真実であることを祈らせてもらいましょうか。行きますよ、皆さん」
「………………」
ジンさんも、先生も、セレーナさんも……この中で代表の人たちが、駆け足に去っていく。みんなも、それに着いていくしかなかった。誰も、何も言えないままに。
このまま逃げていいのか、という思いと、一刻も早くこんなとこから離れたい、という思いに、頭がどうにかなりそうだ。でも、選べることなんて俺にはなくて……。
街の人たちからの視線を背中に感じる。状況に困惑している人も、聖女に同調して敵意を向けてくる奴も……。
正しいと思い込んだ人が、一番怖い。そんな話は、よく聞くものだ。感覚としても、理解していたつもりだった。
だけど……あんな狂気になるなんてこと、俺は分かっていなかったのかもしれない。肌で浴びるまで、実感がなかった。
人混みを離れたところで、先生は赤牙のメンバーを一度集めた。獅子王はセレーナさんの下に……ギルドとしての方針を、いったんまとめるらしい。
「ひとまずウェア達に連絡を入れて、この街を離れるぞ。これからについて、急いで考えなければ」
「先生……俺……」
「みんな、言いたいことが山ほどあるのは分かっている。だからこそ……今は、堪えてくれ。あの場ではどうやっても、我々の負けだ。あの女の正しさを挫く手段が、今のオレ達にはない」
正しさ……正しさって、何だよ。こんな目に遭わされて、仲間を馬鹿にされても、あいつが正しいって言うのか。これで街が守られる? 冗談だろう。もしも、本当に俺たちのせいだったとしても……あんなやり方をする必要、どこにもなかっただろう。
分かっている。先生だってものすごく怒っていて……それでも、軍と戦ったときとは話が違う。あそこで手を出していたら、間違いなくギルドが悪者になっていた。この国にとって、聖女はいま、救世主になっているんだから。
それでも……悔しい。悔しくて、たまらない。
間違っているはずのものに、間違っていると言えなくて……こうして、逃げるしかない。
……いや、本当はできたはずなんだ。どれだけ止められようと、立ち向かうことだって……。それなのに、俺はどうすればいいか分からなくて、何もしなかった。
「オレとて、やられっぱなしで良いとは思っていない。だからこそ、次のために急ぐぞ。これはリグバルドへの大きな隙になるし……正体が何にせよ、聖女は放置できそうにない」
「ええ。少々、見積もりが甘かったようだ。ここまで直接的に、我々を嵌めてくるとはね」
先生たちは、次のために退くことを選んだ。俺は、流されただけだ。
俺に、もっと強い心があれば。自分を貫ける、芯があれば。あんな間違ったことをどうにかできる、力があれば。
フィオは……どう思っているんだろうか。自分の存在が、ギルドを陥れる材料にされて。何か声をかけなきゃ、と思っても、何を言うべきなのか思い付かない。
そんな空気に割り込むように、誰かの着信音が鳴った。どうやら、アトラらしい。
「……オリバー?」
オリバーさん達は、砂海のみんなと一緒に、狂犬らしきものが暴れた場所の調査をしていたはずだ。
そんな仕事の最中に、アトラ個人に電話なんて。それに……アトラに連絡を回すなら、ヘリオスさんの方からありそうだけど。
電話をとったアトラは、2、3言を受話器の向こうと交わして――
「――嘘だろ」
凍り付いたアトラの表情で、俺たちは、事態がさらに最悪へと向かおうとしていることを悟るしかなかった。