急転の気配 3
首都ソレムの大市は、カジラートの市場よりもさらに大規模なもので、この国の全ての物流が集うとも言われている。
話に聞いた、アトラがギルドに拾われたのもこの場所だったそうだ。他の例に漏れず、その規模は当時の数倍近いものに発展しているようだが。
駆け付けた俺たちが、目当ての人物を見付けるのに、そこまで時間はかからなかった。
大市の中心、最も多くの人が交差する地点。その中にあって、その人物は明らかに異彩を放っていたからだ。
頭まで隠す、白くゆったりとしたローブのような衣装は、神に遣える聖職者のようにも見える。だがそれだけではなく、顔を全て覆い隠す、白い仮面を着けている。
また、衣服の隙間に見える手先からして、人間なのが分かる。身長や身体つきからして、女性であるのも虚偽ではなかったようだ。
異様とも言える出で立ちなのだが、それは聖女という称号により神秘性へと昇華されているようだ。少なくとも、周囲にいる人々の反応はそうである。
恐らくは側近と思われる、黒衣の人物が数名で周囲を護衛しており、聖女と人々の間にはある程度のスペースが保たれている。護衛も同じく仮面をつけているが、こちらは様々な種族で構成されている。
「彼女が、聖女ナターシャ……」
狂犬が行動を起こし、遺跡が間もなく発掘されるというこのタイミングで、彼女まで姿を見せるとはな。いや、今だからこそか。
軽く周囲に話を聞くと、どうやら聖女は、今から何かを話そうとしているところ……まだ話は始まっていないらしい。そして、遠目に誠司たちの姿が見え、街に出ていた赤牙がここに集まったのと、ほぼ同時。
「お待たせしました、皆様がた。いま、星がこの場に集いました」
「…………!」
……まさか、俺たちを待っていた? そう断ずるには抽象的な言葉ではあるが、タイミングは噛み合っている。
そして、聖女の声には、エコーのような加工がかかっていた。女性の声と判別はつく……が、どこまで加工されたものかは当然分からない。正体を探らせない対策はしているか。あるいは、それも演出のひとつか。どこか別の次元の存在、という印象を植え付けるための。
「今日、私が皆様の前に姿を見せたのは、他でもありません。間もなくこの地に、審判の時が訪れることをお伝えするためです」
審判という明らかに不穏な言葉に、人々がざわついた。
「ご安心ください。この国の皆様が、諦めずに善を為し続けていたおかげで、審判への備えは整っています。ゆえに私が、こうして表に出る時が……皆様と共に戦う時が来たのです」
善を為せ。それは、聖女が掲示板に残した言葉だったか。だが、それがどう審判と関係してくるんだ? 俺が抱いたその疑問と同じものを、民衆のひとりが聖女に伝える。
「この国を覆う暗雲は、悪の心にて産み出されています。心を弱らせ、何が正しいかを見失わせる毒……もしも誰もがそれに侵され、善を失っていたならば、この審判に至ることもできずに終わっていたかもしれません」
それは抽象的な言葉ではあるが……人々の心を恐怖で弱らせて、その隙に何かを狙っている、というのは、俺たちの推測でも出てきた話題だ。
「ですが、この地に集った星々により、最初の雲は払われました。それに加えて、皆様の一人ひとりが善を忘れずに行動したからこそ、毒がこの国に巡る前に浄化できたのです」
俺たちと軍が、UDB達を退けたことを指している……と考えるべきか。星という表現は先ほども使っていたな。ならばやはり、これは俺たちのことだろうか。
「ですが、気を抜いてはなりません。間もなく、真の脅威がこの国を覆い尽くす。それこそが、この国が立ち向かわなければならない、真の災厄です」
再び、人々がどよめいた。今までの襲撃も、人々には大きな不安を与えていたのだ。それが序の口であるという事実を突きつけられて、動揺しないはずがない。
「不安を煽るようなことを言わねばならず、申し訳ありません。しかし、だからこそ私は今日まで活動してきたのです。これを乗り越え、この国を救う準備は整っています」
そして、聖女の落ち着いた語りに、少しずつ辺りが静まっていく。……ここに集まった人の多くは、彼女の語る窮地を信じ、彼女の語る救いも信じた。その状態を生み出すのもまた、ひとつの準備だったのだろうか。
「地に沈んだ古の聖地が姿を見せる時、審判の鐘は鳴り響く。その時はもう、足元まで迫っているのです」
地に沈んだ古の聖地。その言葉が指すものについて、俺たちはもちろん理解できる。そこまで、彼女は知っているのか。そして……それが姿を見せる時、審判の鐘が鳴り響く。この言葉が意味するのは……。
そこで、反発するような声がいくつか上がる。証拠もない戯れ言だ、扇動は止めろ、と。さすがに、民の全てが彼女に心酔しているわけでもないか。
聖女の周りの黒衣が動こうとしたが、すぐさま聖女がそれを制する。
「信じ難くとも無理はありません。信じたくもないでしょう。ですが、すでに真の災厄の前兆は起きているのです。最悪の獣が残した爪痕は、とても凄惨なものでした。私は、あれと同じことを、この街に起こすわけにはいきません」
「……ねえ、これって……」
「……ああ。壊滅した小隊のことだろう」
まさか、そこまでの情報を持っているとは。本当に、何かを見通す力を持っているのか……あるいは、真実を知れる立場にいるか。そのどちらかであることは、ほぼ確実だ。
もちろん、彼女の言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。だが、彼女が語ったのは、間違いなく裏で動いているものを把握した上での情報だ。ならば……俺たちが知らなかった部分については? もしもそれが真実ならば、彼女の持つ情報は戦局を左右するだろう。彼女の立場に関わらず、だ。
どうする。接触を試みるべきか? だが、素直に話を聞いてくれるだろうか。もしも、ここでギルドが聖女と対立しているかのような姿を見せてしまえば……今後の活動に、大きく響きかねない。
大きなリスクと、またとない機会。それを天秤にかけ、どう動くべきか思考を回す。他のみんなにも意見を求めようとした。
――その時だった。
俺たちを、強い耳鳴りが襲ったのは。