失意の少年たち 2
みんなの元から走り去った蓮は、無意識にだろう、力を発動させていた。距離をめちゃくちゃに歪めながら走る彼に追い付くのは、俺でも難しい。感覚を頼りにやっと彼を見つけた頃には、蓮はうずくまって泣いていた。
俺の存在には気付いたようだ。一度だけちらりとこちらを見て、またうずくまる。
「おれ……なん、て、ことを……」
言ってしまったことへの、どうしようもない後悔が滲む一言。荒れ狂う熱を吐き出して、その反動のように震えている。
「分かってた、はずなのに……あいつらは、ちゃんと、おれのこと、友達として……だから、言えなかったって。それ、なのに……」
「………………」
「あんなこと、言うつもりじゃなかった……! でも、言ったんだ。おれが、泣かせた。みんなを、傷つけたんだ……」
自分の心がいくつにも分かれてしまうような激情。俺にも、覚えがある。激しい後悔を抱きつつも、それは確かに己の心から出た言葉だという実感があって……。
「おれ、もう……みんなの、友達でいる資格が、ないよ……」
「……何を。友人であることに、資格が必要なものか」
俺もあの時、そう思った。彼女の隣にいる資格がないと、そう思ったんだ。俺と蓮はもちろん違うが、共感はできて……できるからこそ、今の彼に言葉を届かせるのが難しいのは分かった。だからと言って、何も言わないことはできない。
「泣かせたから資格がない? 違う。なんで二人が泣いたかを考えろ。それは、お前がそれだけ大事だからだろう」
「っ…………」
「お前だって、だから後悔して、泣いているんじゃないのか。互いに思いあっているのならば、お前はまだ彼らと友人だ。何も……終わってはいない」
「止めてくれ!! おれに、お前が、優しくしないでくれよ……! だって……だって、おれは……」
「……蓮?」
「おれ、は……お前の、こと……」
叫んだかと思えば、また勢いを失って……感情の波が荒れ狂っているのは、分かる。だが、今の言葉は。
「……死んでしまえば良かったって、思ったんだ」
その唐突な告白の意味を、最初は理解できなかった。だが、一度漏らしてしまった蓮は、顔をぐしゃぐしゃに歪めながら、また感情を溢れさせていく。
「お前のこと、死んでしまえって思ったんだよ! お前がルナに告白した、あの日に!! おれが何もしなかっただけなくせに……お前を逆恨みして! お前がおれから、何もかも奪ったんだって……!!」
「お前……」
「今だって、そうだ! おれには何も言ってくれないのに、お前には話せるのかって……そう思うと、急に熱く……おれの方が、お前より、下なのか……って」
……だから、爆発した。話してくれなかった、話そうとしてくれなかった二人への感情だけではなく……それを俺が聞いていたという事実のせいで。
「……最低、だろ? おれ、そんなクズ野郎……だった、みたいだ」
そこまで言うと、蓮はまた泣き崩れる。それを俺に言ってしまうくらいに、限界だったんだろう。
……馬鹿か、俺は。どうしてもっと早く、気にかけてやらなかった。どうしてこの前の夜、こいつを追いかけてやらなかった。
蓮は、しっかりしている。いつも落ち着いていて、大人びていて、理性的な思考ができる。そう、思っていた。だからこそ、彼ならば大丈夫だろうと、目を離してしまった。
だがそれは、そういう姿であるべきだという、こいつの努力の結果だった。頑張って、頑張って、頑張り続けて、ずっと気を張っていただけで……こいつは大人になろうとしていただけの、ごく普通の子供でしか、なかったのに。
ただ、誰かに認めてもらいたかった。少しでもいいから、自分を特別な存在に見てもらいたかった。……友達には、まず自分を頼りにしてほしかった。
そんな誰でも持っているような承認欲求が、嫉妬を呼び寄せて……ついに、こうして暴走するまでそれに気付いてやれなかった。見てほしいから頑張っていた彼から、ひとりで大丈夫と勝手に思って目を離してしまったんだ。
俺が二人に、蓮には話さないのかと聞いたのは、彼がそれを受け入れてくれれば、二人にとって本当に進むきっかけになってくれると考えたからだった。……完全に裏目だった。蓮にはまだ話せない、その一言が導火線だったのだと思う。今、それを悔やんでも遅いが。
「……済まない」
「っ……なん、で……」
「俺はお前の友人なのに。ずっと、気付いてやれなかった。お前を信じているなどと言いながら、それを言い訳に目を離してしまった」
「ゆう……じん? ……なんで、だ。言った、じゃないか。おれは、お前を……身勝手に恨んで、いるんだぞ。もう、友達だ、なんて……呼んでもらう、ことも……」
「恨まれる原因は、確かに俺にもある。お前の気持ちを知りながら、お前なら許してくれると、どこかでお前に甘えていたのも間違いないんだ」
俺への嫉妬。きっかけは瑠奈のことだろうが、彼は心のどこかで、俺が彼の居場所を奪っているのだと感じていたのだろう。もしも俺がしっかり話せていたら、この事態は起こらなかったかもしれない。
「だから、済まない。俺は、お前に向き合ってやれなかった。お前の怒りは、勝手なんかじゃない」
「っ……そんな……そんな、こと……!」
きっと、今の彼を楽にするのは、こんな言葉よりも叱責だ。俺が怒りをぶつければ、彼はきっと自分の否を受け止めて……より深く沈む。それは、当人からすれば、ある意味では楽なのだ。だが、それは麻薬のような逃げ道だ。
「悪いのは、おれ、なんだ……! おれが、お前を恨むなんて、逆恨みじゃないか! おれ、自分で決めたんだぞ? お前に、ルナを任せるって……なのに!」
「……自然な、感情じゃないか」
「……え……?」
蓮が少しだけ顔を上げた。涙は未だに止まらない。
最低だろう? と蓮は言った。彼は今、彼が思う最低の存在になっているんだ。そんな自分がどうしても許せず、そのストレスが彼を追い詰めた。……だが、それは……本当に、悪と呼べるものか?
「お前は普通だよ、蓮。怒りだって、悔しさだって、嫉みだって……誰でも抱えるものだ。人は、誰しもが心に矛盾を持っている。親しい友に負の感情を抱く事だって、当たり前にあって然るべきことなんだ」
「……当たり、前……? こんな……こんな、気持ちが……?」
「そうだ。それを認めるのは……自分の弱さを、醜さを認めるのは、難しいかもしれない。だけれど、否定してはいけないんだ。受け入れるにしても、改めるにしても、最初から否定しては先には進めないんだ」
彼が最も許せないのは、誰だ。俺か? 瑠奈か? 浩輝たちか? ルッカか? ……それとも、自分か?
蓮は、ずっと善良で、強い男であろうとしていた。ならば、嫉妬に狂い、仲間に殺意を抱くことは善良か。親友に怒り、縁を切る言葉を投げ掛けることはどうだ。
そんな気持ちを抱いてしまった時点で、それは彼が目指す正しい自分とはかけ離れたもので……それを、罪だと考えた。
潔癖すぎたんだ、彼は。弱さとは正すもの、醜さとは改めるもの。真面目で、向上心が強いからこそ、彼は自分に高いハードルを課した。だが、人は完璧にはなれない。理想と現実の折り合いが上手くつかずに苦しむのは、きっと誰もが通る道で……それでも、彼はそんな自分が認められなかった。
「お前の辛さ、お前の怒り、お前の悲しみ……それは全て、お前のものだ。心から沸き上がる感情に、罪を覚える必要などない。大事なのは、それとどう付き合っていくか……お前はその感情に負けず、俺と仲間として接してくれたじゃないか」
「そんなの! 結局、おれはあんなことをしたじゃないか! お前も、みんなも、傷付けたじゃないか!!」
「そうだな。だが、それはお前に我慢させ続けてしまった俺のせいでもある」
「だけど……その裏で、おれは……お前を、憎んで……!」
「それでいい。それでいいんだ、蓮。憎いと思いながらも、俺と付き合う方法を探してくれた……それだけで、俺は……」
「うっ……うぅ……! なんで……なん、でぇ……!!」
くぐもった声を漏らし、蓮はついに喋れないほどに嗚咽を始めた。何で怒ってくれないんだ、と。俺はしばらく、ただ泣き続ける彼に寄り添うことしかできなかった。
傷付けてしまった俺が、こうして慰めるのも傲慢なのかもしれない。だが、それでも……何を言うべきかすら分からなくても。彼を、ひとりにしたくなかった。
今までずっと、自分で抉り続けてきたその心……俺が瑠奈に救われたようなきっかけが、彼にも必要なのだろう。俺がそんな存在になれていないことが、悔しくてたまらないが……。
テルムの夜風は、とても冷たかった。
「……で、だ」
翌日の朝。赤牙のメンバーのうち、年長の3人を除いた一同が部屋に集まっている。
「あの誰か死にましたみてえな空気は、いったい何があったんだよ」
アトラの視線の先には、浩輝と海翔、そして蓮がいる。……だが、全員が全員、一言も喋ることなくうつむいている。一晩眠るくらいでは、とても気持ちは整理できなかったらしい。
暁斗と瑠奈も、慰めはとっくに尽くしただろう。後は、当人たちが何とかするしかない……のだが。
「まるで先月のガルフレア。何があったか知っている?」
「……あの時のことは反省しているから掘り返さないでくれ。だが、そうだな。事情は説明しておこう」
暁斗と瑠奈も合わせて、他のメンバーに昨晩のことを話す。もちろん、浩輝と海翔の語ったものについては伏せてだが。
「浩輝くん達……」
「……ほんっと、不器用なやつらね」
「昨晩、蓮ともう少し話しておくべきだったかもしれません。彼が何か抱えているのは気付いていたのに……」
「コニィまで抱えてどうすんのよ。……あんな、みんなして『悪いのは自分だ』みたいな顔して黙ってたって、どうしようもないわ。私たちが、何とか取り持てればいいんだけど……」
彼らの姿勢が不毛なのは美久の言うとおりだ。自分もそうだったから分かるが、あれは時間が解決するといった様子ではない。むしろ、時間をかければ余計に沈むだけになりそうだ。
「もちろん、放っておくつもりはない。強引に促してでも、話をさせるべきかもしれないな。昨日と違って頭は冷えているだろうから……」
「集まっているか、お前ら」
そんな時、ウェア達とランドが戻ってきた。……いやに、深刻な表情で。
「取り込み中のようで悪いが、そうも言ってられん緊急事態が起きた。全員、元首の元に集合だ」