立ち向かうべきもの
このホテルは、屋上から町中が眺められるらしい。そう聞いたオレは、メシの後にちょっとした気分転換に景色を見に行った。
「うぅー、さむ。風呂の前に来て良かったぜ」
昼間はあんなクソあっついのに、夜はオレの毛皮でも寒いくらいだからほんとに困る。風邪とか引かねえようにしねえとな。……って言ったら「ナントカは風邪引かねえから心配すんな」って言ってきたクソトカゲのことは、いつか海にでも沈めることを固く決心する。
それはともかく、冷えすぎないくらいに戻るとすっか。おお、確かになかなかキレイな眺めに、キレイな声……。
「……ん、声?」
それは小さな声だけど、間違いなく何かのメロディだった。この、優しくて落ち着く声は……間違いなく、あの子のもんだ。オレはこっそりと、声の方に歩いていく。思った通りの子は、すぐに見付かった。
その女の子は……飛鳥は、月明かりの下で、静かに歌っていた。
見上げた月 光が落ちる
それはまるで 涙のようで
教えて 君の隣にいたなら
私もいつか 泣けますか?
ああ。この歌は、すごく懐かしい。
オレが昔、大好きだった歌。オレと飛鳥が出会った日に、ふたりでコルカートを演奏したあの曲。……月の雫だ。そうだな、確かに彼女も、この曲が好きだって言ってた。
思わず、さらに近くまで歩いていく。と、さすがにちょっと近付きすぎたらしい。
「浩輝くん?」
オレが聞いてたのに気付いた飛鳥は、驚いた顔で歌うのを止めた。聞かれてると思ってなかったのか、ちょっと慌ててる。
「わりい、邪魔しちまったみてえだな」
「あ……ううん、大丈夫。ご、ごめんね、うるさくなかった?」
「そんなことないって。つーか、すげえいい声だったぜ!」
本気でそう思ったから伝えると、飛鳥は照れたみたいでちょっとうつむいた。褒められるのに慣れてない、なんて言ってたけど、こうやってこそっと練習してるだけなのもありそうだ。
「楽器だけじゃなくて歌も得意なんだな、飛鳥」
「……歌うのは昔から好き、かな。人前だと緊張しちゃって、あまり声が出ないんだけど……」
「もったいねえなあ。飛鳥ならアイドルとかもいけそうなのによ!」
「アイ……!? い、いや、わたしはそういう目立つのは、ちょっと……」
少し想像したのか、彼女はちょっとわたわたしてる。こういうのもめっちゃ可愛いんだけど、ほんとに困ってそうだからあんま言わない方がいいかな。……いや、オレはマジで言ったんだけどな。
オレも、アガルトの時ほど情けねえ緊張はしなくなってきた、と思う。そういう話題になると気にしちまうんだけどな……。と、とにかく。普通に仲良くはなってきたと思ってるし、飛鳥も会ったばかりの時より自然に話してくれてる。
「いっつもこんな感じで、ひとりで歌ってんのか?」
「そうだね……この国に来てからは始めてだけど。大変なことがけっこう続いていたからさ」
「だなぁ。オレもあんま音楽とか聴いてねえな、ここ最近は」
愛用のヘッドホンは持ってきてるけど、戦いだなんだってバタバタして、早めに寝てたからな。あまりそういう気にならなかったってのもあるけど。
でも、高地の戦いも終わったし、軍とかアトラのことも良い感じに片付いたことだ。今日は久しぶりにお気に入りの曲でも流してみっかな。
「大変だったし、ここからもまだ気は抜けねえけど……張り詰めすぎんのも良くねえし、たまには好きなことする時間くらいねえとな」
「うん。……浩輝くんは、エルリアでは何か音楽とかやってなかったの? 暁斗さんみたいな部活とかさ」
「あー、今は何もしてなかったな。てか、赤牙のみんなだと、 暁兄以外は全員帰宅部だったし」
「そうなの? みんな色々できるから、何だか意外だよ」
「ま、運動部から誘われたりはしたけどな。そこまでやりたい事があったわけじゃねえし、あいつらと一緒に遊んでた方が気楽だからよ」
カイは「そういうめんどいのはパス」つって最初から何もやらない宣言してたし、ルナは「お菓子作りとかあったら入ってたんだけどね」なんて言ってた。レンは道場通いもあるからまた別だ。
「けど、学校か。ほんの何ヵ月か前まで、普通に学校に通ってたんだって考えると、何かほんとにすげえ体験してるよな」
「あ……みんなはそうなんだよね。わたしは15歳にはもう、ギルドに入ることを選んだから……学校に通っていたのも、けっこう前の話なの」
その辺りは国の違いなんだろうな。エルリアだと、よほど事情がなけりゃ高校まではみんな通うのが普通だし。恵まれてるって思い知らされる、なんてレンが言ってたけど、ほんとにその通りだ。
「けど、その割には飛鳥って頭いいじゃねえか。ギルドに入ってからも、自分で勉強してたのか?」
「うん。ギルドのみんなが教えてくれることもあったわ。ギルド入りは自分で選んだことだけど、将来のためにできることはやっておきたかったから」
「すげえよな、飛鳥って。努力家でさ」
「そ……そうなのかな?」
「そうだろ。オレなんか、先生に出された宿題もサボってるのによ」
なんて、笑い飛ばしてみたけど。間違いなくコレを先生に聞かれたら殺られるだろうな……。ついでに飛鳥にもおずおずと「課題はちゃんとやらないと駄目だよ?」と言われたので、オレは思いっきり尻尾を落とした。
「お、オレのことはほっといてだ。飛鳥はちゃんとすげえって、オレは間違いなく知ってんぜ? 頑張って、それをちゃんと自分のもんにできてるんだからな」
「……うん。ありがとう、浩輝くん」
たぶん、この子の努力は、自信がなかったせいでもあるんだろうな。空さん達と比べちまってたらしいし。それで頑張れてるなら、それもアリっちゃアリなのかもしれねえけど……オレは飛鳥に、ちゃんと自分を認めてあげてほしいな、なんて思う。
それから、ちょっとだけ二人で景色を眺めてた。こうやって、夜景を眺めるのって何だかデートっぽい……って、いやいや。付き合ってもねえのに、何キモいこと考えてんだっての!
町の明かりは、エルリアとかと比べたら少なめだ。そのぶん、星はちょっと見えやすい。ちょうどさっきの歌を思い出して見上げてみると、月もばっちり見えた。満月じゃねえけどな。
ふと気が付くと、飛鳥の表情が少し沈んでた。どうしたんだろう、と思っていると、彼女はゆっくり口を開いた。
「ねえ、浩輝くん。最近、ちょっと悩んでる、よね」
「…………!」
考えてもなかった質問に、オレはちょっと返事ができなかった。
アガルトで、色々と巻き込まれていた時のこの子に、オレが同じ質問をしたのは覚えてる。あの時の飛鳥は、オレでも悩んでるってのが分かるくらいだったから。
「気のせいだったらいいの。だけど、この国に来た時ぐらいから、ときどき元気がないって、そう思って……。ごめんね、聞かれたくないと思うけど、どうしても気になったの」
どう言うか頑張って考えてるみたいで、だけど、それがオレのことを心配してくれてるからなのは、さすがに分かる。
オレも、ふた月近く一緒に過ごして、彼女の性格は知ってるつもりだ。相手を心配していても、聞くことでイヤな思いをさせるかもしれない……そんな理由で踏み込んでこないタイプだと思う。
……そんなこの子が思わず踏み込んでしまうくらいに、最近のオレは表に出てたんだろうか。
「そうかも、しれねえな」
調子が悪いことくらい、分かってた。
あの時、カイに発作を見られた。……最近はまた、あの夢を見ることが増えてきてる。何とか、叫んだりはせずに済んでるけど。
この国で色んなもんを見たこと。時の歯車を思い切り使ってること。……カイがあの夜を気にしてんのが、丸わかりなこと。ぜんぶ重なって、オレも気付いたら考え込んじまってる時が増えた。
「もしかして、昔のこと?」
「……まあ、分かっちまうよな」
一度、飛鳥の前で思い切り発作を起こしちまったのは、もちろん忘れてない。それでも何も聞かずにいてくれたみんなに、甘えちまってることも自覚はある。
「オレ、PSを使いすぎると、こうなっちまうんだ。それだけじゃねえけど……ちょっと、イヤな夢を見ちまうようになる」
「あの時、みたいに?」
「だな。最近は、それがちょっと続いててよ。でかい戦いもあったしな。それで色々と考えちまってんのもよくないんだろうけど」
まだ、全部話す気にはならねえ。だけど、今はちょっとだけ、弱音を吐きたかった。
「じゃあ、あまり戦わない方がいいんじゃ……」
「そういうわけにもいかねえだろ。それに、そっちのがよっぽど気になっちまうよ。そりゃオレだって、できるだけ戦いたくはねえさ。死ぬのだって怖えし」
戦うのに慣れてきた今でも、恐怖はずっとつきまとってる。バカ話でごまかしたり、みんなと力を合わせて何とかやってってるってだけだ。
一歩間違えば死ぬ。そんなもん、オレだって最初から分かってる。……分かってるつもりだ、これでもな。オレ自身のことも、それ以外のみんなのことも。あんなに強いガルが死にかけたみたいな、そういうことが誰に起きてもおかしくないって。
ああ。大切な人が、あっという間にいなくなっちまうことだってあるのを、オレはよく知ってる。だからオレは……。
「けど、オレはもう……何もできなくて後悔なんて、したくないから。強くなりてえって思って、ギルドに入ったんだからさ」
死ぬのは怖い。だけど、死なれるのも怖い。どっちも怖いから、オレは誰かを死なせないために戦うことができる。戦えるようになりてえって、そう思ってるんだ。
「だから、オレは戦うよ。ワガママかもしれねえけど……悩んでるからこそ、オレはここで立ち止まりたくねえんだ。自分に向き合ったアトラみてえに、頑張りてえ」
今日のあいつを見て、オレはほんとにすげえって思った。ずっと避けてたもんと向き合って、あんなに悩んでた力を受け入れた。オレもああなりたいって、そう思った。
この力を避けてたって、オレは一生そこに届かないだろう。だから、発作を言い訳に戦いから逃げたくはない。
「……うん、分かった。だけど浩輝くん、無理だけはしないでほしいんだ。無理に悩みを話さなくてもいい。それでも、わたしは君の友達だから……何か力になれることがあるなら、いつだって聞くからさ」
「そっか。ありがとな、飛鳥」
友達という言葉は、飛鳥の中で大きなものになってくれているんだろう。それが嬉しい。まだ、全部は話せねえけど……いつか、オレにも話せる時が来るかな。飛鳥とかレン、他のみんなにも。
「じゃ、さっそくひとつだけワガママ聞いてくれっか? ……月の雫、聴かせてくれよ」
「え? ……も、もしかして、歌うってこと?」
「ああ。あん時、オレに笛吹いてほしいって言ったろ? それとおんなじ気持ちさ、たぶんな」
飛鳥の歌は、ほんとにキレイだった。あれを聴くことができたら、今日は何も悩まずに静かに寝れそうだって、そう思ったから。
彼女はちょっとだけためらうようにしながらも、少ししてから、その口がゆっくりと開き――
――この時のオレは、まだ気付いてなかった。
オレが自分の過去と向き合わなきゃいけない時が、すぐそばまで近づいてきてたってことに――