英雄の怒り
ダンクが俺に負けたことで、軍には狼狽が広がってるみたいだ。さて、そうは言ってもまだまだ数はいるし……正直、俺は今ので消耗しすぎている。倒れてないのはぶっちゃけただの意地だ。
「レイランドも敗れるとはな……!」
「……さて、将軍。区切りにはちょうどいいと思うが、まだ続けるのか? 模擬戦とは言え、あまり派手にやると後々に響くと思うのだがな」
「何を馬鹿なことを! これしきで勝ったことにするつもりか? 戦力のごく一部を削っただけで、何が区切りか!」
ランドの提案を、デナムのジジイは考える素振りもなく切り捨てる。ま、そうなるよな……ダンクはあくまで優秀な若手ってだけで、最強ってわけじゃないだろ。何なら一番強いのはこのジジイか?
改めて、デナムの号令で部隊が展開される。さすがに、士気はだいぶ落ちてる感じがあるけど、どんだけの数が残ってるかを考えるとちょっと目眩がする。
「アトラ、お前は無理せず下がれ。後は、俺たちが……」
「そうだな。後は、俺が片付けよう」
ガルの声を遮るように宣言したのは、ずっと後ろに控えていたひとりの赤狼。……つまり、マスター。
「十分に見せてもらったさ、お前たちの力は。アトラも決着はつけた。だったら……ああ、そろそろ茶番は終わりでいいだろう? 俺も、我慢しなくてもいいな?」
マスターの声が聞こえてきた瞬間、俺の背筋は凍りついた。あ……これ、やばい。この人、マジでキレてる。我慢が限界超えたっぽい。ランド達を見ると、諦めたように肩をすくめられた。
「これしきで勝ったことにするのか、と言ったな。ならば、負けを認めるまで、相手をしてやろう。ただし……容赦をすると思うなよ」
マスターが地面を蹴った。後はもう、俺たちにはいつものように眺めるしかできない。
まず、流れるような動きで近くにいた何人かを切り伏せる。そのまま集団の中に潜り込み、斬る。防ぐ。避ける。蹴り飛ばす。……とにかく、目をこらしてないと何したか見落としちまうレベルだ。
何とか向こうも抵抗しようと一斉射撃してきたけど、真っ正面から銃弾を叩き落としつつそのまま接近、無力化する。いや、マジかよこの人。ってか、いつもより動きがやばい気がするんだけど。
「やれやれ……本当に年甲斐もない事をする方ですね、あの人は」
「……PSを使っているな、あれは。あの程度の抑えた出力ならば大丈夫だろうが……」
そんな会話をしているのはジンと誠司だ。マスターのPSをちゃんと見たことがない俺には、そこの判断はできねえけど……。
「あれで抑えてるってマジで言ってる……?」
「そもそも、能力なしでも規格外のあいつだからな……それに加えて、あいつはPSの性能もトップクラスだ。加減をしたところで、凄まじいことは変わらんよ」
とりあえず、次元が違うってのは今さらの話だ。そして、不幸にもそんな人に叩きのめされることになった連中は、たまったもんじゃない……いや、自業自得なんだけどな、こいつらは。
展開した部隊が、たったひとりに圧倒される。そんな光景を見せられた軍は、当然ながら大混乱だ。そして……マスターが展開されていた部隊を壊滅させるまで、そんなに時間はかからなかった。見事にガルのやったことの上をやってのけたマスターは、あの人らしくない冷たい目付きをデナムに向ける。
「……もう一度聞いてやる。まだ、続けるつもりか? 仮に俺を討ち取っても、同等の実力者はまだいる。俺たちを全員倒す手札があるのならば、出してもいいが。そうでないのならば……不毛だと思わないか?」
「ギルドごときが、調子に乗りおって……!」
「ごとき? そうか、ごときか。とことんまで自分が上にいるつもりなのだな、貴様は」
ジジイが後に退けなくなってきてるのは分かる。けど、マスターの冷めた言葉が……爆発寸前のものであるのも、分かった。
「我々の立場は最初から協力者。我らの立場は対等であり、上下はないものだ。貴様の矮小なプライドを満たすためにへりくだるつもりなど、元からない」
「何を……」
「理解できないようならば、言い方を変えてやろうか。――自惚れも大概にしろ、この未熟者が!!」
全身の毛が、逆立つ。俺は思わず後ろに下がった。悲鳴に近い声が出た気もする。……本気で、怖い。ここまで怒ったこの人を見たのは、初めてかもしれない。俺を助ける時にもキレてたらしいけど、あん時は意識がなかったし。
……たぶん、俺のことがあってから溜め込んでた色んなもんが、まとめて噴き出したんだろう。そういう人だ。
端から聞いていた俺でもこうだ。ぶつけられた軍の奴らには、尻餅をついてるやつまでいる。目の前にいる相手にはどうやっても勝てないって、本能で格の違いを感じ取ってしまったみたいに。
それは、デナムも例外じゃない。その表情の中に、さっきまではなかった怯みが、確かにあった。
「……先ほどガルフレアが言った通りだ。貴様たちは、何一つ理解していない。力を合わせても困難な敵を目の当たりにしてもなお、己のプライドが大事か?」
静まり返った中で、マスターの声は静かで、とても重い。俺たちとも比べ物にならない戦いを生き延びてきた英雄にとって、あいつらのやっていることは我慢できないんだろう。
「俺たち相手の余裕は、数で勝っていたからか? ならば、迫るリグバルドの軍にはどれだけの数がいると思っている。もしも明日、奴らが全軍で攻めてきたら? 貴様たちはどうするつもりだ?」
その問いに、誰も答えられない。答えられるはずがない。
「それとも、実力によほど自信があるのか? 俺ひとりに、あっさりといくつもの部隊を蹴散らされたのにか? 俺と同等以上の実力者が、リグバルドには何人いると思っている?」
マスターと同等以上ってのは想像できねえが、簡単な相手じゃねえことは間違いない。アインの野郎に、美久の親父さんに、マリクってやつに、歴戦の傭兵に、ヴィントールみたいなUDBに……多分、まだまだ実力者は山ほどいる。
そうだ。ぶっちゃけた話、まともにやって勝てるわけがない。こんなことをしている暇なんて、あるわけがないんだ。
「答えろ、イストール。貴様は本気で、自分たちだけでリグバルドに立ち向かえると思っているのか? それとも、相手が本気になりはしないだろうと高をくくっているのか? はっきり言ってやる。どちらにせよ愚かだ、貴様は」
「……ぐ……! 黙れ! ギルドなど戦力として認められぬと言っておるのだ……!」
一瞬だけ、ジジイは間違いなく言葉に詰まった。それは、こいつが内心でマスターの言葉を認めちまってるって、白状しちまったようなもんだ。こいつ、まさか……単にギルドが嫌いなだけ、なのか?
「ならば、戦力であることを証明するためには、貴様を倒せば良いか? だが、さすがに俺も仏ではないのでな……今の心境で戦ったならば、少々、加減を間違えるかもしれないぞ?」
「こ、の、若造が……良かろう! 儂自ら、ギルドなど不要ということを証明してやるわ!」
これ、わざと退くに退けなくする言い方してねえか……? ってマスターの言葉に、案の定と言うか、退くことのできないジジイは前に出た。
身のこなしとかで、俺だって何となくは分かる。このジジイは別に口ばっかじゃなくて、かなり強いんだろう。ただ……あまりにも相手が悪すぎる。マスターに勝てるほどのやつなら、とっくにその実力は俺らの耳に入ってるはずだ。
マスターが溜め息をつきながら刀を構えた。どうなったとしても、これでこいつらとは決着になるだろう。全員の視線が、ふたりに集中した。
「――そこまでにするがいい、デナム君、ウェアルド君」
そんな声が割り込んだのは、その時だった。