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ルナ ~銀の月明かりの下で~  作者: あかつき翔
6章 凍てついた時、動き出す悪意 ~前編~
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戦いの合間 ~迷える太陽・2~

「暁斗が悩んでるのは、あたしも知っているつもり。みんなのところに帰ってきた今でも……ううん、帰ってきたから余計に悩むようになっちゃった。違う?」


「……お見通し、か。いや、俺が丸わかりなだけ、かな」


「あたしも、同じようなことを悩んだ時期はあるからさ。色々と事情は違うけどね」


 ハイブリッドとして生まれたイリア。種族のことで、身体のことで悩みを持ったのは、確かに同じだ。俺も、彼女と一緒にいるのがやりやすかったのは、そういう共通点があったからなんだと思う。今は、それだけじゃないけど。


「分からないなら、急いで答えを出そうなんて思わないでいいの。あたしも……身体のことちゃんと受け入れられたの、本当はけっこう最近だからね」


「そう、なのか。イリアは、ご両親のこと好きって言ってたから、意外だな」


「それは暁斗だって一緒でしょう? 好きだからこそ悩んでいる……君の話を聞いていると、そう感じるの」


 好きだから、悩んでいる。そう、その通りだ。どうでもいい人達なら、もっと割りきって生きてこれただろう。でも……できなかった。慎吾父さんも、母さんも、ヴァン父さんも……俺は、みんな。


「……ひとつ、頼んでもいいかな。……聞かせてくれないか? イリアがどんなことを悩んで、どうやって乗り越えてきたのか」


「うん、良いよ。あたしの話が、役に立つかは分からないけれど」


 すぐに承諾してくれたのは、イリアがそれを受け入れられている証拠なんだろう。それを羨ましいと思うのは、違うんだろうけど。


「小さい頃……あたしは、ハイブリッドである事を隠していた。あたしが他の子と違うのは、割と早くから理解していた。子供心に、言わない方がいいってのは感じていたんだ」


 俺も、自覚したのはけっこう早かったと思う。他の子供は、父親か母親、少なくともどちらかには似ていたのに、俺は父さんとも母さんとも、瑠奈とも違うってこと。子供なら、俺も人間なはずなのにって。最初に思い付いた時には、もしかしたら拾われてきた子供なんじゃないかって、ひっそり泣いたのを覚えている。

 それが父さん達に知られて、俺は本当の父親のことを聞かされた。その時はよく分からなかったし、父さんの子供じゃないことが悲しかったけど、それでもいいかって思ったんだ。でも。


「だけど、全部隠すのは無理でさ。知られた相手からは、やっぱり色んなことでその話をされたよ。別に、悪意を持ってばかりじゃない。興味本位で、ハイブリッドってどんな感覚なのかとか、境目はどうなってるのとか……今なら対して気にならない話だけどね。あの時は、そういうのも嫌だった」


 聞き始めたばかりで情けないけど、胸がズキズキと痛む。それは、俺の辿ってきたものとよく似ていたから。あんな思いを、彼女もしていたんだと考えてしまったら。


「そのうち、気付いたんだ。何かあるたびに、ハイブリッドだってことが引き合いに出されるってことに。喧嘩すると混ざりものって呼ばれたり、ね。勢いだけの言葉でも……本当に、嫌だった」


 混ざりもの……ハイブリッドを揶揄した呼称。他の種族も、それぞれ馬鹿にしたような呼び方は存在するけど……それとも質の違う、最低な差別用語だと思う。


「小さい頃はそういうのがあるたびに泣いて、大きくなったら怒って……だけどそのうち、諦めた。反発したってどうにもならない、受け入れるしかないんだって、割り切ることにした」


「……どうしたって、変わらないものだから?」


「うん。あたしがハイブリッドなのは事実だからね。でも、本当はどうしても辛くて……それが仕方のないことだなんて思いたくなかった。だから、()()のせいにしないと気持ちが整理できなかったんだ。……あたしにとって、その何かは何だったと思う?」


「――()()()()?」


 イリアは少し困ったように微笑み、頷いた。きっと、気付かれたんだろう。それを即答できた時点で、()()()()()ってことに。


「他の何かを恨めなかった。両親が愛し合ったことは、絶対に悪くない。だから、あたしがこんな身体で生まれたことが悪いんだって、そう思った」


 理由がない苦しみに耐えるのは、難しい。だから、人はどうしても理由を求めようとするんだろう。その理由が、さらに自分を傷付けるものだったとしても。

 不毛だって分かっていても、心がそれについて来ない。理由が欲しい。納得したい。そうじゃないと、怖くてたまらないから。


「そんな気持ちを抱えたまま、何とかやってきた。でも、少しずつ嫌なのが積み重なって……ギルドに入った時のあたしは、ハイブリッドであることが、本当に嫌になっていた」


「……今のイリアからは、あまり考えられないな」


「あはは、そうかな? 今だって、全く気にしていないわけじゃないよ。ただ……ひとつだけ、意識して変えたことがあるんだ」


 ひとつだけ、変えたもの。それが、イリアが乗り越えた理由、なんだろう。俺はじっと、彼女の話を聞くことにする。


「赤牙に入ったのは5年前。マスターとは元々顔見知りで、ハイブリッドだってことも知られていたんだけど、良い人なのは知っていたからね。……そもそも、あたしのギルド入りの理由は、自分でも……ハイブリッドでも何かやれるんだってこと、証明したかったからなんだ」


「証明……」


「そのために鍛えていたし、戦うことも何とかやっていけた。思い返すと、少しやけになっていたのかもしれないけどさ。とにかく、あたしは周りから支えられながら、ギルドの一員としてやっていけた」


 5年前なら、それこそ俺たちと同じくらいの歳だ。努力家なのは昔から、なんだな。


「でも、マスターってああいう人だからさ。あたしが何か抱えていることには、すぐ気付いたみたい。それで、少しずつ相談をするようになっていった。何かマスターって、この人になら相談してもいいかなって思わせてくれるところがあるじゃない?」


「ちょっと分かる気がするよ。父親、って言葉がしっくりくるよな」


 普段はとても優しくて大きくて、だけど厳しい時にはちゃんと厳しい。赤牙のみんなにとって、そういう存在なのは間違いない。

 ……もしかすると、本人もそうなりたかったのかな。ガルフレアと生き別れた心の隙間を埋めるみたいに……いや、あの人のことだから、罪滅ぼしのためだったのかもしれない。


「マスターは、あたしと根気強く話してくれた。溜まっていた悩みをあたしが吐き出すのを、黙って聞いてくれた。そんなのがしばらく続いて、ある日、ちょっとだけ踏み込んだ話をしてくれた」



 ――君はご両親が好きなんだろう? だったら、その身体を誇りに思ってほしい。何故ならば、君はご両親の特徴をどちらも持っている。それは、素晴らしいことだと俺は思う。

 もちろん、俺はハイブリッドではないから、君の辛さを完全には分かってやれない。これは外野だからこそ言えることかもしれん。だが、少しだけ考えてみてほしいんだ。父とも母とも繋がりを感じられる身体が、そんなに悪いものなのかをな――



「……確か、アガルトで、そんなこと言っていたよな」


「うん、レイルさんに言ったやつだね。あれ、元々はマスターの受け売りなんだ」


 そんな考え方があるなんて、思いもしていなかったんだ。そう続けながら、イリアは笑った。


「もちろん、すぐに吹っ切れたわけじゃない。言われたその時には、どちらかと言えば反発していた。だけど、マスターの顔、真剣だったから。軽く見ているんじゃなくて、重く受け止めたから言ってくれたんだって、何となく伝わった。だからあたしも、考えてみることにした」


「…………」


「マスターは、あたしの悩みは軽かった、なんて言いたかったわけじゃないと思う。ただ、ゆっくりと考えて……思ったの。視点を変えれば、見えるものは全く違うんだって」


「視点を……変える」


「うん。それが、あたしの出した答え。嫌なもの、受け入れられないものは確かにあって……何もかもを良く見る必要はない。けど、身体のことについて、何もかもを悪く見ていたことに気付いたんだ」


 身体のことで悩みがあるから、良いところを見落としていた……と。イリアは服の下で羽毛になっている辺りを、そっと撫でていた。


「マスターに話したら、あの人は笑って言ってくれた。『実を言えば、明確に答えを持って話したわけではないんだ。……悩みとは、己が課した問題だ。その答えを見付ける助けになったなら嬉しい』って」


 悩みは己が課した問題。その言葉が、胸に刺さる。自分自身で勝手に悩んで、問題ばかり増やして、がんじがらめにして……それで動けなくなっている俺は、何をしているんだろう。


「悩みは、その人だけのもの。相談に乗ることや、自分の考えを伝えることはできても、どうするかは本人次第。どっちが重いかなんて、比べる方が馬鹿げている。……とも言っていた。あたしもそう思うよ。だからこそ、暁斗には自分が納得するまで悩んでもらいたい。あたしの答えを自分に当て嵌めて考えるのはいいけど、そのまま答えにはしてほしくない」


「……はは。結局、自分で考えるしかないよな」


「最後には、そうなんだろうね。だけど、間違えないでほしいのは、一人で悩み続けろってことじゃないからね? 辛い時や迷った時には相談して欲しいし、君にはそういう相手がいっぱいいるはずだから」


 相談できる相手……そうだな。みんなはきっと、俺の悩みに寄り添ってくれる。イリアがこうしてくれているように。


 イリアと俺の境遇は、似ているけれど逆だ。俺の身体は普通の狼人で、ハイブリッドのような差別を受けたりはしない。……両親の身体を持つイリアのことを、羨ましいと思ったのは事実だ。だけどそれは、彼女からしたらどれだけ身勝手な羨望だろうか。

 俺がイリアの境遇なら悩まなかっただろうか。イリアが俺の境遇なら喜んだだろうか。……そんなはずはない。結局は、俺が俺の境遇でいるから今の悩みを抱いただけで、何かが違ってもそれを悩んでいただろう。人は誰だって、何かを抱えて生きているんだから。



「あたしだって、まだ心がけてるだけだよ。あたしって、自分でも頭が固いって思うから。……みんな、そう簡単には変われない。ちょっとずつやっていくしかないんだよ。だから、焦らなくてもいいの」


「今……足踏みしていたとしても?」


「それだって、必要な時間かもしれないよ? 君は本当に立ち止まっているわけじゃない。道を探そうと、必死に考えている。だったらきっと、最後には無駄にならないってあたしは思うよ」


 どんな不安を俺が吐いても、イリアはそれを受け止めて、それでいいんだと言ってくれる。……ああ。やっぱり、彼女といると、俺は安心する。色んなものが近くて、だけどちょっと先にいる彼女。だから、俺はこんな気持ちもさらけ出せるんだ。


「ありがとう……イリア」


「いいの。あたしにとってのマスター……になるのはちょっと難しいだろうけど、あたしだって、君の力になってあげたいから」


 そこまで言ってから、ずっと優しい表情だったイリアは、少しだけ真剣な顔をした。


「あたし……待っているから。君が、答えを出すのを。君自身の悩みももちろんだけど、最初の話もね」


「……イリア」


「君がちゃんと決めてくれた言葉なら、どっちでもいい。だから、いつか……さっきの答えを聞かせてくれるかな? あたしも、はっきりと分かっているわけじゃないし、一緒に考えていきたい。その時までちゃんと、君を見ていくからさ」


 ……待っている、待っていてくれる、か。こんな情けない俺を。本当に、俺は……恵まれているんだな。


「分かった、約束するよ。この赤牙で、俺の答えを見付けることを、さ」



 答えが出るかは、俺次第だ。俺が何をしたいのか、俺にいったい何ができるのか。みんなと共に戦っていく中で……俺はそれを、決められるんだろうか。





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