戦いの合間 ~正義の在処~
「ガルフレアさん。少し、お時間いいでしょうか?」
誰かと思ったが……この声は、ハーメリアか。彼女が俺を訪ねてくるとは思わなかったが。了承すると、フェレットの少女がそろりと入ってくる。表情は、少し落ち込んでいるようにも見えた。
「どうしたんだ? 」
「いえ、言っておかなければいけないと思いまして。……昼間は、失礼しました。私、皆さんにまで食ってかかって、リュートさんにもご迷惑をおかけしてしまって」
「ああ……。いや、気持ちだけならば、みんな君と同じだっただろう。俺たちに謝る必要はないさ」
先走ったことは反省すべきだろうがな。傷つけられる人のために怒った、その思いまでも否定するつもりはない。
「だが、軍の事もあまり悪く思わないでやれ。彼らが抱えるストレスが多大であることぐらいは、勘定に入れてやってもいいだろう」
「………………」
「……難しい、という顔をしているな」
「私は、やっぱり……子供なんでしょうか」
その呟きには、隠しきれない不満が表れている。俺たちに対する申し訳なさは本当なのだろうが、怒りが収まったわけでもない、か。
「私、大人になれ、とよく言われるんです。世間知らずの自覚は、ありますけれど……」
彼女の身の上について、軽くは聞いている。英才教育を受けた箱入りの娘……真っ直ぐに正しく、と育てられたのは想像できる。いささか、真っ直ぐすぎるほどに、だが。
「でも、やっぱり私は、納得できない。皆さんのように正しい人が、間違っている人に責められるのなんて、おかしいです。これに納得できることが大人だと言うなら……私は、嫌だなって思ってしまいます」
「正しい人、か。君の目には、俺たちが正しく見える、と?」
「正しいですよ。ロウさん達のことはもちろん……赤牙の皆さんの事だって、尊敬しています。皆さんは、色んな悪い人と戦ってきた。色んなものを守ってきた。それは間違いなく、正しいことじゃないですか?」
彼女の言い種は純粋な尊敬であるはずなのだが、やはり少しだけ不安になる。赤牙が成してきたことは、確かに正義の行いではあるのだろう。だが俺たちは、正しいから戦ってきたわけではないし……今の俺からすると、正義という言葉はどうにも辛い気分になる。
「それに今だって、侵略からみんなを守ってくれています。皆さんがいなければ、昨日の戦いだって、もっと犠牲が増えていたはずです。……そんな皆さんのことは絶対に、馬鹿にされていいものじゃありません」
「しかし、彼らが言ったことの一部は真実でもある。単純な比較だが、俺たちひとりずつが軍人千人ぶんの働きをできはしない。ならばこそ、彼らを納得させるには、これから戦果を上げていくしかないのだろう」
「助けてくれている人に対して、喧嘩を売る方がどう考えても問題でしょう? ……極端かもしれないですけど、軍が悪くないって思うと、襲われているこの国とリグバルドの関係に納得するみたいで。ヘリオスさん達みたいな良い人もいるって、分かってはいますけれど……ごめんなさい、今の私は、やっぱり軍を受け入れられません」
「別に俺たちだって、納得しているわけじゃないさ。しかし、嫌うとしてもあの二人までで、その嫌悪を軍という纏まりに向けてはいけない。……同じように、俺は別にリグバルドの人々を悪だとは思わない。悪なのは、国を思うがままに動かす一部の連中だ」
話していると、ハーメリアはまた少し熱くなってきたようだ。声を荒げてはいないが、内容が攻撃的になっていく。だから俺は、敢えてその話を付け加える。ここで話しておかないと、危ういと感じたから。
「私は、そんな風には考えられない。リグバルドの人は、絶対に許せません。この国を襲って、色んな人を傷付けて。そんなの、認めろって言うんですか?」
「それを指示する者は俺も許せないが、その配下は従わざるを得ないものだっている、という話だ」
「上が悪いと思ったら、それを正せばいいんです。できなくても、自分がやらなければいい。言うことに従った時点で同じですよ」
「……そう上手く行くのならば、誰だって苦しまずに済むのだがな」
立場とは、そういうものだ。それが自分の身だけで済まないほどに上の者であれば、なおさら。クライヴ将軍やセインのことを知っている俺は、全員を悪だなどと断じられない。
「……ロウさんにも、似たようなことを言われました。でも、やっぱり分かりません。間違っていることはやってはいけない、正しいことは進んでやるべき。私は、そう教えられてきました。みんながそうすれば、誰だって嫌な思いはしなくていいはずなのに。それをみんな、難しいって言う」
「………………」
「ごめんなさい。謝りに来たのに、反発してしまって。でも、私は、分からないんです。どうして、こんな簡単なことが上手くいかないんだろうって」
彼女は彼女で、理想と現実のギャップがあることに悩んではいたようだ。こうしてギルドの一員にまでなり、様々な経験を積み、その中で考え続けている。だが……彼女にはまだ、理想を改めるという思考はなさそうだ。
……彼女は、未熟だ。瑠奈たちと比較しても、そう思う。理想を追っていることではない。理想しか見ていないことだ。特に、彼女が何度も口にしている「正義」「悪」という基準について。
「ひとつ、聞いてもいいだろうか。君は、UDBを悪だと思うか?」
「UDB? ……もちろん、分かりやすい悪ですよ。UDBは人を襲って、殺すことしかしない。許されない存在です」
ああ、きっと、そう答えるだろうと思っていた。特に今の彼女は、UDBへの怒りを日に日に高めているだろうから。だが、予想はしていても、俺は恐らく顔をしかめたのだろう。ハーメリアもすぐに理由に思い当たったようだ。
「あ、その……すみません、フィオさんは違いますよ。それから、首都の方で頑張っているっていうノックスさんも。お二人は良いUDBで、他とは違います」
「良いUDB、か。本当に、そう思うか?」
「……? 人の味方をしてくれているんだから、そうじゃないですか?」
「フィオは確かに良いやつだ。ノックスだって今では信頼している。だが……人の味方だから善、それ以外は悪。それは、少し乱暴に思えてな」
「……UDBは悪じゃないってことですか? UDBに襲われて死ぬ人は、世界中にいるんですよ」
「そうだな。UDBは紛れもなく人類の脅威だ。だが……悪という表現は、俺にはどうにもしっくり来ない。彼らとて悪意で人を襲うわけではなく、ただ生きているだけなのだから。『敵』と『悪』は、別のものだ」
「敵と悪は、別……」
高位の、知能の高い連中ならばまた違うこともあるが、話がややこしくなるので置いておく。いま言いたいのは、最後の一言だ。
「どうして、この話をしたかをはっきり言っておこう。君が、敵は全て悪だと断じているように見えたからだ。さらに言えば、正義と悪で全てを分けようとしているように感じたんだ」
「………………」
「正しくあろうとする心、過ちを正そうとする心。君がそれを大切にしているのは見せてもらったし、それ自体は良いものだと思う。しかし、君は……善意が必ず正しい結果を生むと思っていないか?」
「……そうではない、と言うことですか?」
そう考えている自覚はある、か。今までの彼女の発言を考えると、そうだろうとは思っていたがな。
「俺としてはむしろ、善意と正義感は、時として悪意よりよほど質が悪いと思っているな」
「その理由を、聞いても?」
「ああ。ただ、先に言っておくが、これはあくまで俺の意見だ。きっと正解など無い話題だし、ひとつの価値観として受け止めてもらいたい。それで大丈夫か?」
ハーメリアは、ゆっくりと頷いた。彼女は彼女で悩んでいるようなので、様々な意見を求めているのかもしれない。