市場に響く喧騒
「さて、と。とりあえず、順番に聞いてみるか?」
「そうだな。まずはそこの肉屋からにしてみよう」
手分けすることも考えたが、今は必要なのは効率よりも正確性だ。ひとりで聞いたり又聞きしたりでは、小さな違和感に気付けないかもしれない。それに……現状、あまり一人になるのは望ましくない。
「失礼。少しお訊ねしたいことがあるのですが……」
声をかけると、人当たりの良さそうな蜥蜴の男は、客引きの声を止めてこちらを向いた。
「何だい? おや、随分と美男美女が揃っているじゃないか。眼福割引で安くしとくよ! 買っていかないかい?」
「え? え、えっと……」
「(乗せられるなって……)はは、ありがとうございます。ところで、売り物見るついでに話を聞きたいんですけど……」
商人らしいと言うか、さっそく相手のペースに飲み込まれそうになる。暁斗が何とか巻き直し、ギルドの素性を明かしつつ手短に質問していく。最近、UDBの襲撃を除いて、何かおかしなことはないか、と。
「うーん、いきなり言われても、簡単には思い付かないね」
「それもそうですよね……」
「ああ、強いて言えば、最近ちょっと軍の取り締まりが厳しくなったんだよね。今日もそろそろ巡回が来ると思うけど……人によっては乱暴で、困るんだよねえ。いやもちろん、街を守ってくれることには感謝してるけどさ……おっと、今のは聞かなかったことにしておくれ、こわいこわい」
軍の側にも、ギルド本部を通じてアガルトの件は共有されている。ならば、物流の激しい市場でアポストルや怪しい物品が流れていないか、警戒するのも当然か。
とは言え、軍の活動はあまり歓迎されていないようだな。ヘリオスのように穏やかな人物ならともかく……いや、本人には悪いが、ヘリオスも普段の口調なら高圧的に見えるだろうな。真面目すぎるのも考えものだ。
「では、何か最近になって急に流行したものはないでしょうか? 例えば、特定のアクセサリーが若者に流行っている、といった話は?」
「悪いけど、そういう話は聞かないかな。僕が疎いってのもあるかもしれないけどね。娯楽や装飾に手を出すのは、ある程度豊かな層だからさ。この市場にもそういう店は増えてきたから、そっちで話を聞いてみたらどうかな?」
「そうですか……協力に感謝します。仕事中に時間をとらせて済みません。では、この燻製をひとついただきます」
「ははっ、まいどあり! 大した情報が無くて悪いね。大変だろうけど、頑張ってくれよ」
さすがに話だけ聞いておしまいでは心証も悪くなるだろう。今後も市場は情報源として訪れる機会はありそうなので、話を聞いた店では何か買っておくことにしている。必要な投資だ。
さて……まずは外れ、か。軍と鉢合わせする可能性が高い、と事前に知れたのは有益かもしれないが。軍も友好的な者の割合が高いのだが、こういう時ほど、厄介な相手と遭遇する想定はしておかねば。
とは言え、それを気にしすぎるよりも、今は出来るだけ多くの話を聞かなければな。では、次の店は――
「最近は情勢が不安だから、護身用の武具がかなり売れているって聞いたわよ。実際のところ、知り合いの武器商人は随分と懐を暖めているわね」
「なるほど、当然そうなるでしょうね……ありがとうございました!」
「ええ、確かにこのひと月で、軍への売り上げはもちろん、それ以外への売り上げも大幅に増えました。普段は軍の方やハンターしか来ないような店ですが、こうして臨時で市場に店を開いているほどです」
「素人が武器を持っても、簡単に相手できるわけでもない気がしますけどね……」
「それはまさしくその通り。ですが、備えることで安心はできる。それだけ不安が広がっているということですよ。……儲けている身ですが、俺は早く元通りになってほしいですね」
「そうですね。俺たちも、力を尽くさせてもらいます(彼は本気で憂いているように見えるが……利益の出ている者は警戒の必要があるな)」
「今、飛び抜けて売れている商品があるわけじゃないな。ただ、売れ筋でいいなら、この髪飾りなんかは若い人によく売れているよ。ほら、お姉さんの水色の髪にはよく似合いそうだ」
「え? ……あ、あたしですか!? い、いや、あたしは、そういうのに少し疎くて……」
「そりゃもったいない。ほら……お姉さんみたいな綺麗な人は、それを最大限に引き立たせてやらないと失礼ってものさ。良ければ個人的にレクチャーしても……」
「あー、コホン。悪いけど、仕事中なんです。同僚をナンパするのは止めてもらってもいいですか?」
「おっと、彼氏に怒られちまったか、残念」
「……いや、別に彼氏ってわけじゃないですけど……」
「(へえ。お兄ちゃん、あからさまに機嫌悪くなってるね……へえ……?)」
「(……人のことになると楽しそうだな、瑠奈)」
「こ、この本は……世界中で絶版になっているという、幻の……!? ご、ご老人! いったいどこでこれを……」
「くふふ……蛇の道は蛇というものじゃよ、お若いの」
「……ガールーフーレーアー君? お前さっき自分が言ってたこと忘れてないよな?」
「うっ……」
「……分かってはいたけど、そう簡単にはいかねえよなあ」
半分ほどの店に声をかけてみても、そこまでの情報は得られなかった。……なお本は買った。……いや、これも投資だ。ギルドの活動にも個人的にも有益な投資と言うだけだ、うむ。
「そもそも、普通に暮らしている人が、いきなり変なとこって言われても難しいだろうからね」
「そうだね……ギルドの聞き込み、って前提があると、考えることも偏るだろうし。あたし達の聞き方も考えなきゃ駄目かも」
「何か溶け込んでいたとしても、それは日常会話の中、か」
ひとまず、軽く分かったことを整理しよう。
まず、特定のアクセサリーなどの流通は見えないこと。これは最初の店で聞いた通りの理由だ。カジラートや首都ソレムはそれなりに裕福な層が多いのだが、アポストルのような勢いで広がった商品はない。
次に、電子機器の売れ方が勢い良く伸びていること。とは言えこれは、ここ数年の話だ。高度な発展をしている国ではさほど不思議なことでもない。この一年で、程度に絞れば、ネット技術の発展が目覚ましいらしい。インターネット……何か仕込めそうな場所ではあるから、調べる価値はあるな。
後は……やはり、普通に暮らしているように見える人々の間にも、UDBの不安はかなり広まってきていること。敵の進軍が徐々に激しくなっていることは伏せられているのだが……ちらりと、そういう噂があることは聞けた。やはり、完全に隠し通せてはいないようだ。
今はまだ、街の中にまで侵入を許すような事態になってはいないから、かろうじて普段の姿を保っているにすぎないのだろう。これは、首都圏だからでもある。地方に行けば行くほど、混乱は酷いらしい。
そういう意味で、街を守る軍へは感謝を示す者が多いようだが、それを良いことに横柄な態度の軍人もいるらしい。軍の中でも、続く戦いによるプレッシャーとストレスで疲弊して、普段と比べて荒れている者も増えてきたそうだ。大きな衝突が起きなければいいのだが……。
「残りはおおよそ半分程度か……。ん? あれは……」
気が付くと、少し離れたところで、人の動きがおかしくなっていた。何かトラブルでもあったのかと思っていると、近くの店主が教えてくれた。
「ああ、軍の検問が始まったんだろう。最近は毎日、このぐらいの時間で来ていたからな」
「そうなのですか……」
「知らない人は萎縮しちまうから、売り上げにも響くんだがね……まあ、今日の担当が穏やかなことを祈……」
「なんだ貴様は? こちらに来い!」
店主が言いかけたところで、明らかに穏やかでない声が聞こえてきた。女の声だが、非常に強い口調だ。店主は「儚い望みってやつだったな」などと愚痴っているが、随分と物々しい雰囲気になってきた。何かおかしなものが見付かったのか?
あれは……一人の青年が、尋問されているようだな。服装など、どこか周囲から浮いているが……背負っているのは、竪琴、か?
「あ! あの人は……!」
「どうした、瑠奈?」
「……私、ちょっと行ってくる!」
「あ、おい!」
言うが早いか、瑠奈は人混みを縫って駆け出してしまった。俺たちも、すぐさま後を追いかける……くそ、人が多くて進みづらいな。いずれにせよ放置はできなかっただろうが……。
「何をしているんですか!」
……だが、次に聞こえてきたのは、想定外の声だった。俺たちの知っている、しかし瑠奈のものではない少女の声。
「あれ……ハーメリア!?」
フェレットの少女は、毅然とした態度で軍に立ち向かっている。……ちょうど居合わせたのか。俺たちも止めようとはしていたが、これは少々、頭の痛い事態になってきたな……。