忘れざる過去
「まずは、問題の三人について聞かせてくれますか? 皆が、あなたと同じ孤児院の出身と言っていましたが」
「ああ。……まず、俺を蹴ってきたガゼルが、ダンク・レイランド……俺の3つ上で、最年長だった」
「ヘリオスは、兄ちゃんと呼んでいたな」
「うん……。兄ちゃんは、孤児院ができた時からいる、最初のメンバーなんだ。みんなが兄ちゃんって呼んで慕ってるような人、なんだよ」
「さっきの話とは、随分と印象が違うんですね……おれは、アトラが蹴られたって聞いて、どうしても良い印象は持てないですけど……」
「短気なやつなのは間違いねえけどな。それでも、頼れるやつだって思ってた。シスターの手伝いは誰よりも頑張って、みんなのことも大切にしてた。……俺のこと、だって」
フェリオと離れて心細かった俺を、シスター以外で最初に慰めてくれたのはあいつだ。忘れもしない、あの時のことは。あいつの、言葉は。
(――そうか、お前には兄ちゃんがいたんだな。……じゃあ、俺が兄ちゃんになってやるよ! お前がほんとの兄ちゃんにまた会えるまで、俺が代わりだ! だから……遠慮せず、頼ってくれよ!)
あの言葉があったから……俺は何とか、孤児院に馴染めていたんだと思う。食糧もロクにない毎日だったし、あんな力が目覚める程度には辛かったけど……それでも、孤独ではなかった。
「ダンクは、みんなのことを大切にしてた。だから……裏切っちまった俺を、許せないんだと思う」
「裏切ったって……」
「あいつから見たらそうだろって話だ。だって俺は……ヘリオスや、他のみんなに襲いかかったから。あいつの大事なものを、壊そうとしたから」
「………………」
みんなも、俺も錯乱していた。何が起こったのかすら、ちゃんと理解できないまま……それでも、あいつが最初に石を投げてきたのは、はっきり覚えている。
そのことについて、俺はあいつを責められない。きっとあいつは、孤児院の敵と戦おうとしただけだ。あの時はシスターが身をていして庇ってくれたけど。
「ヘリオスさん。その……アトラのこと、孤児院では何か言ってなかったんすか?」
「……アっちゃんの話は、みんな避けてたから。最初はアっちゃんを捜そうとみんなを説得しようとしたけど……まともに聞いてくれたのは、ベル君だけだった」
そうだろうな。間違いなく、火種にしかならない話だ。ベルナーについては……。確かにあいつだけは、ちゃんと話ができそうな感じだった。
「とにかく、あいつは俺を恨んでる。俺と一緒に戦ってる、なんて状況は我慢できねえはずだ。だからきっと……また、何か仕掛けてくる」
「作戦はバラバラにって、マスターが話してはいたけど……」
「戦場で襲ってくるやつだぜ? 何なら街中だろうとやるだろうよ。……みんなには、迷惑かけるかもしれねえ。けど、どっかで決着はつけねえといけない、だろう」
「……アトラ君。無理はしちゃ、駄目だからね? あたし達もできることはやるからさ」
分かってる、と頷いてはみせた。だけど、実際どうすればいいかは分からない。許してくれって謝ったところで、あいつに届くと思えない。邪魔をするなと打ちのめしたとして、あいつは死ぬまで俺を認めないだろう。もしかすると、今度こそ殺意をもって襲われるかもしれない。……仮にみんなに手伝ってもらうことがあったとしても……最後はきっと、俺がどうにかするしかない。
「そいつ、少尉ってことは強いんだよな? 灼甲砦を倒してたとか言ってたしよ」
「うん……兄ちゃんは、強い。僕は、勝ったことないよ」
ヘリオスは、俺と実力差はあまりなかったと思う。そんなヘリオスがこう言うなら……勝てるんだろうか、俺は。
「心配するな。いざという時は、俺が何とかしてやる。お前の意思を尊重はするつもりだが、大事にはさせないさ」
「……ありがとう、マスター」
「俺の義務であり、望みでもあるからな。息子が辛い思いをするくらいなら、全力を尽くすに決まっているだろうよ」
マスターの言葉に、少しだけ気分が楽になった。この人がいる限り……そう思えるほどに、俺はこの人を信じてる。そうだ、大丈夫だ……俺はもう、ひとりじゃない。俺が向き合うことに失敗しても、何とか……みんなを傷付けないようには、してくれるだろう。
「他の二人、ミントは……まあ、裏表がないって言うか、気遣いが足りないって言うか……思ったことをポンポン口に出してくる女だ。孤児院でもトラブルメーカーって扱いだったな」
「確かに、とてつもなく口が悪かった。腰巾着のくせに偉そうで」
「……フィーネは、だいぶ嫌ってるみたいだね?」
「当然のこと。初対面であんなことをされて、嫌わない方が異常と断言」
実際、難のある性格とは俺も思ってたし、元々そんなに仲良くなかった。ヘリオスも初対面が最悪だったから苦手にしていた。だけど……。
「……俺はあの時、あいつも襲ったからな。あいつが俺を嫌うことは、正常だと、思う」
「……アトラさん。でも、だからって……その人がやったこともひどいと、わたしは思います……!」
「そうだな……俺も飛鳥と同じ感想だ。俺が言っても説得力はないかもしれないが……そう自虐的になるな」
「……すまねえ」
別に孤児院にいたときは、いがみ合ってるわけじゃなかったんだ。だけどあの時、窓から俺を見るあいつの目は……他の誰よりも、もしかしたらダンクよりも、冷たかったかもしれない。ふざけた態度だったけど、ダンクと同じくらいに恨まれてても、不思議じゃない。
「ミントも……口は悪いけど、下の子の面倒見たりはしてるんだ。ただ、いつも思うがままと言うか、ひどいことだって気軽に言っちゃうことがある。アっちゃんのこと捜そうって言った時も……。…………」
「……ヘリオスさん?」
「ごめん……これは忘れて。僕も彼女とは、最近はあまり話してなかったんだ」
ヘリオスは目を伏せた。触れない方が良さそうだと思って、俺たちも流すことにする。……俺のことがあって、余計に仲悪くなってた、みたいだな。
「もう一人、ベルナーは……何て言うかな。ごく普通の、真面目なやつだ。目立つわけじゃないけど、いると何となく場が和やかになる、そんなやつだった」
「確か、その人は周りをなだめてたんだっけ?」
「そう。アトラを見て心配そうにしていたし、無理矢理に従わされているような感じだった」
フィーネの言うとおり、ベルナーだけは俺を気遣ってくれていた。それは意外だったし、少し気持ちが楽になる。……あいつもあの時には、俺に石を投げつけてきたのは間違いないけど。
「でも……その、アトラとヘリオスさんには悪いけどさ、結局そいつもアトラを蹴ったやつに着いていったわけでしょ? アトラをほっといてさ。私は、それも十分に許せないわよ」
「…………。ベル君は、兄ちゃんの言うことはどうしても聞いちゃうから……」
「ふむ。大佐からしても、比較的まともな人格の持ち主と評価されていたようですが、何か理由でもあるのですか? 上官だから、だけではなさそうですが」
「……行き倒れたベルナーを拾って必死に介抱したのが、ダンクなんだよ」
「なるほど。命の恩人だから……その恩義で逆らわない、か」
「ベル君は優しいんだけど気が弱くて、ちょっと流されやすいところもあるんだ……それと恩が重なっちゃって、押しの強い兄ちゃんには逆らわなくてさ……」
ヘリオスが身を震わせた。やっぱり、かなり精神的に来ているらしい。
「だけど……ベル君は、一緒にアっちゃんを捜してくれた……! アっちゃんと、ちゃんと話したいとも言っていた……それなのに……たぶん、兄ちゃん、が……」
「ヘリオス……」
「……ごめん、ね。君の方が、よっぽど……辛い、のに。僕ばっかり、こんなので……」
ヘリオスは、泣き出しそうなのを必死にこらえている。……慰めの言葉もうまく出てこなくて、俺は無意識に牙を噛み締める。何だか、無性に悔しい。
「……この辺りにしておこう。いずれにせよ、次の作戦は別々だ。オレ達も気にかけてはおくが、すぐに何か起こることはないだろう」
「そうですね……アトラさんにも、あまり無理はしてほしくないですし。作戦については、明日にでも大丈夫でしょう、マスター?」
「ああ。各自、解散だ。今日は身体を休めて、明日以降に備えてほしい。……ヘリオス、君もあまり思い詰めないでほしい」
「……はい……」
そんなヘリオスに気を遣ったのもあるんだろう、マスターの声でみんなが散っていく。浩輝がヘリオスに声をかけようとしたけど、海翔がそんな白虎の耳を引っ張った。……下手なこと言っても逆効果だろうしな。
「……俺たちも戻ろうぜ、ヘリオス。お前も疲れてるだろ? せっかくなんだし、ゆっくり休もう」
「アっちゃん……僕は……」
「……ひとつだけ言っとく。自分がどうにかしなきゃなんて考えてるなら……止めてくれ。どれだけ周りに手伝ってもらったとしても……決着をつけるのは、俺じゃないといけないんだ」
そうだ。マスターは別に、全部甘えてしまえって言ったわけじゃない。一人で抱え込むのは止める……けど、俺が向き合う意思は忘れちゃいけない。それが、どんな結果になるのかは……まだ何も分からないけど、な。