カジラート防衛戦 ~終幕~
ああ、そうだ。シンプルだ。喰うか喰われるかだ。全部喰っちまえ。あれは、獲物だ。痛みも無視して、身体が動く。
てめえが、悪いんだぜ? こうなっちまったらもう……自制なんてできねえ。てめえが……死ぬまでな!!
「オオオオオオォ!!」
叩く。叩く。叩きのめす。本能に任せて動き回り、とにかく奴の全身を滅多打ちにしていく。リミッターの外れた身体能力に任せて、攻撃を避けながらカウンターを決める。悲鳴のような咆哮が上がった。どうだ、痛えかよ。
両腕が獣の頭を象る。渾身の力でかち上げた左のトンファーが、奴の顎を撃ち抜いた。ぐらりとよろめくUDB。
「おらああああぁっ!!」
返す刀、右腕を頭頂部に叩き付ける。――何かが砕けるような感覚。そのまま、地面まで押し付ける。
頭に喰らいついた獣から、生命力が流れ込んでくる。辺りに轟音が響き、少ししてから逆に一瞬の静寂が訪れる。
獣は頭から大量の血を流し、沈黙している。頭が砕けて、生きていられる生き物はいねえ。もう生命力が喰えないことが分かってから、俺は食い付いていた右腕の獣を消した。
……まだだ、まだ喰い足りない。次の獲物はどいつだ……? 俺以外は、全部が獲物――いや、違う。俺はもう、一人じゃない。味方が、いる。……そうだ。静まれ。もう、十分だ。もう繰り返すな。今の俺は昔と違う……こんな獣に、呑まれるな。
「……アトラ」
「……だい、じょうぶ、だ。俺は……」
息を深く吸う。昂っていた精神状態が、少しずつ元に戻っていく。……上手く、戻ってこれた。だけど、それに安心する間もなく、次の問題が俺に襲いかかってきた。すなわち、能力の興奮で無理やりにごまかしていた痛み。それに、反動が上乗せされる。
「……うぐうぅっ……」
破壊の牙の作用で少しは回復している、みたいだけど……まだ、我慢できないくらいに痛い。体力も、気力も、そろそろ限界だ。さすがに……使いすぎた。
周りを見る。UDBは近くにはいねえ。フィーネが上手く片付けたらしい。そこまで確認してから、破壊の牙を完全に解除する。
「軍も来ている。後方に下がるべき」
フィーネに言われて振り返ると、確かに軍の部隊がひとつ、こちらに向かってきていた。ヘリオス達じゃないみたいだが……有難えな。あいつらに任せて、いったん下がらせてもらうか。
そいつらはすぐ側まで来ると、灼甲砦の死体と、俺たちを交互に見た。隊長らしきやつが、一歩俺に近付く。全身を甲冑で包んだ重装備の男だ。……何となく、周囲から刺すような視線を感じた。こいつら、反ギルド派だろうか。
「何とか、倒したが……悪い。後はちょっと頼むぜ……」
「………………」
だが、俺が声をかけた相手は、返事もしてこない。微妙に嫌なものを感じていたのもあり、何だこいつ、と思っていると――突然そいつが地面を蹴り、足を振り上げた。
「がっ……!?」
あまりに突然のことで、腹を蹴られた、と理解するのにも少し間があった。弱っていた俺に耐えられる痛みでもなく、膝をついて身体を丸める。……お、おい……まさか、こんな直接、しかもこんな時に……?
「げほ、げほっ……な……何、しやがる……!?」
そんな諸行を行った張本人が、俺を見下してくる。頭の上半分を覆う兜を装着しているから、はっきりと種族は分からない。長く真っ直ぐに伸びた二本の角からして、牛か何かの系統だとは思うが……。
……いや、待て。この、片方が欠けた、角……。
「うるせえな。人の言葉を喋るんじゃねえよ、悪魔が」
背筋が、凍り付いたような感覚があった。
……あの角には、見覚えがある。あいつは出逢った時から、ガゼルとしてその欠けた角をコンプレックスにしていたから。だから俺たちも、その話題には触れないことを暗黙の了解にしていて。
……そして、あの時。俺に真っ先に石を投げた男の種族は――
「……ダンク……?」
「……ふん」
男は、何も答えなかった。が、確認するまでもなかった。それに……よく見たら、すぐ脇に構えてる二人は。
「あははっ、見てらんないくらいマヌケ面だね、悪魔くん!」
「お前、なんてことを……! 表立っては何もしないと言っただろう! ここは戦場なんだぞ!?」
「もー、ベルはうるさいなあ。戦場に事故はつきものじゃん? さ、こんなのほっといてとっとと行こうよ、ダンク兄!」
「分かっている。……こいつは警告だ。てめえなんかが、この国の事情にこれ以上関わろうとするんじゃねえ」
「な……にを……」
「ベルナー、お前も余計なこと考えてねえで遅れるな。上官命令だぜ? 生意気な口聞いたのは忘れてやるよ」
思考が麻痺する。何で、こいつらが、ここに。……いや……そうだ、何も……おかしくない。ヘリオスが、軍に入っているみたいに……。
考えているうちに、ガゼルと人間の女、そしてその取り巻きどもは俺のことなどどうでもいいと言わんばかりに走り去っていった。残った1人だけが、渋い顔で頭を下げてくる。
「……済まん、アトラ。お前は、このまま下がれ」
「お、おい……! ベ、ル……うぅっ……!!」
唯一、まともな言葉をかけてくれたハウンドの名前を呼ぼうとしたところで、痛みで身体から力が抜けた。相手は不安げに俺の方を一度だけ振り返ると、「彼を頼む」とフィーネに声をかけてから、他を追いかけて走っていった。
「ま、待って、くれ……ぐ、ごほ……!」
「落ち着いて、アトラ……彼らが何者かは知らないけど、恐らくは軍の関係者。ならば会う機会もある。……今は、無理をしないで」
「…………ぐぅ……」
フィーネに諭され、少しだけ頭が冷えて……俺は思わずその場に倒れこんだ。さすがに、限界だった。
……痛い。じわじわと焼けた鉄を押し付けられているような毒の苦痛は我慢するのも辛い。能力の反動で、力がうまく入らない。蹴られた腹も……本気で、蹴りやがったか。
……辺りの敵は、すっかりいなくなっていた。戦線がかなり前に出てるってことは、押し返せているってことだ……。安全ではないにせよ、少し……休めは、しそうだ。
フィーネに視線を向ける。何となく機嫌が悪そうに見えるのは、たぶん気のせいじゃないんだろう。
「応急処置ぐらいは、できる。傷を見せて」
「……ああ。すまねえ……」
支給されていた薬を、フィーネがゆっくりと患部に垂らしていく。毒と言っても炎症、万が一の時にはこの薬も効果はある。俺も、自分のポーチから飲み薬を取り出す。
そんな最中、フィーネはほんの少しだけ目を細めて、口を開いた。
「……こんなことを言うのは、野暮だと分かっているけれど。私は……さっきの男を許さない」
「……フィーネ」
「あの角、覚えた。今度近付いてきたら、恥ずかしい姿で縛り上げて晒してやる。腰巾着みたいなあの女もセットで」
彼女ならば本当にしそうだな、と思いながら、俺は何も言わなかった。……軽口すら言う気分になれなかった。俺自身、怒りではない何かしか沸いてこなくて、それが何かすら分からなくて……ただ、胸の辺りもすごく痛いってのは確かだった。
……全部が上手くいくとは思っていなかった、けど。覚悟していたよりも、ずっと……ああ。辛い、な……。
「……はあぁっ!」
波動を乗せた刀の一撃が、灼甲砦の首を切り裂く。頭部を失った獣の巨体が、ゆっくりと倒れていく。
「やりぃ、さすがガル!」
「はは……俺たちじゃ束になっても勝てるか怪しいってのに」
「余裕とまではいかなかったがな。……さすがに、あいつよりは遥かに御しやすい」
改めて周囲の状況を伺う。他の灼甲砦も、誠治やロウ、ライネス大佐達を中心に撃破されている。他の奴らも、明らかに勢いを失っていた。
『クッ、戦況ハ!』
「東西共に7割以上が敗走、灼甲砦も大多数が討ち取られている! ……どうする!?」
『……ヤムヲ得マイ。総員、撤退ダ! 撤退スルゾ!』
『チクショウ、ヒトゴトキニ!!』
そして、向こうもこれ以上は無益だと判断したようだ。号令と共に、生き残っていた連中の姿が次々と消えていく。……そうなってしまうと後は迅速なもので、30秒と待たずに、灼甲砦の亡骸を除いて、すべてのUDB達が姿を消していた。
つい少し前まで戦闘の荒々しい音が満ちていた荒野に、突然の静けさが訪れる。思ったよりも潔い引き際だったが……。
「……荒らすだけ荒らして、勝手な連中だな、全く」
「け、けどよ、これ……オレたちの、勝ちってことだよな?」
「ああ。圧勝の類いだろう。……よくやったな、みんな。改めて、成長を見せてもらったぞ」
「……役に立てたのかな、私たちも?」
「もちろんだ。この勝利は、全員のもたらしたものだ。存分に胸を張るといいさ」
「へへっ……おうよ!」
こちら側の被害は分からないが、見える限りでは多くはない。ならば、俺たちは確かにカジラートを守りきったと言っていい。考えるべきことは多そうだがな。
軍の側からも、次第に勝鬨が上がり始めた。この勝利は、ギルドと軍の協力にとって、良い始まりとなっただろう。……そう、戦いはまだ始まったばかりだ。この結果で向こうがどう動くか、そしてこちらはどう迎え撃つか……依然として綱渡りなことは変わらないが、今ぐらいは勝利を喜ぼう。仲間と共にな。