レイランド孤児院
ヘリオスの案内により車を走らせた俺たちは、街外れにある施設の手前に集まっていた。
「ヘリオス。シスターには連絡してねえよな?」
「言われた通り、僕が戻るとしか言ってないよ。……本当は、早く伝えてあげたかったんだけど」
「悪い。これは……しっかり、自分の口から、直接会って伝えたかったんだ。自己満足かもしれねえけどな」
ギルドからはウェアとアトラ、それからフィーネとジンと俺の五人。それにヘリオスが加わった六人が、この場にいた。ヘリオスも、今日は軍務ではないからか、気を抜いた素の口調である。
坂道を登った先にある、古ぼけた建物。辺りに木々が繁り、こうして街からは少し離れた場所に建てられ……始まりから貧しかったのだろうということが分かる。ヘリオスによると、これでもかなり改善されてきたらしい。
「あれが、レイランド孤児院ですか」
「はい。僕たちが、育ってきた場所です」
「……ああ。七年ぶり、か……」
「……アトラ」
フィーネが、そっとアトラの手を握った。……アトラは、震えていた。いま、どれだけの感情が彼の中を渦巻いているのだろう。
「大丈夫。あなたは、ひとりではない。難しいことは考えず……ただ素直に、伝えればいい」
「……分かってるさ。ありがとう、フィーネ。俺は……もう、逃げないから」
静かに頷いて、アトラが歩き始める。俺たちも、合わせて孤児院への坂道を登り始めた。気を回したのか、ヘリオスが先頭で駆けていく。
孤児院の外には、ひとりの人間の女性がいた。白い修道服に、ベールをかぶった、神に遣えていることが一目で分かる人。その女性は、駆けてくる鳥人の姿に、ゆっくりと振り返った。
「シスター!」
「ヘリオス、お帰りなさい。思ったよりも早かったですね」
優しそうに微笑んだ初老の女性。……俺の横で、アトラがひきつった呻きをもらした。
「どうしても、早く伝えたいことがあったんだ。シスター、紹介したい人がいるんだよ」
「あら……他にもお客様がいるのですね。あの方たち、は……」
言いながら、シスターが言葉を失った。その視線は、言うまでもなく、ひとりの男に向いている。ウェアに肩を叩かれ、そいつは震える足で、一歩ずつ前に出る。ゆっくりと、本当にゆっくりと、二人の距離が近付いていく。
「アトラ……なのですね?」
「シスター・エレン……」
彼女は、一目で彼のことに気付いたらしい。アトラは、口を開閉させながら、言葉がまるで出てこない様子だ。だが、野暮なことはできない。彼が向き合うと決めた以上、俺たちは見守るだけだ。
「よく……戻ってきてくれました。ああ、まさか、こんな……」
「シスター……俺、は……」
そして、感極まったように、シスターはアトラをその両腕で抱き締めた。アトラが、また小さく呻く。何かを堪えるかのように。
「立派に、なりましたね。あの時のあなたは、うんと小さくて……ええ。はっきりと、思い出せます」
「……シスターは……少し、痩せてないか……ちゃんと、食べてるのかよ……?」
「ふふ……心配せずとも、私は健康ですよ。そう思うのは、それだけあなたが大きくなったからです」
穏やかに語りかけるシスターの表情に、影が差した。
「……ごめんなさい、アトラ。あなたの叔父様のことは、あなたが姿を消した後に聞きました。そうと知っていれば、行かせなど……いえ、今さらですね。私を……恨んでいますか、アトラ?」
「そんなっ……ことは、ない。俺は、ただ、ずっと……」
上ずった声で、だがしかし強く、アトラはそれを否定した。それだけは否定したいと、あいつは重ねて言っていたから。
「……気付いてた。シスターが、ヘリオスが、俺を、捜してたこと。でも、避けてたんだ……。俺を気遣ってくれた、二人まで、悪魔の仲間だとか、思わせたくないのも、あったけど……」
「アっちゃん……」
「……逃げてた。今なら、分かる……俺は、ただ、逃げてた……だけだ。次に会って……もし、あなた達からも、悪魔と言われたら……そんな、ことを……」
嗚咽を漏らしながら、アトラは言葉を紡ぐ。彼の中にずっとあった後悔を。それを聞いて、シスターは赤豹の頭を撫でた。
「……あなたは悪魔などではない。私はあの時も、そう言ったでしょう? あなたがどれだけ優しい子なのか、私はよく知っています」
「……ごめん、シスター。俺……変な意地、張って……分かってたのに……あなたも、ヘリオスも。なのに……俺は、二人を、信じられて、なかった……!」
「……いいのです。それだけの苦しみをあなたは味わった。そしてそれは、間違いなく私の判断のせいでもあるのですから」
「それでも俺は! 俺は……あなたに、感謝している……」
宙をさ迷っていたアトラの腕が、ゆっくりとシスターの身体を支えていく。彼がどうしても伝えたいと言っていた、感謝を絞り出しながら。
「俺、俺は……生きています……あなたの、おかげで……生きられ、ました……」
「……ありがとう、アトラ……」
咽び泣きながら、アトラは強くシスターを抱き締め返した。……お互いに、どれだけ溜め込んでいたのだろうな。双方が、後悔してきたのだろう。素直に甘えられなかったアトラも、彼を苦しい道に進ませてしまったシスターも。
ふと、ウェアと目が合った。俺たちも似たような話をしたばかりだが……伝えることは難しい。本当に恨まれている場合も、上手くいかない場合もあるだろう。それでも……すれ違う思いを正し、互いの心を繋げられることだって、あるんだ。
――ふと気が付くと、五名の子供達が、その風景を取り囲んでいた。下はまだ年齢も一桁であろう子から、上は瑠奈たちと変わりない程度まで。
「ヘリオスおにいちゃん……この人たち、誰?」
「……あれは……」
小さな子供たちは、ただ来訪者に興味を持っているだけのようだ。だが……七年前にいてもおかしくないような年齢の二人は、信じられないような目でアトラを見ている。
「僕の友達と、お世話になっている人たちだよ」
「何でシスターとあのお兄ちゃん、泣いてるのー?」
「二人はね……嬉しいんだよ。ずっと辛かったのが、やっと終わって……ぐす……」
「あれ? ヘリオスにーちゃんも泣いてない?」
「うん……僕も、嬉しくてね……良かった、アっちゃんも、シスターも……」
泣き笑いのような表情になっていたヘリオスだが、数名が複雑な表情を浮かべていたのに気付いたらしく、涙をぬぐう。
「……ヘリオス兄さん、あれって、アトラ……だよな」
「……うん」
「どうして、あの人が……?」
「それは……」
「いい、ヘリオス。……俺が話す」
その声と共に、シスターとの抱擁を解いたアトラが、子供たちの方に歩んでいく。それに反応しているのは、男女一名ずつ……人間の少女はともかく、馬人の男の方は、あからさまに警戒している。
「……久しぶりだな、アミィ、ゴーシュ」
「………………」
「今さら、何の用だよ……?」
「……はは、本当にな。どの面下げてって感じだよな」
「なにを笑ってるんだよ、この……復讐にでも来たのか、悪魔!」
「ゴーシュ……!」
「シスターは黙っててくれ! 俺は覚えてるんだからな、こいつが……悪魔になったこいつの姿を! こいつが壊した孤児院を! こいつが……アミィとかみんなに傷をつけたの……!」
「それはアっちゃんがやろうとしたことじゃない! 君だって分かって……アっちゃん?」
「……俺のやったことを、否定はしない。恨まれても、仕方ないよな。……でも」
やはり……こういう反応をする者も、いるか。だが、アトラは声を震わせながらも、退かなかった。ヘリオスを制止して、真っ直ぐに、ゴーシュと呼ばれた青年を見据えた。
「……済まなかった」
「…………!」
「許してくれとは言わない。それでも……ずっと、謝りたかった。アミィ……あのときの傷は、大丈夫だったか? ごめんな……怖かったよな」
「……アトラ兄さん」
「……な、何を今さら! そんなの、虫が良すぎるだろ……!」
「その通りだよ。だけど、悪いことをしたら謝るのは当たり前だ……シスターの口癖だろ? その当たり前もせずに逃げ出したこと、ずっと後悔してたから……」
馬人が表情を歪めた。アトラがそんなことを言うなどとは、思っていなかったのだろう。それを受け止められていないのが分かる。
「……くそっ! アミィ、行こう!」
「あっ! ゴーシュ、少し待って……!」
アミィを半ば強引に連れて、ゴーシュは走っていった。その姿に小さな子供たちは首を傾げ、ヘリオスが肩を落とした。
「ごめん、アっちゃん……」
「いや……分かってる。ゴーシュは、アミィのことが昔っから好きだったしな。口を利いてくれただけ、有難いと思わないとな。……後は、俺が誠意を見せるしかない」
それは、話もできずに石を投げられた過去との対比か。そう言いながら、アトラは他の子供たちを見渡した。
「みんなも、ごめんな。突然来て、騒がしくしちゃってさ」
「別にいーよー? でも、どうしてゴーシュおにいちゃんは怒ってたのかなー?」
「ほんっと、ゴーシュにーちゃんには後でお説教だぜ! しっかり謝られたらちゃんと許しなさいって、シスターのオシエなのにな!」
「はは、よく覚えているな、偉いぞ。……でも、俺はゴーシュとアミィに、ずっと昔、すごく酷いことをしちゃったんだ。だからきっと、足りないと思われたんだ。ちゃんと俺が話すから、大丈夫だよ」
そうアトラが言うと、少年が口を尖らせた。……言葉では、全て解決しないだろう。だが、アトラは自分の思いを彼らに伝えた。一方的に石を投げられて終わるのではなく……その結果としてアトラを許すか許さないかは、彼ら次第だ。
「改めてになるけど、シスター、いまの俺の家族を……あなたに紹介したいんだ。今日は全員じゃないけど……俺があれからどうしてきたかを。そして、世話になってきたみんなについてを、あなたにも教えたい」
「ええ……分かりました。見ての通り、大したもてなしができる環境でもないのが申し訳ありませんが」
「お気遣いなく頼みます、シスター。アトラから、あなたの話は聞いていました。是非、ゆっくりと話をさせてください」
代表としてウェアが頭を下げ、一同は孤児院の中に招かれ、子供達も興味津々といった様子で俺達についてくる。……ヘリオス曰く、環境はかなり改善されたとのことで、子供たちも思っていたよりは元気で子供らしさを失っていない。それでも、やはり痩せている。そんな姿を見ていると――ちくりと、胸の中のどこかが痛んだ気がした。
「……ふん……」
「アトラ……か」
「思わぬエンカウントってやつ? いや、まさかあいつが生きてるなんてね。どうすんの?」
そんな光景を眺める、三人組。孤児院を訪ねるつもりだった彼らは、しかし予想外の光景を目の当たりにして、歩みを止めて傍観していた。
「決まっている。俺は、あいつを認めねえ。あいつの仲間も、同罪だ」
「……ギルドに喧嘩を売ると言うのか? ただでさえ戦況は良くないんだ。内側で争ってどうする」
「何だよベルナー、あいつを認めろって言うの? ヘリオスに懐柔されちゃったなら、あっち行けば?」
「ミント、その言い種はどうだ。誰もそんなことは……全く」
人間の少女の言葉に、ハウンド系の犬人は溜め息をついた。それに対して、リーダー格と思われるもう1人、片角が欠けた大柄なガゼルの獣人は鼻で笑う。
「別に表だって敵対するって言ってるんじゃねえ。せいぜい、戦場では役に立ってもらうさ。ただ……この国を守るのは、ここで生きてる俺達だ。よそ者に、ましてや悪魔の仲間なんぞに、必要以上にでかい顔はさせないようにしねえとな?」
「………………」
表情を暗くしたハウンドをよそに、ガゼルは孤児院に背を向ける。――決してあの悪魔に頼ったりするものか。そんな、頑迷な決意を抱きながら。




