テルムへ
そして、午後。獅子王にて。
「……テルムに?」
「その通りさね。ここにいるあんた達には、三日後にはあの国に渡ってもらうことになる」
獅子王の主要メンバーと赤牙の一同が集う中、人間の老婆が力強い宣告を行った。
ユナ・グランゼール。獅子王の先代ギルドマスターにして、ギルドの議長を長年にわたって務めた、伝説とまで呼ばれる女性だ。
髪はほとんど白髪になり、顔にも皺が深く刻まれている。だが、真っ直ぐに伸びた背筋に、力強い眼光は、往年の女傑ぶりを色濃く残している。70を越える高齢でありながら、その手腕には未だに衰えを見せない。もっとも本来はすでに引退した人物であり、本人も「老人は居座るもんじゃないのさ、それは組織の停滞と衰退しか招かないのさね」と、極力は表舞台に出てくることを避けている。今回、リグバルドの不穏な動きに対して、緊急で現場復帰しているそうだ。
余談だが、ランドは彼女に散々しごかれてきたため、未だに苦手意識が強いらしい。嫌っているわけではなく、厳しい上司に対する反発のようなものだが。
言わば、対リグバルドにおけるギルドの大御所。そんな彼女が直々に俺たちを集めたのだ。それだけで、事の重大さは理解できる。
だが、テルムか。南方の小国テルム……発展途上国であり、あまり恵まれた環境にはない土地だ。故に貧困にあえぐ人は数多く、親を失った孤児も数多い。同時に、ここ数年は目覚ましい発展を遂げてもいると聞く。
だが、俺たちにとってそれよりも大きいのは……あの国は、アトラの故郷だと言うことだ。彼は明らかに苦い顔をしている。
「そこまで急にと言うならば、すでに事態は動いていると?」
「理解が早くて助かるね。あの国は今、執拗に新種UDBの襲撃にさらされている」
新種UDB。その意味が分からないものは、この場にはいない。後ろではノックスが低い唸り声を上げた。
「あんたらの報告にあった蜥蜴に、そこのノックスと同じ鉄獅子。それ以外にも、今まで知られていなかったUDB。そいつらが、突然に大量発生した。今までみたいに転移で数体がなんてケチな規模じゃない。国の至るところに現れた群れが、好き勝手に暴れている状態さ」
『前ニモ話シタガ、俺タチハプロトタイプダ。聞クトコロニヨルト、ヨリ強化サレタ個体トモ戦闘シタノダロウ? ナラバ……ソロソロ、完成品ガ生ミ出サレル頃合イダ。ソシテ、完成シタノナラバ、ソノ次ハ……』
「本格的な実戦投入、か。虫酸が走るね、ほんとに。消耗品か何かだと思っているんだろうけどさ」
『……同感ダナ。ソシテ、消耗品デアルコトニ誰モ疑問ヲ抱カナイ……抱ケナイノダ、彼ラハ。道具トシテ死ヌ事スラ厭ワナイ忠誠、ソレヲ植エ付ケラレテイルカラナ』
「あれ? ノックスは私たちに命乞いしてなかったっけ……?」
『グッ!? イクラ何デモ無駄死ニハシタクナカッタニ決マッテイルダロウ! ソレニ俺タチハ、最初カラアル程度、自分ノ感情ヲ優先スルヨウニ調整サレテイタノダ。特ニ俺ハ、同族ノ中デモ、ソノ……自己認識ト言ウモノガ、強カッタヨウデナ。殺サレルト思ッタ瞬間、ドウシテモ怖クナッテ……」
「忠誠が聞いて呆れるじゃねえか、マリクって野郎、お前の調整だけサボったんじゃねえか? ……っておい泣くな馬鹿、そっちのが自然って話だろ、お前が正常なんだ正常!」
リックの呟きでしくしくと泣き始めたノックスに、慌ててフォローを入れている。が、彼が自然という点は俺もリックに同感だ。彼は確かに、最初から感情が豊かだったように思える。
本人の弁によると、性格のベースはマリクが植え付けているそうだが、個体差はあるらしい。性格まで決定するなどと信じがたい気もするが、サングリーズでの鉄獅子は工場のような慢心がなかった。そして蜥蜴たち――こちらは刃鱗獣と名付けられた――は、揃って武人然とした性格をしていた。それを考えれば事実なのだろう。
ノックスは最近、自分を兵器として語ることに抵抗を見せるようになった。それと同時に、かつての主に対する否定的な言葉も増えてきた。自分たちの在り方がどれほど異質であったのか、そして、自分にも他の在り方が選べることが分かったのだろう。こいつとは色々とあったが、嬉しいことだと思う。
最近では、訓練も行うようになったらしい。元々が戦闘用に生み出された経緯からか割と根性はあるそうで、望んでハードな特訓に挑んでいるようだ。基本的な身体能力はさすがにヒトと比べて大幅に高く、ランドは鍛えがいのある逸材だと喜んでいた。
「真っ向から軍隊が衝突してるわけじゃあない。けれども、あんた達からの報告から推論するに、これを黒と呼ばないわけにはいかないだろう?」
「ま……あいつらが逃げ出して野生にってこたぁねえだろうな」
「新種UDBは、全体的に知能が高かった。ローヴァル山のような例外もいるが……ユナ婆、そのUDB達に対する他の情報はないのか? 無作為に人を襲っているのか、何らかの意思を持った動きをしているのか」
「それに関しては後者だね。ただ腹を満たすためにしては、あまりにも不可解な動きだって話だ。この辺りは向こうも情報をまとめている最中のようだがね」
つまり、作戦をもって動いている可能性が高いか。ならばこれは、軍の代わりにUDBを使っただけの、侵略戦争であると言えるのかもしれない。
「テルム軍は、この非常事態に、ギルドとの協力体制を整えている。とは言うものの、テルムの国軍は屈強とは言い難く、ギルドは深刻な人手不足だ。ウェアルドはよく知っているだろう?」
「そうだな。前に行った時は、ほぼ不眠不休で稼働する羽目になったからな……」
「だからこそ後手に回り続けている。民間人の犠牲はないが……軍人、ギルドメンバー共に、少数とは言え死者も出始めたらしくてね」
その言葉には、特に瑠奈たちが明らかに表情を曇らせた。……彼女たちはまだ、人の死に関わったことがない。
「新種UDBがリグバルドの手の者であるなら……とても太刀打ちできる相手じゃない。それを知ってようやく、テルム本国から救難信号が上がったってわけさ」
「今はまだ、UDBの襲撃だけなのか?」
「ああ。だけれど、このままで済むとは思えない。疲弊したところを狙い、本隊が現れる可能性はいくらでもあるだろうね」
これまでの奴らは、侵攻を直接の目的にはしていなかった。だが、今回は、最初から攻撃の意思を明確に示している。動きの本格化が、ついに始まったか。……しかし、それにしては、と思う部分もある。
テルムは言ったら悪いが、力の弱い小国。その気になればいくらでも捻り潰せるだろう。それなのに、人造UDBという証拠が俺たちに伝わるまで、じっくりと時間をかけての侵攻。……どことなく、誘われている気はするな。
或いは、テルムには奴らが慎重にならねばならないほどの何かがあるとも、やはり何かの実験とも考えられるが……今は憶測か。
「あんた達は、二度も相手の企みを阻止しているからね。責任を負わせるのはすまないが、これ以上の適任はない。……だけどこれは、あくまであたしからの依頼さね。全てのギルドは依頼を受けるかの裁量権を持ち、あんた達はこれを断ることもできる。所属メンバーも同様だ」
そう言われて、俺達は顔を見合わせる。……何度も問われたものではあるが、それでもよく考えるべき話だ。死者が出ているならばなおさら、命懸けの戦いに参加するという結論は、流されて出していいものではない。
「メンバーに関しては後で集計させてもらうが、ひとまず俺は確実に参加するぞ、ユナ婆。リグバルドとの因縁を放置する気にはなれんからな」
「俺も同様だ。人々が脅威にさらされているんだろう? だったら、それを助けずして何が最強のギルドだ。あんたにしごかれた技、役立てないのは勿体ないからな」
「ランドは一言多いよ、この若造が。ま、すぐに出すべき答えじゃない。言いづらい者もいるだろうしね、後で各々がマスターと相談しておくれ。今はひとまず、受けた場合にどうするかって話を進めさせてもらうよ」
決定は先伸ばしにされる。……みんなの表情を見る限りは、全員が行く、と言うのだろうな。周囲に流されてではない、それぞれの理由で。
「主目的は、新種UDBの侵攻の阻止と、その背後にあるものの調査。獅子王は、首都ソレムから北、赤牙には、第二都市カジラートから南を中心に動いてもらう予定さね。もちろん、現場の動きにより臨機応変に判断してもらって構わない」
「……よりによってあそこかよ」
アトラの表情が露骨に強張った。
「もしかして、君が住んでいたとこ?」
「ああ。マスターに拾われたのは首都だが、拠点はそっちだった。……叔父さんの家があったのもあそこでさ。成り行きってやつだ」
彼が辿ってきたものを考えれば、故郷に対する彼の感情は、想像に難くない。
ローヴァル山での一件の後、俺達は彼本人の口から、その過去を詳しく聞かせてもらった。それは聞くに堪えない迫害の記憶でもあり……それでも彼は、みんなには知ってほしいのだと、震えながらでも話してくれた。信頼の証として。
「あれから何年か経ったが……悪い意味で俺様は有名だったからよ。下手すりゃ、嫌な顔見知りもいるかもしれねえな」
「大丈夫か、アトラ? 辛いならば、お前は別件にあてることも考えるが」
「冗談だろ。俺様、そこまでヤワじゃねえつもりだぜ? ……ちょっと前の俺様だったらきつかったかもしれねえけどさ。今となっちゃ、向かい合うくらいはできるって!」
「……そうか。ならば何も言うまいよ」
アトラは、本当に強くなったと思う。俺も偉そうに言える立場ではないが、こいつはもう、自分の足でしっかりと立つことができているからな。能力の制御も、格段に安定してきたらしい。……それでも、傷は残っているだろう。もしもの時は、助けになってやらねばな。
「あんたらはあくまで先発だ。手が必要ならばいつでも動かす準備はしておくから、あんた達だけで対処しようなどと考えないことだよ」
「分かっている。人命を優先しつつ、メンバーに無茶をさせるつもりもないさ。必要なものはすぐに要請させてもらう」
『……俺ハ行ッテモ大丈夫ナノカ? 俺ト同型ガ暴レテイルノダロウ?』
「それについては手を打つつもりだ。少し、窮屈な思いをさせてしまうかもしれないが……それでも構わないのならば、ノックスにも力を貸してほしい」
『フム……? ヒトマズ、了解シタ』
「ううん、僕も少しいつも以上に気を付けなきゃかな。UDBへの敵意は確実に高まってるだろうし」
「あ、獅子王から行くのは、ここのメンバーとセレーナ姐さんだよね? 他のメンバーはどうするのかな?」
「それは心配いらないさ。ランドがいない間、残ったメンバーはあたしが面倒を見てやるよ」
「……うえ」
ランドが胸の辺りを押さえて呻いた。
「何だいその反応は?」
「軽くトラウマがフラッシュバックしただけだ。頼むから、辛すぎて辞めるやつを出したりしてくれるなよ……?」
「あんたはあたしを何だと思ってるんだい! 全く、あんなに気にかけてやったのに文句ばかりを」
「ええ、あの地獄のおかげで今じゃギルドマスターですよっと。おいお前たち、安易に来いとは言わないが、残っても死ぬほど辛いとだけは伝えておくぞ」
それはどういうことだい、と怒鳴るグランゼール老に、耳を塞いで対抗するランド。……仲の良い事だな。緊迫していた空気が、少し緩んだ。わざとか本音か……両方だろうな。
その後は事務的な話に、簡単な質問などが続く。……テルムか。リグバルドがこの侵攻に対してどこまで本気かは分からない。だが、陽動にしろ本命にしろ、そこに暮らす人々を放っておけないのは間違いない。とにかく、人命が第一だ。
果たして、奴らはどう動く。何が目的だ。それを把握しなければならない。そのためにも、俺は全力を尽くしてこの刀を振るうだけだ。