摂理の天秤
名前で分かるだろうけど、僕はエルリアの生まれではない。
昔を知っている人は、ごくわずか。シグルドさんやフェリオさん達はともかく、他は蓮と修兄さん、それから育ての両親ぐらいだ。綾瀬さん達にすら、ほとんど話していない。
一つだけ言えるのは……あの時の生活は、今と比べるまでもなく地獄だったという事だ。
それでも何とか生き延びたし、生きたいと思っていた。僕はまだ、恵まれたほうだったとすら思う。何故なら、僕には大切に思える、心から信頼できる人がいたからだ。
……だけれど、それもまた、地獄に奪われた。
何もかもを失いかけていた僕に手を差し伸べてくれた今の両親には、感謝している。僕を受け入れてくれた蓮や修兄さんにも、友達になってくれた綾瀬さん達にも。
彼らといる時、僕は本当に安らいでいる。僕も、こういう普通の暮らしが出来るんじゃないかって、そんな錯覚までしてしまう。
それでも僕は、それが幻であると理解している。
僕のもう一つの顔。みんなに見せている僕とは違う側面。僕は、この道を進むのを、止める事はできない。
僕の一番大切だった人の願い。それを叶えるため。そのためなら、僕は……。
僕の対戦相手は、狼人だ。如月君と同じくらい大柄で、僕からしたら見上げるくらいの体格差がある……その身長、10センチぐらい分けて欲しい。
「何だぁ? 意気込んで出て来りゃ、相手は小学生かよ」
開口一番、相手の言葉はそれだった。僕は若干、眉間に力が入るのを感じる。
「すみませんが、僕はれっきとした高校生です」
「ははっ、マジかよ! いや~、哀れだね。どうやったらそんな子供の体型が維持出来んだ?」
口が悪い。人の気にしてる部分に、無神経な言葉を投げかけてくる。まったく……参ったね、こういうタイプか。
「お、怒っちゃった? 悪いね、俺は思った事ははっきり言うタイプなんでな」
「挑発のつもりかもしれませんが、あいにく、それで冷静さを無くすほど、馬鹿じゃありませんよ」
「何だよ、可愛くねえガキだな」
「同年代でしょう。あなたの方が子供っぽい言動ですけどね?」
皮肉を返した僕に相手は舌打ちすると、所定位置で巨大な斧槍を構えた。僕も、自分の位置でナックルをしっかりと固定する。
「お? まさかお前、格闘技使うのかよ。その体格で?」
「何か問題でもありますか?」
「ははっ、マジうける! その貧相な身体で? 何それ、ネタかよ? 可哀想だから、先に殴らせてやろうか?」
面倒だ。よくこんなのに出場許可出したよね。いくら実力があっても、学校の恥だろうに。友達少なそうだ。
『城島選手、口を慎むように』
「ああ、へいへい。とっとと終わらせてやるとすっか」
勝ちを確信したように笑う相手。僕も予選を勝ち抜いたって事を、理解しているのかな。
「まあいいでしょう。思い切りやる罪悪感を感じないのは有り難いですし」
「あ、何だって? はっきり言えよ、気味わりぃな……ま、いいや。降参するなら今だぜ、チビガキ?」
「審判、早く始めて下さい」
僕は相手を無視してそう言った。いい加減、受け答えが面倒だ。審判も、僕の言葉を受け入れ、すぐにコールをかけてくれた。
鳴り響くゴング。それと同時に、相手は一気に飛びかかってきた。
「おぉらあっ!」
馬鹿みたいに単純なその一撃を、僕は軽くステップでかわす。さすがに、素手で受ける武器じゃないからね。
地面を蹴り、距離を空ける。気分的には一気にやっちゃっても良いんだけど……それはさすがに哀れだし、多少は盛り上げてあげよう。そのまま立て続けに斬りかかってきたけど、僕の武器は身軽さだ。二発、三発と回避していく。
「うぜぇな!」
相手はそう吠えると、やたらめったらにハルバードを振り回しつつ、僕に迫る。
身を屈めて横薙ぎの一撃を避ける。まともに付き合ってはいられないので、そのまま射程距離を離脱する。
すぐに決められると踏んでいたのだろう、二回目の突撃をさばかれた相手は、さっそく苛立ち始めているみたいだ。
「なるほど。チビなだけあって、逃げるのは得意ってか?」
「そちらこそ、随分とパワフルで大振りな攻撃ですね?」
「……ほおう?」
挑発に挑発を返してあげると、相手の眉間に力が入った。自分は煽ってきてるくせに、煽りへの耐性は無いらしい。
けど……さすがにこれで、ちょっとは慢心も和らいだだろう。彼も一応は予選を勝ち抜いている。こんなのに負けたら恥どころじゃないし、油断は無しにしよう。
「良い度胸だ。惨めにぶっ飛んでから、後悔しやがれ!」
三度目の突進。だけど、今度はさっきまでと気迫が違う。
身体をひねり、鋭い突きを避ける。返す刀での低い薙ぎ払いはジャンプで飛び越えておく。右からの振り下ろしは、逆サイドに回り込んで外す。
確かに、動きはなかなか良くなった。同年代でも、確かに弱くはないだろうね。だけど。
「ちっ、ちょこまかと逃げ回るんじゃねえよ、ガキが!」
「単調ですね、動きも挑発も」
「……あ?」
僕は、相手の動きに合わせて、自分の脚をさっと動かす。次の瞬間、相手の巨体が、面白いぐらい簡単に、派手に転倒した。
相手は、地面に叩きつけられた痛みよりも、何が起こったか分からない驚愕で、尻餅をついたまま呆然としている。
「あまり人を馬鹿にしていると……足元をすくわれますよ?」
先程とは逆に見下しながら、僕はそう言い放つ。まあ、すくってから言うのも、趣味が悪いとは思うけど。
ちょっとだけ待ってあげると、相手はようやく僕に足払いされた事を理解したらしい。両手をつき、全身をわななかせながら起き上がる。
「ふふ、試合中に転ぶなんて、ドジな方ですね? おかげで僕でも見下ろせますよ」
ちょっとぐらい仕返ししておこうと、我ながら嫌味ったらしく挑発してみる。案の定と言うべきか、相手の沸点は一瞬で突破したらしい。
「……ぶっ殺す」
低い声で、そう宣言したかと思うと、相手は、ハルバードの切っ先を僕に向けた。
「!」
僕は直感で、横に跳ねる。ワンテンポ遅れて、僕のいた場所を、青白い電流が走り抜けた。
「電気操作ですか……」
「後悔しやがれ! 黒焦げにしてやらあ!!」
相手は完全にキレたようだ。立て続けに切っ先を僕に向け、中空で突きを繰り出す。それに合わせて、電流が走る。
……その電撃は、橘君のお父さんとは比べ物にならない未熟さで、黒焦げは大げさだろう。せいぜいスタンガンだ。でも、当たれば確かに決定打になりうるね。どうやら加減していないみたいだし。
けど、あくまで当たれば、だ。
見ている限り、放電が出来るのは一瞬だけ。相手の動きを見ていれば、回避は非常に容易だった。何度となく降り注ぐ電雷の帯は、僕に一度も当たることはない。
ああ、なるほど。確かに電撃は強力な力で、一対一の試合なら、一発当ててしまえば敵の動きは止まる。相性の悪い相手とかち合わず、幸運にも勝ち抜けてしまった……彼はその程度だ。斧槍の動きも、シグルドさんとは比べるのもおこがましい。
「さて。誰が黒焦げになるんでしたっけ?」
「うっぜぇんだよ、この野郎! 避けるだけしか能がねえチビガキのくせしやがって!!」
「回避は戦いの最も重要な要素ですよ? 兄さんの教えで、僕の基礎です」
見苦しいまでに暴れる相手の姿に、だいぶ溜飲が下がってきた。試合もある程度盛り上がってきたことだし……そろそろ、時間かな。
僕がそう考えていた時。相手の口から、その言葉は出て来た。
「兄さんの教え? はっ! 要するにてめぇの兄さんってのは、ただ逃げ回るだけの臆病者ってことじゃねえか!」
「ひゅう。ルッカの奴、やってくれるじゃんか!」
足払いで相手を転ばせた事に、カイが楽しげに口笛を吹いた。
「相手もバカだな。明らかにルッカのが強いって、いい加減に気付けっつーの」
「だな、主導権を握られてる。にしても、感じ悪い野郎だな、あの相手」
「本人が言った通り、ルッカはあの程度の挑発に乗るような奴ではないがな」
そうコメントしたのは、シグルドと名乗った青年だ。おれも、それに同感だった。
あんな安っぽい挑発で、怒りに我を忘れたりするはずがない。あの足払いには、意趣返しの意味合いもあっただろうけど。
「あいつも、全く怒らないわけではないですけどね。でも、あいつは自分の感情をしっかりコントロール出来るやつだ」
「俺に敬語を使う必要はない、楽に話してくれ。……君は、ルッカのことをよく分かっているようだな」
「……じゃあ、普通に。おれは、あいつとは兄弟みたいに育ったからな。どういうやつかは、理解しているつもりだ」
「なるほどな。君は蓮と言ったか。いつもルッカが、君を信頼していると言っているのにも、納得できた」
「あいつ、そんなことを?」
「ああ、いつも楽しそうに話してくれる。特に君の名前は、よく挙げているぞ。君達のような友人が出来たのならば、あいつがこの国に来たのも間違っていなかったのだろう」
その言い種からして、この人はルッカの事情を詳しく知っているらしい。
それに、無表情で無愛想だけど、この人がルッカを本当に気にかけてるってことは、よく伝わってきた。少し警戒心があったけど、それも一気に和らぐ。
「俺が改めて言うことでもないのだろうが、これからも、あいつと友人でいてやってほしい」
「ああ、もちろん。おれにとっても、あいつは」
『兄さんの教え? はっ! 要するにてめぇの兄さんってのは、ただ逃げ回るだけの臆病者ってことじゃねえか!』
「…………あ」
「…………む」
ルッカの対戦相手が口走ったその言葉が聞こえた瞬間、おれとシグルドさんは、同時にそんな声を出した。おれ達は、互いに顔を見合わせる。後ろでは、上村先生と綾瀬先生も、顔をしかめていた。
「どうしたの?」
「……やばい……!」
「ああ……まずいな」
「まずい? 何がだ」
残りのメンバーは、おれ達の会話に首を傾げている。一同を代表したガルの質問に、おれはリングに視線を送りながら、答えた。
「あの対戦相手、死ぬぞ……!」
耳に入ってきたその言葉。最初、僕の頭はその言葉を受け入れなかった。
「今、何と言いました? よく、聞こえませんでしたが」
「ああ? てめぇの兄貴は臆病者だっつったんだよ! てめぇに相応しいチキン兄貴だってな!」
頭に血を上らせた相手は、さらに暴言を吐く。……与えたチャンスを、見事に放り投げてくる。
「そうですか……」
僕は、絶えず降り注ぐ電撃を避けながら呟く。……相手は、ただ怒りに任せて暴言を吐いているだけ、その内容を理解してはいないんだろう。
「ならば、避けるのを止めてあげましょうか。この拳で殴りに行けば良いんでしょう?」
「上等だよ。てめぇみたいなチビのパンチ、蚊が止まったようなもんだろうしなぁ!!」
「分かりました。では、行きますよ。ああ、そうだ、一応言っておきますが」
最後に、僕は、奴に笑顔を見せた。そして、訝しがる相手に向かい、はっきりとした声で、宣言する。
「命乞いを聞いてやると思うなよ、屑野郎」
「……あ?」
全力で、奴の懐に踏み込む。次の瞬間には、俺の拳が、奴の顎に思い切りめり込んでいた。
「ぐごっ……!?」
苦鳴を漏らし、奴はよろよろと後ろに下がる。倒れはしなかったが、何が起きたか分からない、と言った顔で俺を見てきた。……今ので顎を砕いても良かったが、一撃で決めてやるほど優しい気分にはなれねえ。
「ああ? 何だ情けねえ声出しやがって。痛くねえんじゃないのか、おい」
「な……てめ、え……!?」
「蚊が止まったようなもんなんだろ? じゃあ、何発でも受け止められるよな!!」
思い切り、引きちぎるような顔で笑ってやると、相手の表情に明らかな怯えの色が混じった。もちろん、俺には知ったこっちゃない。
そのまま、次の行動を始める。フェイントを交えて飛び上がり、脳天に踵を落とす。
「がっ!?」
「誰がチビで」
よろめいた相手の脇腹を、思い切り蹴り飛ばす。
「うぐっ!!」
「誰がガキで」
頭を下げた相手の喉に、貫手を喰らわす。
「ぐえぇっ……!?」
「誰の兄さんが、臆病者だって?」
鼻先に正拳を叩き込む。鼻血が吹き出て、愚図は見事な間抜け面を晒した。
……ああ、ったく、気分は最悪だ。半分くらい残った冷静な自分が俯瞰してやがるが、残り半分が煮えたぎって止まらねえ。止めるつもりにもならねえ。
急所に直撃はさせず、芯だけを少しずらして当てる。PSさえ使わなけりゃ、俺が小柄で一撃の重みがそこまでないのは事実だ。だからこそ、こうすれば思う存分殴り飛ばせる。
相手がどんどん怯えはじめたのが、顔と尻尾で分かる。が、まだ足りない。先程の回避を全て攻撃に転換して、俺は四方からコンビネーションを浴びせた。
「はあ、はあ……こ、の……!」
何とか抵抗しようと、斧槍を振り回したり、でたらめに電撃を放ったりしている。そのめちゃくちゃな攻撃をいなして、がら空きの背中を蹴り飛ばした。痛みに甲高い悲鳴を上げている。
「愚図が、目が見えてねえのか? だったら、そんな飾りは抉りとっても文句はねえよな?」
「ひっ……ぐぶぅっ!?」
「気持ち悪い声出すんじゃねえよ、黙れ屑が」
目を狙う、と見せ掛けて腹のど真ん中へ前蹴り。腹筋の詰まったところを狙ってやったんだが、それでも相手は唾液を撒き散らしてリングに転がった。
「何だよ、情けねえ野郎だな。いいのか? そのまま転がってたら、死ぬまで蹴り飛ばして……」
『し、勝負あり! そこまで!』
「あ? ……ちっ」
と、ここでそんなコールが入った。……クソが。表の健全な大会じゃ、こんなもんか。消化不良だが、さてどうしてやろうかと思い、相手の方に一歩踏み出した、そんな瞬間。
「げほ、げほっ……う、ああぁっ!!」
――倒れた相手は、叫んで俺に全力の電撃を放ってきた。
もちろん、それに当たるほど馬鹿じゃない。横に一歩ずらすだけで、必死の反撃は虚しく宙にかき消える。
会場が静まる。攻撃してきた相手の方が、何が起きたか分かってないようなアホ面だった。防衛本能の反射みたいなものだ、と分かってはいるが、俺は笑みを浮かべるのを止められなかった。
「なるほど。てめえはまだ試合続行がお望みらしいな?」
「…………!?」
ようやく自分が命綱をぶった切ったことに気付いたらしい。勝負が決まったのに相手は攻撃してきた……これはつまり、俺もやり返していいってことだよな?
「そうかそうか。負けも分からねえ馬鹿には、きつい灸が必要だなぁ?」
「あ、あぁ……ま、待って、ごっ!?」
「うるせえよ。誰が喋っていいっつった?」
声を聞くだけでうざいので顔面を殴る。こいつには何をするのも許さねえ。
「やめ、やめてくれ、うぐぅっ!!」
「喋るな、つってんだろ。耳が聞こえねえのか?」
「がっ! ぐっ! うぁっ……ゲホっ、ゴホっ……う、え……」
何発かボディブローを入れてやると、あっという間に抵抗は弱まっていった。激しく咳き込みながら、腹を押さえて吐き気と呼吸困難に耐える様子は、見ていて滑稽だった。手を離すと、奴は小さく丸まって、地面を転がる。
「何だよ、図体がでけえだけで体力もねえのか。いい言葉を教えてやろうか? ……てめえみたいなのを、木偶の棒って言うんだよ!」
「かはっ!!」
踵を背中に落とす。本当は血ヘド吐くまで殴って殺してやりてえが、まだだ。少し趣向を変えていたぶってやる。
「まだ俺はちっとも満足してねえぜ? お楽しみはこれからだ」
俺は言いつつ、倒れた奴の尻尾を右手でつまみ上げた。奴は痛みや不快感より、これから何をされるか、その恐怖でいっぱいになっているようだ。
「まだ俺の力を見せてねえだろ。特別に披露してやるよ」
俺は、怯える相手に向かって笑う。そして、その身体を、片手でいとも簡単に持ち上げてやった。
「う、うわ……あ!?」
「どうだ? 散々チビと見下してた相手に持ち上げられる気分は。なあ?」
相手は手足をばたつかせ、暴れている。鬱陶しい野郎だ。
俺はそのまま、ゴミ屑を空中に放り投げた。すると、本来ならば地面に叩き付けられるはずの相手は、空中に、ふわふわと浮かんでしまった。
「ひぃ!?」
「いちいちうるせえ野郎だな。その牙全部へし折って喋れなくしてやろうか、おい」
相手は空中でもがく。が、未知の感覚に、思うように動けない様子だ。
俺はその無様な姿を十分に堪能してから、能力を解除する。いきなりリングに落下した相手は、受け身を取れずに悲鳴を上げた。
俺のPS、〈摂理の天秤〉。効果は単純に言えば重力操作。本来は地上に向かって均等に働いているはずの重力、その強さを自由に操る力だ。
今は、こいつにかかる重力を、限りなくゼロに近い強さにしてある。今のこの愚図は、綿毛のように軽い状態だ。
「この程度で終わりと思うなよ、おい。てめえはそうさな……不倶戴天、ってやつだ」
こいつは兄さんを、侮辱した。例えそれが、勢い任せの言葉だったとしても、俺はそれを決して許さない。
「死に方くらいは選ばせてやるぜ? 例えば、天井まで浮かせて、一気に落とすってのはどうだ? さぞや、見事にぶっ潰れた死体になるだろうなあ……?」
「な……た、頼む、止めてくれ……」
「言葉は間違えるなよ。止めて下さい、だろ? 地べたに這いつくばって詫びろや、雑魚が!」
「ひ……がぁ!?」
今度は重力を増加させる。二倍の重力……単純計算で、同じ体重の奴がのしかかっているのと同じ状態だ。そこから、さらに力を強くしていく。
「このまま押し潰してやるのも良いな。さて、どこまで耐えるか見ものだな?」
「ぐえ……お、お願い、します。止めて、下さいっ、許して、下、さい……!」
涙ぐみ、惨めに許しを請う相手。命乞いは聞かねえって言ったはずだがな。所詮、粋がっただけの屑か。
俺は、PSを解除する。相手は助かったと思ったのか、安堵に全身を弛緩させている。俺はそんな相手に向かって、出来るだけ優しげに見える笑みを作りながら近寄り……。
「死ね、下種が」
今までと違い、加減など何もない拳を、その無防備な顔面にめり込ませる。
そのまま、悲鳴すら上げられない様子の相手をひっつかんで、宙に放り投げる。そして、受け身も取れないゴミ野郎に、渾身の蹴りを叩き込んでやった。
派手に吹き飛ぶ巨体。そのままどさりと倒れた相手は、ピクピクと痙攣を始めた。静まり返る会場。
「ここが公共の場所な事に、感謝しやがれ」
急所は外した。大事に至りはしないだろう。……もし場所が違ったら、生まれてきた事を後悔させてからミンチにしてやったんだがな。
「ふう……さてと」
俺はゆっくりと息を吐く。こいつが、この一件で少しは矯正される事を、せいぜい祈っとくとしよう。もしも態度を改めねえなら……その時は、地獄を見せてやるだけだ。
「審判! 今度こそ終わりでいいでしょうか?」
『あ……し、勝負、あり……!』
あまりの事に呆けていた審判も、正気に戻った。……僕も頭が冷えてくる。
まずいな、少し、いや、かなり……やりすぎたかも。この大会って、全国放送だった、よね……はあ。いろいろと後始末が大変そうだ。