ひとときの安らぎ
「……暑くなってきたなあ」
午後4時、一同が一階に集まっている中で暁斗がぼやいた。間もなく六月、四季のあるバストールでは気温もどんどん上がってきている。
「毛のある種族が人間とかを羨ましがる季節だな……」
「夏はキライじゃねえけど、マジで毛皮は脱ぎたくなるぜ。汗でベトベトになるし」
「鬣、ちょっと切っておくかな……」
動物と比較した時、獣人は発汗で体温調節できる。しかし、毛皮があるため、こまめにケアをしないと浩輝の言うとおりにべたついてしまう。
代わりにというわけではないが、換毛期はない。夏場の毛並みは俺たちにとって悩みの種だ。自分で全身の手入れをするのは手間がかかるし失敗しやすい。店で切ってもらう方が安全だが、割高だ。
俺は比較的体毛が長めなので、正直に言えば暑いのは苦手だ。救いは、バストールにはエルリアと違って梅雨はないため、からりとした暑さになることか。これで多湿だとさすがにきつい。
「マスター、今年もそろそろエアコンつけようぜ~」
「ん、そうだな。だが、下げすぎるなよ? 俺たちに合わせると、人間には寒いだろう」
こと、全ての種族が快適な気温と言われると少し難しい。竜人はどちらにも強いからまだしも、人間や爬虫類のような種族は、俺たちと比較すれば1枚着ていないのと同じだ。その辺りは、衣服でうまく調整するしかないのだがな。
ウェアの許可を受けたアトラが嬉々としてエアコンを起動した。少しして、涼しい風が身体の熱気をほどよく奪い始めた。
「瑠奈、寒くないか?」
「うん、私にもちょうどいいくらい」
「もしも寒くなったら、俺にひっつくといい。自画自賛だが、これでも毛並みと暖かさには自信があるぞ」
「うん、そうだね……。って、い、いや、みんなの前でそれはね!?」
意味に気付くと瞬時に紅潮。からかうたびにこのような反応なので、彼女には悪いが新鮮だ。もしかしたら俺は、少しサディストの気があるのかもしれない。
それに、まるっきり冗談というわけでもなく、彼女と触れあっていられるのは嬉しい。その名分のためにも切らずにいてもいいか。いや待て、室内はともかく普段は暑苦しいのではないか? だとすれば……いったい何を真剣に悩んでいるんだ、俺は。あの告白からそれなりに時間は経ったが、まだまだ熱は冷めてくれない。
「見事なまでにバカップルになったわねえ。それにしても、私はてっきり、ガルが完全に尻に敷かれると思ってたんだけど」
「……そうはっきり言うか。いや、確かに情けない期間が長かったことは否定しないが。これでも、女性経験が無かったわけではないからな……?」
「情けないと言うよりは、草食系まっしぐらって感じだったと思うけれどね、狼だけど」
「そうですね……正直に言えばわたしも、いつも手玉に取られているガルフレアさんしか見たことがなかったですし……」
「うぐ。し、知り合って1、2ヶ月ほどの君たちにまでそう思われていたか……」
「これって何って言うんだっけな……干からびたサバ?」
「身から出た錆だ、アホ虎」
「……ぐう」
何も反論できない。思い返すと、俺の今までの言動は確かに情けなさすぎる。数年間ミーアとの関係を持ち、いけるところまで経験はあったくせにあの体たらくだ。
自己弁明をするならば、瑠奈に対して俺は気負いすぎていたのだ。命の恩人であり、教え子であり、護るべき存在であり……対等な距離感がつかめなかったし、対等であるべきではないと思っていた。だから自分を下に置いて、彼女に引っ張られることに甘んじていた。が……さすがに俺にも男としてのプライドというものがある。遠慮しなくても良いのならば、してたまるものか。
「………………」
「レン? どした?」
「あ、いや。エルリアからこいつらを見てた身からすると、確かに感慨深いよなってさ」
「それはそうだな。いつガルが義弟になるかってハラハラしながら見てたしよ。へへ、義兄さんって呼んでくれてもいいんだぜ!」
「いや、それはさすがに気が早……と、ともかくだ。ランドがわざわざ俺たちを集めるんだ。どのような話があるのだろうな」
「すごく露骨な話題逸らし」
笑う蓮の瞳の中に、だが確かにふっきれていない色を見た俺は、ひとまずこの話題を止めることにした。無理に気を遣わないことと、無神経になりすぎることは別の話だ。
今日は、酒場は前半シフトのみで閉店だ。理由は先ほど語った通り、獅子王からの召集を受けているためである。
「まあでも、俺らを集めて今後についての話……ってことは、ちょっとは予想もつくよな」
「リグバルド絡み……また何か新しい動きがあったんでしょうか?」
「アガルトの件からもかなりの時間が経っているからな。むしろ、何もしていない方が考えづらい」
「その通りですね。やれやれ、ギルド一つには荷が重すぎる話ではありますが……。アガルトのように仕込みをしている国も多数あると考えるべきでしょう」
「世界中、爆弾だらけってか。ったく、ローヴァル山で兄貴の言ってた意味も、さすがに分かってきたな……」
「私たちでは全てを阻止するのは不可能。だから、情報を集め、何を優先すべきかを選ばなければならない」
相手は大国。俺たちだけではどうしようもない。だからこそ、俺たちは力を集めなければならない。リグバルドに立ち向かう協力者を。そのためには、彼らの魔手を阻止する必要がある。時間はない……それでも、焦らずやれることをやっていくしかないのだ。
敵の中枢が俺たちに興味を抱いており、接触の機会があることは、ある意味でチャンスとも言える。前に出て来たマリクやアインを撃破することができれば、さすがに奴らにとってはとてつもない痛手だろう。
「あまり気負いすぎるなよ。俺たちの本分はあくまでもギルドの活動、人々の生活を護ることだ。それをあいつらが脅かすのならば立ち向かうというだけでな。軍人でも何でもないお前たちが、深いところまで悩む必要はないさ」
「……そうっすね。うん、何事も基本が第一っす!」
「はは、その通りだ。……お前たちの力が必要になれば、遠慮なく貸してもらう。頼りにしているぞ?」
本来はウェアの言うとおりだ。俺たちはあくまでも、事件に関わってしまっただけのギルド。国家間の争いになど介入できるはずもないし、するべきでもない。
それでも、ウェアが来る時に向けて準備を進めていることは、俺たちも知っている。そして、俺たちは皆が、特殊な境遇の元に集った。これもまた縁なのかもしれないが。
ウェアは最近、ギルドを空けることが増えた。さまざまな会議に出席し、各地の知人と連絡を取り合い……以前にも増して、慌ただしくしている。それが、リグバルド、そして俺の過去に関係していることは、想像に難くない。
彼は英雄だ。だが、きっと、彼にはそれ以上の何かがある。それは間接的に、俺や暁斗にも関わることになるのだが……暁斗は詳細を知っているのかもしれないが、その話はさすがに振りづらい。
いずれにせよ、ウェアは俺たちのマスターだ。ならば俺は彼を信じ、彼の力になるだけだ。血縁の話は関係無しに、彼が信頼できる男だと、俺はずっと見てきたからな。