過去からの枷
誠司が部屋を出た後、俺は何をするでもなくベッドに腰掛けていた。仕事は片付けたので寝てもいいのだが、あと少しだけ思考をはっきりとまとめておきたかった。
……さすがに、誠司も驚愕していたな。だが、俺は、信頼が行きすぎて盲信になることの危険性は理解しているつもりだ。むしろ信頼しているからこそ……能力も、性格も、理解しているからこそ、ひとつの可能性が浮かぶことだってある。
「……勘違いであれば、いいのだがな」
今は勘違いである可能性の方が高いぐらいだ。しかし、こういう時こそ悪い予感が当たる。……そうだと仮定した時に、感情以外に否定の理由が見つからないのであれば、それは考慮すべき可能性なのだ。
……俺は、みんなを護るためならば何だってしてみせる。そのために打てる手は全て打っておかなければならない。これ以上、後手に回るわけにはいかないからな。
ともあれ、まずはリグバルドだ。ゼアノート……お前の真意がどこにあるのか、お前がいつそうなったのか、何か洗脳でもされているのか、それは分からない。だが、かつてのお前のためにも、お前のやろうとしていることを認めるわけにはいかないんだ。余裕を見せたことを、存分に後悔させてやろう。
誰かが部屋をノックしてきたのは、その時だった。
「マスター、私です。お時間は大丈夫ですか?」
「……コニィか。開いている、入ってきてくれ」
返事をすると、少女が姿を見せた。失礼します、といつも通りに礼儀正しく一礼してから、俺の側までやって来る。
「どうしたんだ? 治療は昨日で終わりで構わないと言ったはずだが」
「そうですけど、やはり少し気になってしまって。お身体の調子はどうですか?」
「安定しているし、あと数日もすれば全快するだろうさ。ラッセルの薬と、お前のおかげだ。我ながら難儀な身体になったものだがな」
「自覚があるのならば、無理をしないでください。……今回は仕方なかったのは分かっています。けれど、あまり激しい消耗をすれば、マスターの方が倒れてしまいます。私の力でも、治療できる範囲には限界がありますからね。……せっかくですから、少しだけ力を使わせてください」
「ああ……ならば、甘えさせてもらうとするか。ありがとう」
言いつつ、コニィは俺の腕を手に取り、自身のPSを発動させた。暖かく心地よい光が俺の全身を包み、満たす。癒しの力……生命力を高める、という点では俺たちの力に近しいもの。もっとも、他者に与えることに特化した彼女の方が、治癒においては高性能だ。
「……ふう。やはり、少し疲れてはいたかもしれんな」
「本当は、マスターも数日は休暇を取るべきだったんです。ガルフレアさんが目を覚ましてからすぐに、また働きはじめてしまうんですから。……裏では、あんなに苦しそうだったのに」
「悪い、それは言わんでくれ」
ガルフレアが目覚めた後、瑠奈を起こして……張っていた気が抜けた俺は、倒れた。一日眠ればある程度は楽になったものの、数日間は、己に鞭打って動いていたのが正直なところだ。
久しぶりに、長時間にわたって能力を開放して……身体中が、悲鳴を上げた。当時よりは、遥かにましだがな。
ある程度の治癒を果たした後、ラッセルには延々と小言を浴びせられる羽目になったが、そもそもあいつの忠告を無視して力を使った俺のせいなので何も言えない。
「……命に関わるなら、ラッセルは縛ってでも止めてきただろうよ。戦闘で全力を出したならともかく、俺がやったのはガルフレアの中で命が循環するのを導いただけだ。長期間の使用で疲労こそしても、それだけならばまだ問題はないさ」
「逆に言えば、命に関わらない限りは止まってはくれないんですね、マスターは……私は、それが怖いんです」
咎めるような口調。コニィは、他者の身体については厳しい。それは医者の卵としての観点でもあるだろうが、何よりも……彼女は命に敏感だ。ちょっとした慢心がそれを脅かすことを、よく知っている。
「心配してくれるのは嬉しい。だが、やるべき事はやるべき時にやらねばならなかった。……何とか無事だったとは言え、リグバルドの脅威が目と鼻の先に迫っていたんだ。ギルド上層部の腰が重い老人達に発破をかけるのは、早い方がよかった」
「……マスターがやらなければいけなかった、と?」
「そうだ。これでも、それなりの発言権は持っているからな。首都のすぐ近くに連中が拠点を持っていた事実に加えて、ランドと俺の警告が揃えば、さすがに無視もできまいよ」
かねてから、ギルドに対して帝国の脅威は進言していた。しかし、具体的な対応については、多くの者が渋っていたのが事実である。警戒体制については強化してもらってはいたものの、逆に言えばそこまでに留まっていた。
慎重になるのは当然の話だ。対策をしていることが相手に知られれば、何が起こるかは想像に難くない。しかし、今回の相手は規格外の存在であり、このままでは無抵抗なうちに押し潰されるだけ……さすがにアガルトや今回の件で、上層部にも考えを改めるものが増えてきたらしい。
一方で、俺たちが帝国に歯向かうことで狙われるかもしれないと、一連の行動を非難する者もいた。……それも、ある視点では正しい。俺やガルフレアが、連中の興味を引いているのも事実だ。だからと言って、はいそうですかと抵抗を止めるわけにはいかない。
「いずれにせよ、ラッセルに無理を言って動いたのも確かだ。あいつにも、お前にも、迷惑をかけてすまないな」
「……迷惑だとは思っていません。このギルドに来ることは、私が自分で望んだことです。マスターは私を救い出してくれた方ですから、こうして恩返しできることは嬉しいんです。それに、皆さんといる時間は、楽しいですから」
「……そうか」
コニィがこのギルドに入ることとなった、本当の理由……それは、彼女の持つ力と、俺の身体を鑑みたラッセルの提案だった。
「お前が来てくれてから、俺の調子も保てるようになった。本当に、感謝しているよ。それまでは、誤魔化すのにも難儀していたからな」
「皆さんには、マスターの身体のことは……」
「まだ言うつもりはない。何かあると感付いているやつはいるかもしれないがな。はっきり知っているのは、誠司とジンだけだ」
当然ながらコニィもまた、俺の身体について知っている。それだけではなく、彼女は俺の正体も知っているがな。正確には、出会う前から知られていたのだが。
「しかし、改めて……自分の力すら満足に振るうこともできないことは、嫌になるな。あの時はそれでもいいと思ったが、こうして新たな危機が迫っている今、歯がゆくて仕方ない」
「あの時……闇の門の最終決戦、ですか」
「ああ。第三次ネスト攻略作戦……人類は多くの犠牲を払いながら、辛くも勝利を手にした。そして、最大の群れが壊滅したことで、UDBの異常な人里への攻撃は終わり、闇の門と呼ばれた戦いは終わった。……あれだけの災厄が発生した原因も、沈静化した原因も、はっきりしないままにな」
そう……闇の門、あの大災害は未だに多くの謎を残したままだ。フィオすら原因は検討もつかないらしい。専門家は今でも躍起になって理由を突き詰めようとしており、俺もその調査には協力を惜しまずにいる。また起きたりすることがあってはならないからな。
「俺たちもまた、己の全てを出しきらなければ、あの戦いには勝てなかった。だから、こんな身体になってしまったこと自体には、後悔はないのだがな」
「……マスター」
「別に強がりではないから、そんな顔をするなよ。全力で動けたらと思うことはあるが……それが叶わないなら、今の俺に出来ることをやるだけさ」
身体は間違いなく衰え、ハンデもある。だが、それを補うために経験を積み、技を磨いた。一騎討ちであれば世界最強とまで評されたかつての俺……それに劣らぬとまでは言わないが、並大抵の相手に負けない自負はある。
だが、自分のことだから理解もしている。身体の衰えは、次第に無視のできないものになりつつあることを。
「ただ、そうだな……いつまで戦えるのだろうな、とは考えることはある。俺の身体が限界を迎えるまでに、全てを終わらせることができれば良いのだが」
「……ひとつだけ、言わせてください。たとえ戦えなくても、あなたを慕う人はいくらでもいます。ですから……どうか、自分を大事にしてください。間違えても、限界を迎えた自分はどうなってもいいなどと考えないことは、約束してください」
「……約束するよ。俺だって死にたくはない。いや、むしろ俺は、誰よりも死を恐れているかもしれない」
幾度となく死に引きずり込まれそうになったあの時。正直、あまりの苦しみに死を望みそうになった事は何度かある。それでも、死んでたまるかという思いの方が強くて……生きて、平和になった世界で、愛するものと過ごすんだという望みが……そして、彼女の宿した新しい命をこの目で見たいという希望が、俺の命をかろうじて繋ぎ止めた。
……そう、希望だ。俺にとってガルフレアは、あの時からずっと、俺の希望だった。クリアを失い、それこそ後を追おうかとまで考えてしまった俺が、それでもなお生き続けられたのは、もしかすればあの子は生きているかもしれない……そんな、藁にもすがるような希望のおかげだったのだから。
我ながら、それはある意味で狂気に近かったかもしれない。だが、それでも俺はあいつと再び巡り会えた。それは俺にとって、どれだけの奇跡であったか……伝えるには言葉では言い表せない。
俺の一生を懸けた願いは、叶った。だが、人とは貪欲なものだな……次は、あいつの未来を切り開いてやりたい。あいつが自らの望むものを手に入れて、幸せな人生を掴むまで。
さらに言えば、孫の顔だって見せてもらいたい。あいつに……親としてしてやれなかった事を、してやりたい。望んでいいのならば、いくらでも浮かんでくるんだ。ガルフレアだけではない。赤牙のみんな、俺の子供たち。かつての仲間……故郷。家族。
俺は、生きたい。生きて、この世界の未来を見たい。そう、心から願っている。
……だが。もしも、俺の命を燃やし尽くすことでしか切り開けない道があるのならば、その時は。
「……ふふ。そう落ち込んだ顔をするな。お前は優しく笑っているのが一番可愛らしいんだからな」
「かわ……真面目な話をしているんですから、からかわないでくださいよ、マスター」
「済まないな。だが、本心でもある。……先の備えは大事だが、起こっていないことを無駄に憂いても仕方ない。だから、悪い方にばかり考えるな。俺はここに生きている。だろう?」
本当に済まない、コニィ。俺はこれでも、昔よりは老獪になってしまったようだ。その約束、可能な限りは守る。だが、絶対とまでは言ってやれない。
ともかく、憂いても仕方ないと言ったのは本心だ。それよりも、今に話しておかなければならない事を言うとしよう。
「ついでと言っては何だが、お前の落ち込んでいるもうひとつの件についても話しておくか」
「え?」
「気付いていないと思うなよ。ガルフレアの話だ……あまり、考えすぎるんじゃないぞ」
「…………!」
先ほどガルフレアが語っている時、彼女は険しい表情を見せた。それは、命を大切にする彼女だからこそ……と、いうだけではないだろう。彼女の事情を知らねば、思い当たらないだろうがな。
「あいつは正義のためと自分に言い聞かせ、命じられるままに戦い……多くの命を奪った。それでも、今は違う。自分の意志で立ち上がり、己の背負ったものと向かい合おうとしている」
「………………」
「何が正しいのかは、俺には分からん。あいつが戦ったことで奪われたものもあるだろうが、同時に守られたものもあるのだろう。それはギルドも同じなのかもしれない。何かを守ることは何かを犠牲にすることでもあり……突き詰めてしまえば、俺たちだって何かを切り捨て続けているのかもしれない」
戦闘だけを指しているわけではない。生きている限り、俺たちは選択しなければならなくて、選ばれなかった選択肢は捨てられる。そうして捨てられたものの大小に差はあれど、捨てていることは理解しなければならないのだろう。
「ただ、それでも……望まぬままに戦うことは、誰かの思惑に従って戦い続けることは、間違っているのだと、俺は思う。だから俺は、自分の意志で戦うと決めている。お前もそうだろう?」
「……はい。今の私は、自分の意志でやるべきことを考えています。あなたが、お父さんが、私を……そうできるようにしてくれたんです」
「頑張ったのはお前だよ、コニィ。俺もラッセルも、お前にきっかけを与えただけにすぎない。……だから、もっと誇りな。お前の歩いている道が間違っていないのは、この俺が証明してやるさ」
……彼女の過去。ここまで優しい少女が背負う、重すぎる枷。それでもコニィは、その枷を捨て去ろうとはしない。背負った上で、乗り越えている。もしかすると彼女こそ、赤牙で最も強い心の持ち主であるかもしれないな。
「ま、考えるのは良いことだ。俺ならいくらでも相談に乗ってやる。ただ、悩みすぎるなってことは言っておくぞ。そういうのは、ガルフレアを筆頭に面倒な男連中だけで間に合っているからな」
「……ありがとうございます、マスター。ふふ、私の方が、元気にしてもらえたかもしれませんね」
「はは。いつも元気にしてもらっている礼としては、全く足りないぐらいだよ」
冗談めかすと、コニィは笑ってくれた。医者の不養生などという言葉もあるが……他者の傷を治し、常に周りを気遣う彼女だからこそ、時には誰かが見てやらなければならないだろう。
……身体にしろ、心にしろ、過去からの枷は俺たちを縛り続けている。だからといって立ち止まるわけにはいかない。それを積み重ねてもなお進むのが、生きるということだと思うから。
俺は、無駄死にはしない。やるべきことは、山ほどある。だから……それが片付くまで、あと少しでいい。もってくれよ、俺の身体。