転機
「そうか、ガルフレアが……」
ガルフレアとフィオの退院祝いを終えた日の夜……オレは、ウェアルドに呼ばれて彼の部屋を訪れていた。
ここ数日、こいつはまともに時間もとれずに奔走していた。なので、病院でガルフレアに父と呼ばれたことも、初めて聞いた。
「不思議なものだな。育った環境はまるで違うのに……あいつはやはり、お前にもクリアにもよく似ている」
「……そうだな。あいつは、俺たちの子供なのだから。子供と呼ぶことを、許されるとも思っていなかったが」
初めて出会った時のあいつは、まだシビアな考え方をする部分も大きかったが、元来の性格はウェアと同じで正義感の強いお人好しの方なのだろう。そして、母であるクリアの持っていた、純心で他者を思いやる心も、強く引き継いでいる。
本人の苦難を考えれば言うべきではないだろうが、初対面の時に記憶を失っていたことが良い方向に働いたのかもしれない。己の背負うものを覚えたままであれば、彼は日常に溶け込めなかったであろう。忘れていたからこそ、本来に近い性格で子供達と心を通わせられた……それも含めて縁なのかもしれない。
「周りには言わないのか?」
「時が来ればな。隠す必要はもうないから、必要であれば明かすつもりだが……戦いが終わってから、全てを清算した上で親子の関係になりたいと、あいつは言っていたからな」
「そうか……その気持ちも分かる。ならば、平和を手にするまで、お互いに命を粗末にはできないな?」
「……そうだな」
それはきっと、ガルにとっての願掛けでもある。必ずウェアと共に生き残るという決意……あいつはもう、大丈夫だろう。どちらかと言えは、心配なのは……。
「俺だって、あいつと普通の親子として、平和な時間を過ごしたい。前に、命を燃やし尽くすことに躊躇いはないとは言ったが、死に急ぐのは別の話だからな」
「分かっているならばいいがな。お前たち親子は本当によく似ているから、心配になるんだ。自己犠牲に走りがちな辺りが特に、な」
「……耳の痛い話だな。これでも、昔よりは周りを見ているつもりだが」
「出会った時よりはな。だが……クリアがいた時よりは悪くなっている」
「…………!」
「この数ヵ月、共に戦った感想だ。一度、はっきりと言っておこうと思ってな。……お前はいつも無理をしたがる。いくら自分で片付けられると言っても、もう少し周囲に頼れるはずだ。それは、後悔のせいか?」
「っ。それは……」
こいつは、ガルフレアやクリアを失ったことを、ずっと抱え続けて生きてきた。そもそも、彼がウェアルドに戻ってギルドを開いたのも、一生をかけてガルフレアを探すためだった。
それでも、いざ本人を見付けた時に言い出せなかったのは……大切なものを護りきれなかった、その罪の意識が強すぎたせい、なのだろう。そして、己が身で全てを片付けようとするのも、それを贖罪と捉えているからだと思う。こいつは、そういうやつだ。
「その気持ちが分からんわけではない。しかし、お前が自分を犠牲にすることなど誰も望まないのは、覚えておいてくれ。オレではクリアの代わりにはなれないが……オレはお前の、友人だからな」
「……誠司」
ガルフレアは、彼を許して父と呼んだ。それが、こいつにとって良い方向に働いてほしいと、心から思う。……見ていると不安になるんだ。こいつは本当に、己の命を全て燃やすつもりなのではないかと。
「それに、だ。ガルフレアや、赤牙だけの話ではない。お前という存在は、もっと大きな意味を持っている。それはお前自身が誰よりも知っているはずだぞ……カイアス」
オレがそう呼ぶと、ウェアは目を細めた。久しく呼んでいなかった、こいつの……本当の名前。
「お前にそう呼ばれるのは、久しぶりだな」
「オレにとってはウェアルドとして接した時間の方が長いからな。お前には悪いが、オレも久々すぎて呼び慣れんよ……敢えて呼んだ理由の説明はいるか?」
「……いや、分かっている。分かっているよ、痛いほどに」
「ならば、もう少し自分の身体を大切にしろ。お前はウェアルドとしても、カイアスとしても、本当に多くのものを紡いできた。そして、お前には、やらなければならないことがいくらでもあるだろう?」
「……そう、その通りだ。俺の命は、安くない。俺がウェアルドで、カイアスである限りは」
もしもこいつが、それから逃げたいと思っているのならば話は別だが、そうでないことを俺は知っている。こいつは、本当の自分についても、その血筋を誇りとしてきたのだから。だから、カイアスと呼んだ。とても大きな意味を持つ、彼の本名を。
「……確かに、足元が見えていなかったかもな。済まない、誠司。はっきりと言ってくれて、感謝している」
「謝ったからには少しは鑑みろよ? ……最近は、体調は問題ないのか? ガルフレアを助けるために、かなり力を使ったと聞いたが」
こいつの身体については、理解している。……今はかなり回復したとは言え、PSを使うことは、本当はこいつにとって危険な行動なのだ。それを背負わせてしまったあの時のことは、今でもオレの後悔のひとつだがな。
「さすがに、影響が無かったと言えば嘘になる。だが、一週間も経てばさすがに回復したさ。……今回の無茶は勘弁してほしい。あの場で、力を使わない選択はできなかったよ」
「そうだな、それは分かっている。だが、辛い時には、オレに隠すんじゃないぞ? そして、倒れる前に休め。お前にしかできないことを止めるつもりはないが、疲れたら立ち止まることも必要だ」
「ああ。俺は一人だと、突き進む癖があるらしい。お前たちがいなければ、とっくに倒れているだろう。どれだけ感謝しても、し足りない」
苦笑しつつそう呟いたウェアは、改めてオレの目を真っ直ぐに見てきた。
「お前も知っているとは思うが、俺がギルドを立ち上げた本来の理由は、ガルフレアを捜すためだった。それが果たされた今……お前の言う通りに、俺にしかできない俺の役目を果たそうと思っている」
そして、ウェアルドが放ったその言葉。ウェアにしか……いや、カイアスにしかできないこと。世界に対する、こいつの役目。
「戻るのか?」
「戻ると言うよりは両立になるだろうがな。俺の立場が、あいつらの未来を切り開く力になるのであれば、俺はいかなる手段であっても使うつもりだ。ヴァンや父上、母上とも話はしている」
「そうか……ならば、それに関するフォローは任せておけ。だが、繰り返しになるが無茶はするなよ?」
「ああ。ただ、他の連中に明かすのにはもう少し時間が欲しい。俺はもう迷うことはないが、間接的に秘密を暴いてしまうやつがいるからな」
「暁斗のことか……あいつとは話したのか?」
「俺の決定を優先してくれ、とは言っていたよ。だが、可能な限りは、あいつの問題のために待ってやりたいところではある。明かされたとしてあいつの周りは何も変わりはしないだろうが、本人の気持ちはそう簡単にいくまいよ」
その通りだな。特にあいつは、色々な事で悩み、苦しみ、家出までした。表面的には明るく振る舞っているが、その悩みはむしろ大きくなっていてもおかしくない。複雑で多感な少年の心……できれば本人に答えを見付けてほしいのは、オレも同じだ。
「……また、世界は大きく動く。だが、その中で俺にできることがあるのならば……それで一人でも救うことができるのであれば。俺は、己の役割を全うするつもりだよ」
「オレは、ではないだろう? オレ達もだよ、ウェアルド。……オレ達はお前とヴァンの力で、英雄の名を捨て去った。だが、もしも世界が再び英雄を求めるとすれば、立ち上がることに躊躇いはない。そうしなければ、落ち着いて子供たちに歴史を教えてやることもできんからな」
これは、慎吾たちとも話している。若い世代が覚悟を決めたと言うのに、オレ達が迷っているわけにはいかないからな。
あいつらがエルリアに残ったのは、エルリアを無防備な状態にするわけにはいかないのがひとつ。そしてもうひとつは、来るべき時の備えをするためである。〈図書館〉の全貌はまだ秘匿だが……間もなく、皆が動くことになっていくのだろう。
「……ありがとう、誠司。頼りにしているぞ」
「ああ、存分に頼れ。まだまだ若いやつらに負けるつもりもないからな」
闇の門……あの災厄でオレ達は多くのものを失った。しかし、得たものもある。ウェアルドという、かけがえのない親友もそのひとつだ。彼と出会えたからこそ今のオレがあると言える。だからオレも、彼と共に最後まで戦い抜いてやろうとも。
「………………」
「ウェア?」
そんな中で、ウェアが突然黙りこんだ。何かを思案するような、真剣で、どこか物憂げな表情。
「誠司、少し今のとは別件……いや、無関係ではないが、話がある」
「どうした、改まって」
「この話は、まだ内密にしてもらいたいからだ」
「…………?」
少しだけ躊躇いを見せながらも、口を開いたウェアは、オレに自分の考えを語り始めた。
――この夜は、オレにとってひとつの転機となった。