天空の翼が導く奇跡
ミーアも引き上げ、外もすっかり暗くなってきた頃。立て続けに話してさすがに少し疲れていた俺は、大人しく横になっていた。
今日はこのまま眠ってしまいたくもあったが、その前に彼を待たなければならない。そして、午後9時を回った俺の部屋に、ようやくウェアルドが姿を見せた。面会の許可はラッセルに取ってある。
「遅くなって済まないな。……身体の調子は? 辛いなら、今日は引き上げるが」
「大丈夫だ、落ち着いている。さすがに動くのは辛いがな」
「そうか。だが、無理はするなよ。お前は辛さを表に出そうとしないのが悪いところだからな」
「分かっているさ。だが、あなたにだけは言われたくないな?」
「む。……言うようになったな、お前も」
せっかく見舞いに来てくれた相手に少し意地が悪いとも思うが、この人にはたまに言っておかないと本当に無理をしてしまうからな。それこそ、この前、俺の治療を続けていたのだってそうだ。
「ともかく、元気になってきたようで一安心だよ。思っていたよりも早く退院させられそうだと、ラッセルも言っていたからな」
「俺自身の治癒力も驚異的だとラッセルは言っていたがな。後はコニィにも感謝せねばならないだろう。それから、ウェアにもだがな」
「俺の力に関しては、あまり気にするなと言ったろう? コニィのような治癒の専門家とは比較にならない。ただ、少しでもと思ってやっただけさ」
椅子に腰を下ろしつつ、ウェアは何のことはないように軽く言う。だが……今日の目的は、他ならぬその話でもある。
「目が覚めてからに限れば、試してみたものもある。俺の力の応用だ」
「応用?」
「ああ。月の守護者は、マリクの言い方を借りれば正の生命力を高める力……生命力を活性化させるPSだ。ならば、それを放射するのではなく……俺の中でただ単に高めてみたらどうなるか、と思い付いたんだ」
今まで、その作用は身体能力を高める一点でのみ活かされていた。俺とて、この力の本質を知らなかったわけではないが、それ相応の消耗がつきまとうため、治癒に応用できるとまでは思わなかったんだ。
「生命力の活性化による治癒の促進……それが可能ではないか、と?」
「ああ。さじ加減は難しく、失敗すれば余計な疲労を招くが……ここ数日で試してみた結果が今の身体と考えれば、それが答えだと思う」
そうできる、と思って調整してみると、意外なほどにすんなりと、期待以上の効果が身体に現れた。
それに思い当たった原因は、マリクとの戦いで立ち上がれたことがひとつだ。間違いなく瀕死だった俺が、奴に一太刀浴びせるまでに動けたのだからな。……そして、もうひとつ。
「これを応用すれば……もしかすれば、他者の治癒も可能になるかもしれない。コニィほどの効果は出ないかもしれないがな」
「なるほど、十分に有り得るな。その歳でそこまで応用を思い付くとは、やはり大したものだ」
ウェアはいかにも感心したと言いたげな口調で、笑う。……そんな彼の表情を、一挙一動を、俺は静かに眺めていた。視線を感じたのか、ウェアが首を傾げる。
「どうした? 急に黙りこんで」
「いや……やはり、駄目だと思ってな」
「……何のことだ?」
「俺もやはり、答えを出すことに恐れがないわけではない。だが、それでは駄目なんだ。だから今日は、あなたと二人で話したかったんだ」
何故この話をここで持ち出したかと言えば、彼の反応を見たかったからに他ならない。だが、この程度で動揺する人でもないか。婉曲的な言い回しでは、きっとはぐらかされてしまう。
ならば、こちらの取る行動も単純だ。彼に逃げられないよう、逃げ道を塞げばいい。
「はっきりと言うぞ、ウェアルド。俺に……あなたのPSを、見せてほしい」
「………………」
ウェアは、黙った。少なくともその反応は、それを避けていたということは証明してくれた。少しの間を置いて、ゆっくりと赤狼が口を開く。
「何か、それに意味があるのか?」
「あるさ。俺の人生にとって、とてつもなく大きな意味が」
彼も、こうもはっきり聞かれてしまえば、俺の言いたいことは分かっているはずだ。勘違いだとすれば、それでも構わない。
最初の疑問は、慎吾のことだった。
彼は、俺を赤牙へと向かわせた。もちろん、ギルド入りが俺の記憶を追う助けになることも、ウェアルドが信頼に値する人物であることも確かだ。子供たちのことも考えれば、ベストな選択であったことは疑ってはいない。
それでも……何かが、引っかかった。初対面の時、ウェアルドは俺のことを聞かされていなかった。確かに慎吾は茶目っ気のある男だが……同時に、必要なことは間違いなく行う人物でもある。誠司が証明するにしても、説明をしない意味はなかったはずだ。――まるで、俺とウェアが会いさえすれば問題ない、と思われていたように感じた。
無論、彼に強引なところがあるのも承知だし、あの時はみんなに余裕がなかった。考えすぎと言われればそれまでだ。だが。
「俺も、想像を膨らませる事はあるんだ。有り得ない確率の奇跡を空想して……それが現実ならばどれだけ良いか、とな」
そうだ。俺はずっと、想像していた。赤牙で過ごすうちにどんどん肥大化していた感情に任せて、それを夢見た。何を馬鹿なことを、と俺の中の一部で反発もしながら。
……だけど、今は分かる。俺は、怖かっただけだ。この夢が破れてしまうのが。それだけ、真剣に思っていただけだ。
「これは、そんな空想を確かめる為に必要なんだ。我儘かもしれないが……聞いてくれないか?」
「何故……今になって?」
「マリクの言葉が気になったのもあるがな。死にかけてみて、やれる事はやっておきたいと思った、と言うのが大きい。悩み続けるぐらいならば、できる時にやっておくべきだ、と……な」
あいつが言った、あの言葉。あの瞬間は苦しみでそれどころではなかったが。あいつの言う通り、俺も感付いてはいた。それでも、その考えを切り捨ててきた。
「誤解しないでくれ、死に急いでいるわけじゃない。むしろ逆だ。これからを生きていくために……俺の人生、その最期の瞬間に幸福だったと思えるように、全力を尽くしていきたいんだ」
「……ガル、俺は……」
「どうしても嫌だ、と言うならば無理強いはしない。だが……俺の願いを聞き入れてくれるならば、どうか……頼む」
「………………」
長い沈黙の後、ウェアは深く息を吐いた。それは、何かを諦めた証拠のように見えた。
「……潮時、だな……」
そう呟くと、ウェアルドは静かに目を閉じる。そして……。
辺りに、柔らかな光が満ちた。
「……そうか……やはり、そう、なんだな……」
彼の背に現れたのは……光の翼。
白い光の羽が集って紡がれた翼は、まるで物語の天使、或いは神のようだ。6対に分かれたそれは、俺の……記憶の中にある本来の月の守護者よりも、一回り以上は大きく見える。
その輝きは力強く、同時に穏やかだ。全てを照らす太陽のようにも、その光を受けて闇夜の標となる月のようにも、無数に瞬く星々のようにも感じる。天空に存在する全て、それを表しているかのような……そんな印象を覚えた。
彼がそれを軽く羽ばたかせると、光の羽が数枚散り、そのまま空中で消えていった。その幻想的な風景に、俺は思わず息を吐く。
「……本当は、話すつもりはなかった。虫が良いと分かっていても、許されなくても、ただ、お前のそばにいれれば良い、と……」
ウェアの声は、かすかに震えていた。その目線は、俺から外れている。
「それでもいつかは……こんな日が来ることは、覚悟していた。これから戦いが続く中で、隠し通せるものではないとは、思っていたからな」
呟くように、絞り出すように。彼もまた、俺と同じで恐れていたことが……そして今もなお恐れていることが分かる。
「その力の、名前は?」
「……〈天空の覇王〉。我ながら、仰々しい名前だとは思うがな」
「そうか。……マリクは俺を、天空の血筋と呼んだ。そして、俺の力は確かに、月という天体の名を持っている」
「………………」
「PSには遺伝も関わり……一部には、特にそれが強く現れる血統も存在する。一族の皆が近しい力に目覚めるというケースもあるようだな」
「……偶然に似ているだけだ、と言っても……通らない、か」
「あなたが最初から堂々と力を見せていれば、通ったかもしれないな」
「……これだけが原因で使わなかったわけでは、ないがな」
それは事実だろう。古参のメンバーも、彼がPSを使ったところは見たことがない者の方が多いそうだ。もっとも、能力を使う必要性がないほど圧倒的な実力が故、そこまでの疑問は持たれなかったようだが。
ウェアは、らしくないほどに俯いている。言葉の節々から、彼がこの事実に抱いていた感情を察することはできる。
「いつから……勘づいていた?」
「予感だけなら、ずっと前からだ。あなたは俺と似ていると、常日頃から思っていたから。だが、そんな偶然があるものか、ただの妄想だ……と、口に出すことはしなかっただけだ」
そんな馬鹿なことがあるものか、と、自分で自分の考えを切り捨ててきた。確かに外見は似ていたが、その程度ならばいくらでもこじつけられる、と。
しかし、本当に馬鹿げていると思うのならば、軽口の中で言えたはずだ。その可能性を真剣に考えていたからこそ……そうであってほしいと願ったからこそ、否定されるのが怖くて言えなかった。
その気持ちは、どうやらまだ伝わっていないようだが。
「そしてあなたは、俺の命を繋ぎ止めた。それもこの考えを後押ししてくれたよ。俺が先ほど語った方法を使ったんじゃないのか?」
「……その、通りだ。翼を具現化せずとも、ある程度の力は行使できる。それで、俺の生命力を分け与えた」
お互いに、もう答えは出ている。だが、まだはっきりと言葉にはしていない。
考えてみると、因果なものかもしれないな。この命は、彼から授かったもので……それを、彼の手で繋ぎ止められたのだから。
「あなたは、いつからだ? ここに来た後、慎吾から聞かされていたか」
「……あいつから聞く前に、一目で気付いたさ。どれだけ大きくなっても、見間違えるはずがないだろう? あの時は、動揺を隠すので精一杯だった」
「……そうか」
「……いや。そんなことを言えた義理は、俺にはないな。俺のせいで……お前が通ってきた道を、考えれば」
その言葉から滲み出ているのは……後悔。恐怖。そして、罪悪感。……暗い感情は、視界を曇らせる。俺にも、覚えはあるがな。
「お前には……権利がある。真実を聞く権利も、糾弾する権利も、俺に……復讐する権利も、だ」
「……復讐、か。そうだな……ならば、今、俺が一番言いたいことを、言わせてもらうよ」
そう。この言葉だけは……この言葉だけは、絶対に伝えたかった。伝えられないまま死んでしまう可能性を考えると、伝える恐れなど大したことはない。
……まったく。少しだけ、笑いたくなった。こういうところも似ているのだと、思い知らされてしまったから。ただ顔を上げて俺を見てくれれば、それだけで伝わるはずなのに。
だが、言葉にしてはっきり伝える大切さも分かっている。
本当はもっと早く、確かめたかった。もっと早く、こう呼びたかった。だけど確信が無かったから。……だから確信を得た今、ようやく。
「ありがとう……父さん」
「――――――」
何と言われることを覚悟していたのだろう。よほど俺の一言が予想とかけ離れていたためか、ウェアルドは……いいや、父さんは、目を見開いた。
「あなたがいたから、俺はこの世に生まれてこられた。あなたがいたから、俺はこうして生きている。あなたがいたから……みんなに出逢えた」
両親について、俺はいつも考えていた。
何故、俺が孤児になったのか。両親は、生きているのか。生きているとしたら、会うことはできるのか。
会えたとして……両親は、それを望んでいるのか。俺のことを、愛してくれていたのか。
少なくとも、最後の疑問には、もう答えは出ている。
「ずっと、見守ってくれていたんだな。あなたから感じていた暖かさを、父のようだと思っていたが……ふふ。本当に、そうだったとはな」
父さんだけではなく、慎吾たちも最初から気付いていたはずだ。もし大会の事が無くとも、いずれ俺達を会わせようとしただろう。彼は、きっかけだけを与えて、後は本人の歩みに全てを委ねる、そういう男だからな。
「ど、う……して」
「………………」
「理由を、聞かないのか。どうして、自分が、ひとりだったのか……」
「……気にならないと言えば嘘になるが、それよりも伝えたいことがあっただけだ。それともまさか、ここに来て誤解ということはないよな?」
「……俺を、恨んでいないのか? お、俺は……俺の、せいで、お前は……!」
「それこそ、まさかだ。俺には権利があるんだろう? ならば、感謝を伝える権利だってあるはずだ」
「俺の、俺のどこに! どこに感謝を、するところが……俺のせいで、お前はどんな目に遭ってきた……! 何度、死ぬような目に遭ってきた!!」
「……そうだな。俺がそういう目に遭ってきたことは確かだよ。だけど、父さん……それに対して何を感じるかは、俺の自由だ。俺があなたを恨むかどうかを決めるのはあなたじゃない、俺だ」
「!」
……もちろん、一度も恨んだことがないかと問われれば否だ。孤児にするくらいならどうして産んだんだ、という憎しみを、顔も知らない両親に向けていた時期もあった。赤牙に来た時点でも、全ては拭えていなかった。
だが、今は違う。彼の暖かさを、すぐ近くで感じてきたから。彼の後悔を、はっきりと知ったから。彼は……俺のことを愛してくれていたのだと、それが分かったから。
俺がこんなにも穏やかな気持ちで、彼を受け入れられたのは……赤牙で共に過ごした時間があるからだ。これは、父さん自身が築いた信頼だ。
「俺が感じているのは、恨みなどじゃない。俺は、あなたのことが大好きだ。心から、慕っているんだ。だから……感謝させてくれ、父さん」
「……ぁ……」
か細い声を漏らした直後。父さんは、その場に崩れ落ちた。
「父さん……」
「……済ま、ない……ガル、フレア……俺には、そう、呼ばれる、資格が、無い……そんなもの、無いんだ……」
父さんは……泣いている。今までにないほどに、弱々しい姿で。
「済まない……俺は、お前に、何も……何一つ、してやれ、なかった。俺は、お前、たちを、護れなかった……!!」
「………………」
「俺が、もっと、一緒にいてやれれば……お前も……クリアも……! すま、ない……おれ、は……!!」
繰り返される謝罪に、俺は彼がずっと抱えてきたものを悟った。その感情のために、ずっと名乗れなかったであろうことも。
クリア。その名前がきっと、彼にとって大切な人のもので……同時に、俺の……。
……俺と、同じだ。罪だと思い込んで、恨まれるべきだと思い込んで。思い込んだまま、それを抱え込んだまま、苦しみながら生きてきた。だったら……俺にできることは。
「……謝らないでくれ。俺にも、分かったから。俺があなた達と共に生きられなかったのは……誰かが望んだことじゃないんだと。そして、母さんもそうだったのだと」
俺は父さんの身体に腕を伸ばす。……彼の抱えた罪の意識を許せるのは、母さんと俺だけだ。ならば……ここにいない母さんの思いも合わせて、俺が。
「確かに、俺の過去には、辛く苦しい記憶が数多くある。今でも、考えたくもないほどで……乗り越えたと言えるほどに達観はできない。……だけど」
孤児としての日々、戦いの日々。この記憶そのものを美化することはできない。きっと一生、このトラウマを完全に消し去ることはできないだろう。それでも、だ。
「歩んできた道の結果が今だとしたら……俺は、過去を否定はしたくない。ここに辿り着くまでの道を否定してしまえば、みんなとの思い出も、幸せな時間も、否定することになると思うから」
「……俺たちとの……赤牙の……?」
「そうだ。……もちろん、他の道を歩んでいたらと思ったことはある。それでも、どれだけ考えてみたところで……今の日常以外は、あり得ないとまで思えるんだ」
それだけじゃない。普通の暮らしをしていれば、シグルド達とだって、出逢っていなかったのだろう。彼らと俺は、今は別の道を進んでいるかもしれない。しかし、彼らとの思い出もまた、俺の大切なものだ。
ガルフレア・クロスフィールとして歩いてきた道にあった、全てのものが……今の俺になっている。そう考えれば、乗り越えることはできなくとも、受け入れることはできた。
「俺にとって大切なのは、今だ。俺は今、ここにこうして生きている。これから、共に過ごせる時間もある。それで、十分じゃないか? だから、俺から言えるのは、やはり……ありがとう、だ」
ああ。本当に、似ているんだな。一人で勝手に思い悩んで、苦しむ辺りが。もしかしたら若い頃はより似ていたのかもしれない、などと想像してみる。
父さんの涙は、止まるどころかどんどん勢いを増していく。この人がずっと、本当にずっと溜め込んでいたもの……それが今、溶けている。
「資格が無い、なんて言わないでくれ。俺は、誇らしいんだからな。あなたと言う、偉大な人の息子にであったことが……そして、たまらなく嬉しいんだ。あなたとこうして、出逢えたことが」
「……ガル、フレア……」
「俺は、望まれてこの世界に生まれてきたのだと、それが分かっただけで……生まれてきて良かったと、生きてきて良かったと、心からそう思える。だから、呼ばせてくれ、父さんと。あなたがその言葉を認めてくれなければ……哀しいじゃないか」
「……そう、か……そう、だな……」
その呟きの後、ついに嗚咽が止まらなくなり、父さんは何も喋れないほどに泣きじゃくり始めた。俺はそんな彼の身体を、抱き締める。その涙は、俺が受け止めなければならないものだから。受け止めたいと、そう思ったから……。
どれくらい、そうしていただろうか。父さんの涙が止まり、呼吸も落ち着いて……それでも少しだけそのままでいた。先に動いたのは向こうで、自分からゆっくりと離れていった。
「落ち着いたか、父さん?」
「……ああ。本当に、情けないな。子供に、こうも支えられてしまうとは」
「ふ。子が親を支えるのだって、当たり前にある関係だろう? それに、俺がそうしたいと思えたのは、あなたが俺を支えてくれてきたからだ。恩返しぐらいさせてくれ」
笑って、身体を離す。いつかの時とは逆だな、と呟くと、父さんも笑ってくれた。憑き物が落ちたように、晴れ晴れとした顔で。
「この時間が終わったら、俺もいつも通りにウェアと呼ぶよ。全てが終わるその瞬間までは……俺たちの関係は、ギルドのメンバーとマスターだ。それで、いいだろう?」
「そうだな……。呼び方など、さしたる問題じゃないだろうさ」
別に知られたくないわけではない。どうせ誠司辺りは知っているはずだからな。それは、単なるけじめだ。続く戦いのために築かれた今の関係……ならば、戦いが終わり、本当の平和が訪れたその時にこそ、俺たちは元に戻りたい。戦いが終わるまで、一緒に生き抜く願掛けでもある。
「だけど、たまには。今日のように、二人きりになれた時には、また……こう呼ばせてくれ」
「……ガルフレア……」
「俺は、息子としてあなたと過ごせなかった。だから、その分を今から取り戻したい。それには、いくら時間があっても足りないからな……駄目だろうか?」
「駄目なわけ、あるかよ。お前は俺にとって、たった一人の……そして、クリアとの……大事な、子供なのだから」
父さんは、親として何もできなかったと言ったが、それは俺の側も同じことだ。この人にしてあげたいことは、いくらでもある。
「良ければ……母さんがどういう人だったのか、少しだけ聞かせてくれないか? 忘れてしまっているから……出来る限り、知りたいんだ」
「ああ、いくらでも聞かせてやるよ。……あいつは、とても気配りができて、優しくて……強いやつだった」
息を吐いた父さんは、どこか遠いところを……きっと、記憶の中の母さんを見ている。
「とても美しい、長い銀髪を持っていてな。正直に言えば、一目惚れだったよ。闇の門の戦いの中で、共に切磋琢磨し、共に日々を過ごし……その心も美しいと知るたびに、気持ちは抑えられなくなっていった」
「母さんも、英雄だったのか?」
「そうだ。そして、そのうち俺たちは恋仲になり……戦いが終わったら一緒になろう、とまで約束をした。よく縁起が悪いと言われるが、俺はそのおかげで、 意地でも生き延びてやると思えたよ」
若さ故な部分もあったがな、などと語る父さん。真っ直ぐな人なのは昔から変わらないようだ。
「そして、俺にとっては、自分の過ちに気付かせてくれた人でもある」
「過ち?」
「……俺は、全てを自分で解決することこそが、何よりも人のためになると考えていたんだ。そんな俺の考えを、彼女は一蹴した。あなたは頼るのが下手すぎる、と。……そう言われて初めて、俺は己の傲慢さに気付いたんだ」
「……それは」
「そうだな……お前と一緒だ。ふふ、別にそこまで似る必要はないだろうがよ」
父さんは俺の頭をそっと撫でた。恥ずかしいとも思わないのは、ようやく素直に向き合えたからだろう。
「戦いの後すぐに、クリアがお前を身籠っていることが分かった。しかし、闇の門が遺した傷跡は大きく、クリアの故郷も復興のために人手が必要だった。だからクリアは、祖国が落ち着いたら本当に一緒になることを約束して、一度祖国に帰ったんだ」
「……それからは?」
「たまには会いに来てくれていたよ。お前が生まれた時にも連れてきてくれた。……本当は、俺からも会いに行きたかった。だが、その時の俺はまだ……」
そこで父さんはいったん口をつぐんだ。先日の話でもあったが、やはり彼は闇の門の後に何かあったらしい。最終決戦は激闘だったと言い伝えられているからな……大きな負傷でもしていたと考えれば辻褄は合う。
「……今なら思うよ。無理をしてでも、もっと会いに行けば良かったと。明日がどうなるかなど分からないということを……真剣に考えておけば良かった」
「父さん……」
俺だって、察してはいる。やはり母さんは、もう。ならば、父さんが迎えに来る前に、何かがあって……そして、俺も一人になった。
「お前のその銀の毛並みは、クリアの髪によく似ている。当たり前なのかもしれないが、お前を見ていると、彼女の存在も感じるよ」
「………………」
「ああ、しかし、改めて考えると、本当に……本当に、大きくなったなあ、ガルフレア……ごめんな……昔は、ろくに一緒にいてやれなくて……」
「……いいんだ。言っただろう? 俺にとって大事なのは、今だって」
そうあることを望んでいなかったことぐらい、分かっている。それを責められるほどに俺は正しく生きていないし、そもそも本当に恨みなどない。
「ガルフレア。お前は、護ってみせろよ。自分にとって大切なものから、離れないでやってくれ。後悔をしないように、生きてくれ。俺もそのためならば、全力で力を貸してやる」
「……ああ。俺は、全てを護り抜いてみせるよ。そのために戦う。俺一人じゃなく……みんなと一緒に。そこに父さんがいてくれるのならば、何にだって負けるつもりはないさ」
俺と父さんは、何もかも似ている。けれど、運命までなぞるつもりはない。俺は家族を、みんなを護ってみせる。みんな共に過ごす明日を、望み続けて……いつの日か、形にしてみせる。
その後は、ゆっくりと、色んなことを語らった。欠けていた親子としての時間……今、この瞬間、ここに出会えた奇跡、それを噛み締めながら。静かに、夜は更けていった。