かつての友
それからは、代わる代わるに色々な相手が俺の病室に訪れていた。獅子王のメンバーに、共闘経験のあるギルドの顔馴染み、どこから聞き付けたのか過去の依頼者や店の常連客まで。自分がバストールで紡いでいた人々との繋がりを見ているようで、嬉しいやら申し訳ないやらで沢山だ。
ランドからはカシムの件を謝罪されたが、アンセルのことを知らなかった彼には気付きようもないだろう
そして、次に俺の病室を訪れたのは。
「入るぞ、ガルフレア」
「ふふ、お邪魔するわね」
シグルドと、ミーア。赤牙のメンバーとも話し合い、俺が一人だけで彼らと話すことは納得してもらっている。少なくとも、この場で何かをされる事はないと判断した。
「その様子ならば、もう大丈夫のようだな」
「お前たちのおかげでな……感謝している」
「気にすることはないわ。実を言えば、ルッカから頼まれていたの。あなたが無茶をしそうだから、少し様子を見た方がいい、と」
なぜ六牙が二人も動いていたか疑問だったが……そうか、ルッカが。あの銀星とのやり取りを聞いていたからだろうな。ならば、彼の判断に救われたことになる。
「だが、問題はなかったのか? いくら俺たちの存在が帝国への抑止力だとしても、こうも表立って裏切り者に協力をして」
「あなたの扱いに関しては、六牙の全員が独自の裁量権を得ているわ。あなたを殺そうが、救おうが、今は咎められることはないわよ」
「しかし、帝国との関係は別の話だろう。マリクに攻撃を仕掛けたのは、同盟関係に傷をつけるんじゃないか?」
「あの道化は、今回の件を手打ちにする話をこちらに伝えてきた。問題はあるまい。そもそもが、約束を違えたのはあちらが先だからな」
「……俺に手出しをさせないという話だったか。だが、それは今となっては無茶な要求に感じるが」
ひと月ほど前であればともかく、俺たちはリグバルドを敵として見据えている。邪魔者を放置する約束など、守れたものではないだろう。
「あなた達と私たちであれば、どちらを敵に回すのが危険であるかは明白だもの。多少の無茶は飲ませたわ。とは言え、あなたの言う通りに状況が変化したのも事実。恐らくは、この話の取り消しについて正式に打診してくるでしょうね」
「いずれにせよ、今回の行動は、俺たちへの挑発も兼ねているだろう。同盟の維持も、時間の問題だ。元々、単なる一時的な休戦に近いからな」
「世界は大きく動く……か」
「そして、あなたは、いえ、あなた達は、その中心に限りなく近い位置にいる。それは分かっているのでしょう?」
「……ああ」
仮に俺が死んでいたとしても、赤牙はリグバルドとの戦いに関わり続けていただろう。奴らとの因縁は、俺だけが持つものではないのだから。
「今のお前たちを、マリクはともかく皇帝ゼアノートは過小評価している。今回の件も、単なる気紛れのひとつでしかないはずだ。だからこそ、マリクも退いたんだ」
「……相手は大国。数名の、ひとつのギルドなど取るに足りないと考えるのは当然だな。それこそが出し抜く隙ではあるが」
「だからこそ、今ならばまだ間に合うかもしれない。リグバルドと関わるのを止めるつもりはないのか?」
「それは、俺ひとりの判断で決める事ではないがな。ただ……赤牙のみんなは、敵が何者か知った上で戦うことを、もう覚悟しているよ」
「……そうか」
少しだけシグルドが目線を落としたような気がした。……俺たちが戦いに関わることを良しとはしていない、か。
「ならば結果的に、俺たちとも関わり続けることになる。……記憶はどこまで戻った?」
「それを聞いて、どうするつもりだ?」
「……仮に全てを思い出していたとして、この場で何かをするつもりはない事は誓おう」
この場では、か。今後の関係を動かすことにはなるのだろう。嘘をつくつもりもなければ、今回はその必要もなさそうだが。
「初めての任務。それからの、血で血を洗う日々……奴に見せられたのはそれだ。意図的に、トラウマを見せてきたらしい。どんな任務を受け、どんな相手を斬り捨てていたのか……それを思い出した」
「ならば、俺たちの行動理念も?」
「全ては、理想の世界のために。全ての悪を、この世から消し去るため、我らはこの身を剣と化す。……概要としては十分だろう?」
「……ああ」
その理念に心酔できなかった俺は、自分の中で理想と現実の折り合いをつけることができなかった。……全てが誤りと思っているわけではないが、な。
「それが呼び水となったのか……窮地に力が戻ったのが原因かは分からないが、他のことも少しだけ思い出している。ミーアとのこともだ」
「そう。でも、その話は後にしましょう。シグルドの前で見せ付ける話ではないでしょう?」
「見せ……ミーア、お前な……」
からかうようにミーアがそう告げると、シグルドは唸っている。……こいつは、こういう面では俺よりも耐性が無い。
「今回は、強引にこじ開けられたようなものだ。だから、戻った記憶も断片的になっている。俺たちが具体的に何であったのか……そして、誰の元で戦っていたのかは、分からないままだ。知らない証明はできないが」
「……良いだろう。あの不完全な翼からして、全て思い出していないのは真実のようだからな」
「それでも、記憶と状況を繋ぎ合わせれば予想はできる。少なくとも、リグバルドという国が同盟、同等であると認めている以上はな」
「その程度は構わない。……ひとつだけ忠告をするならば、お前が全てを思い出した時には、事態は大きく動くぞ。お前本人とは関係なくな」
「どういう意味だ?」
「それを教えては意味がない。……それと、これは単なる確認だが……トラウマを見せられたと言ったな。それは、初任務以降の話だけか?」
「ああ。全てを見たわけでもないだろうがな。それが、どうかしたのか」
「いや、いい。……分かっているとは思うが、お前の力と記憶は恐らくリンクしている。力を取り戻すことと、全ての記憶を取り戻すことはイコールになるだろう。お前がそれを望むのならば、さらに凄惨な、消し去りたい記憶すら思い出さねばならないかもしれないぞ」
「……そうなのだろうな。それでも……俺は、もう立ち止まるつもりはない」
シグは、知っている……いや、一緒に体験したのだろう。俺が封じ込めている、最も深いトラウマを。だからこその忠告……しかし、今ははっきり宣言できる。
「自分の弱さを否定するつもりもない。俺の中には、確かに記憶を取り戻したくないと……忘れたままでいたいと思っている部分もあるさ。それでも、それに立ち向かいたいという思いも、逃げたくないという願いも、確かに俺のものだからな」
「…………ガルフレア」
「この短期間で、随分と良い目になったものね。今回の一件も、自分を見つめ直すには良かったのかしら?」
「……そうだな。俺だけでは見つめ直すことも出来なかったが……俺という存在が、俺だけのものでない事が、やっと分かった気がする。……きっと昔は、それも知っていたはずなのにな」
「…………っ」
シグルドは苦々しい表情を浮かべていた。……仲間で、心から信頼していて、親友でもあったシグルドやフェリオ。それでも俺は、彼らに何も言えなかった。彼らを理解していたからこそ。
「俺は戦う。リグバルドは、いや、マリクや皇帝は、平和を脅かす存在だ。仮に逃げたとしても、彼らを放置して世界が荒れれば、同じことだろう?」
「……少なくとも、前線よりは安全だ」
「そうかもな。だが、訳も分からないまま蹂躙される身になるのは御免だ。それに……どちらにせよ、俺の仲間は、人々に迫る脅威を見過ごせる奴らじゃない」
そう、それが赤牙だ。俺の仲間だ。どうしようもない程のお人好しの集まりで……それを束ねる男が誰よりもお人好しなものだから、厄介事はどこまでもついて回る。だったら、最初から立ち向かうだけの話だ。俺も含めて、みんなでな。
「そうか……」
シグルドが、深く息を吐いた。こいつが言った通り、この選択は彼らとの邂逅が続くことも意味している。
「俺たちのことを、危険視しているのか?」
「当然だな。だが……リグバルドこそ、最大の敵。その認識だけは、お前たちと俺たちの間で一致しているはずだ。今、何よりも見据えなければならないものは、奴らへの対処だ」
「そうだな。だが……その対処が終わった後に、お前達は何をやろうとしている?」
「………………」
「想像はできると言ったはずだぞ、シグ。そうでなければ、世界各地を飛び回る意味も、エルリアに諜報を送り込む必要もない」
彼らもまた、世界を何かしらの形で相手取ろうとしている。彼らの目指す、理想の世界……彼らは帝国とは違い、野心で行動を起こしているわけではない。純粋に、世界への憂いから、改革を起こそうとしている。だが。
「だがな、シグルド。俺はやはり、納得ができないんだ。統一された正義の名の元に管理された世界……それは、支配と同じ事ではないのか?」
「…………!」
「俺は、命を奪うことの重圧から逃げたかっただけじゃない。その結果として生み出される世界が、自分の望みとは異なると思ったから、離反したんだ。言っただろう? あと何人殺せば俺たちの理想は達成できるのか……と」
力によって人々を押さえつけようが、定められた善人のみが生きる世界になろうが……誰かの意思により世界が支配されることに、違いはない。
過程や理念が無意味だとは言わない。それでも……結果が同じになってしまえば、掠れてしまう。
「だったら、お前は認めろと言うのか? 力ない者が奪われ、悲劇が生じることを。悪の存在を、許容し続けろと」
「そうは言っていない。だが、俺たちは……焦りすぎていたのではないか? 離れた今となっては、なおさらにそう思う」
「お前こそ……平和に浸りすぎたようだな」
シグルドの声に、徐々に色が無くなっていく。俺の言葉を、否定しようとするように。
「ガル。平和など、一瞬で崩れるものなんだ。帝国が気紛れに世界に牙を剥いているように。だから、俺たちは……絶対の平和を創るために戦っている」
「……絶対の平和、か。それが訪れるのならば、俺だってそれを望みたいさ。だが、お前たちのやり方では……」
「達成できない、か? ならば、どうすればいい。誰かがやらなければ、世界はいつまでも変わらない。痛みを恐れて、改革などできるものか」
「……その痛みを生まない方法を、考えようとは思わないのか」
「理想を言うだけならば簡単だ。それに、考える時間など、ない。手をこまねいていては、また俺たちのような……」
その言葉を途中で止め、シグルドは俯いた。……俺たちが、このような戦いの中に呑み込まれた原因。俺の忘れている、俺たちの起源。……全く、想像ができないわけじゃない。だが、想像だけだ。考えるだけで、酷い頭痛がしてくる。
「何を迷う必要がある。悪を裁き、善の犠牲を減らすんだ。考える事に時間など使っていては、どこかで悲劇が起きるんだ。今、この瞬間にも……助けを求める声が、どこかで上がっているかもしれないんだぞ」
「そう単純に行くものか。悪を消したことが善を傷付け、悪を生む……そんな矛盾だって、何度も見たはずだ。第一、その善悪は、誰が定める? その者が絶対の善であると、誰が証明する?」
「………………」
「お前だって知っているだろう。人の手により善を画一化するには……どこかで切り捨てていくしかないのだと。その善は、時に誰も救わない……誰ひとり笑顔にできない、冷酷なものになるのだと」
「……平行線だな。所詮、お前は逃げ出した裏切り者だ」
そう呟いた時には、もう言葉から感情が抜け落ち、ひたすらに冷たく……シグルドは、踵を返した。
「待て、シグ……!」
「今はこれ以上言わない。少なくとも、リグバルドを相手取るうちは、彼らへの対処が第一だ。だが、もしもお前が目的の障害となるならば、その時は……もう、あの時とは違う。情など、期待するな」
「……ならば、どうして俺をわざわざ救った! 利用価値があったにしても、そこまでのリスクを背負うほどなのか? お前の言う通り、将来の脅威になる可能性を持つ手札を、後生大事に抱えておく必要がどこにあった!」
今の会話だってそうだ。言葉の節々に、俺への気遣いを感じるのは気のせいじゃない。こいつは、そういう奴なんだ。優しくて、穏やかで――だからこそ、蒼天という役割に寄せられる期待を、彼は裏切れない。
……俺は、銀月になりきれなかった。だから、知っている。責任に呑まれて戦う事が、どれだけ辛いのかを。
「お前だって、かつての俺と一緒じゃないのか。無理に言い聞かせているだけじゃないか。そのままでは、お前はいずれ……」
「黙れ。まだ敵ではないが、味方でもない。それを忘れるな、ガルフレア。そして、覚えておけ。お前が俺たちのやり方に納得できないのならば……力で止めるしか無いことも」
言いながら、シグは扉に手をかけた。俺は思わず、声を張り上げる。……言葉で止めるのは難しいのは分かっていた。ならば、せめて。
「シグ!」
「……何だ」
「裏切った身で、虫が良いのは承知だ。それでも、俺は……お前やフェルの友であることまで、止めたつもりはない。これから、戦いは激しくなるだろう。だから……死ぬなよ」
シグルドは少しだけ動きを止めて、ゆっくりと振り向いた。呆れたように、息を吐く。……感情の見える仕草。
「お前も……気を付けるんだな。まずはリグバルド、その見解が一致している以上は、今回のように共闘をすることもあるだろうさ」
「そうだな。ならば俺も、その間に世界を見て、考えることは止めない。自分の本当に望む道を、進むためにな」
「……そうするといいさ。お前の望みと俺たちの望みが、重なることを願っているぞ」
その一言は、また彼本来の優しさを感じさせてくれて……その事に、どこかで安堵を覚え、どこかで不安になる。彼を救いたいと考えるのは、傲慢なのだろうか。
そのまま、シグは部屋を出ていった。……俺は、望むままに、進む。その道の先に、彼が、フェルが、かつての仲間たちが立ちはだかったならば……。