かけがえのないこの時間
話によると、俺の心臓は一度止まっていたらしい。
運ばれるのがあと一分、下手をしたら数秒でも遅れていたら、蘇生は間に合わなかったかもしれないそうだ。
そう聞いて、あれだけの攻撃を喰らえば当然、むしろよく息を吹き返したものだ、という我ながら冷静な思考もある。だが、それとは別に、死んでいたかもしれないことに確かな恐怖を感じた自分もいた。その事実に、少しだけ笑いたくなる。
死に瀕して、俺は死にたくないと思った。心からそれを恐れた。今まで、もしもの時は自分を犠牲に、と考えていたのは嘘ではない。しかしもう、そう思えない。
無論これまでも、死んでもいいと思っていたわけではないが……覚悟はできていたと思う。そう考えれば、俺の覚悟は揺らいでしまったようだ。
だが、今なら思える。それは、臆病だからではないと。恥じる事ではないと。
死ぬのが怖いと、そう思えることは……きっと、幸福である証なのだから。
そして、俺が意識を取り戻してから四日後、ちょうどあの遺跡での戦いから一週間後。身体も、かなり楽になってきた。そして、ようやくゆっくりとした面会を許されたみんなが、見舞いに訪れていた。
目を覚ました直後には、皆が部屋になだれ込んでこようとしていたが、俺の体調もあったからな。その日は俺の無事を確認する程度に留めてそのまま帰された。……みんなの反応は、鮮明に目に焼き付いている。泣いてくれた。笑ってくれた。俺が生きていることを、喜んでくれた。……ここまで思ってくれていることに、今まで気付いていなかったんだ。俺は本当に、大馬鹿者だな。
そして、シグルドとミーアも。俺に確認したい事があるから、改めて来ると言っていた。奇妙な状況ではあるが、今は大丈夫なのだろう。俺を殺すつもりならば、助ける意味もないからな。
今はウェアを除く赤牙のみんなが集まっていた。ウェアは今回の一件の事後処理などで少し忙しくしているらしい。今日のうちには来ると言っていたが。……彼とはふたりきりで話したかったからちょうどいい。
「ガル、もう身体を起こして大丈夫なのか?」
「ああ。さすがにまだ動き回れはしないが、座って話すぐらいならば大丈夫だ。……みんな、来てくれて嬉しいよ」
「ばっか、来るに決まってんだろっての! 友達がせっかく目ぇ覚ましたんだぜ? 話したいことぐらい山ほどあんだからな!」
「……そうか。本当に、ありがとう」
来てくれて、などと野暮だったか。逆の立場ならば俺も間違いなく行くはずだ。……そうして考えてみれば、自分を特別視しなければ、何のことはない。すんなり受け入れられた。
「ま、お互いに無事で良かったってことで……いつつ……」
「おい、フィオ。お前こそほんとに大丈夫かよ?」
「大丈夫ではないけど、ちょっとぐらい多目に見てよね。僕だってほんとに心配してたんだから、乗り遅れたくはないし!」
「ほんと、あの怪我でもう動けるってすげえよな……。骨バキバキだったじゃねえか」
「ふふん、もうだいぶ繋がってるけどね。君が治してくれたのもあるけど、ヒトとは頑丈さが根本的に違うのさ」
「とは言え、ラッセルは『UDBじゃなければ絶対に許可しなかったし、絶対に大人しくしててくれよ』と言っていたがな」
「大丈夫大丈夫! ほらこの通り、動かしても……いだぁっ!? ……う、腕が、やばい……」
「もう、すぐ調子に乗らないの! 治るのが遅くなるだけじゃなくて、ちゃんと治らなくなったりするのよ! そういうことするなら、ジンさんにベッドにがんじがらめにしてもらうわよ!」
「……コニィって、身体の事になるとたまにおっかないな」
動けると言っても車椅子だが、フィオも順調に快復に向かっていた。本人の弁は大袈裟ではなく、ラッセルによればヒトなら全治数ヶ月の傷だったそうだ。アンセルもとんでもない治癒力だったからな。……あいつも生きているとは聞いた。ならば、いずれまた逢うことになるのだろうな。その時にどうするかは分からないが。
「さて、忘れないうちに見舞いを渡しておかないとね! 私たちみんなでたっぷり用意してきたから喜びなさい!」
「随分と大荷物だと思ったらそれか。……もちろん嬉しいが、少し多すぎはしないか?」
「それだけガルフレアをみんな心配していたってことだよ。もちろんあたしもね。えっと、それじゃ、まずはフィーネが作ったケーキと……」
「!!!」
全身の毛が逆立った。な、何、だって? 聞き間違え……だよな? 聞き間違えであってくれ……。
「前回から改良を加えた、会心の出来。あの時とは一味も二味も違うはず」
……聞き間違えでは、ない……?
「じ、ジン……?」
「そんな売られていく子牛のような目をしなくても大丈夫です。前回の反省は活かして、今度は瑠奈に手伝ってもらいました」
「あはは……ほんとに大丈夫だよ、ガル。ちゃんとレシピを教えたらしっかりその通りに作ってくれたし、毒味……じゃなかった、味見はしたから」
「……そ、そうか。ありがとう、本当に……!」
「…………?」
「尻尾巻いてんぞガル。よっぽどなんだなあ……」
瑠奈の言葉に内心で胸を撫で下ろす。い、嫌な汗をかいてしまったな……失礼な反応なのだろうが、俺としては死活問題なので勘弁してほしい。もしアレに再来されたら、また黄泉路に逆戻りしかねない。フィーネは思いきり首をかしげているが……悪意が無いのが一番恐ろしいな……。
瑠奈はそんなやり取りに苦笑している。――結局、あの話の続きは、まだしていない。
別にうやむやになったわけではない。ギルドに戻って、ちゃんと二人きりになってからにしよう、と決めたのだ。そういう意味でも、早く退院しなければな。
「でも……やっぱりガルフレアさんがいてくれると、何だか安心できますね。わたしたちのお兄さんって感じがします」
「そう思ってくれるなら嬉しいな。優柔不断で頼りない兄かもしれないが……ギルドが家族だというウェアの言葉を借りれば、兄になるのも悪くはない」
「あは、考えてみれば兄弟がいっぱいよね」
「それならジンは親戚のイヤミなオッサンってとこか?」
「なるほどなるほど。では、イヤミなオッサンは生意気で節操のない次男にお仕置きをすればいいのでしょうかね?」
「兄さん、違う、次男じゃない。彼は発情期のペット」
「うぉい!?」
「はは……」
そんないつも通りのやり取りに、俺は思わず笑っていた。今の俺には、全てが懐かしく、かけがえのないものに思える。せいぜい一週間のはずだが、まるで数年来の友と再会した気分だ。
「ああ……楽しいな、本当に。生きていられたことを、全てに感謝したくなる」
「……ガル」
「済まない、変な言い方をして。それでも、こんな目に遭って……少しは、自分の気持ちに真っすぐ向き合おうと思えたんだ」
本当に、素直にみんなが見える。今まで、自分がどれだけ片意地を張っていたのか、今になってようやく自覚した。
「ふふ。こんなにも、かけがえのないものだったんだな。家族と一緒に、笑いあえる時間というのは」
「ガル、お前……」
「みんな、済まなかった。俺はもう、大丈夫だよ。身体のことだけではなく、な」
「……そっか。うん、ならいいんだよ。へへ、世話の焼ける兄貴分だよな、本当に?」
暁斗の言葉に、みんなで笑う。俺はみんなに、数えきれないほど迷惑をかけてきた。だが、きっとそれだけではなくて……俺が成せたことだって、あるはずだ。だからこうして、みんなは俺の元に来てくれているのだから。
俺の身体が癒えたら……俺はまた、戦いの中に戻る。世界はこれから、さらに加速していくだろうから。だが、俺はもう、一人で戦おうなどとは思わない。俺のちっぽけなこの身体でも、きっと、みんなの力になることはできる。そして、みんなの力が集まれば、一人では無理なことだって。