幻影神速
俺は、昔から走る事が好きだった。
何で好きかって言われても、その感覚を上手く伝えるのは難しい。あえて言葉にするなら、脚から伝わってくる大地の感触とか、吹き抜ける風とかが心地良いから、って感じだろうか。
陸上部に入ったのも、最初はそれだけの理由だった。練習は大変だし、上手くいかない時だってもちろんあるけど、元々が好きなことだから、中学から今まで飽きることなく続いている。
それから、競うのも嫌いじゃなかった。大会とかに出て結果を残す事が出来れば、みんなが俺を誉めてくれたから。父さんも、母さんも、瑠奈も。走っている間は、俺の存在を、みんなが認めてくれている気がした。それがすごく嬉しいってのも、今では大きな理由だ。
嫌な事だって……全て忘れられた。
きつい時でも部活を辞めようと思わないのは、走るのが好きなのはもちろん、俺が負けず嫌いだからだろう。
負けた事そのものは認めなくちゃいけないけど、負けっぱなしは嫌だ。自分より速い奴がいるなら、俺ももっと速くなりたい。
この大会に出たのも、そんな性格だからだ。闘技で才能を認められた俺は、それがどこまで通じるか試したくなったんだ。
今の自分より先があるなら、少しでも前に進んでみたい。自分がどこまで行けるのか……俺は、それを確かめたいから。俺に何ができるのかを、知りたいから。
観客席のざわついた声と、大会特有の熱気を感じて、俺は意識を目の前に戻す。
この感覚……自分がこんなに大勢の人の注目を集めているんだって気分。部活にしろ闘技にしろ、慣れるまでは大変だったけど、今ではむしろやる気が出て来る。
対戦相手は熊人。体格は大柄で、武器もそれに見合った、威力のありそうな大剣。試合用で斬れはしないんだけど、当たれば痛いじゃ済まなそうだ。
俺の防具は、衝撃を和らげる素材の防護服。一般的な闘技用の装備だ。向こうはそれに加えて、腕や脚にもプロテクターを着けている。ちなみに、防具は基準を満たしていれば自由だ。
「よろしく頼む。良い試合が出来るようにしよう」
「ああ、こちらこそ。お互い、悔いの残らないようにしようぜ」
相手が話し掛けてきたので、そんな会話を交わす。けっこう感じの良い相手だな。試合が終わったら友達になれそうだ。
ちなみに、試合が始まると、選手が事前に身に付けた小型マイクのスイッチが入り、会話が筒抜けになったりする。それもまた、エンターテイメントとしての趣向らしい。
観客席を見渡す。この中のどこかにみんながいるんだよな。俺らの席、どの辺りだっけ?
「……ん?」
そんな中、視界に入ったのは、数人が掲げる大きな垂れ幕。目を凝らしてよく見ると、それを掲げているのは、俺のよく知る連中だった。
「あいつら……!」
部活の先輩後輩に、クラスメイト達。中心にいるのは、寺島に北村だ。みんな、来てくれてたのか。それに、あんなもんまで作って。やべ、嬉しい。何て書いてあるんだ? えっと、負けるな……。
【負けるなシスコン狼!!】
「テメェ等あああああぁ!?」
そのあんまりにあんまりな内容に、叫ばずにいられなかった。こ、こんな大勢の中で、しかもテレビ中継だってしてるんだぞ? 何てことしてんだ、あのバカ共! 恥晒しってレベルじゃねえぞ!? ……しかもシスコンだけ派手なカラーリングにしてんじゃねえ!!
俺の様子に気付いたのか、寺島と北村が親指を立てた。とりあえず、俺の感動を返せ。
「……大丈夫か?」
「あ。だ、大丈夫大丈夫! はははは……」
対戦相手の声に、俺は我に返った。うう、恥ずかしい。あいつら、マジで覚えてろよ。後でまとめて蜂の巣にしてやる!
『両者、所定位置にて、構え』
と、そんな事に気を取られている場合じゃなかったな。俺達は、審判の声に従って、ある程度の距離をとって向かい合う。向こうは大剣を正面に構え、俺は愛用の二丁拳銃をホルスターから抜いた。
『第一試合、綾瀬 暁斗対、佐久間 健……』
いよいよ、だな。
当然、相手だって勝つために努力をしてきたはずだ。けど、俺だって負けてやるわけにはいかない。あいつらの前で、無様な姿は見せられないからな!
『開始!』
ゴングが、会場に鳴り響く。本当の意味での、大会の幕開けだ。
先手を打ったのは俺。ゴングとほぼ同時に、俺は銃のトリガーを引いた。
俺の使う銃は、扱いやすさを重視して、反動を出来る限り抑えるようにカスタマイズされたものだ。反動が軽いのは、実弾じゃないからってのもあるんだけど。
相手に向かって飛んでいく二発の銃弾。しかし、向こうは特に慌てる事もなく、それをしっかりガードすると、こちらへと一気に踏み込んできた。やっぱり、そう簡単にはいかねえか……!
俺は後ろに下がりつつ銃撃を繰り返す。だが、相手も大したもので、俺の攻撃を剣や防具で的確にいなしていく。
「こんなものか?」
「ははっ、まだまだ始まったばっか、だろ!」
俺はバックステップで距離をとりながら、牽制の銃撃を繰り返す。相手は典型的なインファイター。距離を詰められる訳にはいかない。
勝敗は主に、片方が戦闘続行不能となったり、降参したり、片方の勝利が明らかだと判断されたり(例えば、相手の喉元に武器を突き付けた状態など)、と言った場合に決まる。
あの大剣を喰らっちまえば、最悪の場合、一撃でダウンしてしまいかねない。接近されれば、文字通りのジエンドだな。
けど、決定打が入れられないまま、最初の弾切れ。俺は軽く舌打ちして、リロードの態勢に入る。
当然、それは相手にとってはチャンス。それを見逃さずに一気に距離を詰めてくる。速い……!
「ちっ!」
一気に二丁分の装弾をするのは諦め、ひとまず片方のリロードを済ませ、牽制射撃する。少しだけ相手の足が止まった隙に距離を空け、もう片方にもマガジンを装填。
「どうした、ちょこまかと逃げ回るだけか?」
「挑発には乗らないぜ。生憎、足の速さには自信があるんでな……!」
そう言いつつも、さっきよりも距離が詰められているのには気付いていた。いくら足に自信があると言っても、前と後ろ、どちらに進むのが速いかは考えるまでもない。
それに、相手はかなり銃相手に慣れている。遠距離武器への対処は重要な課題だから、十分に訓練したんだろう。さすがに獣人の身体能力でも、撃ったのを見てから避けるのは不可能だ。だから、銃口を見て、先読みでガードしていくわけだけど……フェイントを軽く入れたぐらいじゃ、通らなかった。
とは言え、相手もかなりじれったくなってきてるはずだ。後は、勝負に出るタイミングを見計らうしかない。
このまま逃げ続けてもジリ貧。だったら、ある程度近づかれてから、逆にこちらから距離を詰めるって算段を立てていた。
相手の意表を突いてリズムを崩し、同時に攻撃の命中率を上げる。至近距離からの銃撃なら、避けられる事はないはずだ。
もちろん、リスクは半端じゃない。タイミングを間違えればこちらが終わり……勝負は、一瞬だ。
俺は慎重に残弾を計算しながら、その瞬間を待った。相手の攻撃が届かず、かつ、こちらのターンに持っていける絶妙な間合いになるまで。
あと少し……。
3……。
2……。
1……!
(――今だッ!)
その瞬間、俺は全身のバネを使って、相手に向かって駆け出す。あっという間に、俺と相手の距離が縮まった。ベストな間合い。タイミングにも狂いは無い。俺の読みは完璧だった。
――相手が急に、スピードを上げた事を除けば。
「な!?」
相手はあくまでも冷静に、一瞬で俺の横をすり抜け、背後に回った。俺は逆に、予想を裏切る相手の動きに体勢を崩してしまう。
やられた。こいつのPSは、加速か!?
「詰めが甘いな」
この野郎、俺の作戦も読んでやがったか……!
俺が何とか振り返ると、そこには今にも俺に大剣を振り下ろそうとする相手の姿。このままじゃ回避は不可能だ。
「――――!」
その時、相手は、いや、会場にいる大半の人は、俺の敗北を確信しただろう。無惨に吹き飛ばされる俺の姿、それが次に映る光景。俺を知らない誰もがそう信じて疑わなかったと思う。
次の瞬間、相手の攻撃が、空を切るまでは。
「…………!?」
今まで冷静だった熊人が、初めて動揺を見せた。まあ、そりゃそうだろう。いきなり、相手が目の前から消えたんだからな。
「ふう、危ない危ない」
俺の呟きに、相手は慌てて俺の声が聞こえた方に……つまり、自分の後ろに振り返る。対して、俺は窮地を脱した事に深い息を吐いた。
「相手がPSを使うまで、切り札は取っておく。そう考えてたが、危うく出し惜しみしたまま終わっちまうとこだったぜ」
「な、何をした……!」
「ん? お前と同じ事さ」
「同じ事、だと?」
「そうだ。脚力を中心とした身体能力と、反射神経の向上。それによって得られる加速効果……それが俺の〈幻影神速〉。まあ、ごく一般的な強化系能力さ」
手の内を会場中に明かすことになるけど、まあいいさ。エンターテイメントなら、こういうのも大事だろ?
相手は、混乱した頭なりに俺の言葉を飲み込もうとしているようだ。俺を睨み付けつつ、武器を構え直す。
「何がごく一般的だ。全く、見えなかったぞ……」
「言っただろ? 足の速さには自信がある、ってな」
相手のPSが同系列なのは幸運だった。自分で言うのも何だけど、最高速度って意味で、俺はこの力には自信を持っている。
原理の違いはあれど、一般的な加速能力の効果は、単純計算で1.5倍ほど、2倍あれば十分に強力って言われる。だけど、俺の最高速度は――3倍以上だ。
「そういう訳だ。お互いに切り札を出した事だし、一気に行かせてもらうぜ」
そう宣言してから、俺は異能を再び発動させる。そして、最大スピードで、銃撃を加えつつ相手の懐めがけて飛び込んだ。相手の武器も俺の武器も速さ。そして、そのアドバンテージは悪いけど俺が握った。
「く……!?」
相手も反射能力が上がっているのだろう、俺の初動を何とか防いで、反撃してこようとする。だけど、悪いな。俺のほうが、速い!
「おおおぉッ!!」
相手のカウンターをくぐり抜け、防具の隙間を縫っての零距離射撃。当然、回避できるはずもない。
「が、ぐ……!?」
相手の口から苦鳴が漏れる。競技用と言っても銃撃は痛いのはよく分かっているけど、今は試合中。悪いけど、遠慮は無用だ。
銃は接近戦に弱い、なんて思われがちだ。だけど、実際はそうとも限らない。確かに一方的に攻撃できる遠距離に向いているのは正しいけど、近距離であろうと武器の威力が落ちるわけじゃないからな。
ついでに個人的なことを言えば、俺の最も得意とするレンジは、銃と体術を織り交ぜた接近戦。
「容赦はしねえ……!」
苦し紛れに振り下ろされた大剣を横に避け、俺は脚に力を込める。
さっきも言ったが、PSを発動している間、俺の脚力は跳ね上がっている。つまり、キック力も大きく強化されてるって意味だ!
「これで、トドメだ!」
渾身の力を込めた回し蹴り。それが、寸分違わず相手の脇腹に突き刺さる。確かな手応え。相手の身体が、軽く宙に浮いた。
「…………ッ」
そのまま受け身も取れずに、相手は仰向けの体勢で地面に叩き付けられる。俺は吹っ飛んだ相手に素早く接近すると、その頭部に銃を突き付けた。闘技の勝利条件の一つである、実戦ならば確実に決まっている状況。
『そこまで、勝負あり!』
審判の宣言に沸く会場。
俺は歓声を浴びながら、何とも言えない心地良さを感じていた。……同時に、かなりの疲労感も。
試合終了と共に、マイクのスイッチは落ちる。俺は銃をホルスターにしまうと、呼吸を整えつつ、対戦相手の様子を伺う。意識ははっきりしているようだ。
「はあ、はあ……おい、立てるか?」
「ぐっ。何とか、な」
片手で脇腹を庇いつつ、相手はゆっくりと起き上がる。ちょっとやりすぎちまったか? けど、手を抜ける相手でもなかったからな。
「だけど……完敗だ。悔しいが、いい経験になったよ」
「俺も、お前とやれて楽しかったぜ。一歩間違えたら俺が負けてた。……ふう。見ての通り、余裕も残ってないからな」
「消耗の激しさが欠点、と言ったところか。スピード強化の宿命だな」
相手の指摘に、俺は苦笑を返す。彼の言うとおりで、3倍以上のスピードで動ける、とは言っても、当然そのぶん多くのエネルギーを消費する。最高速度だと、保って十数秒でバテてしまう。まさに名前通り、幻影のような神速ってところだな……。
相手は、笑顔で俺に手を差し出してきた。俺はそれを、しっかりと握り返す。
「俺に勝って先に進むんだ。無様な負け方はしないでくれよ?」
「ああ、任せな。お前が恥ずかしくないよう、バッチリ優勝してきてやるよ!」
対戦相手のエールを受け、俺は意気揚々と控え室に戻っていった。
「アッキ~!」
俺はまず、瑠奈達のいる自分の席じゃなくて、寺島や北村、他のクラスメイトのとこに向かった。
「ナイスファイト、綾瀬!」
「先輩、カッコ良かったです!」
「はは、ありがとよ、みんな」
みんなの言葉に、自分の尻尾がどうしようもなく揺れるのを感じる。本能的な動きに抵抗できるわけもない、めちゃくちゃ嬉しいんだから。
「でも、よく最前列なんて取れたな」
「ん、知らねえのか? この席取ってくれたの、慎吾先生だぜ?」
「瑠奈ちゃん達のクラスメイトの分も、全部確保してるって言ってたけど、先生」
「……ああ」
父さんのやることって聞くだけで、納得してしまうのも微妙な気分だ。この大会にコネでも持っているんだろうか、あの親父は。まさか、俺が初戦だったのも、あの人の差し金じゃないだろうな?
……うん。あの人ならマジでやってそうで怖い。
「さ、瑠奈ちゃん達のとこに戻ってあげなよ。みんなアッキーを待ってると思うよ?」
「そうそう。俺らはバッチリお前の勇姿を収めといてやるからよ!」
「へへ、ありがとよ。じゃあみんな、また後でな!」
俺はみんなに手を振ると、自分の席に向かって駆け出し――かけてから、途中である事を思い出して、引き返す。
「何だよ?」
「いや、忘れるとこだった。聞かなくてもだいたい分かるけど、『アレ』の首謀者、誰だ?」
みんなアレとは何であるかはすぐ察したらしい。俺の言葉に、みんなは一斉に寺島と北村を指差した。予想通りの事実に、俺は満面の笑みで、状況がよく分かっていない様子の二人に近付いていく。
「あ、アッキー?」
「おい、お前目が笑ってないぜ……?」
「二人とも……だ、れ、が! シスコンだあああああああぁ!!」
鉄拳制裁×2。当然の報いだ、バカ野郎共!