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ルナ ~銀の月明かりの下で~  作者: あかつき翔
5章 まもりたいもの
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 夢を、見ていた。




 自分と言うものが、溶けて無くなりそうだ。眠いような、苦しいような……何かに沈んでいくような、形容しがたい感覚。……俺は……どうなったんだ。何をしていたんだったか。


 長い時間こうして漂っていた気もするし、僅かな時間しか経過していないようにも思える。全ての感覚が曖昧で、それでもどこか冷静だった。考える力が弱くなっているだけなのかもしれないが。


 そんな中、頭の中にかすかに映る風景……これが夢で、だが記憶の中にあったことだと言うのは、はっきりとしない意識の中でも、感覚的に分かった。



『ねえ、ガルフレア。今日は何かあったのかしら?』


『どうして、そう思うんだ』


『これでも、あなたの表情の機微を読み取れるくらいには、あなたを見てきているつもりよ』


 ベッドに腰掛けた俺に投げ掛けられる、女性の声。

 ここは……俺の、部屋。そう、かつての俺の部屋だ。指揮官の個室らしい広さを持ちながらも、必要最低限を除いて物も置かれていない、殺風景な部屋だった。

 俺に語りかけてきていたのは、赤いロングヘアーの女性。いつも穏やかな微笑を浮かべた、美しい人。それでいて一流の戦士であり、〈赤薔薇〉の二つ名を持つ俺たちの最高幹部。俺と同じ六牙のひとり、ミーア・クロイツ。



 そうだ。この日の俺は、大きな任務を終えて……部屋で、休息していた。その夜、別の任務から帰還したミーアが、訪ねてきたんだ。


『私には話せない事なのかしら?』


『……いつもの、事だよ。また、多くの命を斬る事になってしまった。それだけだ』


 それだけ……か。そう、だったな……俺は、大したことがないかのように言葉を選んで……表面を、偽り続けた。俺自身を、騙すためにも。


 だけど、俺は誰かを騙すのが苦手だったようだ。気が付くと、ミーアの肌を背中に感じた。


『……無理をしないで』


『ミーア……』


『私といるときには、辛さは隠さない。それが約束だったはずよ、ガルフレア。あなたがそうしてくれなければ……私も』


『……そう、だったな』


 ミーアはいつも、物静かだった。そんな彼女がほぼ唯一、感情を表に出すのは、こうして二人きりでいるときだけだった。

 彼女がいつも微笑の裏に抱えている、俺と同様の感情。どれだけ泰然としているように見えても、彼女もまた、一人のヒトでしかなかった。


『目的のために、血で血を洗う。もう、慣れたと思っていたが……今でも、ふと考えてしまうんだ。この先の未来に、俺の目指す世界は本当にあるのか、と』


『そうね。そんなことはきっと、誰にも分からない。それでも私たちは、信じて前に進むしかないのよ』


『過去を否定する訳にはいかないからか?』


『ええ。今さらこの道を引き返したところで、別の道を選べるわけでもないわ。そうするには、私は進みすぎたもの』


 俺たちは、どこか似ていた。だからこそ、互いを求めた。苦しみを吐露する代わりに、相手の苦しみを聞くことで、消化していた。少しでも、楽になりたかった。

 ……全てを吐き出せていたわけではない。それはきっと、ミーアも同じだった。それでも、共に苦しむ仲間、愛する人がいるというだけで、逃避の役には立った。そして、互いをよく理解していたのもまた、事実だった。


『ふふ、だけれど、それはあくまで私の話。あなたが別の道を選びたいと言うのならば、それもひとつの手かもしれないわ』


『……俺だって、そんなに強くはない。だからこそ、いつまでもこうして覚悟が決まらないままなのだろう』


『本当にそうかしら。迷い続けることができるのは、逃げないでいるからでしょう。私や、他の六牙は……程度は違えど、どこかで諦めているから、迷わずにいられるんだもの』


『………………』


『迷っても、苦しんでも、逃げないでいる。私は、あなたのそういうところに惹かれたの。それは忘れないでちょうだい』


『……そうか。ならば、少しは肯定しないと……君の気持ちを裏切ることになるな』


 改めて、向かい合った。互いを労るように、優しく抱き合う。迷うのは、逃げずにいるから……か。皮肉なものだな。彼女のこの言葉は、俺の裏切りを後押しした。気持ちどころか、全てを裏切ったんだ、俺は。


『私は、あなたを愛しているわ、ガルフレア』


『……俺もだよ、ミーア』


 俺たちはこうして、いつも愛を言葉で確かめ合っていた。……そうしないと、不安だったから。熱に任せて抱き合えば……その瞬間だけは、辛さを忘れさせてくれたから。

 お互いに、依存していたんだ。辛いときでも支え合える恋人という、都合の良い麻薬に。互いにその感情が歪なことには、気付いていて……だからこそ、言葉で、行為で、確かめあった。それが俺たちの関係で……。



 だが、この数ヶ月後……俺は、彼らから離反することになった。酔いきれなくなっていたから。偽りきれなくなっていたから。



 頭に映る風景は、少しずつ消えていった。残ったのは、そのまま眠りに誘ってくるかのような、深い闇。


 あの時、ローザを名乗った彼女に感じた胸の痛み。それはきっと、彼女の恋人であった俺が感じたものだ。仲間を裏切ることは、ミーアを裏切ることでもある。俺は一方的に、彼女の拠り所としての自分を放棄してしまったのだから。

 男としては、最低だな。それでもなお、覚悟したということだろうが……彼女にどう思われようが、言い訳もできないだろう。


 それと同時に……今は、はっきりと感じてしまっている。俺たちの関係は、やはり目を背けていなければ成り立たなかったのだと。


『私たちはどちらも、共に歩む存在が欲しいということよね。……だったら、互いの理想になってみないかしら?』


 そもそも、そんな提案が始まりだった。言ってしまえば、利害の一致。日々に精神をすり減らし、互いに癒しを求めた俺たちは、偽りから関係を始めたんだ。


 ……長くそれを続けるうちに、確かに俺は、彼女を愛してはいたのだと思う。彼女だって、愛していると言ってくれた。俺に、己を委ねてくれた。

 それでも、最初のボタンをかけ違えてしまった俺たちは……いつだって無理をしていた。その上で、拠り所を失うことが怖くて、互いに気付いていない振りをして……愛そうと、努力を続けた。

 それがいつか、本物になってくれればいいと願って。


 今なら、分かる。誰かを愛するということの意味を、かつての俺は理解できていなかったんだ。



 あんなにも、鮮烈な感情だとは思っていなかった。ただ隣にいるだけで、胸が高鳴るなどと思っていなかった。……俺のものにしてしまいたいと、狂おしいまでに焦がれるなどと思っていなかった。


「ああ……」


 眠い。苦しい。意識が、急速に引っ張られていく。このまま委ねれば、そのまま闇の中に消えていくのだろうか。一人で。また、一人で。飢えて死を待つだけだった、あの時のように。


「帰り、たい……」


 それでも、あの時とは違う。……楽になんて、なりたくない。どんなに苦しくても、辛くても。生きて、いたいんだ。


「俺の……居場所に……」


 光が、見えた気がした。とても暖かい……優しい光。


 隣にいていいのだと言ってくれた。いたいのだと言ってくれた。そこに……まだ、俺はいたい。どんな苦しさよりも、あの安らぎが……かけがえのない、時間が。

 もう、引き返せない。目を背けられない。本当は、俺だって……ずっと、望みたかったんだ。自分の気持ちに、もう嘘がつけない。


「……みんなの、元に……!」


 俺はまだ逝けない。逝きたくない。だから……漏れてきた光に、手を――。










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