まもりたいもの
「が……ガルフレアあぁっ!!」
……俺、は……どう、なった。
視界が……点滅、している。見えている、ものが……回って、いる。白く……黒く……。
痛、い……全身、が。空気が……吸えない……。
「……ゴボッ……」
声が、出ない。代わりに溢れたのは……血で……胸が……苦、しい……俺は……倒れて……いるのか……? 感覚が……まるで。
指先にすら……力が……。身体が……動か、ない。
「どうやら、息はあるようですね。虫の息ではありますが……心臓に叩き込んだと言うのに、本当に驚くべきことです」
「……ぅ……」
「放っておいても死ぬでしょうが。念には念を入れることにしましょう」
「っ! 嫌、止めてっ!!」
……る……瑠、奈。
「お願い! 私が代わりになってもいい……! 私は何をされてもいい! だから、もう止めてよ!!」
「綾瀬 瑠奈。あなたも、まだ未熟ながら、期待できる逸材ではあります。ですが、駄目ですね。今のあなたでは、彼の代わりには成りえない」
「そんな……そんなの……!」
「どれだけ暴れても、無意味ですよ。今のあなたの力では、その檻は破れない。そして、彼を殺すことを止めるつもりはない。ガルフレアの死は、絶対に変わらないシナリオです」
……死ぬ……俺が……死ぬ……?
死とは……このような、感覚……なのか。もう、痛みも、苦しみも、越えて……自分が、消えていく、ような……。
……消える……死ねば……俺は……この、世界から……。
「…………る……な……」
ああ……帰ったら、話そうと……約束、したのに。結局は……何も、言えて……いないな……済まない……俺には、もう、時間が……。
「くく、安心しなさい、あなたの事は気に入っていましたから、約束ぐらいは守りますよ。彼女に危害は加えません」
「ふざけないでよ!! どうして! どうしてガルフレアを、こんな!!」
「あなたは無事なのだから良いではないですか? ふふ、どんな気分なのでしょうね。安全なとこから見ているだけ、何を成す力もないと言うのは?」
「……あなたはああぁっ!!」
何をしているのかは……見えない。それでも、彼女が抵抗しているのは……分かった。
俺の、ために、怒って……いるのか……?
俺は……本当に……間抜け、だな……ここまで、彼女は……それなのに……隣にいたのに、どう、して……何も聞かずに……何も、言わずに……。
「………………」
……俺は、まだ……何も、言って、いない。
死んで、しまえば。俺は……もう、何も……伝えられない。
それ、で……本当にいいのか?
俺は……俺、は……。
「…………だ……」
死ねば、終わって、しまう。俺の……何も、かもが。
俺の……果たすべき、目的が。まだ、何が目的であったのか、すら……思い出せて、いないのに。
「……嫌……だ……」
「……む……?」
もう二度と、何も……伝えられない。もう二度と、みんなの声が聞けない。彼女の横にいる、安らぎを……もう、二度と……そんな事、は……。
……怖い。
嫌だ。このまま……独りで、消えていくのは……俺は、まだ、本当に……何も……!
「……まさか」
「俺、は……死ね、ない……」
自分の鼓動を、感じ取る。まだ、俺の心臓は動いている。……そう、だ。俺はまだ、生きている。
「死にたく、ない……」
両腕をつき、上体を起こす。まともに力が入らず、身体中ががくがくと震えている。だが……倒れるわけには、いかない。
「ガル……!!」
「俺は……まだ、ここに、いたい……」
犠牲が必要なら自分でいい? ……そんなの、嘘っぱちじゃないか。このような状況に追い込まれて、ようやく俺は……自分の矛盾に気付いた。
「……ぐっ、げふっ……!」
胸が激しく痛む。口から、血が溢れる。俺は、致命傷を受けているのだろうか。このままだと、死んでしまうのだろうか。
「が、ガル、止めて! 動いたら、死んじゃうよ!!」
違う……動かなければ……終わる。俺が、生きるのを諦めた、この苦痛に負けた、その瞬間に……。
「はぁ、はぁ、はぁっ……ま、負けて、たまるか……」
嫌だ。死ぬのは、嫌だ。
俺はまだ、何も伝えられていない。何も為していない。このまま消えてしまう事が、怖い。怖くて、たまらない。
「俺は……みんなと一緒に、いたいんだ……!」
両足に、力を込める。膝が笑っていた。それでも、この震えに、今にも倒れそうな感覚に、真っ向から抗う。
失いたくない。あの暖かさを。
もっと感じていたい。あの居心地の良さを。
こんな馬鹿な俺を受け入れてくれた仲間たちと……もっと一緒に……ずっと……!
「そうだ……俺は――生きたい!!」
――身体の奥底から、何かが弾けるような感覚。それに従って、俺は自分の力を解き放った。そして――
「こ、これは……」
現れた、月の守護者の翼。瑠奈の反応を見るまでもなく……いつもと違うことは、すぐに分かった。この感覚……この、翼は。
「翼が……増えてる?」
6対の翼。本来の姿に、少しだけ近付いたもの。そこから沸き上がる、今まで以上の、力。
俺の記憶とこの力はリンクしている。ならば、呼び覚まされた記憶が、この力を……それとも、俺自身が目を逸らしていた本当の望みに気付いたからか。……いや、どちらでも構わない。
力の高まりに合わせて……僅かながらも、生命力が回復しているのが、自分でも分かった。
……動く。身体が、動く。まだ、動ける。俺は……終わって、いない!
ああ、そうだ……死んでたまるか。俺にはまだ、成すべき事がある。成したいことがある!
「瑠奈……心配するな。俺は、生きる。生きて、お前と帰るんだ!!」
「……あ……!」
結局は、綺麗事だった。
俺が護りたいものは、みんなだ。そこに嘘偽りはない。だが、それだけでは足りなかった。……分かってしまえば単純な話。なぜ、みんなを護りたいと思ったのか。
それは……俺が、みんなと共にいることを願ったからだ。
ああ、格好をつけることはできる。それでも結局、この感情は己のエゴなんだ。御伽噺の勇者のような、立派な動機などではない。認めてしまえば、楽になった。
やっと、気付いたんだ。俺が、本当に護りたかったものは……みんなと、彼女と、共に過ごす時間なんだ。そこに自分がいなければ、それは成立しない。……生きたい。死にたくない。ああ……どれだけ情けなくともいい。俺はもう……この願いを、間違えない!!
刀を向けたマリクは、しばし沈黙していた。しかし。
「ふふ……ハハハ。アハハハハハッ!」
道化は突如、今までに聞いたことのない声で笑い始めた。楽しそうに……心底、嬉しそうに。
「良い、良いですよ、実に良い! これは私にも予想外の展開でした! やはりあなたは面白い。たまらなく面白い! 私の描いたシナリオを、退屈な劇を壊してくれる逸材だ!」
「マリク、貴様は……」
「やはり私の見込みは間違いではなかった! 未だ真の輝きを取り戻すには至らない天空の児! されどその月光は、確実に世界を照らす……!」
この男がここまで感情を露にするとは。芝居がかった言動はいつものことだが、ここまでの熱を……機械音声からでも伝わるものを持った言葉を、こいつが発するのか。
それでも、狂ったわけではない。熱の中にいつもと同じ冷徹さを併せ持ち、マリクは俺の方に手を伸ばす。
「しかし、さすがに立っているのがやっと、と言う様子ですね? さて、あなたにそれ以上の奇跡が起こせますか?」
「起こさねば、死ぬと言うのならば……起こしてみせるだけだ!」
「ならば見せてください……奇跡を! イレギュラーを! 私の計算を上回るものを! それを私に示してください、ガルフレア・クロスフィール!!」
マリクの全身を、波動が覆う。今から来るのは、今までで最大の攻撃だろう。……奴の言う通り、起き上がれただけでも奇跡と言えるほどに、俺の身体は限界に近い。掠めるだけでも、命は無い。俺にも、策などない……それでも……生きるんだ。俺は……!
「では、こういう奇跡はいかがかしら?」
マリクの足元が、突如として凍り付いた。
「…………!」
「な……に?」
力を高めていた道化にとっても、それは想定外であったようだ。チャージを中断して大きく跳んだマリク。しかし、その身体に向かい、今度は無数の銃弾がどこからともなく飛来した。さらに、氷の槍が、四方八方から奴の元に押し寄せる。
それを避けきることはさすがのマリクでも不可能だったようだ。己の力をバリアのような形状に変え、その猛攻を受け止めるマリク。
「ガルフレア、決めてみせろ!」
「……っ!!」
状況を理解するよりも早く、身体が動いた。月光に、全ての力を注ぎ込む。……感覚として、分かる。月の守護者は、大幅にその力を取り戻している。これならば……。
この一太刀に……俺の命の、全てを!
「うおおおおおおぉッ!!」
練り上げた力の全てを、刀身に込める。光の刃が、刀身を倍の長さまで引き伸ばした。そのまま、駆ける。翼を推進力に……俺は、刀を一気に振り抜く。
その一撃は、マリクの結界を打ち消し、引き裂き……道化の衣を、深々と斬り裂いた。
「…………っ……」
感じる、確かな手応え。そのまま切り抜けた俺の背後で……あいつが倒れる音がした。
マリクが、倒れた。……あの、魔人に。俺の攻撃が、通じた。そして、それを導いてくれた、あの力は。
「良い一撃だったわ、ガルフレア」
「死んではいないだろうがな。……何とか間に合ったか」
「あなた達は……!」
俺の声に応えるように姿を見せた二人。ハルバードを携えた青い虎人。そして、赤い髪の……つい先日に、俺と話をした人間の女性。
「シグルド……それに、ロー、ザ……いや……」
その名前を呼ぶと、頭が痛んだ。
違う。彼女は……そのような名前では、ない。そうだ、彼女は。俺がいつも呼んでいた、彼女の名は。
「……ミーア……」
「そう。少し、記憶が戻ったみたいね」
浮かんできた名前。それが間違いなく、彼女のものだと分かる。ローザ、いや、ミーアは俺に向かってどこか寂しげに笑い……すぐに、視線を倒れているマリクに移した。
「ふ、ふふ。絶妙なタイミングでの乱入者。これもまた、確かに素晴らしい奇跡ですよ……」
「…………!」
倒れていた道化が、口を開く。……殺せたとは思っていなかったが、それにしても想定より浅かったか。ゆっくりとした動作で、マリクは起き上がった。腹部が赤く滲んでいることが、この何もかもが規格外な存在が生物であることを示している。
「退きなさい、マリク。いくらあなたでも、手負いの状態で私達を相手にして、無事で済むと思って?」
「……クク。良いでしょう。此度の宴は、実に楽しめた。陛下には、私からとりなしておきましょう」
「お前にしては随分と殊勝だな。主の命は絶対ではなかったのか?」
「そうですね。任を失敗した上に進言など、臣下としてはあるまじき事です。ただ、あまりにも惜しくなったのですよ。ガルフレアが……彼が生きていれば、これから先の世界はより大きく動く。そうなれば、我が主の最も望む結果を引き起こすことができるかもしれませんので」
主の、最も望む結果、だと。
「マリク……貴様はいったい、何を、企んでいる」
「さて……私の行動原理は、常にひとつですよ。何故なら、私はそれしか役割を持ち得ないのですから」
「どういう意味かしら?」
「ご想像にお任せしますよ。……この場では、我らの敗けだ。この遺跡は好きに調べていただいて結構です。そこに残された情報で、手を打ちましょう」
「……ペテン師が。相変わらず、一方的だな」
「あなたにしては珍しく苛立っているようですね、シグルド。友人を殺されかけた事にそこまで焦ったのですか?」
「……こいつは裏切り者だ。助けたのは、利用価値があるからにすぎない」
周囲の冷気が強まった。シグルドがマリクの言う通りに、感情を昂らせているのが分かる。……シグ、お前は。
「怖いお方だ。では、氷塊に変えられる前に退くとしましょうか。ガルフレア……生きていれば、また会いましょう」
マリクの姿は、その言葉と共に、宙に消えた。先ほどまでの戦いが嘘のように……遺跡の中は、静寂を取り戻す。
「どこまで俺たちを愚弄するつもりなんだ、あの男は」
「真面目に請け合う相手でもないわ。それに、焦ったのは事実でしょう?」
「……勝手に言っていろ」
「シグ、ミーア……」
……俺は、退けた……あの魔人を……その、事実に……気が、少し抜けた。月の守護者も……消える。
「ガル! 大丈夫!?」
声に振り返ると……瑠奈が、こちらに駆けてくる。光牢結界は、解除されて……いた、ようだ。
「ああ……瑠奈……無事で……」
「……ガルフレア? あなた……」
「……ごほっ……心配……する、な……俺、は……」
……咳が、出た。
喉の奥から、何かが込み上げる。……赤い。これは……俺の……血、か……?
「俺は……大丈、夫、だから……」
世界が、回った。どうした……何が、起こって、いるんだ……? 地面が、起き上がって……いや……俺が、倒れ……?
「ガル!!」
……力が……抜けていく……意識が……急に、遠く……なって……。
「しっかりしろ、ガルフレア!! マリクの力を、まともに浴びたのか……!?」
駄目、だ……何だか……とても……瞼が、重い。
だけど……もう、マリクは……去った、んだ……だったら……少しぐらい……眠っても、いい、よな……?
「ガル……! ち、ちょっと……止めてよ! 悪い冗談は、止めてよ!? 目を……目を開けて!!」
……瑠奈……泣いて、いる、のか……?
何故、声が……出ないんだろうか……泣かないで、くれ……俺は……君の、笑顔が……見たくて……。
大丈夫だよ、瑠奈……約束は、守る、から……目が、覚め、たら……その、時は……。
この想いを……君、に……。
おれの……。
ほんとう、の……。
ここ……ろ、を……。
――――――。