死の道化、墜ちる銀月
「……ここは……」
気が付くと、俺は遺跡の中へと戻って来ていた。戻って来た、という表現が適切なのかは微妙な部分ではあるが。
俺の隣には、瑠奈がいた。今までに起こっていたことは……はっきりと、記憶に残っている。
「瑠奈……」
「うん……夢じゃなかったよね? 今の」
彼女がそう言った時点で、答えが出たようなものだった。今の現象は、間違いなく彼女も体験していた。
……だとすれば、最後の言葉は。
「あはは……覚えてる、よね? 何て言ったのか」
「…………」
「言っちゃった。言っちゃったんだなあ……」
「瑠奈、俺は……」
「待って!」
俺が何かを言う前に、瑠奈は慌てて制止してきた。
「正直、心の準備なんてしてなくてさ。勢いで、ぶちまけちゃった感じだから……今は、まだ言わないで。さすがに、怖いから」
軽く朱が差した彼女の頬。……ああ。聞き間違えでは、夢では、なかったようだ。最後に言われた、あの言葉。
「帰ったら、ゆっくりと話そう? 時間は、いっぱいあるだろうしね」
「……そうだな。今はここから戻ることだけを考えよう。ただ、これだけは言わせてくれ」
本当は、すぐにでも答えてしまいたいぐらいだった。だが、彼女の言う通りに、時間はある。だったら、焦る必要はないだろう。だから、先にけじめをつける。
「済まなかった、瑠奈。……そして、ありがとう」
昨日からの八つ当たりの話だけではない。今までの全てに対して、心からそう思う。……もちろん、あらゆる不安が無くなったとは言えない。それでも……自分の視野がどれだけ狭かったのかには、気付くことができたから。
瑠奈はそれには何も言わず、笑ってくれた。……ああ、そうだ。俺は今までだって何度も救われてきたじゃないか、彼女の存在に。そして、みんなにも。いつから自分だけで戦っているような、傲慢なことを考えていたのだろうな。
「さて、と……ここ、遺跡の中みたいだけど。ガル、どうしてあんな事になったのか、覚えてる?」
一度、思考を切り換える。俺たちはまだ、敵の術中に取り残されているのだろう。気を抜いて良い状況ではない。
「いや……転移に巻き込まれて、何か眩い光が走ったのは分かるんだが。その直後には、まるで夢のようにはっきりとしない意識のまま、記憶を無理矢理に追体験させられて、それを何度か繰り返して……」
気が付けば、目の前に瑠奈がいた。そこからははっきりとした思考が出来たが、その前は、ただ流されるままに、記憶だけを流し込まれていた。
「ガル、あの記憶って……」
「……間違いなく、俺のものだ。それも、多くは今まで忘れていたもの……全てを思い出せたわけではないが」
思い出したのは、あそこで見たものだけ。言ってしまえば、つぎはぎだ。歪な形で戻った記憶……まるで、誰かが作為的に、俺を苦しめるための記憶を選んだかのように思える。
瑠奈と俺は、足元に視界を移す。そこには、多くの不可解な宝石が転がっている。
「やっぱり、この石って……」
「俺たちをここに導いたのは、アンセルだ。だとすれば、何が起こったかは分からずとも、誰の仕業かは答えが出ているようなもの――」
――途端。背筋に、凍り付くような感覚が走った。
「が、ガル?」
「……この、気配は……」
……感じる。俺たちを見る、嫌な視線を。
俺は月の守護者を発動させると、瑠奈を後ろに下がらせた。分かる……奴が、いると。エルリアで感じたあの威圧感が、ここにある。
「クク。さすがにあなたは、敏感ですね。もう少しならば気付かれないと思ったのですが」
俺の全身を縛り付けるような、ねっとりとした空気。俺は呑み込まれそうになる自分に内心で喝を入れ、声のした方を向いた。
漆黒の衣に身を包んだ魔人。さすがにこいつを見間違えようはない。姿だけでなく、そのただならぬ気配……底知れぬ邪悪な気配は、この男にしか出せないだろう。
「ようやく、直接のお出ましか……マリク!!」
「久しぶりですね、ガルフレア。それに、面と向かうのは初めてでしたかな? 綾瀬 瑠奈」
「あなたが、ガルの言っていた……!」
瑠奈も弓を構える。この男がどこまで危険な存在であるかはみんなに説明してある。そうでなくとも、ここまでの悪意の塊、誰にでも敵であることは分かるだろう。
「どうでしたか? 自らの心の中に入り込むという現象。そして、他者の心に入るという現象は」
「やはり、先ほどの現象は、貴様の仕業か!」
「ええ。面白いでしょう? 本人が半ば失っている記憶すら、追体験が出来るのですから。実は具体的な内容までは指定できませんがね……それでも、あなたのトラウマとなっている記憶、程度の条件なら与えられます。そして、条件さえ揃えば、他人がそれを視る事すら可能となる」
「条件……?」
「その人物にとって、関係が深い者。言い換えれば、その人物を理解している者であれば入れます。もっとも、キーとしてその石を用いる必要があります。研究中の副産物であり、まだ名前もないものですがね」
悪趣味なその道具について、さも楽しげに語るマリク。俺はまた、この男の実験に付き合わされたと言うことか……。
「くく、そう睨まないでください。どうやら、おかげで記憶がある程度戻ったようではないですか? 全てを思い出していただければ、もう少し面白くなったと思うのですがね」
「俺は、貴様のモルモットになるつもりはない!」
「お怒りのようですね。ふふ、まあそれは単なる戯れですよ。せっかくの機会、試せるものは試しておきたいではないですか? あなたほど面白い心の持ち主は、そういませんからね」
「あなたは……人の心を玩具にして!」
「少々、悪ふざけが過ぎましたか。これが最後の機会だと思うと、私も少しばかり寂しくてね」
「最後……?」
マリクの仮面が、その奥の視線が、俺を見ている。冷や汗が流れる。逃げろと、本能が言っている。
「ガルフレア。あなたは、実に興味深い男です。私としては、あなたの動向を見守り、より多くのデータが欲しいところだ。ですが……」
過去に対峙したあの時よりは、俺も力を取り戻している。それでもなお、あの時と同じ……いや、あの時よりも強い、威圧感。
「陛下は、あなたを危険因子と定めました。その実力だけではなく、立場の特異性。あなたの存在を許せば、今後の障害になる、とね」
「…………ッ!」
「ですから、本当に残念な話ではありますが」
何の事はない、本当に軽い世間話でもしているかのような口調で……マリクは、続けた。
「死んでいただきますよ、ガルフレア・クロスフィール」
辺りに充満していた嫌な気配が、一気に膨れ上がった。全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。道化の衣の中に隠されていたのは、殺意。どこまでも静かで、冷徹な、ただ俺を殺すと言う、明確な意思。
「瑠奈、下がれッ!!」
「その必要はありません」
「え……」
俺が指示を出すのは、少し遅かった。瑠奈の足元から、光が立ち上ったかと思うと……彼女の周囲を、それが包み込んだ。
「こ、これって!?」
「光牢結界……!」
「ティグルに渡したものよりも強力なものですよ。戦闘に巻き込まれる心配をしては、あなたも本気を出せないでしょうからね。……彼女は、事が済めば逃がしてあげますよ。殺す必要性は特にありませんからね。それがあなたの懸念でしょう?」
「くっ……!!」
「あなたが生き延びる方法は、ただひとつ。私を退けるしかありません。くく……これでもあなたには期待していたのですから、大番狂わせを見てみたいところですね?」
気圧されている、俺が。本能的に分かる、こいつは今の俺よりも強い。震え上がりそうな感覚など、久しぶりだ……!
「さあ、始めましょう。最期に、その力を存分に私に見せてください」
「ふざけるな……! 俺は、貴様の存在を認めない! ここで、貴様を討つ!」
内心の恐怖を払いのけるように、俺は力を全力で解放した。焦っているわけではない。出し惜しみをしては、その瞬間に命は無いことが、分かるのだ。
「ガル!!」
瑠奈が壁を殴りつけている。……負けるわけにはいかない。奴の言葉を素直に信じる事はできない。助け出すんだ……俺が、彼女を!
「はあああぁっ!!」
刀身に纏わせた光を、全力で振り抜く。この一撃で全てを終わらせる、そのつもりの攻撃。だが……マリクは軽やかに跳躍すると、難なくその一撃を回避する。
「思いきりの良い攻撃です。アンセルとは違い、私を生かすつもりは無いようですね?」
「貴様と彼を同じにするな! 貴様のしてきたことを、許すわけにはいかないんだ!」
立て続けに、刃を放つ。黒衣を翻しながら、マリクはそれを完璧な見切りでいなしていった。……分かってはいたが、この男は……!
そのまま踏み込み、月光を振るう。狙いは全て急所。こいつ相手に手加減など、出来るはずもない。
「実を言いますとね、ガルフレア。今回は私たちも、してやられているのですよ」
「何の話だ!?」
「この遺跡は、我々の研究拠点でもあった。アンセルも言っていたはずですが、本来は暴かれる予定のものではなかったのです。おかげで少々、段取りに影響は出てしまったのですよ。アゼル博士ですか……くく、全く面白いことをしてくれる方です」
俺の攻撃をいなしながら、マリクは饒舌に語る。それだけの余力があると言うことか……!
紙一重、あと少しで当てられる。そのはずなのに。どこを狙おうと、どのような一撃を繰り出そうと、俺の刀はただ空を切るだけであった。
「私は、そのようなイレギュラーをずっと求めてきた。私も神ではありませんからね、知らないこともあれば、出し抜かれることもある。ウェアルドなどと比べれば、戦闘力に優れているわけでもありません」
「いったい、何が言いたい……!?」
「……あなたにはね、期待していたのです、ガルフレア。あなたは、この退屈な喜劇の中で、最大級のイレギュラーとなる可能性を秘めていたのですから。ですから、非常に残念なのですよ。その可能性を、芽吹く前に摘み取らねばならないのは」
まずい。まるで、影と戦っているような気分だ。また、こいつの技術に化かされているのではないか、そんな疑心暗鬼にすら陥りそうになる。
「良い太刀筋です。あなたの力が万全であれば、私を捉えることも出来たのでしょうね。ですが、今のあなたにそれは叶わない」
「ぐ……舐めるな!」
波動を高める。諸刃の剣だが、やるしかない。
思い切り懐に踏み込んでからの、波動の全周囲開放。さすがにこれは避けられるはずが……そう思ったのも束の間。マリクは、俺の目の前にはいなかった。
「……!?」
「今のは少し危なかったですね。ですが、手札はまだ残されているのですよ」
慌てて、背後を振り返る。マリクは、かなり後方に位置を移していた。今のは、空間転移? いつのまに装置を仕込んでいたんだ。
「では、そろそろ攻守交代の時間ですよ。見せてあげましょう、私の力をね」
「!」
その宣言に、再び背筋が凍る……来る。
マリクは、仰々しく右腕を前に突き出した。その途端――奴の全身を、黒い波動が覆い始めた。
「その、力は……!?」
弾ける、まるで黒い稲妻のような波動。最初は、アトラの力に似ていると思った。だが、違う。あれはどちらかと言えば……俺の。
「あなたの月の守護者は、自らの生命力を高めて形にする、言わば正の生命力を操る力です。奇遇な事に、私は、その逆なのです。特性は、それなりに似ていますがね。例えば……こういう芸当はどうでしょうか?」
マリクの腕で弾けていた、黒い波動。それが、あいつの掌から、俺に向かっていくつも放たれた。俺は咄嗟に回避を行う。だが、高速で迫る黒い弾丸は、俺の想定以上の物量を持っていた。
身を縮める。跳ぶ。身体をひねる。月光で切り払う。何とか避けきろうとしたものの……そのうち一発が、脇腹に当たり……弾け――
――――ッ!!
「が……ああああああぁッ!?」
痛い。痛い、痛い、痛い!!
何だ、これ、は……!?
まるで、内臓を……鷲掴みにされているかのような……!
「ガル!?」
「くく。あなたでも、そのように苦痛に叫ぶのですね。なかなか新鮮な気分ですよ」
「かはっ……はあ、はあ……!?」
幸いと言うべきか、マリクの手はそこで止まった……凄まじい、激痛が……身体の内側を、走っている。何、だったんだ、今の攻撃は……!
「どうですか? 負の生命力を流し込まれる感覚は」
負の、生命力……月の守護者の、逆……? と、言っていたが……生命力が文字通りに生きる力を表すならば……。
「何となくは分かるでしょう? 正と負は打ち消し合う。負の生命力を流されることは、生命を消されるのと同様です。その際、身体には多大な不調が現れるようですがね」
他人の生きる力を、消滅させる異能。この男……本当に、死神か……!
「く、ぅ……!」
まずい。一撃だけで、ここまでのダメージを受けるとは……息が整わない。痛みが引かない。
「臓器の機能低下に、防衛機能としての激痛。遠隔のオーラに触れただけでそれなのですから……直接流されれば、どうなると思いますか?」
「……っ!!」
考えるまでもない。あんなものを、まともに流されれば……次を、喰らうわけには……!
「恐ろしいですか? たまらなく苦しいそうですからね、これを受けるのは。いくらあなたでも、痛いのは嫌でしょう? 死ぬ気になって、避けてみせてください」
マリクの腕が、再び黒い波動を纏った。その右腕が振られると共に、波動の鞭が辺りを薙ぎ払った。
「っ!」
翼を広げ、飛び上がる事で何とか避ける。特性が似ているとマリクは言ったが、確かにその軌道は俺の攻撃に似ているようだ。
狙い撃たれる前に、地上に降りる。空中での細かい制御は困難だ。遠隔攻撃ができる相手には的にされかねない。
「さて、月並みな台詞ですが、素敵なダンスを期待していますよ?」
続けて、波動の弾丸が雨あられと迫り来る。
一撃でも喰らえば、致命的な隙となるのは確実だ。驚異的なのは、奴はその攻撃を片手だけで繰り出していると言うことだ。
「く、くそ……!」
このままでは駄目だ。どこかで反撃をしなければ……しかし、回避をするだけでも精一杯で……!
「!!」
右手から放たれている弾幕に気をとられているうちに、マリクの左腕に、波動が一際集まっている。あれは、まずい!
「く……ああぁっ!!」
一か八か、俺は月の守護者を限界まで高め、波動を放射した。それは、マリクにより圧縮された死の波動とぶつかり合い……相殺した。
……上手くいったか。ヒントは、奴の言葉にあった。俺の力が正反対であるのならば……それをぶつければ防げるのではないか、という直感だった。何とか、賭けに勝ったか。
だが、気が付くと、マリクの姿が消えていた。いったいどこに……そう思う間もなく。腹部に感じた手の感触に、総毛立った。
「な……」
「さて、どこまで耐えますかね?」
逃げる事など叶わず、マリクの手を通じて……俺の体内に、奴の力がまともに注がれ始めた。
「ぐが……!? あっ、がっ、う、あああぁっ……!!」
先ほどと比較にならないほどの苦痛に、頭の中が白く染まっていく。く……苦、しい……!!
「か……あぁっ……! ゲホっ、く、おあぁ……!!」
まるで腹の中を直接抉られるかのような感覚に、込み上げる強烈な吐き気。全身から沸き上がってくる激痛。心臓を鷲掴みにされているような苦しみに、呼吸も出来ない。
だ、駄目だ……とても、耐えられない……! 止めろ、離れろ……離せ!
「……ふむ」
「う……くああああぁ……っ!!」
一瞬だけ、力が緩んだ。その隙に、力を振り絞って奴の拘束を引き剥がした。……それが、限界だった。何とか奴から離れるように転がり……その場で、俺は倒れてしまう。
「……っ、……か……ぐぅっ……」
胃の中から込み上げてきたものを堪える事も出来ず、そのままぶちまける。息をするのもままならず、全身に力が入らない。……このままでは……次を喰らえば、死ぬ……。
起き、上がらなければ……くそ……か、身体が……まともに、動かない……目の前が、霞んで……。
「やはり、あなたは興味深いですね」
「……な、ん……だと……?」
「私の力はその特性上、非常に高い殺傷力を持っています。仮に鍛えられた戦士であっても、体内に直接叩き込まれれば耐えられはしない。あれだけ浴びせれば、普通ならばとっくに死んでいます」
マリクは、一歩ずつ俺に近付いてくる……動か、なければ。立ち上がらなければ……殺される。
「ぐ……うううぅ……!」
月光を杖に、何とか両足に力を込める。……膝が笑っていた。一瞬でも気を抜けば……また倒れてしまいそうだ……。
「ですが、あなたは意識を保ち、それがやっととは言え、立ち上がれる。それは驚くべきことなのですよ」
マリクの言う通り……立ち上がるのが、やっとだった。動けない……そのまま意識が、飛んでしまいそうだ。それでも、それは死を意味する。諦めるわけには、いかない。何とか、残された力で……!
「やはり、そのPSのおかげでしょう。生命力を高めるその力があるからこそ、私の力に多少なりとも抵抗ができる」
「ぜえ、ぜえっ……かふ……!」
「だからこそ、私はあなた達に……あなたの血筋に興味を持ったのですがね。あの方と同じく、とても楽しませてくれましたよ、あなたは」
……待て。血筋、だと……?
「それは……どういう……うぐっ……」
「ふふ。あなた自身は、何も知らないのでしょうね。あるいは、少しは感付いていましたか? まあ、いいでしょう。どうせ、あなたはここで死ぬ。悪あがきくらいは、させてあげましょうか」
考えている場合ではない。マリクが眼前まで迫ったタイミングで、全ての力を出し切って、俺は月光を振るった。光の刃が伸びて、辺り一帯を薙ぎ払う。
それでも、手応えは無かった。
気が付けば、マリクは……俺の、後ろにいて……首を、掴まれていた。
「が……」
「言い忘れていましたが、私は特殊でしてね。己のPSを保ちながら、件の装置による上乗せが可能です。空間転移するのに、私自身はもはや装置を必要としません。アインとは違い起動に時間はかかりますが、仕込んでおくことは可能です」
翼が……消えていく。いけない……月の守護者が、保てない……。
「さて。陛下の機嫌を損ねたくもありませんので、今回は忠実に動かせてもらいます。ああ、本当に、残念ですが……」
背中から、手を当てられる。その、位置は……。
「さようなら、ガルフレア」
身体が、跳ね上がった。
俺の、胸を……。
凄まじい、衝撃が……。
貫い、て……。
「……ぁ……」
目の、前、が……。
白……く…………。