爪牙の死闘
「オオオオオォッ!!」
襲いかかるカシム……牙帝狼アンセルの爪を、僕は何とか受け流した。
ガルフレア達が飛ばされた後の、大広間。戦いを求めていたアンセルの標的は、当然ながら残された僕になる。幸いなのは、この広場なら……僕も本当の姿で、全力で戦えるってことだ。
「くははっ、世界とは本当に広いものだ! 貴様もガルフレア同様、我を楽しませてくれる!」
「そいつは、光栄だね!」
ガルフレアと瑠奈は心配だけど、彼を放置して進めるほど甘くはない。なら、今の僕に出来ることは、彼を全力で撃破すること。
ここまで大型のUDBとの戦闘は、僕も久しぶりだ。体格はほぼ同じ、ある意味ではやりやすいとも言えるけど。
「ふ、未だ少年の姿だったと言うのに。その若さでも、Sランクは格が違うと言うことか!」
「若さ……か。もう190歳なんだけどね、これでも!」
「おお、70近く上なのか。それは失礼したな。何せ、他種族の生態など、ここ数年を除けば学ぶ機会も無かったのでな!」
飛び上がり、爪を叩き付ける。だけどアンセルは、僕の予想よりも素早い動きで後ろに下がると、攻撃をいなしつつ、逆に僕を仰向けに押し倒してきた。痛みはそうでもない、けど、僕にのしかかって、組み敷いてくるアンセル。
「くっ……!」
まずい、急いで抜け出さなければ。変化? 間に合わない、喉笛を食いちぎられる方が早い。動くのは……尻尾。ならば遠慮なく!
「……んぐっ!?」
くぐもった悲鳴が、奴の口から漏れる。やった事は単純、全力で尾を振り上げただけだ。奴にとって不幸があるとすれば、ちょうどそれが直撃する位置が、奴の股座であったことだが。
押さえ付けてくる力が弱くなる。その瞬間に、全力を振り絞った。拘束から逃れると、奴を勢いよく吹き飛ばす。……危ない危ない、あと少し判断が遅かったら死んでたよ。
アンセルの側も、さすがにけっこう効いたらしく踞っている。男としては同情するけど。
「ぐうぅうぅ……やって、くれるな」
「卑怯だなんて言わないよね?」
「卑怯? ふ、ふふ……我ららしくない言葉を出すのだな」
苦痛に顔をしかめながら、アンセルは立ち上がった。
「狙えるものは狙えばいい。使えるものは使えばいい。隙をつき、集団で襲い、罠に嵌め……それが我らにとっての戦いであろう? 卑怯などという概念は、ヒトが生み出したものだ。それも、戦いの場で持ち出すのは未熟者であろうよ」
「……そうだったね。その割には、君は一対一をわざわざ作ったみたいだけど!」
「ふ、これはあくまで我の矜持。今の我には、己を高める事が命よりも優先される、それだけのこと!」
再び、双方飛びかかる。ダメージはお互いにあるけど、まだ決着は遠い。仕切り直しだ。
何回か攻撃を重ねて、分かった。彼は、並の牙帝狼じゃない。牙帝狼そのものが強力な種族ではあるんだけど、この動きは……前に見た個体とは、まるで違う。その理由は、今までの言動から想定はできる。
「君は、これまで随分と鍛えてきたみたいだね!」
「我にとって、強くなることは生きることと同じ。我より上の存在を知ってしまった以上……そこを目指すのが、男というものであろう?」
攻撃は緩めずに、それでも会話は続く。アンセルの考え方の根幹は、間違いなくUDBのもの。だけれどたまにヒトっぽい言い回しが混ざるのは、彼も僕と同じ……ヒトに興味を持ったUDB、だからか。
「そもそもが、自分を鍛えるって考え方からして、随分とヒトに染まっているね、君も!」
「くはは、違いない! だが、ヒトとは面白いと思わんか? 種の枠を越えて強くなり、圧倒的に高位の存在に打ち勝つことまである。最初は、信じられなかったぞ!」
「そうだね。ヒトほど興味深い存在は、この世界には……他にないと思っているよ!」
僕たちは、割と似ているのかもしれない。立場も性格も違うし、まさに殺しあっているはずなんだけど、どこか親近感まで覚える。
奴の爪が、僕の毛皮を裂いて傷をつける。僕の尻尾が、奴の脇腹を打ち付ける。お互いに、タフネスはヒトとは比べ物にならない。……それでも、急所はある。牙帝狼の並外れた自然治癒力でも、そこを狙えばそう簡単には立ち上がれないはずだ。もちろん簡単に狙えるはずもない。ダメージが積み重なれば……
突撃して、全力で右前肢を叩き付ける。腹に当たったけど、ちょっと狙いが逸れて、強靭な筋肉が詰まった部分。アンセルは低く呻きながらも、カウンターの蹴りを僕に放ってきた。胸の辺りを狙ったその一撃は完全にかわしきれない。蹴りに合わせて後ろに跳ぶことで、何とか衝撃の一部を和らげることはできた。
「痛っ……!」
「くっ……はは。本当に、血をたぎらせてくれる!」
全く、好戦的な種族なのは知っていたけど、本気で楽しんでいるみたいだね……問いかけるなら、お互いの距離が離れた今がチャンスかな。
「……アンセル。ひとつだけ、聞かせてくれないかな」
「変化の力の事か?」
僕の質問に、アンセルは動きを止めた。お互い、呼吸を整えるにはちょうどいい時間だ。
「うん。……この力を、少し見せただけで解析してしまったこと。そして君が、その大元の成り立ちを知っているらしいこと。認めたくはないけど、そこまで分かれば想像はつく」
考えていた。何でこの力が宿ったのかを。
一昨日、ガルフレアに尋ねたのもそうだけど……僕は、ヒトの中で暮らすようになってから、PSについては特に重点的に調べていた。この力が一番近いのは、やはりそれだと思ってから。
それでも、今に至るまで何も分からなくて……だけれど、予想はいくつかしていた。特に、ここ最近、そいつの存在を知ってからは。
「ねえ、アンセル。マリクは、この力の実験を……いつから始めていたんだい?」
「我も、詳細は聞いていないがな。最も古いものは、10年以上も昔とのことだ」
「……そうか。出来れば、違っていてほしかったけどね」
思い返してみる。この力に目覚めた時の僕を。
本当に、突然だったんだ。あの日、ただその辺りを歩いていた僕は、唐突に、自分に何かが宿ったような感覚を覚えた。頭の中にいきなり、変われるって考えが出てきた。まさにヒトのPSと同じ、降りてきたって感じだった。
今にして思うと、あれは本当に、一瞬のうちに起こった出来事だったんだろうか。例えば、実験をした後に、意識をちょっといじくられた可能性は無いとは言い切れない。僕たちは長寿なぶん、時間には無頓着だったし。
「気付いたか。……マリク殿の実験は広範囲に及び、試した種族も数えきれぬそうだ。どう実験したかまでは知らんし、貴様がその対象となったのはたまたまだろうがな」
「その成功例のひとつが僕で……もしかしたら、ずっと監視されていたりするのかな?」
「ひとつと言うよりは、唯一、らしいぞ。貴様がいたからマークされていたと言うよりは、あのギルド、赤牙そのものが特異点のようなものだとマリク殿は言っていたがな」
「特異点……か。言いえて妙だね」
マスターはもちろん、僕も、他のメンバーも……僕たちは、確かに特殊な存在が集まっている。それ自体は、偶然に近いものかもしれないけど。
「マリク殿とて、身はひとつだ。ここ数年はその他の研究を中心に行っており、四六時中、貴様を見張っていたわけではない。だからこそ、この間の戦いでようやく貴様からのデータを得られたそうだ。そこまで優先度の高い研究でも無かったようなのでな」
「………………」
「不服か? 自分の力が、敵に与えられたものだったという事実は」
「……そうだね。ショックが無いと言えば嘘になるけど。でも……ある意味では、初めて君の主に感謝したくなったよ」
僕は息を大きく吸い込み、四肢に力を入れた。
「この力が無ければきっと、僕はただヒトに憧れるだけの、叶わない夢を持った酔狂な存在でしか無かった。おかげで……夢を叶える道を、得ることができたんだからね」
「UDBとヒトの共存、か。しかし、それは未だに酔狂の域だぞ? 」
「分かっているさ。僕が生きているうちに叶うかも分からない、途方もない夢だ。だから、僕はその礎でもいい。相互理解は不可能じゃない……それは、他ならぬ僕が、そして君が証明している事だよ、アンセル」
「………………」
「そのためにもね……僕は、君の主が許せない。そいつを放っておけば、僕の夢はまた遠くに行ってしまう。そんなことは、させるつもりはないよ!」
「……そうか。ならば、我らは相容れないと言うことだ!」
アンセルが咆哮を上げ、構える。お互いに、勝負をかけるつもりだ。
「アンセル、君についてはガルフレアからある程度は聞いている。君は、自分の主が行っている事に、何の疑問も抱かないのか? ヒトを理解し始めている君ならば……僕と同じ思いを、少しは抱いてはくれないのか!」
「……我の答えは、ガルフレアに向けたものと変わらん。あのお方によって続いた命だ。ならば我は、我に役割が求められる限り、剣として生きてみせようではないか! そうして、さらに高みへと向かうことこそが、我の望みでもあるのだからな!」
「……良いだろう。ならば、完膚なきまでに打ち負かす!」
「やれるものなら、やってみせよ!」
翼を広げる。もう、出すべき言葉は出し尽くした。僕の夢は……こんなところで、負けられない!
「はあああああぁっ!!」
「おおおおおおぉっ!!」
互いに、全力の突撃を相手にぶつける。奴は腕を振り上げ、僕は喉元目掛けて食らいつこうとする。初撃は……お互いに空振り。
その勢いのまま、尻尾を頭部に叩き付ける。だけど奴の腕が、それを防いだ。すぐさま振り返り、お返しとばかりに口を開いたアンセルの牙から何とか逃れた。
牙を、爪を、尾を。全てを武器に、防具にしての取っ組み合い。無駄な言葉もない、純粋な殺し合い。実力は拮抗していた。お互いに決定打を入れられないまま、何度も攻撃が交差する。
先にまともな一撃を入れたのは、僕だ。防御に使われたアンセルの右腕に喰らいつき、そのまま噛み砕いた。
「グオオォ!!」
四肢をひとつ潰されたアンセルは苦痛に叫びながらも、僕の目を狙って無事な左手の爪を突き立ててきた。さすがに喰らうわけにもいかず、僕は牙を離して、そのまま飛び上がった。
だけど、そこで予想外の事態が起こった。あろうことか、アンセルは僕よりも高くまで跳躍すると、背中に飛び乗ってきたのだ。まずい、と思った時には遅く、翼に奴の爪が突き刺さったのが分かった。
「うぁ!!」
くそ、制御が……!
アンセルはバランスを崩した僕を強引に仰向けにすると、そのまま地面に叩きつけようとしてきた。どうする。何とか振りほどいて……いや、無理だ。受け身を取れる体勢でもない。どちらにせよ翼がない。落下のダメージは、防げない。このまま落ちれば、致命的な傷を受ける。死なずとも、動けないところに止めを刺されて終わりだ。
ならば……守りは全て諦め、死なば諸共!!
「な……!?」
無理矢理に、尻尾を奴の身体に巻き付ける。体勢を崩したアンセルを拘束したまま……落ちながら、思いっきり引き寄せる。そして、無防備な腹を……今度こそ急所を目掛け、思い切り左前肢を突き出した。
「がっ、ふ!!」
苦悶の声が上がる。僕の一撃は、鳩尾に深々とめり込んでいた。内臓を揺さぶられ、アンセルは唾液を撒き散らした。
そんな攻防の果ては――二人揃ってバランスを崩しての落下。全ての体重が乗った上で背中から叩き付けられる僕。ばきり、と嫌な感覚が、身体の中で何箇所にも起きた。
そして、僕の上にそのまま落下する事となるアンセル。その体重は当然ながら、僕の前肢に……そして、奴の鳩尾に集中する。奴の腹に、僕の前肢が有り得ないくらい深々とめり込んだ。
「かっ、はあぁ……!!」
「うぐ、あ、あぁっ……!!」
骨が砕けている。攻撃に使った左前肢も潰れている。……それを認識すると同時に満ちる、声が出ないほどの激痛。覚悟は、していたけれど……相当、きつい。だけれど、アンセルの側も、凄まじい苦悶を顔に浮かべて硬直している。
僕は力を振り絞って、アンセルを遠くに投げ飛ばした。あいつも受け身どころではなく、そのまま転がっていった。
「ぐ、うぁっ……ごふっ!! がっは、おごおぉっ……!!」
胃袋の中身を盛大にぶちまけながら、アンセルは腹を押さえて丸まり、悶え苦しんでいる。あいつの巨体が持つ重量の全てが急所に直撃したんだ、いくら凄まじいタフネスを持っていたって、効かないはずがない。
「はぁ、はぁ……うっ!」
だけど、僕にも冷静に考察している余裕はない。ダメージの大きさに、まともに立ちあがることもままならない……まずい、視界が、揺れている。意識が……飛びそうだ。
「ごほっ、ごほっ……ぐうぅ……!」
「あ、あぐっ……」
アンセルは激しく咳き込みながら胃液を吐き出しているけど、僕もとても動けそうになかった。激痛が全身を蝕み、体力は残っていない。意識を保つので……精一杯だ。
僕たちはしばらく、お互いに地面でもがく羽目となった。……まだ、相手は生きている……決着じゃ、ない。少なくともアンセルは、僕を殺すつもりである以上……。
「う……ぐぅ……」
アンセルの腕に、力が込められた。まずい……どうやら向こうの方が……先に、動けそうだ。
よろよろと立ち上がったアンセルは、千鳥足ながらもこちらに近付いてくる。こんな状態では、何をされようと抵抗はできない。
「爪を、立てていれば……殺せていたと、言うのに。……げほっ……咄嗟に、甘さが、出たな……?」
「く……ふ……!」
「だからと、言って……温情は、返さぬぞ……!」
分かっている。アンセルに、そんな甘さはないだろう。……早く、動け……こんな、場所で、この夢を、終わらせるわけには……!!
「よく頑張ってくれたな、フィオ」
「…………!?」
割り込んできた声に、僕は思わず動きを止めた。この声……もしかしなくても。
「あ……」
「き、貴様は……」
「……加減は、せんぞ」
僕を庇うように立ちはだかった、赤い狼人。……全く、タイミングが良すぎる人だね、この人も。ヒーロー気質とでも評価すればいいのかな……!
マスターは、一気に地面を蹴った。慌ててそれを迎撃しようとしたアンセルは、だけど、すぐに驚愕に目を見開いた。……直後。アンセルの全身から、血しぶきが派手に上がった。
「ぬがああああぁ……ッ!!」
マスターの剣が、アンセルを斬り刻んだ……僕に分かるのは、それだけだ。何回斬ったのか、なんて、見切るのも無茶な話だろう。全身からの出血と共に、アンセルは再び膝をつき、そのまま倒れ伏した。
「……仲間を傷付けた報いだ。悪く思うな」
「ウェア、ルド……アクティアス……!」
「UDBにまで名が知れているとは光栄だな。……お前がガルの言っていたアンセルか」
僕を庇うように立ったマスターの姿に、アンセルが気圧されている。いくら彼が好戦的であろうと、いや、だからこそ、格の違いってものを肌で感じているんだろう。
「……最高の、武人で、あるとは、聞かされて……いたが。全く、見えぬとは……う、ぐっ……」
「退け。さもなければ次は、心臓を貫く」
「…………!!」
感じた。マスターは怒っている。いや、もしかしたら焦っているのか。アンセルの顔に、彼らしくない恐怖が一瞬だけ浮かんだ。彼が望んでいるのは強者との戦い……弱った状態でなければともかく、勝算がゼロのものを戦いとは呼べない。
「……退く、訳には……いかぬ……! 我の、役目は……」
それでも、忠義の心が勝ったのか。マスターに挑もうとするアンセルの言葉。……だけど。
「いや。貴様の役目は、もう果たされた」
そこで割り込んできたのは、あまりにも機械的な声。気が付くと、アンセルのすぐ側に、黒い竜人が姿を表していた。驚いているのは、アンセルも同じらしい。
「アイン……!? 何故、ここに……」
「貴様の性格を見越してのマリク様の指示だ……帰還するぞ、アンセル。時間稼ぎは十分だからな。それよりも、貴様をこの段階で失うのは、マリク様にとって痛手だ」
「……お目付け役、か。不本意……だが……仕方、あるまい」
「お前が、アインか……!」
「お初にお目にかかる、とでも言うべきか。だが、今回はお互いに構っている場合ではないであろう?」
アトラは、まるで人形みたいって、言っていたけど……想像していた以上に、その感想の通りだった。この男……本当に、ヒトなのか?
「フィオ……貴様とも、いずれ、決着を……つけよう。ガルフレアは……生きて、いれば、だがな」
「ガルフレア達に、いったい……何をしているのさ……!」
「……さて、な。だが……向かった先は、この遺跡の最奥。この部屋の、さらに奥だ。今から急げば……間に合うかも、しれんぞ」
「貴様ら、あいつを……!」
「我らに構っている場合ではあるまい? 一秒でも早く辿り着かねば、綾瀬 瑠奈はともかく、ガルフレアは死ぬぞ。マリク様の目的は、奴の始末なのだからな」
「…………!!」
アインは、アンセルの身体に触れている。そのまま転移するつもりのようだ。
「出来れば、奴には主の望みを叶えてほしいところだがな。……さらばだ」
その現象は、本当に一瞬だった。気が付くと、アンセルの巨体も、アイン本人も消えていて……装置のものより、遥かに強力な転移、ってことだろうか。
「主の……マリクの望み、だって……?」
「……謎かけについて考えている場合ではないか。急がねば……!」
「そう、だね……かはっ……!」
なんとか起きようとしてみたけど……これは少し、無理そうだ。痛い……意識が、飛びそうだ。
「フィオ!」
「ごめん、マスターは……先に、行って。僕は、自分でどうにかするから……ガルフレア達を……!」
「……済まない。すぐにコニィ達が来る、それまで堪えてくれ!」
マスターは少しだけ躊躇いつつも、すぐに駆け出した。……不甲斐ないけど、僕は力になれない。マスターさえ間に合えば、相手が誰だってどうにかなる。だから……ガルフレア、瑠奈、どうか無事でいてよ……!