心、向かい合わせて
「………………」
強く願って、光が溢れて、また視界が拓いた時……目の前に、ガルがいた。
うずくまって、表情は見えない。暗闇の中で、ただ身を縮めている。何もかも遠ざけるような、そんな感情が伝わってくる。
でも、さっきまでと違って、ガルと同化してるような感覚は薄くなってた。こうやって、向かい合ってるからかな。
「……ガルフレア」
返事は無い。だけど、耳がぴくりと動いた。聞こえている。ガルに、私の声が届いている。
「もう……止めてくれ。分かった、から。俺は、もう……」
「あ……。違うんだよ、ガル」
考えてみれば、誤解されても仕方ないタイミングだ。怯えるガルに、まずは私が私だって伝えないといけない。
「私は、本物の瑠奈だよ。さっきまでのアレとは違う……あなたを責めるために来たわけじゃない」
「そんな、馬鹿なことがあるものか」
「馬鹿なことって言ったら、この状況そのものだよ。……これがあなたの心の中だって、分かってるでしょ? そこまで来たら、本物の私がいてもおかしくないと思わない?」
ゆっくりと、顔をこちらに向けたガル。その目には、感情がこもっていなかった。少し前まで怯えてたのを、取り繕うように。
「仮に君が本物だとしても……いや、本物ならばなおさらだ。人の心に、土足で踏み入るな。戻れ」
「……入ってきたのは悪いと思ってるよ。どうしてこんな事になってるかは全く分かんないけど。でも、それは置いといて……私、見たよ。あなたの、過去を。あなたが今まで見てたものを」
「…………!!」
話さなきゃいけない。ガルの抱えてきたものを、一部でも見た今だからこそ。
ガルが驚いたのは一瞬で、すぐにその表情が消える。必死になって、仮面を被ろうとしてる。
「は。ならば、分かっただろう? 君の隣に居座っていた男が、どれだけ醜い存在か。どれだけ罪深い存在か」
「…………」
「あれだけ人を殺しておいて、いつかは幸せになれるだと? 我ながら、よくも馬鹿らしい幻想を抱いたものだ」
もしかしたらさっきの風景は、ガル自身も無くしてた記憶だったのかな。だから、それを思い出しちゃって、彼は昨日よりもっと絶望していて……。
「俺の存在は、人を不幸にする。過去のことだけではない。関わってしまった君たちの平穏を、俺は奪い去った。自分の目的のために、だ」
踏み出してみた。でも、私の身体は、ちっともガルに近付かない。ここが普通と違うって考えると、私とガルにある距離は……心の距離ってことだろうか?
「見ただろう、君たちを殺す俺を。あれは、近い未来だ。俺がいれば、いずれああなる。俺は、そういう存在だ」
それを見て、あんなに苦しんでたくせに。こんなに淡々と、まるで私に嫌われようとしてるみたい。
「誰も彼も、馬鹿ばかりだ。俺などの周りに、集まって。俺を、受け入れて。俺は最初から、ひとりでいるべきだったのに」
「…………。ねえ、ガル」
まずは黙って聞いてるつもりだった……けど。彼の言葉に割り込んで、私は微笑んだ。
「あなたの言い分は分かったよ。その上で、私、どうしてもあなたに言いたいことがあるんだけど」
大きく、息を吸い込む。ああ、きっと今の私の笑顔は、コウとかカイに見せたらまた怯えられるんだろうなあとか、そんな場違いな事をちょっと考えたのは、きっと感情が一周回っちゃったせいで――
「――ひねくれるのもいい加減にしなさいよ馬鹿オオカミ!!」
思いっきり、遠慮なく叫んだ。私が声を張り上げたのが予想外だったのか、ガルがちょっとたじろぐ。
「そうやって、自分で勝手に背負い込んで、無理して、強がって、傷付いて。馬鹿みたい。何を勝手に自己完結してるのよ卑屈男!!」
「な……」
「私たちを殺すって? あなたが? 妄想も程々にしなさいよ! まだ起こってもないことで勝手に落ち込むなんて、タチ悪すぎでしょ!!」
思えば、ガルにこうやって強い口調でぶつかったこと、昨日までは無かったかもしれない。昨日と違うのは、今の私には退く気はないってことだ。
少しだけ困惑してたガルも、すぐに私を睨み返してきた。
「ふざけるな! 妄想だと? 俺には、俺が戦いを巻き起こす根拠がある! それに巻き込まれてお前たちが死ねば、俺が殺したのと何も変わらないだろう!」
「全然違うでしょ! だいたい、私たちが死ぬなんて勝手に決め付けないでよ!」
「お前は現実を見ていないだけだ! これから奴らが動き始めれば、今までとは規模が違う争いが起きる! 俺に関われば、そこに巻き込まれることになるんだぞ!」
「現実を見てないのはガルの方だよ! あなた一人で戦ってるわけじゃないんだよ、エルリアだって襲われたんだから! あなたに関われば? 違う! 私たち自身にだって、戦う理由はあるんだよ!」
「子供が、何を一丁前に!」
「子供? ……どうしていいか分からないからって、考えるのを止めてウジウジしてるだけの今のあなたの方が、よっぽど子供じゃないの!」
ひどいことを言ってるのかもしれない。的外れかもしれない。もっと、傷付けるかもしれない。だけど……それを怖がってたら、彼にはきっと触れられない。この距離は埋められない。
今のガルに言葉を届けるには、後の事なんて考えてちゃ駄目だ。真っ正面から、全部を。
「……あなたの気持ちだって、分かるよ。だけどあなたは、ちょっと度が過ぎるんだよ」
「この期に及んで、またその言葉を吐くのか……! お前は、どこまで俺を馬鹿にすれば気が済む!? 少し俺の過去を見た程度で、すべてを理解したつもりか!?」
「そうじゃないよ。そこまで自惚れるつもりはない」
断片的に追体験はしたけど、それが彼の全てじゃないことは分かってる。それでも。
「確かに、本当のことは、あなたが言ってくれなければ分からないよ。でもね、ガル。それならあなたは、その人がどんな事を考えるのか……ずっと一緒にいた相手について、何も想像はできないの?」
「…………!」
心の中まで、その人についての100%を知らなきゃ理解とは言えないなら、きっと世の中に他人の理解なんて存在しなくて……私は、そんな悲しい話はないと思いたい。
知らない部分はあっても良いんだ。その上で、分かって欲しいとこを伝え合う。それを繰り返して、そのうち相手の考えとかを察することができるようになって……それが信頼で、理解だって、私は考えてる。
「ガル、あなたは言ったよね。君が俺の何を知っているんだ、って」
「それが、どうした」
「知ってるよ。不器用で、無愛想で、卑屈で……でも、真面目で、優しくて、頼りになること。クールに見えても、曲がった事が嫌いで、実はけっこう熱くなりやすい部分もあったりすること」
それは、私が見てきたガル。良いところも悪いところも、たくさん見てきた。だから私は胸を張って言う。ガルのこと、分かってるって。
「戦ったらとても強くて逞しくて、いつでも自分を鍛えてること。けど、本当は静かに過ごすのが好きで、ゆっくり本を読んでる時は凄く幸せそうにしてること。面倒見がよくて、いつでもみんなを気にかけてくれること。……そんなあなたの事を、私はよく知ってる」
どうして昨日はつっかえちゃったんだろってくらいに、言おうと思えばいくらでも出てくる。私は、ずっとガルの近くにいたから。思い返してみたら自分でも驚くくらいに、私は彼と一緒に過ごしてたから。
「私だって、ずっと見てきたんだよ。私と一緒に過ごしてきたガルフレアについて、私はよく知ってる自信がある」
「それは、本当の俺では……」
「違うよ。それだって、あなただよ。あなたが偽物だと思い込もうとしてるだけで……全部、ガルフレアなんだよ」
ガルが、牙を噛み締めた。自分が自分を一番知ってるとは限らないって、私は思う。だから私は、ガルにだって否定させるつもりはない。
「分かったような、つもりになっているだけだ! お前だって見たのだろう? ……俺は、任務と称して大勢を殺すことだって、躊躇わずにしてきた。お前たちのような子供を……欺いて、利用すること、ぐらい……いくらでもやれる! 俺のことを、いちいち理想化するな! 俺は、ただの人殺しだぞ!!」
……本当に、不器用だ。否定しきれてないのに、否定しようとする。もしも本気でそう考えてるのなら、こんなに辛そうな顔はしない。拒否のたびに言葉を詰まらせたりはしない。
「おぞましいだろう? 他人を簡単に殺せる男だと、最初から知っていたら……関わらなかっただろう? 近寄りたくないと思って、当然だろう!?」
そう思われたいとでも言いたげに、ガルは声を荒くした。……ああ。やっぱり、そうだ。今の彼は、初めて会った日と同じ目で……だから、私は彼を。
「……こんな外道を、信じるな。君は、俺に関わるべきではなかったんだ、瑠奈」
そうして、言葉とは裏腹に、隠せていない優しさが……本当に、彼らしくて。何だか笑いたかったし、泣きたかった。
……伝えなきゃいけないことは、山ほどある。正直、どこからどう話せばいいかは分かんない。だから、ひとつずつ、思うままに。
「それが、どうしたの?」
ガルの動きが、止まった。今度は困惑したような目で、私を見てる。
「あなたが、たくさんの人を殺してきたのは見たよ。どんな理由と目的があっても、それが正しかったなんて、私には言えないよ。……だけどさ。忘れたの、ガル?」
「何を、だ」
「私だって言ったはずだよ。……私はあなたを嫌いになんてならない。あなたがどんな過去を持ってても、私にとって、あなたは私の知るガルフレアだ、ってね」
「……っ……!?」
それは、あの日の言葉。まだガルが何も思い出してなかった、二人で一緒に夜空を見上げた日の言葉。あの日のことは、私にとっても特に印象に残っていて……ガルも、それは同じだったみたいだ。
「それに、自信を持って言えるよ。あなたは、あなたが言うような外道なんかじゃない」
彼はずっと、苦しんでた。相手は悪人だから、なんて考えに逃げることだってできたはずなのに……彼は、真っ正面から自分の行いを受け止めた。
「ごめんね。正直に言うと、ちょっと安心しちゃった。あなたは、昔も今も変わらないって分かったから。生真面目すぎて、不器用でさ。どこまでも、私のよく知ってるガルフレアだった」
「なに、を……」
「だからきっと、まだ思い出せていないガルも、あなたのまま。だから……まだいっぱいいるはずの、私の知らないガルフレアの事も、私は好きになれるって思ったんだ」
揺れている。ガルは、とても揺らいでいる。だって、こんなにも簡単に、肯定されちゃったから。自分がここまで重く受け止めてきたものを。
あんなにたくさんの人が死んで……いくら悪い人だったとしても、他の手段はなかったのかって、もちろん思うよ。だけど、ガルの顔を見て……泣きたくて、叫びたくてたまらないのに、必死にそれを堪えてる。そんな心を見たのに、彼を責めるなんてできない。それなのに……どうして、ガル自身は、こんなにも。
「本当は、誰よりも優しくてさ。武器を握ることも嫌なくせに。戦って、戦って、戦い続けて……望まないまま、殺さなくちゃいけなくて。誰かのために汚れたはずなのに、汚れてるからって自分を責めて」
「…………っ!!」
「本当は、誰かに認めてもらいたいって思ってるくせに、自分が認めない。許してほしくてたまらないはずなのに、自分が許さない」
「……止めろ。何を、人を見透かすような、事を……!」
その激しい動揺が、答えみたいなものだった。さっき、感じちゃったから。彼がずっと、胸の奥にしまっていた悲鳴を。
「ひとりで平気なんだって、強がって。叫びたいのも、泣きたいのも、全部ひとりで呑み込んで。でも……本当は、全然平気じゃない。平気なはずないよ」
「止めろ……止めてくれ! 聞きたくない……!!」
自分の弱さを突き付けられるのは、ガルにとってたぶん我慢できない。だけど、私はそれをしなきゃいけないと思った。だって……弱いとこを見つめなきゃ、人は先には進めないから。
「あなたはちょっと、自分に厳しすぎるよ。自分がどれだけ苦しんでるのか、頑張ってるのか、一番分かってるのはあなた自身のはずなのに」
分かってるのが自分自身だから、その自分が認められないから、周りに何って言われたって自虐に変わる。だから。
「自分を、許してあげてよ。あなたの事を、責めないであげてよ。あなた自身が……あなたを認めてあげてよ」
それができないから、彼は殻に閉じ籠ったんだ。それができるようにならないと、彼は殻から出てこれないんだ。自分も見れない人が、周りからの視線に気付けはしないから。
少しだけ、お互いの言葉が途切れた。
「……できる、わけ、ないだろ……」
それを破ったのは、聞いたこともないくらいに弱々しいガルの声。そして。
「できるわけないだろ、そんな事!!」
彼の中に溜まってたもの。許されたいって願いすら許さない、罪の意識。それが、叫びになって溢れた。
「俺は、数え切れないほどに多くの命を奪った! そんな俺を許せだと? こんなに大量の血を流したやつを、許せだと!? それだけの血を流しておきながら、正義に殉ずる覚悟すら出来ずに逃げ出した、半端者の俺をか!!」
「………………」
「俺が望んでいなかった? だから何だ! それが、相手に言えるのか? 殺された側にとって違いがあるのかよ!! ……ああ、気付いていたとも。俺が殺したのは、完全な悪だけじゃない。もしかしたら、戻れた人だっていたかもしれない! それでも俺は斬ったんだ。俺が斬り捨てたんだ! 正義などという言葉を隠れ蓑にして!!」
「……ガル」
「そして、これからも……俺は、かつてと同じように戦うしかない! かつての俺が果たさなければいけなかったものを、仲間を裏切ってまでやろうとしたことを、忘れたままでいるわけにはいかないじゃないか! だけど、その中で、誰も殺さず済むなんて有り得ないだろう? こんなに罪だ何だと言っているくせして、まだ刀を置けない……どうしようもない馬鹿なんだよ、俺は!!」
それはどこか、彼らしくない口調。だけどきっとこれが、本当の、何も取り繕ってないガルフレアなんだ。責任感だとか、そんなものを取っ払ったその下にいたのは、こんなに傷付いた、普通の人。……考えてみれば、当然だよね。理想化するなって言われたのは、間違ってない。
「仮に過去の行いが許されたとしても……消せないんだ! 大きな力に関わり、それを裏切ってしまった事実は! それが呼ぶ戦いからも、逃げられはしないんだ!!」
……そして、ガルが苦しんでる一番の原因は、過去のことじゃなくて、そのせいで訪れる、これからのことなんだと思う。それが、あんな夢を彼に見せたんだ。今だったら分かるけど、そんなときに私が言っちゃったことは、ガルを怒らせて……いや、怖がらせて、当然だった。
「みんなは言ってくれた、それは俺のせいじゃないと。だけど、実際はどうだ? 俺がいなければ、起きなかった戦いは本当にないのか? 俺が護った? 俺が起こしたものを、自分で片付けているだけにすぎない! それなのに、どうして……どうして、みんな俺を責めないんだ!!」
ガルの後ろ向きな考えは、ただ単に性格の問題だけじゃなかった。忘れてしまってた過去、そこに暗いものがあるっていう確信のせいだったんだって、ようやく気付く。
「みんなだって分かっているだろう!? 俺と関わり続ければ、俺を狙うリグバルドはもちろん、ルッカ……お前たちの友人と戦う事になると! アトラは自分の兄と敵対することになると! 彼らだけじゃない、さらにいくつもの争いを引き起こすのは確実だと!」
「……ガルフレア」
「……分かっている。俺だって、分かっているんだ、今さらだって! もう、みんな俺と関わってしまって……もう、手遅れなんだって。俺が半端に甘えてしまったせいで、とっくに多くのものを壊してしまった後なんだって……!」
……だけど、それもガルの一部でしかない。
ガルがもし、本当に自分を全て諦めていたなら。彼はたぶん、もっと早くに私たちの元を去ってたはずだから。それが彼自身でも分かってるから、余計に。
「俺は、ここにいては、いけなかったんだ……いや、どこにも、俺の居場所なんてあるものか! 親の顔すら知らず、友を裏切り、戦いをもたらすだけの存在……俺なんか……」
ガルは、怒りと絶望の中にいる。けど、その怒りの対象は私じゃなくて……全てを、自分に向けてしまった。
「俺なんか、始めから存在していなければ良かったんだ……!!」
「っ。…………」
「……そうじゃないか。俺がいたら、俺の、大切な人たちが、傷付くなら……それなら、俺が……消えるしか、ないじゃないか……」
激情を吐き出したガルは、うつむいた。震えている。怯えている。心の壁を壊されて、不安定になった彼の感情。今まで見せてこなかった、吐き出さなかった、ガルの弱さ。
「だから、もう……止めて、くれよ。どうして、君は……俺の諦めようとしたものを、見せつけてくるんだ」
その奥にあった本音が、ちらりと見える。
ガルはきっと、何回も考えてきたはずだ。自分がいたら戦いが起こるなら、自分がいなくなればいいって。それが出来なかったのは……当たり前な理由。
「過去を思い出して……ようやく、踏ん切りがつきそうだったのに。何で君は、それを知ってなお、そんなに優しいんだよ? そんな事を言われたら……俺を認められたら。また、俺は……諦めきれなく、なるじゃないか。望みたくなるじゃないか……俺には、幸せになる資格などないのに」
諦められなかったんだ。望みを捨てられなかったんだ。みんなで過ごす時間は、彼にとっても本当にかけがえのない時間だったはずだから。ガルが見せてた笑顔は、本物だったはずだから。
自分に厳しくて、戦い続けるしかないと考えてるのも本心だろう。だけど、それに苦しんで、救われたいと思う彼だって、いて当然だ。
迷って、苦しんで、望んで、後悔して。ガルの中身は……どこまでも、普通の人でしかなかった。
「……うん」
ああ。やっぱり、私は間違えてた。みんなも、間違えてた。
「そうだね。ガルの言ってることにも、間違ってないことはあるよ」
ガルフレアはずっと、分かってたんだから。私たちが彼のせいじゃないって思ってることも。だけどその上で、やっぱり自分が原因のひとつになってることも。
「あなたのせいで起きる戦いがあるかもしれない。あなたがいたことで誰かが傷付くかもしれない。その結果として取り返しがつかないことも、起こるかもしれない」
「………………」
それを否定したって、ただの慰めに聞こえるに決まってたんだ。だから……。
「だけどさ。今さらだよ、そんなの」
「……なに……?」
そう、今さらだ。私たちが、本当に伝えるべきだったのは。
「私、最初に言わなかったっけ? あなたの過去がどういうものか、危険が待ってるってのは分かった上で、あなたについて行くって」
「…………!」
ガルのせいでやって来る危険だなんて、私たちだって最初から分かってたってこと。それでもガルについて行くって決めたこと。
「私たちはいつだって、自分で戦うことを決めたんだよ。赤牙に来るきっかけは、あなただったかもしれないけどさ……今は違う。こうして赤牙に残って戦っているのは、私たちの意思なの」
そうして実際に色んな戦いを体験して、危ないことだって山ほどあって……それでも、私たちはここにいるんだってこと。
「だいたいさ、ちょっと、自分の周りについて考えてみたらどう?」
何でも自分の、自分だけのせいにしちゃう、卑屈な性格。自分は、周りのことまで何も文句を言わずにやっちゃうくせにね。
「私たちだって、英雄の子供。リグバルドに狙われていい立場だよ。マスターや先生なんか本物の英雄だしね。アトラはお兄さんがフェリオさんだし、フィオ君はUDBだし、美久はお父さんがリグバルドの将軍さんなんだよ? あなたがいなかったら、戦いが無くなってたなんて、本気で思ってるの?」
「それは……」
「私たちさ、みんな色々と抱えてて、そういう仲間でしょ? なのに、自分のことだけ特別みたいにさ。それってさすがに周りを見てなさすぎない?」
冗談めかして、小さく笑う。もちろん、程度の大小があるのは分かってるけど。それが赤牙で、私たちだ。
「……私だって、不安だよ。戦いの中で、私の未熟さのせいで誰かが死んじゃうんじゃないかって。私を狙ってきた相手のせいで誰か巻き込まれるんじゃないかって。ううん、あなたや私だけじゃない。きっとみんな、同じ不安を抱えてる」
「……みんな、も……?」
「うん。それでも、その不安を抱えても戦えたのは……仲間を、信じてるから。みんななら、私の足りないところを補ってくれるって思ったから。そして、私でも、誰かを少しは助けられるって教えてもらえたから。あなたも言ってくれたよね? 私に救われた、って」
私には、何もかもが足りない。力も、経験も、きっと覚悟も。だから、私は一人じゃ何も出来ない。だけど、そんな私をいつも見てくれる人が、私の周りにはいっぱいいる。だから、私もみんなを見る。助けてくれたぶん、みんなを助ける。
ガルだって、そうなんだ。この人はいつだって、私を助けてくれた。彼がいたから、私はここまでやってこれた。それなのに、彼は……自分は手を差し伸べるくせに、こっちが伸ばした手を素直に掴んでくれない。
「……言わないでよ。俺なんか存在していなければなんて、そんなこと言わないでよ! それは、私たちがあなたと過ごした時間を、全て否定してるのと一緒なんだよ!!」
「……あ……」
誰よりも頑張ってきたはずのガル。それでも、そんな自分の頑張りを認められなくて、責めて。それで何でも「自分のせいだ」って自己完結しちゃうから、ぐるぐる回って落ちていく。
「私たちはね、何もかも含めて、ガルフレアを信頼しているんだよ。全部分かった上で、あなたにいてほしいと思ってるんだよ? ……あなたを、必要としてるんだよ?」
「俺が……必要……?」
「そうだよ。前にも言ったけど、私の当たり前にはもうあなたがいるの。あなたがいないと、足りないの。……戦いのことも言うなら、それこそ今さらだよね。あなたが今まで、どれだけ私たちを助けてくれたと思ってるの?」
彼は最初から、色んなものを諦めてしまってた。見ないふりをすれば、楽だから。……だけど、そのせいで気付いてなかったんだ。どうせ手に入らないからと諦めてたものは……もう、とっくに。
「ねえ、ガルフレア、私は思ってるよ。あなたと出逢えて良かったって。あなたは? 赤牙のみんなと出逢えて、良かったって思えない?」
「お……俺、は」
「仮にこれから、何が起こったとしても、私はあなたと出逢ったことを後悔したりなんかしない。それは、自信を持って言える。……その出逢いまで、私の宝物のひとつまで、馬鹿にしないで。あなたが自分を否定することは……みんなの気持ちも、否定することなんだよ」
少し厳しい言い方、かもね。でも、さすがにそこは許せないし譲れない。
「いいじゃない、あなたが原因で私たちが巻き込まれたって。その代わり、私たちが何かの原因になった時、あなたが助けてくれればいいんだよ。って、あはは、それは押し付けかな? あなたの気が向いたらでいいんだけどね。私だって、自分がそうしたいって思うから、あなたと一緒にいるんだし」
「………………」
「……そういうもの、だよ。誰だって、誰かと関わるなら、迷惑はかけて当然。あなたじゃなくても同じなの。……仲間って、一方的に護るものじゃなくて、お互いに助け合うものでしょ。それとも、私は頼れない? 頼るほどに信じてない?」
「ち、違う! 俺はただ……君たちに、負担をかけたくなくて……」
「……重いものを持ってくれって言うの、けっこう勇気がいるよね。だけど、私は……そんな重荷でも、託してもらえた方が嬉しいな。だってそれは、ガルが私を信じてくれてるってことだからね」
護られるだけの、保護者みたいな関係じゃなくて……本当の意味で対等な、仲間になりたい。だから、頼ってほしい。必要とされたい。
「だから言ってよ、助けてくれって。あなた一人で無理な事でも、みんなが一緒なら、もしかしたら叶うかも、だよ。大事な目的だったんだよね? 昔の友達から離れてでも叶えなきゃいけなかったくらいに。だったら、意地を張ってたら駄目だよ。昔の自分を、もっと大切にしてあげないとさ」
ガルは、何も頼れなかった。私たちも、自分自身すらも。一人じゃ駄目だって分かってても、頼るって選択肢を選ぼうとはしなかった。それはきっと、迷惑だからって、負担だからって思ったから。だけど私は、その言葉が聞きたい。
「助けを求めて、その相手に何かがあったら、きっとあなたは自分を責めるんだろうね。全て自分の責任だ、って言ってさ。でも……助けを求められて、その後にどうするかを選ぶのは、その人自身なんだよ」
「……選ばせたのが、俺だとしても?」
「罪悪感を持つな、ってのは無理だと思うよ。だけど、人の決意は、その人のもの、だよ。それまで自分の責任にするのは、逆に自己中に感じちゃうかな?」
何もかもを背負い込もうとする責任感。それが、色んな負い目から来てるのは分かるけどね。
「あと、幸せになる資格がどうとか言ってたけど、難しく考えすぎ。過去を罪だと思うから幸せになれないって? それで、誰が喜ぶの? 違うよね。ただ、あなたが不幸になるだけだよ」
「……それでも、それは。罪に対する……言い訳、じゃ、ないのか……?」
「だったら、あなたは自分が不幸になることで、私たちも不幸にする? あなたが苦しんでるのを、黙って見てろって私たちに言うの? ……私は、ガルが幸せになれないなんて、悲しいよ?」
「……みんなが、悲しむ……」
望んではいけないんだって、ずっと予防線を引いてたガル。きっと、こんな考え方はしたことがなかったんだろう。自分が幸せになれなければ誰かが不幸になる、なんて。
「いいじゃない、幸せを目指したって。……あなたが昔を罪だと思うなら、それを背負うのは止めないよ。でも、だからって、諦めるのは違う。私は、そう思う」
「……俺は」
一歩だけ踏み出してみる。前に進めた。ガルに、少し近付いた。
「望めないなんてこと、ないんだよ。ううん、望んでほしいんだよ。……もっと我儘になってよ。あなたの意思を聞きたいの。あなたの願いを聞きたいんだよ」
「……俺の、願い」
「私はまだ未熟で、どこまで力になれるか分からないけどさ。私も、強くなるから。あなたと一緒なら、きっと強くなれるから……護られるだけは、支えられるだけは嫌だから」
まだ、少し遠い。だから、言葉と一緒に一歩ずつ、前に。
「あなたの荷物を、持ってあげたい。同情とかそういうのじゃなくて……私が、そうしたいの。それが私の、私たちの望みなんだよ。資格がないなんて言わないで。私たちの望みを、叶えてよ」
「君たちの、望み……」
「どっちかが依存するんじゃない。辛いことだって助け合えて、弱音だって言えて。それだけじゃなくて、普段は一緒に笑いあえて……隣で、支えあっていける関係。私はあなたと、そういう関係になりたい」
また一歩、縮まる。ガルと私の距離は、あと少し。これが、私のぶつけられる最後の言葉。
「未熟なら、もっと強くなるから。届かないなら、追いかけるから。だから、もう逃げないで。――私はあなたに、そばにいてほしいの!!」
だから……この手を――。
「………………」
その感触に、お互いに見つめあった。無防備なガルの顔は、何だかすごく愛おしかった。
「…………ふふ」
触れ合う指先。あたたかい指先。大きくて、逞しくて、だけどそれだけじゃないって分かった、男の人の手。……心と心で、ちゃんと触れた。
「やっと、届いたね」
「……瑠奈……」
まるで、憑き物が落ちたみたいな、そんな顔で。ガルフレアは、泣いていた。
「……ああ、そうか。そう、だったんだ。俺は……自分しか、見えていなかったんだな」
ガルは、ぽつり、ぽつりとそんな事を呟いている。
「本当は、手を伸ばしたかった。手に入れたかった。かけがえのないものを、見付けてしまったから。だけど、それは、俺にはあまりに眩しすぎたから……」
「……うん」
「君の、言う通りだ。俺はずっと、逃げていた。現実からも……夢からも。逃げて、自分に閉じ籠っていた。だから俺は……」
自分だけで答えを出そうとして、出なくて。元々の性格もあって、どんどん悩んでいっちゃって。それにもっと早く気付いてあげるべきだったなって、今なら思うけど。
「君を失うのが、怖かった。みんなを失うのが、怖かった。だけど、それは……俺だけじゃ、なかった。ウェアだって、そう言ってくれたはずなのに。どこかで、それは同情にすぎないと思っていて……」
「ウェアさんは、ガルの事をすごく心配してるよ。他のみんなだってね。でも、それは同情なんかじゃないんだよ」
「……本当に、馬鹿にも程があるよな……みんなは、ずっと、俺を受け入れてくれていたのに。俺だって最初は、それを望んでいたのに。気付かないうちに、勝手に自分を、外に置いてしまった」
「気が付いたなら、もう見落とさないようにしないとね。あなたは、みんなに想われてる。あなたはとっくに、みんなの中にいるの。あなたがみんなを大切にしてくれた分、ね」
「そうか……そう、だな……」
今まで、彼が堪えていたものがゆっくりと溶けて、流れていくみたいに。ガルの涙は、静かに溢れ続けている。
「俺は、本当に……果報者だな……」
「ふふ。違うよ、ガル。あなた自身が、あなたが頑張ってきたから、みんながあなたを見てくれるの」
そう、ガルフレアだから、彼だから。みんな、彼を見てきたから。この信頼は、彼自身が手に入れたものなんだ。
「銀星って人が、言ってたね。あなたの進む道に平穏はないって。でも、そんなのあの人の勝手な思い込みだよ。だって、私たちはまだ生きてて、これからどんな道だって選べるはずなんだから」
「どんな道でも……か。それが、苦しい道でも?」
「それがどんなに苦しい道でも、みんなが一緒なら怖いものなんてない。あはは、コウの受け売りだけどね。楽観的なのかもしれないけど、最初から諦めるよりよほど良いんじゃない?」
これからきっと、世界中でいろんな事が起こる。だけど、この人と一緒なら、乗り越えていけるって、そう信じられるんだ。
「……あ」
「これは……」
辺りに、光が満ちていく。最初の時と、同じような光。……きっと、もう戻るんだ。何となく、それが分かった。
………………。
「ねえ、ガル。ひとつだけ、言い忘れてたことがあるんだ……聞いてくれる?」
「…………?」
「あなたは、みんなに想われてるって言ったけどさ。ちゃんと、言わなかったよね。私が戦える、ここにいる、一番の理由を。みんなじゃなくて、私の想いを」
……うん、そういうのはやっぱりずるい。主語を大きくしたら話はうまく伝わらないって、お父さんに言われた事もあったっけ。
「言葉にしないと伝わらない。そうだよね、ガル。だったら、私はこの想いを言葉にする」
溶けていく光。だから最後に……心と心が触れあっている今のうちに。勇気を、振り絞る。
私の中の、いちばん大きな想い。
「……ガルフレア。私は、あなたを――」