銀月の残滓 2
「……ある日、俺が受けた任務は、とある研究施設の制圧。潜入して設備を破壊、研究者は全て拘束、困難であれば殺害するという内容だった」
研究所の中を進んでいく。潜入には問題なく成功したみたいだ。ガルの目的は、奥にある機密区画。セキュリティを順調に潜り抜け、ガルはとある一室に辿り着いた。
扉を開くと、無数の試験管に……よく分からない、異形のものが浮かんでいた。何だろう、これは。ガルも、ここで何が行われていたか、具体的には知らなかったみたいだ。
「俺が聞かされていたのは、ここで行われているのが生物実験であり、生物兵器の開発であるという事だけだった。だから……」
『そこに……誰かいるのかい……?』
『っ……!?』
その声に、ガルは慌てて振り返った。見付かってしまったのかと、咄嗟に刀を手に取りながら。だけど……声の主の姿を見たガルは、完全に固まってしまった。これ、は……。
容器の中の、異形の存在。それが、こちらを見ていた。その口を、開いていた。頭は猫みたいに見えるけど、毛が全て抜け落ちている。腕が異常に肥大化し、刃のような爪が生えて……だけど、ひどく弱っているらしい、その姿。
『ああ……お兄さんは……ここの研究者じゃ、ない、みたいだね』
『き……君は……何、だ?』
『……ここの、研究成果……かな。一応、少し前までは……普通の、ヒトだったけど、ね』
『!!』
『……ふふ、ごめんね……こんな化け物、見せちゃってさ……』
自分を化け物と蔑むその声は、きっと元々と同じ、少年のもので……私にも、分かった。ここで、行われていたのは……人体実験。ヒトの身体を、素材に使って……。
『……な、んで……そんな、事に……』
『酷い有り様、だよね? 自分でも……そう思う』
こんな目に遭っていながら、その子の口調はとても穏やかで……だけどそれは、何かを諦めてしまってるようにも聞こえた。
『悪いけれど、あまり説明している、時間がないんだ。そろそろ、点検の時間だしね』
『…………!』
『……ねえ、お兄さん。あなたが、誰かは、分からないけど……たぶん、あなたは、この研究所の、敵だよね』
『……俺は……』
『技術を盗みに来たか……壊しに来たか。違う? じゃないと、忍び込む意味も、ないからね』
そう。ガルの任務は、研究所の制圧と……研究成果の破壊。それを外に出してはいけないって、彼は指示を受けた。でも、それはつまり……この子を。
ガルが口ごもったのを見て、相手はだいたい察したみたいに、静かに笑った。そして……。
『ねえ、お兄さん。頼みがあるんだ。僕を……殺して、くれないかな?』
『…………ッ!?』
まさか、相手から言われるとは思ってなかったガルは、硬直した。……自分で、そんなことを、言うなんて。
『ごめんね。でも……これは、僕にとって、きっと……最後の、チャンスだから。僕が、僕であるうちに、死ねるのは……』
『ど……どう、して……』
『……今は安定、してるけどさ。最近は、拒絶反応が強くなってね。意識がないことの方が、多くて……』
今度は、はっきり感じた。落ち着いたその言葉の中にあるのは……どうしようもない程の、諦めだった。
『他の、実験体と、殺し合っているらしいんだ。意識が無い時には、ね。もしもこのままだと、肉体が限界を迎えるまでの、短い間だとしても……僕は、何かを殺し続ける……化け物になる』
『…………っ』
『自殺は……できなくて、さ。お願い、だよ。せめて最期は、化け物じゃなくて、僕として……死なせて、ほしい』
『そんな、事……! な、何でだ! 逃がしてくれとか、元に戻してくれとか、それを望まないのかよ!?』
『……分かるから、だよ。無理だって。全部諦めちゃうと、怖いとか悔しいとかも通り越しちゃって……それとも、心まで化け物になりはじめているのかも、しれないね』
『……あ……』
ガルには、それが理解できてしまった。一度でも、自分の命に価値を見いだせなくなって、死を望んでしまった経験を持つガルには。……本当は生きたいに決まってるって事も。
彼はきっと、たくさん、たくさん抵抗したんだ。でも、それが全部ダメで……残された最後の抵抗が、ここで、死ぬことしか、ないだけなんだ。……こんな……こんなの。
でも、ガルにもどうしようも出来なかった。ガルにできることは、ひとつだけ。……月光を、抜いた。目の前が、涙で霞む。
『泣いて、くれるんだね……あり、がとう。少しだけ……救われた……ごめん、ね』
『……済まない。せめて、少しでも、楽に……!』
月の守護者が、発動する。自分が潜入してることも忘れて、ガルは……絶叫しながら、刀を思い切り振り抜いた。……私も、その瞬間を見た。目を逸らせない……もし逸らせたとしても、逸らしたらいけない。見届けなきゃ……私は……!
……試験管ごと、叩き斬られた、少年だったものの首。ここまで姿を変えても、生き物である以上、彼は間違いなく死んだ。何の罪も無かったはずの存在を、殺した。それが、本人の願いであったとしても。
『……どうして……どう、して……!!』
『な、何事だ!?』
『そんな、唯一の成功体が……!』
全身を戦かせるガル。そこに、騒ぎを聞き付けた研究者たちが集まってくる。少年を、こんな姿にした元凶……。
『……貴様らがあああああぁーーーーッ!!』
ガルの感情が、弾けた。もう、見逃すなんて選択肢はどこにもない。相手が逃げ惑おうが、命乞いをしようが、ガルは全てを無視して惨殺した。誰一人、逃がすつもりはなかった。
憎い、許せない。……私も、そうだ。こんな、人たち……一人残らず……!!
……違う。これは、私の怒り、だけじゃない。さっきから、変な感覚はあったけど……やっぱり、そうだ。ガルの、感情が、記憶が……私の中にも、入ってきてるんだ。ここがガルの心の中で、私はそれと一緒になっているから。
だとすれば、この……怒りの奥にある、気の狂いそうな、哀しみも。
『……はあ、はあ、はあ、はあ……』
そして、気付いた時には、辺りは血の海だった。生きている人は、ひとりもいない。
『……う……あ……?』
改まって、ガルは血濡れになった自分の腕を見る。震えていた。ひどく、寒かった。
無数の研究員の死体と、そして、彼の骸。全て、自分が斬った。何も悪くない子供を、殺した。その現実が、一気にガルへとのし掛かってきた。
『あ……あぁ、あ……う、ううぅっ……!!』
ゆっくりと膝をついたガルは、月光を落とし、そのまま両手も床についた。ひどく気分が悪くなって、込み上げるものを堪えようと口を押さえた、けど、こびりついた血が視界に入ったところで、限界が来たらしかった。
『う……げええぇっ……! おぇっ……がはっ、ごはっ!!』
一気にガルは吐いた。強く瞑った目から、涙が溢れた。胃の中身が全部無くなっても、吐き気は全く治まらない。ただひたすらに咳き込みながら、激しくえずく。狂いそうだった。胸の奥で荒れ狂う何かが、身体を突き破ってしまいそうだった。
『うぷっ、かはっ……ああぁ……うああああぁああぁ……』
訳が分からない、行き場の無い激情。それに悶え、叫び、吐いて……ぷつりと糸が切れたように、ガルは倒れた。動けなかった。
……見てただけ、少し影響を受けただけの私も、すごく苦しい。ガル本人が、どれだけ苦しかったのかは……想像もつかない。
「……この後、放心して動けなくなった俺は、仲間により救助されたが……一週間は食事も喉を通らず、まともに起き上がることもままならなかった」
「………………」
「それでも……俺は、武器を置けなかった。このような連中を、早く消し去らなければならないと。俺がやらねばならないと、思った。だから、また立ち上がった」
そして、次の風景はまた戦いだ。ガルは、さらに成長していた。私たちと、同じくらいだろうか。
「命じられるがままに、戦った。この先に、目指すべき平和があるのだと、信じて。悪を、滅ぼすために」
悪を、滅ぼすため……。
そうだ。さっきからガルが戦ってる相手は、何かしらの悪事を働いた人たち、みたいだった。
「殺して」
戦いは、ガルをもっと強くした。身体も……そして、心も。どんどん、戦いに慣れていった。敵を壊滅させると、また次の風景に飛ぶ。今度も戦いだ。
「殺して」
そのうちガルは、誰かを斬っても震えなくなった。泣いたりすることも無くなった。
「殺し続けて……」
もしもこの風景を、何も知らない頃に見せられていたら、彼が冷徹な人になったと思ったのかもしれない。だけど、違う。私は、知ってる。そして、感じてる。この人の心の奥にあるものは……。
「いつから、だったのだろう。疑問を持ち始めたのは」
テロをやろうとしたって理由で、まだ少年と呼べる相手を斬った。子供の目の前で、その親だった犯罪組織のリーダーを貫いた。
……その友人はガルを恨んだ。その子供は泣き叫んで悲しんだ。
「自分たちが正しいのかと、問い掛けるようになったのは」
正しいはずの戦いで……だけど、新しい悲しみが、憎しみが、確かにそのせいで産み出されて。
「いつまで戦えば、夢に辿り着くのか……それが、見えなくなってきたのは」
……夢。それがきっと、彼の戦う理由。ここまで辛くても、戦える理由だった。だけど。
「百の悪人を切り捨てて、一の善人を救う。ならば、悪とは何なんだ? 罪を犯すことか? どれだけの善行を重ねていても、どのような理由があっても、罪はすべからく悪なのか? 許されることはないのか?」
ガルが殺した相手は、みんなが罪を背負ってた。だけど、どうしてそうなったかは、バラバラだ。
……ある日斬ったのは、大量殺人犯の女性。だけどそれは、家族を殺され、狂ってしまった人の末路だった。彼女をそのままには出来なかったし、やったことは許されないとは私も思う。だけど、それを悪の一言で切り捨てて……本当にいいの?
「ならば、俺たちはどうなんだ? 正義の名の元に、数多の殺人を犯してきた俺たちは? 大義のためならば、命を奪うという大罪すら許されるのか?」
相手が悪いから、それしかないから。そう、ガルは自分に言い聞かせようとした。でも、彼は……そんな理想に、酔えなかった。
「……この世界から、悪を消し去る。そのために、悪は断罪されるべき……だが。絶対的な正義とは、何よりも厳しく、何よりも残酷だった」
誰もが正義という言葉に抱く印象。何者も付け入る隙のない、正しさという概念。ガル達は、それを形にしようとした。でも……そこには、ヒトの心が、含まれてなかった。
秩序を護るための、正義の剣。それは、ヒトが振るうには、あまりにも重すぎた。だからガルは、〈銀月〉になった。ガルフレア・クロスフィールの手に余る重圧を、銀月という象徴に任せた。シグルドさんやフェリオさんも、同じように。
だけど、ガルだって本当は分かってた。それを実行するのは、どうやっても自分の手で……誤魔化し続けるには、限界があった。
「相手が巨悪であっても、その周囲には人がいて……俺は、俺のような存在を生み出さないために戦っていたはずなのに。俺が戦えば、俺のような存在が増えていく矛盾に気付いた。……俺たちは、悪を消し去るという目的に目が眩み、思考を放棄しているのではないかと、怖くなった」
「………………」
「疑念を抱いてからは、もう駄目だった。目指したいものと進んでいる道のずれを、致命的なまでに感じてしまった。だから……」
だから、ガルは仲間を裏切った。今のままじゃ駄目だと、そう思ったから。そんな中で、シグルドさんに救われたガルは……エルリアに辿り着いた。
「だが……逃げた先でも、結局、俺は……」
次に映ったのは……忘れもしない。忘れられるはずがない。闘技大会……UDB達にいたぶられてる、私たちの姿。ガルの力が、再び目覚めた瞬間。マリク達と、昔の仲間たちと、また出会ってしまった瞬間。
「どこまで行っても過去は消えない。別の道を探そうとしても、過去は俺を追いかけてきた」
バストールでの戦い……あの時の、銀の熊人の言葉。それは、ガルの心に、深く突き刺さった。この時から、ガルはまた自分の存在を思い悩むようになって……そして、次の風景は……。
「……っ……また……なのか……また、俺は……」
今までの声とは違う……揺らいでる? ガルは、怖がってる。この次に見える光景を。
「……これは……」
ガルは、襲い掛かってくる敵を斬り捨てた。だけど、斬り捨てた相手は……コウだった。カイだった。レンだった。暁斗だった。そして……私、だった。
これは何? 今までの記憶とは違う……現実に起こってないことだ。じゃあ……これはガルの想像か、夢か、そういうもの?
「う……く……」
貫いた私の顔を見たガルの心は、ひどく荒れていた。今まで淡々と処理をしてたはずの声が、とても苦しそうなものになった。目をそらしたかった、だけど。
……ガルの怯えの理由が、伝わる。これは、未来だからだ。もう起こってしまったことじゃなくて、これから起こるかもしれない可能性。それが起きてしまうことが、とても怖いんだって。
「もう……止めてくれ。俺は……こんなこと……したく、ない……望んでなんか、いない……!」
『本当に?』
「…………!!」
それは、私の声だった。風景とはまた違う、今のガルに、直接語りかけてくる、私の声。だけど、それを言っているのは、もちろん私じゃない。
『あれが、本当のあなた。死を振り撒いて、誰もを不幸にする……ねえ? あなたが来たから、私たちの運命はねじまがってしまったんだよ』
「……止めてくれ……! もう……見たく、ないんだ……」
『そうやって、現実から目を背けて、逃げたから……みんなは、死んじゃうのにね?』
「っ……ううううぅ……!!」
『人殺し。あなたのせいで、みんな不幸になるの。それでも戦い続けるあなたが、よくも本当は望んでいなかったなんて言えるよね?』
ガルを責め立てる私……ううん。これはガルだ。ガルの中の、罪の意識。それが私の姿になって、自分を苦しめてる。
……感じる。これは、私たちを護りたいって意識の裏返し。そして、自分は私たちに責められるべきだって、罪の意識。さっき叫んでたのは、これの……。
「…………っ。ガルは、ずっと、こんな気持ちで……」
ガルの苦しみが、私に流れ込む。私まで、心が折れてしまいそうな気分になるけど、何とかそれを拒む。……気をしっかり持つんだ。私が折れたら、ガルは。
「……駄目」
それは、私じゃない。あなたは、どうして……ここまで一人で苦しんだの?
「そうじゃない。そうじゃないんだよ。私が、ここにいるのは……」
私の言葉も聞かないで、一人で勝手にさ。……聞いてよ。閉じこもってないで、聞いてよ。私の声を……私は!
「届いて……ガルフレアと、話したいの!」
PSを使う時のように、強く念じた。ここが、ガルの心の中なら……どうか、私を連れていって。彼に、私の声が届くところまで――!!