正体
「おい、カシム……」
「これだけの手練れが集まっているのだ。どうせこの奥には行かなければならないだろう?」
「それはそうだが……フィオ?」
「気配はしないし、大丈夫だとは思うよ。奥まで進んで、その結果を報告した方が早そうだ」
フィオもそのまま進んでいく。ここまで来れば、そうするしかないか……俺と瑠奈も、先行した二人の後を追う。
想定通り、今まで以上に広い部屋だ。この部屋だけで、大会が行われた闘技場並みの広さがあるのではないだろうか。それだけの部屋にも関わらず何も置かれていないため、広さが余計に際立っている。
「……何もいないね」
「身構える必要は無かったであろう? 俺はこういう勘は鋭いんだ」
「君の実力を疑ってはいないが、油断は大敵だぞ?」
「ふ、それは百も承知だ。勘が外れていたらすぐに逃げる準備はしていたさ」
悪戯っぽく笑うカシム。勘とは言っているが、危険が無いとほぼ確信を持っていたようだ。長らく人里を離れていたらしいから、そういった感覚が優れているのだろうか。
「まだ奥に扉が見える。一番奥ではなかったみたいだね」
「ああ。だが、重要な設備であったのは確かであろう。あの博士が言っていた事が真実だとすれば、超大型の生物兵器でも開発されていたのではないか?」
「……嫌な話だよね。生き物を戦うための道具にしようとするなんてさ。昔も、今も……」
「そうだな。だが……生み出されたUDBが戦うことで満足しているのならば、それもひとつの道ではあるのだろう」
「それでも、それは歪められた満足だよ。それしか知らないから、満足だと思ってしまうだけだ」
「分かっている。知らなければ小さなもので満足してしまう……それを知ったからこそ、俺も世界を見ることを師に望んだのだからな」
フィオの口調が少し鋭くなったためか、カシムは苦笑している。彼らしい考え方だとも思うが……。
「………………?」
……何だ。今、少しだけ違和感があった、ような。
瑠奈が言ったのはあくまで生物を戦わせることの否定、UDBには触れていないはずなのだが、カシムの返答は……まるで、戦いのために生み出されたUDBを知っているかのように、聞こえたが……。
「ガルフレア、どうした?」
「あ、ああ。済まない、少しだけ考え事だ」
いったん誤魔化しつつ、思考を回す。……単なる言葉のあやで、俺の考えすぎなのかもしれない。だが、疑問を持って彼を見ると、どこかで感じていた嫌な予感が、少しずつ強くなっていくのを感じた。
考えろ。この胸のざわめきは、何が原因だ? 彼自身のせいなのか、それとも他の何かが喚起されているのか。このままでは取り返しのつかない事になるという直感が、頭の中で警鐘を鳴らす。
(……カシム。カシム・ベオルフ……)
知り合ってからは、まだ僅かな時間。好感を抱ける性格だとは思えている。フリーランスであり、ランドもそれを確認している。だからこそ、警戒も緩んでいた。
だが、よく考えろ。ローザだって、もしも望むならばここに入り込めている。彼女だって信頼できる性格でもあるだろう。それでも……味方ではない。
もしかして、やはりカシムは俺の昔の……いや、違う。彼とどれだけ言葉を交わしても、シグやローザの時のように頭が疼いたりはしない。しない……が、俺が感じているこの、既視感は。
可能性を並べる。……頭が疼くのは、失われた記憶に関連するものに触れたときだ。ならば、俺が記憶を失った以降に見たものだとすれば? だが、カシムのような見た目の獣人と出逢った事はない。ここまで特徴的な男を忘れるはずもない。
「でも、こんな奥まで来てもまだ何も無いし、この部屋はガラガラだし……昔の人が設備ごと破棄してたのかな。それか、場所を移したとか?」
「どうだろう? 私たちの行ってないところとか、もっと奥とか、全部見てみるしかないのかな」
「ふむ。難しいことを考えるのは苦手だな……」
(…………ん?)
フィオと並ぶカシム。フィオ……巨大なUDBの姿から、ヒトの姿に変化してヒトとして生きている存在……。
(野性的な……獣の匂い……)
フィオは確かに、カシムからそれを感じ取った。獣……本来は、獣人から感じ取れないほどの。つまり――
「…………!!」
頭の中で、ピースがはまった。違和感が確信へと姿を変えていく。
そうだ。俺は確かに、カシムなどと言う獣人とは知り合いではない。過去の俺だってそんな獣人は知らないはずだ。
――しかし。
「さて、いずれにせよ、最奥に近いのは確かだろう。このまま進んで……」
「……それよりも、カシム。少し、いいか?」
「む、どうした?」
「君は本当に、俺と初対面か?」
全員の視線が、俺に集まった。
「どういう意味だ。お前だって、先程は挨拶を交わしてきただろう? 俺はバストールに来るのは始めてだぞ」
「ああ。確かに、今まで生きてきて、カシム・ベオルフを名乗られた事はない。ならば、質問を変えよう。カシムという名は、本名か? 以前、俺に別の名を教えてはくれなかったか?」
「ガル、何を……?」
「違和感に気付くまで、時間がかかった。何故、どことなく既視感があるのだろうと。何故、その声に、口調に、聞き覚えがあるのだろうと」
俺の言い種に、フィオが、そして少し遅れて瑠奈が反応した。
「まさか、ガルの昔の?」
「いや、違う。……俺の予想が間違っていれば、後でいくらでも謝ろう。最後の質問だ。君は……いや、お前は、本当にヒトなのか?」
「…………え」
「………………」
ああ、そうだ。カシムという獣人を、俺は知らない。……では、獣人以外ならば? そう発想を切り替えた時に浮かんだ、ひとつの名。
無表情で、俺の問いを聞いていたカシム。だが、決定打となるその質問からしばしの沈黙の後……その口元が上がっていく。今度は大きく口を開き、高らかに笑い始めた。
「ふ、ふふ。くはははははっ! ああ、そうか。やっと、思い出してくれたようだな?」
「……忘れてなど、いなかった。だが、今のお前は……もしフィオがいなければ、気付けなかっただろう」
「はは、まあ、そうなのだろうな。しかし、少々残念だぞ。貴様たちとの雑談は、本気で楽しんでいたからな。もう少しぐらいは興じていたかったのだが」
「……本気で、か。確かに、敵意は感じなかったがな。フリーランスとしての話は、嘘か?」
「ふ、それは済まぬ。俺がこうなったのはつい数日前の話だ。……実のところ、気付かずとも大差はなかったのだがな。最終的には明かすつもりであったし、不意討ちなど俺の流儀でもない」
「どういうこと? カシムさん、あなたは何者なの!」
「おっと、失礼したな。いつまでも偽りの姿を晒すのも無作法か。では、そろそろ俺の……我の、本来の姿を披露するとしようか!」
カシムの身体が、光に包まれる。俺は咄嗟に瑠奈を抱き抱え、後ろに跳んだ。フィオは自力で距離を置く。刹那、強い衝撃が辺りに迸った。
「くっ!」
「これは……!」
光が納まるよりも早く、感じる。凄まじい重量を持つ存在が、そこに現れた事を。
立っていたのは、褐色の毛並みを持つ巨獣。ああ……こうして見ると、ヒトの姿も面影はあったのだ。
半年前のあの時と同じ……いや、あの時と比べてどこか表情が豊かになった、狼の帝王の名を持つ、高位UDB。
「牙帝狼だって!?」
「あ、あれは……確か、ガルの言ってた……!?」
「……ふう。やはり、変化にはまだ慣れぬな。ヒトの身体も悪くはないが、少々窮屈だ」
そんな気の抜けた感想を口にしながら、獣は身体をほぐしている。その、ヒトであるときよりも一層の威圧感を持った瞳が、俺の姿を捉える。
「くはは、驚かせてしまったか、瑠奈とフィオ? そして……改めてだ。久しいな、ガルフレアよ!」
「……アンセル!!」
エルリアを襲った魔獣、そのリーダー。先程までカシムを名乗っていた獣人は、確かに巨大な怪物へと姿を変えていた。
「どうして、お前が人の姿に……!?」
「ふ。それについては、フィオに感謝せねばならんな。先日、サングリーズでの戦闘データから、マリク殿は新たな技術を完成させたのだ」
「何だと……!」
「貴様も転移装置の原理は知っているだろう? PSを他者に与える技術……元々何の力も持たぬUDBは、それを受け入れやすい。ヒトのように精神に異常を起こすこともない。転移装置のように一時的なものでなく、永続的な力を授けられたとしてもな」
「変身するPSを、その人の技術で手に入れたって言うの……!?」
「そう捉えてもらって構わん。今の我は、何の補助も必要なく、自在に変化が可能となった。証明は先ほど見せた通りだ」
アンセルは、俺たちにとっては好ましくない事実を饒舌に語る。彼がヒトになっていたのは、マリクの力……だとすると。
「……僕を元にして、変身能力を、ね。僕自身でも分かっていないものをそう易々と再現するとは、にわかには信じがたいけれど」
「貴様自身でも分かっていない、か。ふ、確かに貴様はそうなのであろうな」
「…………!?」
アンセルの言葉に、フィオが固まる。彼の、今の言い種は。
「まあ、安心するがいい。マリク殿とて、現時点ではまだ、あらゆるUDBに力を授ける事は叶わん。知性は最低条件として、フィオや我のような……ヒトに興味を持ち、ヒトを理解しようとした存在でなければならぬそうだ」
「ヒトへの興味を持てば、UDBにもPSが宿ると言うのか?」
「うむ。無論、マリク殿の技術は必要不可欠であり、人工的であるが故に、ヒトに宿るそれとは特性も違うようだがな」
「ま……待つんだ! 君は、知っているのか? この力の原因を!」
「そう慌てるな。物事には順序があるだろう?」
「…………っ!」
明らかに『知っている』とほのめかしながら、アンセルは俺を見ている。その瞳の奥に燃える炎を見れば、彼の望みは問うまでもないのだろう。
「この遺跡が暴かれたのは我らにとっても想定外の事態であったが……ふふ。丁度、我らが初めてまみえた場所と同じほどの広さがあるな。おあつらえ向きの場所ではないか?」
「やはり、戦うつもりなのか……アンセル」
「無論。それともまた、我を斬りたくないとでも言う気か?」
「……お前は怒り狂うかもしれないが、そうだ。俺は……お前にどこか、共感している。お前の武人としての気高さ……出会い方が違えば、友になれたかもしれないと思う程に」
「ははっ! 貴様らしいな。だが、我も半分は同意だ」
思わぬ返答に、俺はアンセルの顔を伺う。半年前よりもどことなく豊かになったその表情は、まさしく友と過ごしているような楽しげなものに見えた。
「言っただろう、本気で楽しんでいたと。貴様たちと他愛のない会話をして……友と言うものも、悪くないと思ったのは事実だ。ふ、我ながら随分と俗に染まったものだが」
「……お前」
「あれから我も、ヒトと接する機会が増えてな。他者との交流……最初こそ酔狂だと考えたが、次第に我はそれを素晴らしいと思うようになっていた。そして、気付いた。これこそがきっと、ヒトの力の源、そのひとつなのだとな」
「………………」
「だから、友としては残念だ。貴様と決着をつければ、二度と会話が出来なくなることはな」
穏やかな……本当に、穏やかな口調で語るアンセルからは、それが本心であることが見てとれた。だが……それと同時に、避けられないものも悟ってしまった。
「それでも、なのか」
「うむ。それでも、我は強者と戦い、勝利し、さらなる高みを目指すことを望む! 主の剣となり、その礎となることを望むのだ!!」
アンセルの咆哮が、大気を揺らす。……躊躇っている場合ではない。彼の強さは、その身をもって体験している。少しでも気を抜けば、こちらが……。
……アンセルの瞳に宿っていた炎が、揺らいだ。
「惜しむらくは……ガルフレア。この場では、貴様との決着はつけられないことだがな」
――それは、一瞬の事だった。
俺の身体の周囲が、歪み始める。あの時と同じように……最悪なのは、俺が後ろで庇っていた瑠奈をも巻き込みながら。
「なに!?」
「我は『貴様と』戦うとは言っておらん。我の役目は、貴様を送り届け、別の相手を足留めすること……主の命こそ、絶対だ」
「ど、どうなってるの!? これって……!」
「る、瑠奈、俺から離れ……!」
駄目だ。間に合わない。歪み始めた空間からは、抜け出せない。彼女も、巻き込まれる。
「マリク殿が何をやろうとしているかまでは知らん。だが……おかしな言葉ではあるが、出来れば死ぬなよ、ガルフレア。貴様は、我が倒さねばならぬのでな」
そんなアンセルの呟きを、耳鳴りの奥で聞きながら――俺の視界は暗転して……。
「…………っ!?」
なん、だ、この、感覚、は。
何か、が……頭の、中に、溢れて……。これ、は――。