日常と乱入者と
そして、それから1時間後。
「で……デキマシタ……」
「…………。まあ、及第点だろう。復習用のプリントを作ってやるから、次回の授業までに提出しろ」
「うえぇ……」
疲労困憊といった様子で、机に突っ伏した浩輝。たまには俺も心を鬼にせねば、親しくなっただけに甘くなっている気がするからな。
「とりあえず、そろそろ飯食おうぜ。誰かさんのせいで待たされまくったから、マジ腹減った」
「ぐう……」
「どうどう、睨まないのコウ。カイもいちいち煽らない!」
「オレは馬じゃねえよ!?」
「ふう。本当に、お前らはいつもそれだよな」
「喧嘩するほどなんとやらとは言うがな。とにかく、今から適当に作るから、少し待っていてくれ」
フィオもあの後出掛けたので、残っているのは俺達エルリア組だけだ。みんな、最後の連休に思い残す事がないようにしたいらしい。
ひとまず食堂に向かい、メンバー用の食材の在庫をチェックする。カルディアラミィの肉に、卵に、野菜類に……みんなも早く食いたそうだから、手軽にラミィを使った野菜炒めにでもするか。
ラミィは大型の、牛と猫を掛け合わせたような見た目の家畜だ。顔立ちは猫を少し面長にしたようなもので、角が生えている。地域によって品種も様々だが、カルディア産のものには短い黒毛のものが多く、肉が締まっている。牛肉に似た味だが、それよりはあっさりとしており、牧畜が容易なので比較的安価だ。女性や老人などを中心にこちらを好むものも多いため、店でも取り扱っている。
肉と言えば、牛肉や豚肉、鶏肉などを規制しろという団体がまた現れたと言っていたな。今でも世界中で食べられているこれらの肉だが、やはり牛人や豚人が存在する今の世界では、往々にしてそのような運動が起こるものだ。
もっとも、大半の牛人や豚人などは特に気にも留めていないようだが。そういう風に考える方が馬鹿にしている、とか、むしろ俺は牛丼大好き、とか、俺が知る中での反応はそんなものだ。もちろん抵抗のある人もいるのだろうが、多種多様な種族が生きている今の時代、この手の活動は「そんな事を言っていたら何も食べられなくなる」というところに落ち着く。
「………………」
材料を準備しながら、ぼんやりと考える。この間は暁斗にも驚かれたが、こうして俺が包丁を握り料理を作る姿は、我ながら確かに似合わないような気もする。だからこそ最初は抵抗があったが、いつの間にか慣れてしまったものだ。
記憶を失う前の自分はどうだったのだろうか。さすがに、このように厨房に立って料理を楽しむ環境にはいなかったとは思うが、経験はあったのかもしれない。誰かに振る舞った事などもあるのかもしれないな。
実際、料理は割と楽しいと思える。元々の性格には向いていたのかもしれない。手の加え方を少し変えるだけで違うものになるのは、凝りようがあるからな。
――などと考えていると。
「こーんにーちはー!」
突然、そんな元気な声と共に、ギルドの扉が開き、見知らぬ二人が入ってきた。
予想外の乱入に、俺は手を止めてそちらを伺う。そこにいたのは、どちらも初めて見る顔だ。獅子人の少女と青年……少女の方がずかずかと入ってきて、青年が慌てて追いかけてきたような様子だ。依頼者か? とりあえずは出るとするか。
「おい、レニ!」
「うーん、ここに来るのも久しぶり! 誰かいるー? ……って、おにーさんは? 話に聞いてた新人さんの一人? わ、すっごいイケメンじゃん!」
調理場から出てきた俺に、レニ、と呼ばれたその少女がまくし立ててくる……近くで見ると、思ったよりは幼くないかもしれない。アトラと同じぐらいだろうか? 露出が多めの動きやすそうな服装に、ショートボブで整えた髪。腰に下げたポーチには、猫のプリントがしてある。
後ろに立っている青年は、どこか申し訳なさそうな視線を俺に向けてくる。いかにも利発そうな風貌で、特に飾り気のない服装に、眼鏡をかけている。獅子人として線は細いが、無駄なく鍛えているようで、貧弱な印象などは受けない。
毛の色がどちらもライトグレーで、少女の髪も青年のたてがみも水色だ。兄妹だろうか。口振りからして、俺たちの事も誰かに聞かされていたようだ。だとすればギルド関係者か?
「ガル、お客さん?」
「あ、いっぱい来たねー」
「すみません、突然お邪魔してしまって……って、レニ! 近付きすぎだぞ!」
と、騒ぎが聞こえたようで、居間の方で待っていた瑠奈たちもやって来る。少女はみんなの顔を、かなりの至近距離から品定めするようにじろじろと眺めている。蓮などはさっそく面食らったような表情だ。
「ふぅーん、若い子たちがいっぱい来たとは聞いたけど、ホントに美久とかコニィ達と同じくらいなんだねー。ここってちまっこいのが集まりやすいの?」
「ち、ちまっこいって……」
「ああ、ごめんねー、バカにしてるとかじゃないのよ? アタシってちょっと口悪いらしいけど悪気はないから、許して?」
「それを自分で免罪符にするんじゃない! ああもう、すみません皆さん、初対面なのに妹が失礼を……!」
「ちょっと、いちいち兄貴面しないでよー、ロイ。同じ日に産まれてんのにさ」
「お前が大人しくしてたら、俺だって何も言わずに済むんだよ!」
「アニキのが声でかいしー」
大きな溜め息をつく、ロイと呼ばれた青年。……苦労しているようだな。アイシャと言い彼女と言い、最近は押しの強い女性をよく見ている気がする。
「あの、あなた達は……」
「……失礼。えっと、俺たちは獅子王のメンバーです。俺は、ロイ・アーガイルと言います」
気を取り直すように軽く咳払いをしてから、青年が俺達に頭を下げる。獅子王の一員、か。それにアーガイルという姓、この毛の色……と言うことは。
「アーガイル? って、もしかして……」
「そうよ。アタシ達の親は、うちのマスターなの!」
「え!? ランドさん、結婚してたの!?」
やはりか。……瑠奈の言う通り、初耳だが。
「知らないのも無理はありませんね。今は一応独り身ですから。俺たちがしばらく海外で活動していたので、聞かれなければ言わなかったでしょう」
「なるほど、イリアと同じような感じで……」
「ってわけで。アタシはレニ・アーガイル。いつもパパとママがお世話になってまーす!」
「……騒がしい妹ですみません。本当に、誰に似たんだか」
「余計なフォローはしないでよ、ウザいなぁ!」
ロイの言葉に、レニはむくれてそっぽを向いてしまう。同じ日に産まれたなどと話していたから双子なのだろうが、性格は正反対のようだな。
「ところで、パパ、は分かったが、ママがお世話に、とは? 母親も俺たちの知人なのか?」
「ああ、それは……」
ロイが説明に入ろうとしたところで、再び扉が開く。今度はウェアと、丁度話題の人となっていたランドが二人で入ってくる。
「随分と賑やかな声が聞こえると思ったら、やはりお前たちか」
「ウェア、早かったな」
「今回は結論が保留になったからな。レニ、ロイ。戻ったとは聞いていたが、よく来たな」
「ウェアおじさん、お久ー! と、パパ、お先してるよー!」
「……何でお前たち、ここに……はあ」
「む。何よ、その露骨な顔と溜め息」
ランドはレニの言う通りに露骨に顔をしかめている。まさに、子供の悪戯を咎める前の父親の顔だ。
「後で一緒に挨拶に行くと言っといたのに、お前が守らんで勝手に来とるからだ! ロイ、お前もしっかりお目付け役を……」
「やるのにも限界があるって、父さんも知っているだろう……?」
「……そうだな。はあぁ。おい、レニ、ガル達に迷惑はかけてないだろうな?」
「もー、二人してアタシを何だと思ってるのさ。……あ、ママもいるじゃん! やっほー!」
「あらあら、レニちゃんにロイちゃん。こちらにお邪魔していたのねぇ」
「ほう、あの二人が話に聞いていた……」
続けて入ってきたのは、誠司と、セレーナと…………その二人だけだな。……ん? と、言うことは……。
「…………え? え、ええええぇ!?」
瑠奈が再び、すっとんきょうな声を上げた。が、無理もない。レニはママと言ったが、そこに立っている中で女性は一人だけ。俺たちの、よく知るその人だけだ。
「まさか……君たちの母親、とは」
「はい。あそこにいるのが、母さんです」
「ち、ちょ、ちょっと待てって……な、何すかそれ!? せ、セレーナさんと、ランドさんが、え!?」
「……あー、何だ、その。これには、やむにやまれぬ事情が、だな?」
突然明かされた真実に、ランドの目線が泳いでいる。その横で含み笑いしているウェア。
「何がやむにやまれぬだよ。言えばいいだろう? 『職場結婚したはいいものの、セレーナが子供を産んで復帰した後、彼女を守ろうとしすぎてコンビネーションに支障が出たから、形式だけでも距離を置くために別れた』とな」
「……へえー」
「う、ウェア!」
「今さら黙ってもいられんだろうよ。そうやって半端に隠すから余計に恥ずかしいんだろうが。悪いが、俺にはのろけにしか聞こえないから、あまり気は遣ってやらないぞ」
それはまた、何と言うべきだろうか……若さ故と言うべきか、割と単純と言うべきか。
「面白い人達だよねー。別れたって仕事も一緒、ギルドも住み込み、アタシ達だって二人で育てたのに、それで上手くいったらしいよ?」
「レニは黙ってろ! ……全く。先に話してから紹介するつもりだったものを」
「……何と言うか、本当に意外でした」
「でも、今もそのままなんですね? 今のランドさんなら大丈夫そうな印象ですけど」
「うふふ、そうねえ。昔と比べたら貫禄も落ち着きもあるけれど。でも、普段は割とカワイイところも残ってるのよぉ? この間もねぇ」
「ストップ! ストップだ。頼むから余計な事は言わんでくれ……」
ランドは、穴を掘ってでも入りたそうな様子だ。空もそうだったが、父親の威厳を保つのは大変そうだな……。
「まあ、レニちゃんの言う通りに今も一緒に暮らしているし、やるとしたら籍を入れ直すだけだから、改めてやる必要もあるかしらって感じねえ。もし二人とも引退したら、考えてもいいかもしれないけれど」
「そんなもの、なんですか?」
「形だけだと思うのよねぇ、結婚しているかどうかなんて。もちろん、その形を大切にするのも大事だと思うけれど、私たちには必要なかったの。どうするにしても、私が一生ランドのパートナーである事に変わりはないものねぇ」
「……何か、すごいっす。それ、言い切れちゃうのって」
「子供としては、横で聞いててすごくむず痒いんだけど……」
愛が深すぎて仕事が上手くいかなかった、か。夫として、という思いが先立ってしまっていたのだろう。少しだけ、気持ちは分かる気がする。
――そんな会話の流れを止める、ぎゅるるる、と言う音がひとつ。
「………………」
みんなの視線を集めたのは、その音の発生源である黒狼の少年。注目されてしまった張本人は、この上なく恥ずかしそうな表情で少しずつ俯いていく。
「そう言えば、食事の準備をしている途中だったな」
「ふふ。何か、こっちに来る前にもこんな事あったよね、お兄ちゃん?」
「う、うるさい、生理現象なんだから仕方ないだろ!」
「あははー、照れちゃってる、カワイイ!」
「おいレニ、いい加減にしろって……すみません皆さん、どうやら邪魔してしまっていたみたいで」
「はは、気にするな。それなら、折角だからランド達もいれてみんなで飯にするか。ガル、俺も手伝うぞ」
「そうか、助かる」
「お? ウェアの飯を食うのは久しぶりだな! 楽しみだぞ」
予定よりかなり人数が増えたな。下準備の途中だったし、ウェアもいるなら献立を考え直してみるか。
……ランド。この国のギルドでも最大と呼ばれる獅子王のマスターにして、ウェアの盟友。闇の門への参戦こそしていなくとも、激戦を生き抜いてきた豪傑。
「ところで、ランド。食後の話にはなるが、時間は空いているだろうか?」
「ん? おお、今日は特に予定は無いが。何かあるのか?」
「ああ……少し、頼みがある」
元々は、今日は誠司に頼むつもりだったが、これは珍しい機会だ。ウェアからも彼の武勇は聞き及んでいる……俺は、それを見てみたい。
「俺と、模擬戦をしてくれないか?」