銀星の決意
「やはり、ここにいたんですね」
ガルフレア達がバストールへと帰還した、その翌日。ルッカは、本拠地から少しだけ離れた森を訪れていた。街から程近い場所にあるため整備は行き届いており、危険なUDBも存在せず、それこそ街の人々が訪れる事もあるような、のどかな場所である。その一画、少し拓けた地点。そこでは、銀星が座り込んで刀の手入れを行っていた。
個人的な鍛練を熊人がここで行っている事は、六牙の間では周知の事実だ。彼の前任であるガルフレアも、同じ事をしていた。
「ルッカさん……」
「お疲れさまでした。お互い、事後処理も問題なく済んだようで何よりです。少し、時間は大丈夫ですか?」
「……ええ。今日はもう切り上げるつもりでしたし、研ぐのも終わりましたから」
納刀しつつそう答える銀星の横に、ルッカも座り込む。
「今回は、何事もなく済みましたね。アガルトも、後は柱たちが立て直してくれるでしょう」
ガルフレア達が後始末を行う間、彼らもまた、裏で様々な手を回した。マリクも「後は好きにして構いませんよ」と言ってきたので、遠慮なくアガルトの安定に助力できた。
「ですが、あの石の研究はさらに進んでしまった。……俺は、あれを許す気にはなれないですよ。操魔石もそうですが……生き物を操り駒に変えてしまうなど、許される行いじゃない」
「それは僕も同感ですね。感情論を抜きにしても、こちらに使われでもしたらたまったものじゃありません。ドクターが対策を研究している段階ですので、それに期待しておきましょう」
そう言ってから、ルッカは空を仰ぐ。木々が揺れ、さざ波のような音が響いた。豊かな自然、とは言え、UDBの駆除などといった形で人の手が入っている以上、ある意味では人工物と変わらないのかもしれないな、などと彼はぼんやり考える。
「まあ、そちらは今後に考えていくとして……本題は、何を話しに来たかは分かっていますよね?」
「…………」
落ち着いて話す時間が無かったのは、彼らも同じだった。ルッカには、彼の同僚であり先輩として、忠告をする必要があった。
「あの時……ガルフレアさんの足留めをするのは、クリードの撤退には確かに役立ったのでしょう。ですが、果たして、私情が含まれていなかったと言えますか?」
「それは……」
「そもそもが、クリードならば恐らく一人でも窮地を切り抜けられていた。本来なら、あなたはアインの指示通りに、ジョシュアの援護に向かうべきだったと思います」
「……ジョシュアとクリードならば、クリードを失う方が痛手だと判断したまでです。……そもそも、本音を言うならば、彼らの戦力は削れた方が良い。少しでも削いでもらえる確率が高かった方を、無防備にするべきでした」
「そうかもしれませんね。まあ、その辺りは今さらなのですが……主題は逸らさず行きましょう。あなたは、ガルフレアさんを殺そうとしましたね?」
「…………!」
「僕たちの目的に対し、明確な障害となった時には、排除が優先される。今回は、それに当てはまる程だったかは微妙だと思いますが?」
熊人が完全に言葉を詰まらせてしまったのを見て、ルッカは溜め息をついた。
「あの人の存在が、危険でもあるのは確かです。ですが、彼は帝国への牽制としては、それなりに役に立ってくれています。……私情を先行させるにしても、少々時期尚早だと思いますよ?」
私情、そうルッカは言い切った。そしてそれは、熊人自身にも分かっていた。彼の表情が、目に見えて沈む。
「申し訳、ありませんでした」
「……任務中にも言いましたが、僕はあなたの同僚であって、上官ではない。だから頭を下げる必要は無いんですよ。口出ししているこちらが野暮なだけです。叱責ではなく、同志としてのお節介程度に聞いてください」
ルッカは、彼を責め立てたい訳ではない。ただ、彼を案じているからこそ、話をしておきたかった。
「あなたが彼に拘る理由は分かります。ですが、拘りすぎるとあなた自身が保たないんじゃないか。僕は、それが心配なんです」
「………………」
「シグルドさん達にも……僕にも、そう言う部分が無いとは言いませんよ。それだけ、彼の存在は大きかった。だけど、あなたの場合は少し違う危うさを感じます。もしも、彼を超えなければならないなどと思っているのならば、その考えは捨てた方がいい」
「……俺は」
彼の気持ちが理解できるからこその、忠告だ。ルッカもまた、ガルフレアを尊敬していたのだから。その強さも、人柄も。
「使い古された表現ではありますが、あの人はあの人、あなたはあなただ。それを忘れてはいけませんよ」
「……分かってはいます。分かってはいるんです。だけど……俺は」
どうしても許せないのだと。心の整理がつかないのだと。彼はそれだけ、ガルフレアを尊敬していたのだ。その尊敬は今や、無尽蔵の怒りへと転換している。
「恨むなと言うつもりもありません。あなたにはその権利があるでしょう。ただ、やるならば、無謀な真似はしないでください」
「……独断ではなく、周りに話せと?」
「そういうことです。……気負いすぎないでください。あなたなら、よく分かるでしょう? 頼れる時には頼ってもらった方が、周りからすれば楽だってことはね」
苦笑しながら、ルッカは告げる。上に立つ者に求められるのは、個々の武だけではなく、適切に周囲を使う能力もだ。この熊人も、かつてはその能力を発揮していた。重圧でそこが上手く回らなくなるのは、惜しいことだ。
「あなた自身があなたを認められなかったとしても、あなたは〈銀星〉になったんです。そして、あなたにはそれに相応しい力がある。過小評価をしすぎないでください」
「……銀星。ええ、分かっています。俺は……銀星」
自身に与えられた称号。それを、確認するように何度か呟く熊人。
彼は、過去を捨てようとはしない。ガルフレアから指導を受けた剣技、ガルフレアに与えられた刀、そしてガルフレアと同じ、銀の天体を冠する呼称。
捨てるのではなく、乗り越える。そうしなければ六牙を名乗る資格はない。その思いは決して消えはしないが、この名が持つ意味も、名乗らればならないこともよく分かっていた。
「――俺はもう、あの人の副官だった、ただのラドルではないのですから」
かつて彼は、一人の男の配下を務めた。元々は総司令からの指示であったが、彼はすぐにその男を尊敬できる相手と認識し、敬愛するようになった。
戦いに赴くには甘く、優しすぎる性格。だからこそ、この人ならば戦いの後の世界を正しく導ける存在になると、そう信じたのだ。
ひたむきに男を支えようとする姿に、相手が彼に信頼を置くのにも、そう時間はかからなかった。空いた時間を共に過ごし、上官と配下、と言うよりは友と呼べる程に、お互いに気を許していた。
そして、そのうち個別の戦闘指導などにも時間を割いてもらえるようになり、その甲斐と元々の素質もあり、彼はそのうち男の、銀月の片腕に収まるほどに、優秀な副官となっていた。
だが――敬愛していた銀月、ガルフレア・クロスフィールは、彼らを裏切った。彼に、一言たりとも残すことなく。
混乱と悲しみの中へと叩き落とされたラドル・ルナシオンに、思考を整理する時間は与えられなかった。部隊の指揮官を欠いたままでは混乱は広がるであろうし、他の六牙がフォローをするのにも限界はあった。部隊のナンバー2であった彼が、最も摩擦を起こさずに後を継げる人物だったのだ。
程なく、指導者から六牙へと任命された時、初めて彼はガルフレアの裏切りを事実として受け止め――その瞬間、彼の中で、銀月への感情は反転した。
(もう先走りはしない。だけど、次に敵対した時には……全てに決着をつける)
信頼していたが故の、それを埋めるための怒り。それが本当にただの怒りであるのか、その胸にある本心は、彼自身にすら分かっていなかった。
ただ、己の中にある衝動、ガルフレアを超えるというその思いは、確かなものだ。それはラドルを強力に突き動かしながら、さらに強くしていくであろう。目標がどれだけ大きなものか、彼はよく知っているのだから。
「用件は、それだけです。時間をとらせてすみません」
「いえ……ありがとうございました、ルッカさん。この御言葉、よく考えさせてもらいます」
「ええ。では、また」
ラドルの後ろ姿を見送り、ルッカは一人、思いを馳せる。しばらくは大人しくしてくれるだろうが、根本は変わらないのだろうな、と。
(本当に、そっくりだね。自分に枷をつけて、ひたすらに思い悩む辺りが、特に。……今回のラドルさんの言葉、あの人には大層堪えただろうけど)
ガルフレアの性格を考えれば、それも容易に想像できた。しばらくは向こうの様子も伺わねば、あちらはあちらで無謀な行動に出るかもしれない、そう判断する。
(その辺りは、他の六牙とも相談してみようかな。今はまだ、彼に死なれると困るからね)
そう考えてから、ため息をつく。それが半分は言い訳であるなど、自覚していた。単純にガルフレアを死なせたくない、そう考えている甘い自分がどこかにいると、否定できなかった。そして彼の場合は、ガルフレアだけではない。
(僕たちは、どこまで行っても、表の世界には戻れない。だから……みんなを、これ以上こちらに関わらせたくない。そう、思ったけれど)
だから、突き放そうとした。徹底的に。追いかけても無駄だと、思い知らせるために、彼はかつての友と戦った。だが、同時に分かっていた。きっと、あれだけでは諦めてくれないのだろう、と。実際、バストールに戻った少年たちが、その後エルリアに帰国したという話は聞かない。
(僕は、みんなと戦いたくない。みんなには、平和に過ごしてもらいたい。ガルフレアさんだって、本当は。でも――もしも、戦うことになったとしたら。僕は、みんなを殺す。殺せてしまう)
望むと望まざるに関わらず、任務のためであれば、ルッカは自らの情を切り捨てられる。だから、必要に迫られる前に手を打ちたかった。
(これが、本当の僕、か。実際は、本当の僕なんて、僕自身にも……)
蓮に言い放ったその言葉。それに返答を詰まらせた蓮に、冷たく言葉を続けた。その内心で、確かに苦しさを感じていた自分を滑稽に思いながら。兄弟の浮かべた悲痛な表情に、胸の奥を締め付けられた自分をひた隠しにしながら。
「あの人はあの人、あなたはあなた、か……」
ラドルに言った言葉を、もう一度繰り返した。それは元々、彼がとある人物から伝えられた言葉を言い換えたものだった。
頭の中に響いた、忘れられない声。彼に向けられた、優しい声。彼にとって唯一の拠り所でもあったその人物は、もう存在しない。
(ごめんね。僕は、あなたの最期の言葉を、ちっとも守れてないよ……兄さん。でも……)
自分がこうしていることを、兄は望まない。それは、ルッカも痛いほど分かっている。それでも、彼は退けなかった。
(あなたの目指した世界……僕たちの、目指す世界。それを作り出すまでは、僕は。僕であることを捨ててもいい)
兄を失った時、全てに迷った彼が見つけ出した道。彼は、それを捨てられなかった。捨てるつもりもなかった。――たとえ、それ以外の全てを捨て去ってでも。