ハイブリッド
祝賀会もお開きになった後……俺たち赤牙と大鷲のメンバーは、揃ってレイルの部屋へと向かった。少し遅れてウェアが入ってきたところで、レイルは改めて一同と向き合う。
「本当はシューラさんとダリスさんにもと思っていたのですが、肝心のシューラさんがあれですからね。二人には後日話そうと思います」
「済まないね。弟には、明日みっちりと説教しておくからさ」
「ハハ、頭が割れない程度にしてあげてください」
一同、苦笑する。リンの怒号と空の小言、それに挟まれ苦悶する二日酔いのシューラ。その光景が目に浮かぶようだ。
「それで……レイルさん」
「分かっていますよ。もったいぶるつもりもないですから、本題に入るとしましょう」
そう前置いてから、レイルは自身の服に手を伸ばす。
「では、さっそくですが。一番分かりやすいものを、お見せしておくとしましょう」
訝しげに眺める俺たちの目の前で、彼は袖を一気にまくり上げた。そして――
「あ……」
――スーツの下、露になったレイルの地肌。それは……白い毛皮に、被われていた。そう、毛皮だ。紛れもなく、獣人のもの。俺と同じ、イヌ科の獣人のものだと思われる。
当然、人間の身体に、あんなものが現れるはずがない。つまり……彼は。
「これが、僕の真実ですよ。フフ、滑稽でしょう?」
「……複合種、だったんですか……?」
「そういう事です。比較的薄かった顔の毛は入念に処理しましたし、尻尾はとうの昔に切り落としましたから、傍目には人間に見えていたでしょう? 幸い、全体としては人間の特徴が濃かったのでね」
複合種。異種族間の両親に生まれる、両方の特徴を持つ子供。
一般的に、ヒトに分類される存在であれば、異種族間でも子供は問題なく生まれる。例えば俺は狼の獣人ではあるが、その遺伝子の情報は人間とほぼ同じなのだ。染色体の数などを含め、異種交配を妨げる違いは、ヒトの間には存在しない。
だが、普通は異種間の子供であっても、生まれるのは両親どちらかの種族になる。もちろん毛の色などの特徴が引き継がれることはあっても、種の特徴は表れない。周囲に認知されるレベルでのハイブリッドとして生まれる確率は、一万人に一人と言われている。
発生の原因はまだ詳しくは分かっておらず、一種の突然変異とも言われている。そもそも、両親のどちらになるか、そのメカニズムも完全に解き明かす事は出来ていない。兄弟で異種族になることだってある。
何故ならば、異種間の婚姻がもはや当たり前となったこの世界に生きるどの種族も、純血はもはや皆無に等しいからだ。俺だって、先祖を遡れば、どれだけの種族が混ざっているか分からない。身体には表れずとも、そういった血筋の影響を受けているのであれば、因果関係を紐解くのは非常に困難になる。
なお、ハイブリッドの子供は、再びどれかの種族に戻るケースが多いらしい。三種類が混じりあったハイブリッドは、世界でも数える程の例しかない。四種類以上は未確認、とされている。
ともかく、レイルがハイブリッドであるのならば、彼の両親のどちらかは紛れもなく獣人だ。だとすれば、なぜ。
「僕の父はね、犬の獣人でした。この毛並みと同じ、白い毛のね。いかにも人当たりが良く、物腰の柔らかい……そんな男でした」
ゆっくりと、レイルは語り始めた。貼り付けたような笑みを浮かべたまま。
「少なくとも、小さな頃の僕は、それが父の姿だと信じていました。そして、父に絶対の信頼を置いていました。しかし、実際は違いました。父は、全てを偽っていたんです」
「え……」
「父の浮気が発覚したのは、僕が10歳の時でした。滑稽なものでしたよ。ひとつが発覚すると後は連鎖でね。母と結ばれた後も、とっかえひっかえ愛人を作っていたんです、彼は」
後になって知ったことですが、父の好色は彼の知人では有名でした――そう語るレイルの目はどこまでも冷たかった。
「母は、あの男を問い詰めました。そして、逃げ場を無くしたあの男は、ついに本性をさらけ出しましたよ。あの時の言葉は、一字一句間違えず覚えているつもりです」
――養ってもらっている立場で、何を偉そうに。
だいたい、お前とは遊びでしかなかったんだ。それを子供まで産むと言い出しやがって。おかげで自由に遊べなくなって、心底辟易していたんだよ。
はっきり言っておいてやろうか? お前と結婚したのは、世間体のためだ。それ以上でも、それ以下でもない。
だけど、そろそろ限界だよ。何が悲しくて、特に本命でもない女と、そいつが産んだ気味の悪い混ざりものなんかに一生付き合わなきゃいけないんだ。
ふん。お前みたいな取り柄もないやつにこれだけ付き合ってやっていたんだ。感謝してもらいたいぐらいだな?
……混ざりものなんか産んでいなければ、もう少しは丁寧に扱ってやったかもしれないがな。そいつの親として振る舞うなど、冗談じゃない。吐き気がする。それも、お前の遺伝子が出来損ないだったからだろうさ!
ああ、全く。どうしてあの時、下ろせと言わなかったのだろうな。産まれてしまった以上、何をしようと俺が悪だ。全くもって、鬱陶しい!
「僕は、あの男を信じていた。信じていた相手から、まさか存在ごと否定されるとは思いませんでしたけどね」
「……クズすぎて吐き気がするわね」
「同感ですよ。僕もしばらくは放心しましたが、その後には怒りと恨みだけが残りました」
信頼を裏切られた相手は、その信頼が大きければ大きいほど、相手を恨む。レイルは、それだけ父親を信じていた。
……だから彼は、誰も信頼しなかったのか。それが裏切られた時の絶望を、よく知っていたから。
「それでも、そんな扱いを受けてでも……母はあの男が好きだったのでしょうね。僕への暴言も全て自分のせいだと、母は自分を責め、僕に謝罪しました。フフ。惨めでしたよ。たまらなく、惨めでした。あそこまで言われてなお、幻想から醒めないのかと。僕が否定された事に……怒りを覚えてはくれないのかと」
「レイルさん……」
「でもね、奴は僕たちをきっぱりと捨て、姿を消しました。今頃、第二の人生をのうのうと謳歌しているのか、或いは天罰でも下ってのたれ死んでいるか、どちらにせよ知ろうとも思いませんがね」
一同、静まり返った。レイルの奥深くにあったものは、凍り付いてしまいそうなくらいに冷たい。
「母はしばらく精神を病みましたが、親族の助けもあり、日常に支障が無い程には回復しました。彼女の前で父の話を出さなければ、ですが」
長い息を吐き出したレイル。どうやら彼は、母へもどこか暗い感情を抱いてしまっているのだろう。
「別に、僕の体験した事がとりたてて不幸だとは思いません。似たような話は世界中にごまんとある筈です。ですが、僕には、父を思い起こさせる僕の身体が、許せなかった」
「……だから、人間として振る舞おうと?」
「ええ。僕は父が大嫌いです。そして、その血が流れる、僕の身体も。だから僕は、人間でありたかった。あの男の血が流れていることを否定したかった。獣人というものを、僕から遠ざけたかった」
彼が本当に嫌いだったのは、獣人ではなく……彼自身の、獣の血だったのだろう。
「小さい男なんでしょうね、僕は。今でも獣人の顔を見るだけで、父の影がちらつく。そして、取り繕っている僕の内面、醜い部分を見せ付けられる気分になるんです。きっとこの先、死ぬまでそれは変わらないと思います」
ああ。きっと誰よりも、彼自身が理解している。それが、どれだけ不毛な考えであるのか。分かっていても……割り切れないだけなのだ。
「……ふふ。ですが、今回の騒動で、少し考えてみようとは思いました」
「え?」
「僕のこの身体の意味を。忌まわしい父の遺伝子をただ遠ざけるだけではなく……こうして、二つの種族が重なった僕が存在していることの意味を。違う生き物が重なり生まれた命の意味を、ね」
レイルの表情に、柔和な色が加わった。いつもの人をくったようなものとも少し違う、柔らかい笑みだった。
「皆さんもご存じだとは思いますが、複合種の絶対数は非常に少なく、迫害の的になりやすい。近い種ならばともかく、全くの異種、特に……人間のハイブリッドは目立つんです。人間でもなく、獣人でもない僕たちは、どちらからも標的にされてしまいやすい」
獣人でもなく、人間でもない。残念ながら、レイルの言う通りなのだろう。外見の違いは、最も分かりやすく区別が出来てしまうものだから。
「ですが、裏を返せば……こうも言えませんか? 人間でも、獣人でもないのではなく。僕たちは、どちらでもあるのだと」
「どちらでも、ある……」
「ええ。だとすれば……僕たちの存在そのものが、互いの共存を示す証拠とも言えます。フフ、そう考えると素敵だと思いませんか、イリアさん?」
「…………!」
ここで、わざわざ彼女を名指しする意味……レイルは知っているのか、イリアの事を。
「今回の騒動は解決しましたが、責を問われはするでしょう。もしかすると、柱の任を解かれるかもしれない。元々はそれを責任として受け入れるつもりでしたが……そんな簡単な逃避ではなく、真の責任を取るためにも、可能な限りは抵抗しようと思います」
「真の責任……」
「先程も言いましたが、世間でのハイブリッドの立場は弱いのが現状です。ならば、柱と言う地位にある僕には、それを少しでも改善する事が可能ではないかと思うのです。獣人、人間、複合種……フィオさんのようなUDB、そのすべてが共存する世界。そのために、複合種である僕だからできることもあると考えます」
「そうですね。あなたには……いえ、あたし達ひとりひとりのハイブリッドに、これからのためにやれる事がきっとあります」
「え……」
俺と暁斗を除いたエルリアのメンバーには、まだ話していなかったそうだからな。みんなは少し驚いたようにイリアに視線を集めた。
そうして、彼女は上着を脱いでみせた。――肩口から覗く、黒い毛並み。毛並みと言うよりは、羽毛なのだが。
「あたしは、鳥人のハイブリッド。お父さんが鳥人なの。胴体のところどころが羽毛に覆われている程度だから、レイルさんよりは目立たないと思うけれどね。でも……さっきのレイルさんの話が分かる程度のことは、今までいくつかあった」
「どれだけ目立たなくとも、隠し通すのは難しいものです。ハイブリッドという事実だけで、好奇の目にはさらされるでしょう」
「その通りですね。悪意だけでなく、善意もありましたが……特別扱いされていることに違いはなかった。普通の人と違うことを、何度も意識させられました。正直、嫌になっていた時期だってあります」
軽い口調で言いながらも、当人は長い時間を真剣に悩んできた話だろう。それ故、今回の騒動で彼女はずっと思い悩んでいた。だからこそイリアは、瑠奈の言葉に救われたと言ったのだ。
「今だって、何もかも吹っ切れたわけではありません。今回のことだって、色々と考えさせられました。でも……もし次に同じようなことが起こっても、もう迷わずにいられそうです。あたし達は、どちらでもあるんですから」
「フフ、本当に真っすぐなお方だ。……ついでに、ひとつ聞いてもいいでしょうか。イリアさんは、ご両親が好きですか?」
「……はい。あたしがひねくれずにいられたのは、両親が向き合ってくれたおかげです」
「ならば、その身体を大事にしてあげてください。どちらの血も引き継いだ証拠と考えれば、悪くはないでしょう?」
「……はい、もちろんです!」
両親に恵まれず、獣の要素を削ぎ落としたレイルだからこそ、言葉の意味は重い。だが、それは皮肉でも何でもない激励に思えた。だから、イリアも変な遠慮はせず、素直に力強い返事をした。
そして、その傍らで、暁斗は少し目線を落としていた。
ふたつの身体を持つが故に苦しんだ過去を持つイリア。姿の違いに苦しんでいる暁斗。対照的でもあるし、ある意味では似ている。だから、これから二人が一緒に暮らしていく事になり、お互いに良い刺激を与える事が出来るのではないだろうかと、俺は密かに期待している。
血筋、姿、種族。様々な事を考えさせられた今回の騒動。それも、明日でひと区切りだ。俺達は、新たな仲間と共に、バストールに帰る。
血筋……血筋、か。
自分の血筋すら分からない俺には、本人たちには失礼だと思いながらも、それで悩める事が羨ましくすらある。
もし叶うならば両親と会いたい。そう思うことはある。反面、恐怖もある。俺が孤児になった理由は定かではない。両親が生きているのか死んでいるのか。望まぬ理由で俺を失ったのか、それとも捨てられたのか。答えが出るのは、やはり怖い。
もしも、両親が生きているのならば。会いに行けるのならば。俺は……どうするのだろうか。