ウェアルドとヴァン
『そうか。暁斗は、赤牙に残るんだね』
祝賀会の途中で抜け出した俺は、電話を手に取っていた。
サングリーズでの作戦が終わったあの日に連絡を取りたかったが……ようやくお互いの時間が合ったのがこの時間になった。
「お前の差し金じゃないのか?」
『俺は、世界を見てみるといい、としか言っていないよ。ここに残らせても、エルリアに帰しても、あいつの悩みは解決しないと思ったからさ。空のところに行くまでは、安全の確保ぐらいはしていたけど……ギルドに入るってのは、暁斗が自分で決めたことだよ』
「そうか。……空には根回しを?」
『あいつと面識が出来た後にはね。空はそれより前に気付いていたみたいだけど。俺に似すぎているからさ、あいつは』
「そうだな。あいつといると、本当に、昔のお前を見ている気分だったよ……ヴァン」
受話器の向こうにいる弟の姿と、少年の姿を重ねる。
ヴァンを知るものが暁斗を見れば、確実に気付くほどに、暁斗と昔のヴァンは似ている。過酷な戦いを経て、今のヴァンは上に立つ者の風格を得てはいるが。
「しかし、まんまと騙されてしまったよ。まさかお前が、ああもさらりと嘘をつくとは思わなかったからな」
『……それは、悪かったと思っている。だけど、今はそうした方が良いと思ったから、俺はあいつに協力したんだ』
俺が言うのも何だが、こいつは生真面目で、潔癖な性格をしているからな。相当に考えて結論を出したのだろうが、罪悪感はあっただろう。だが、少し厳しい事も聞いておかなければならない。
「本当に、それだけか?」
『…………。敵わないな、兄上には。そうだね……それだけじゃなかった。俺自身の、欲でもあったよ』
俺は、知っていた。こいつが暁斗を、離れていても想っていた事を。いつか、親子としては無理でもちゃんと逢いたいと、そう願っていた事も。ならば、実際に暁斗が訪ねてきて、こいつがどう感じたのかも想像はつく。
『あいつが俺の元に来てくれて、嬉しいと思うところもあったんだ。ノアも喜んでいたし、あいつの願いだからと言う名分に、少し甘えてしまったかもしれない』
「お前の気持ちだって分かっているさ。だが、慎吾と楓とはしっかり話せよ。それと誠司もだ。暁斗に怒りをぶつけられて、かなり気落ちしていたからな」
『そうだな……俺の考えも含めて、じっくりと話をしておくよ。許して貰えるかは分からないけれど』
慎吾には、まずはお前が話してくれ、と言われている。その辺りの機微を、あいつはよく分かっているからな。とは言え、彼らが理性的に話を出来ないとも思えないので、落ち着いて考える時間を持ちたかったのが本音だろう。
後は、当人で話せるはずだ。ならば俺は、少し個人的な話をしておきたい。
「まあ、暁斗の事は任せておきな。あいつが答えを出すまで、しっかり護ってやる。ところで、父上と母上……は今でも連絡はしているが、カチュアやノアは元気なのか?」
『気になるなら、たまには帰ってくればいいじゃないか。何なら、ギルドの人達も連れてくるといい。歓迎の準備はいつでもしておくからさ』
「無茶を言うなよ。誠司やジンはともかく、後の奴らはな。暁斗のこともあるし、あいつの肩身を狭くするわけにもいかん」
『そうか……残念だ。だけど、確かにそうかもしれない。いつか、そういう機会を持てればいいとは思うけれど』
「暁斗が答えを出せば、それも出来るだろうさ。その時が早く来るよう、俺も力は尽くすとも」
『うん、そうだな。返事をしておくと、みんな元気さ。父上は、最近はそろそろ隠居するつもりなんてぼやいているけれど……俺を認めてくれている証ならいいんだけどな』
隠居、か。それはつまり、ヴァンが父上の跡を継ぐことを意味する。本来ならばそれをしなければいけないのは俺なのに、弟は決してそれに文句を言わない。父上も、俺の自由を認めてくれている。
『だけど、兄上。はっきりと言えば、落ち着いて会える時間は、いつまで取れるか分からないから言っているんだ。リグバルドの横暴は、兄上もよく知っているだろう?』
「……そうだな。奴らはいずれ、そちらにも手を出すだろう。いや、すでに準備を進めていると考えるべきか」
『俺も警戒は進めているけれど、まだ尻尾はつかめていない。どこまで入り込まれているのか……遅れを取るつもりはないけど、何しろ規格外の相手だ』
ヴァンの手腕は俺が認めるところだが、今のリグバルドは常軌を逸している。気を抜けば、その瞬間に喰らい尽くされそうなほどに。
「俺は、奴らの一員と話した。そして、言われたんだ。あなたの身内は、天の血筋に相応しい、と」
『兄上の素性は割れている、か。そして、俺のことも指しているんだろうね』
「ああ。そして、未熟な者にはお守りもいるから手は出していない……とも、言っていた」
『……それは』
「暁斗は俺が十分に気にかけておく。だからお前もノアのことを注意しておいてくれ。言われるまでもないとは思うがな」
『そうだな。ありがとう、兄上。もちろん、子供たちに手を出させるつもりはない。彼らの好きにはさせてたまるものか』
力強いヴァンの言葉。不謹慎ではあるが、こいつの成長を節々に感じる。もう、内気でずっと俺の後ろについてきていた弟ではないんだと、今になってもふと思うことがある。
『俺は、自分の責務を果たすつもりだ。今の世界に、彼らの傲慢を認める訳にはいかない。兄上のように、上手く出来るかは分からないけれどさ』
「何を言っているんだ。お前は、俺よりもよっぽど上手くやっているさ。……などと、お前に何もかもを押し付けた俺が言うことではないな。済まない」
『ふふ。責務ってのは言葉の綾だよ。俺は、今の立場に誇りを持っているし、自分で望んでここにいる。兄上が責任を感じる必要は無いんだ』
弟が本気で言ってくれているのは知っている。だからこそ、胸が痛い。
『いつも言っているだろう、兄上? 俺は兄上に、後悔しない生き方をしてほしい。もちろん、全てを片付けて戻ってきた時には、譲るつもりもあるけれど。……心配しないでくれ。兄上が何を望んだとしても、帰る場所は俺が必ず護るよ』
「……ありがとう。本当に、お前は俺には過ぎた弟だよ。その詫びというわけではないが、俺の力が必要になった時には、いつでも言ってくれ」
『ああ、その時は頼りにさせてもらうよ。兄上は、俺の知る中で一番頼れる人だからな』
こうして国外に出て、自分の好きなように生きている俺ではあるが、祖国のことは未だに愛している。それが脅かされると言うのであれば……今の自分を捨てる覚悟はしている。
「ところで、暁斗には全部話したと思っていいのか?」
『俺の素性のことなら、さすがに隠し通すのは無理だったからな。間接的に兄上についても知られたのは、悪かったよ』
「いや、いいさ。知っていると分かっていれば、その方がやりやすい。それに……他の奴らにも、全てを話す時はそう遠くないだろう」
『……そうか。兄上も、本来の立場を使って戦うつもりなんだな?』
「勝手を言って済まない。だが、それが必要とされるならば、俺は躊躇わないつもりだ。お前や父上には、迷惑ばかりかけているが……その時には、俺が戻ることを許してほしい」
『それは俺や父上に断りを入れることではないよ。兄上が持つ権利を、兄上が使うだけの話だろう?』
「権利に伴う責務を捨てた俺でもか?」
『捨てたわけじゃないのは、俺がよく知っている。そもそも、俺たちが兄上の背中を押したんだからさ。それに、場所が違っても、兄上のやってきたことはきっと同じだ』
「……そうだといいな。だが、そうだな……自虐をしても埒があかん、か」
弟は、俺を咎めない。あの時も……俺が動けていたら、こいつが三年間も辛い思いをしなくて済んだと言うのに、再会した第一声が「兄上が無事で良かった」だったのは、今でも鮮明に思い出せる。
正直、今の立場には優しすぎた弟。それでも彼は、求められる使命を見事にやり遂げている。だからこそ、こいつが誇らしくて、申し訳なくて、そして不安になる。
「ところで、ヴァン。お前、最近はしっかりと寝ているか? 父上から聞いたぞ。夜通しで執務をこなしている事も多いと」
『父上、そんな事まで話したのか? 本当に、みんな心配性だな……大丈夫さ。俺は兄上の弟なんだから、この程度は問題ないよ』
「俺の弟だから言っているんだ。自分で言うのも何だが、俺は誰かに止められるまで無茶をするタイプだ。お前にも、そういうところがある……いや、俺よりさらに酷いよな?」
『……一応、自分の身体は自分で把握しているつもりではあるよ。暁斗がいた時は、できるだけ時間を作れるように計らってもらっていたから、その埋め合わせみたいなものさ』
「では、ノアやカチュアとはどれだけ一緒にいられているんだ?」
『う……』
言葉に詰まり始めた。まあ、そうだろうな。
「いいか、ヴァン。とりあえず、周りから止められたり、心配されたりした時には無理をするな。俺もそれだけは徹底している。第一、過労で倒れたら元も子もないだろう」
『それは、そうなんだけどな……』
「ノアを見てやれと言っただろう? 自分の身体と家族のこと、それを省みる時間ぐらいは作れ。努力は美徳だが、お前は昔から度が過ぎる」
真面目で、優しく、献身的で、努力家。字面は良いが、行きすぎるとどうにも危なっかしい。もう少し、自分の事も考えてもらわないとな。
『ふう……。話す機会がある度に、何かしら注意されている気がするよ』
「口うるさくて済まないな。だが、お前がなかなか直さないのも原因なんだぞ? それに、いつまで経っても、俺からすれば、ずっとお前は可愛い弟だからな。許してくれ」
『はは、もう40も越えたって言うのに、兄上は……ん? ……いや、私的な雑談だから構わない。……父上が? 分かった、すぐに向かうとしよう。ご苦労だったな』
途中で誰かに呼ばれたらしく、口調が変化する。指導者として、誰かの上に立つためにこいつが身に付けた立ち振舞い。
「切り替えの上手いことだな」
『はは。自然体でいられる時ぐらいは、気を抜いて話をさせてくれよ。じゃあ、父上から呼ばれたみたいだし、そろそろかな。兄上、ちょっとした時間でもいいから、今度戻ってくるのは考えておいてくれよ? せめて顔見知りだけでも一緒にな。誠司やジンとも会いたいからさ』
「ああ、覚えておく。じゃあな。話した事は忘れるなよ?」
『分かっているさ。では、兄上も、身体にはお気を付けて』
そうして、通話が切れる。俺の表情は、少し綻んでいるのだろう。用件そのものには重い話もあったが、久し振りに弟と話が出来たのはやはり嬉しかった。
立場を捨てた放浪の身ではあるが、向こうが受け入れてくれている以上、確かにもう少し戻る頻度を増やしてもいいのかもしれないな。両親ももう若くはないのだ。それに……俺が放浪した目的も――
「………………」
資格は無いと、分かっている。真実を話したとしても、元の関係に戻るのは無理だろう。それでも、願わくば許されたいと思ってしまうのは傲慢だろうか。
それでも、あいつ自身が問題を抱えている現状、せめてその力になってやりたい。だから、まだ話せない。あいつが俺の元を去ってしまわないように。
……それが御託な事も分かっているがな。結局、俺も恐れているだけだ。
「……さて、と」
今さら、考えている場合でもないな。こちらもそろそろ、呼ばれた場所に向かうとするか。