心の鍵
三本柱との話し合いも終わり、明日に備えて寝る直前。俺は、ウェアさんと先生に付き添われつつ、両親と連絡する準備をしている。
「お前が生きているという事は、空から話を聞いた段階で伝えさせてもらっていた。だが、先程の話はまだ何も言っていない。後は、自分で話すんだ。今までどう考えていて、これからどうしたいのかを、な」
「……はい」
意を決して、俺は端末を操作していく。事前に登録しておいたのか、接続先の項目に『綾瀬 慎吾』の名前が出た。俺はひと呼吸だけ間を置いて、それを選択する。
接続待ちになっていたのは、本当に数秒だけだった。向こうも待っていたようで、すぐにモニタに映像が届く。
映し出されたのは……綾瀬家のリビング。俺のよく知っている空間。そして、その中で座っている、俺のよく知っている二人。
『ああ、暁斗……!』
『暁斗……なんだな、本当に?』
数ヶ月ぶりの両親の声。これまで、あっと言う間にも感じたし、すごく長くも感じていたこの半年近く……でも、その声は、何だかひどく懐かしく感じた。
頭の中で整理していたはずの言葉が、まるで出てこなくなった。何を話せば、いいんだろう。
『久しぶりだな。元気に、していたか?』
「……うん」
父さんの声は、あくまでもいつも通りで……昔と、変わらなかった。怒っているようにも聞こえなかった。でも、少しだけ震えているように感じたのは……俺の願望、だろうか。それとも。
『暁斗、暁斗……! 良かった。本当に……!』
「……うん……」
そして母さんは、今にも泣きそうになっていて……ものすごく、痛かった。母さんにこんな顔をさせているのは、俺だ。みんなに心配をかけているのは分かっていたつもりだった。だけど、俺が思っていた以上に、みんなは。……それが嬉しくて、同じくらい苦しい。いっそ、怒られていたかった。
『お前は頭も回るが、何かに熱中すると周りが見えなくなるからな。無茶をしていないか、心配していたぞ』
「……大丈夫。この半年近く……色んな人が、俺を助けてくれたから」
『そうか。ならば俺は、その縁に感謝をしなければいけないな』
「……あの、父さん。俺は……」
『理由が、あるんだろう? それを、聞かせてほしい』
父さんは、画面越しにじっと俺を見ていた。……父さんは、いつもの不敵な笑いは浮かべていなかった。父さんも、どう話せばいいのか分からない……のかな。あの父さんが、なんて信じられないくらいだけど。
お互いに、手探りだ。でも、話を進めないといけない。俺は、深呼吸をひとつしてから、続けた。
「父さん、母さん。俺、知ったよ、全部。ヴァン父さ……いや、ヴァンさんの事。あの人が、生きているって事。そして、会いに行っていたんだ」
『…………!』
『……。そう、か』
二人は、思ったほど驚いてはいなかった。父さんが、ため息をつく。
『そうなのではないかと、考えてはいた。ヴァンは少々、押しに弱い部分もあるからな。他ならないお前の頼みなら、俺たちに嘘ぐらいはついてみせるだろう。……あと、無理に気を遣うな。あいつの事も、父さんと呼んでやればいい』
「……ごめん」
何て言えば良いか分からなくて、思わず謝ってしまう。だけど、本当に、何もかも……俺は、謝っても謝りきれないほどのことをしてきたんだ。
『詳しく、聞かせてくれる? あの人から、どんな話をされたのか。そして、どうしてそれを知って、あの人の居場所に辿り着けたのか』
「……分かった」
俺は、少しずつ話していった。瑠奈達に説明したのと同じ内容を。二人は、俺が話を終えるまでの間、静かにそれを聞いてくれた。
『あの仮面の配下が、お前の部屋にまでか。すぐ近くで我が子に危険が迫っていたのに、それにすら気付けないとはな』
「仕方ないよ。まさか、俺を狙ってくるなんて俺も思ってなかったし……父さん、あの時は疲れていただろう?」
瑠奈たちの事に、大会の事後処理。きっと、それ以外にも色々と。あいつは、その隙間を狙ってきたんだろう。
『それでも、俺は気にかけておくべきだったんだ。あの後、関係者が狙われる事も予想はしていたのに、側にいるうちは大丈夫だと油断していた。ヴァンに責められても、文句は言えないな』
「………………」
『恨んでいるか? お前を騙し続けていた俺たちを』
続けて、父さんはそう尋ねてきた。そのストレートさは相変わらずだけど、この人にしては珍しく、軽く言い淀んでもいた。……恨み、か。
「分からないよ。黙っていた理由は聞いたし、理解はしている。それでも……やっぱり思うんだ。どうして教えてくれなかったんだ、って。怒ってはいるよ、正直なところさ」
この事については、ヴァン父さんにも一度怒りをぶつけた。居候の分際で何を言っているんだとは自分でも思うけれど、どうしても言っておきたかった。何でみんな……俺のことを勝手に決めちゃったのかって。
「……本当に知らされていたらどうしてたかなんて、今さら何でも言えるってのは分かっているよ。それはそれで、知らされた事を恨んだかもしれない。でも、知ってしまった今だと、やっぱり……俺を信じて話してほしかったって、思うんだ」
『……ごめんなさい、暁斗……』
「……。謝らないで、母さん。本当は、俺の方が……」
母さんの辛そうな声が、刺さる。怒っているけれど、その怒りを受け止めている二人が苦しそうなのが、俺も苦しい。苦しめているのは、俺なのに。
本当は、どっちもなんだ。知らせてほしかった。だけど、ずっと知りたくなかった。知らなければ、ずっと知らずにいられれば、俺は自分の苦しさをきっと隠せたから。知ってしまった今だからこその、身勝手な怒り。
「頭では筋違いだって分かってても、どうしてもモヤモヤが晴れなくてさ。……何って言えばいいのかな。今回の事がきっかけで、俺は……自分が分からなくなったんだ」
考え込みすぎているのは分かっているんだ。頭では、自分が馬鹿だって理解はしているんだ。でも……感情が、それに全く追いついてくれない。
「俺はずっと、必死に綾瀬家の子供になろうとしていた。瑠奈の兄を全うしようとしていたのも、そうしないと繋がりが無くなっちゃうような気がしたからってのが最初だった」
あの夜に漏らした俺の心の奥底。誰が何と言おうと、俺の瑠奈への愛情の根幹には、打算があった。……今でもまだ、胸を張ることができない。分からない。俺はいま、ちゃんとあいつを妹として純粋に愛せているのか。
「きっと部活とかもそうだった。打ち込んで、結果を出せば、認められれば、俺がそこにいる気がした……どんな形でも良かった。俺はただ、はっきりと自信を持てる居場所を作りたかったんだと思う」
『……そこまで、か。そこまで深刻に悩んでいることを、俺たちは分かってやれていなかったんだな』
俺は首を横に振った。それは、両親のせいじゃない。俺が、家族の前では出さないようにしていたからだ。カイとか、慧とか、浩輝とかには、ほんの少しだけ相談をしたこともあったけど。
ここまで拗れる前に、ちゃんと話せば良かったのかもしれない。でも、怖かったんだ。この話をすれば、色んなものが壊れそうで……できなかった。
「それでも、何とか誤魔化してはこれたんだ。でも、ヴァン父さんの事があって、振り返ってみて……やっぱり、俺は苦しかったんだって分かった」
瑠奈は言った、見た目なんて、種族の違いなんて関係ないって。それはすごく嬉しかったし、心にも響いた。だけど、やっぱり俺の中のどこかで、その見た目の違いをずっと重荷に感じていたのは確かで……そう簡単には晴れなかった。見た目も、種族も、血筋も、やっぱり大きいって感じてしまうんだ。だって、俺は嫌というほどそれを体験してきたから。
俺の血筋を探るような下卑た噂話は、気付かないフリをしてきた。興味本意で尋ねてきた相手には、気にしていないフリをしてきた。でも、本当は分かっていたし、苦しかった。父さんは俺を紛れもなく息子として育ててくれたし、母さんに至っては本当に血の繋がりもある。なのに、周りはみんな、外見を見た。種族を見たんだ。
「親戚の子を引き取ったとか、そんなのはまだ優しい方だよ。拾われてきた子とか、不倫相手の子とか、みんな好き勝手だ。いちいち説明しなきゃ、分かってもらえなかった。説明したって疑う奴もいた。みんな見てくれなかった。俺を、ちゃんと父さんと母さんの子供として、見てくれなかった」
家族写真を見せても、家族だって分かってもらえない。父さんや母さんにまで、謂れもない噂を立てられる始末。……惨めだった。悔しかった。でも、何も言い返せなかった。だって、俺が悪いんだから。
「本当に、分かりやすいよな。ヴァン父さんと俺の血の繋がり、疑う奴はいなかったんだぜ? ある日突然沸いてきた俺の事を、みんながすんなりと受け入れた。確かに生き写しのようだ、ってさ。何年も住んできたエルリアじゃ、逆だったのに」
『……済まない』
それは、何に対しての謝罪だったんだろう。気付けなかった事なのか、それがどうしようもない事だからなのか、それとも、自分たちの決断がその原因だからなのか。
「ヴァン父さんと過ごす時間は……すごく楽だった。俺自身も、この人は俺の親なんだって、顔を見るだけで実感できた。……だけど」
それでも、俺は……どこまで行っても、今まで生きてきた俺だった。綾瀬 暁斗だった。
「ヴァン父さんは、本当に優しかったよ。俺の事を息子として扱ってくれたよ。でも、だからって、俺とあの人が過ごした時間は、まだ数ヶ月で……今までの全てを捨ててあの人の息子として生きる、なんて、俺には無理だった」
だって、俺がエルリアでずっと悩んでいたのは、父さんも母さんも大好きだったからなんだ。大好きな二人や瑠奈と家族として見られなかったのが、苦しかった理由なんだを
もちろん、ヴァン父さんの事も大好きだ。あの人の所で過ごしたいって自分もいる。でも、それと父さん達から離れたいって思うかは、全く違う話だった。
選べない。今の俺には、どちらも選べなかったんだ。
「何かさ、俺はいま……自信が、持てないんだ。何もかも、分からなくなった。自分の考えてる事すら、本当に自分の意思なのか、みたいに考えるようになった」
自分の根っこにあったものが崩れて、隠していたものが出てきたからだろうか。考えても、考えても、考えても……全部ぐちゃぐちゃで、何も答えが出てくれないんだ。
父さんは、何を思って俺を育てたんだろう――そんな、最低な疑問を拭う事も出来ない。だって、父さんは、本当に優しいから。もしも俺の事を、本当は息子だと思えなくても優しくしてくれるような……そんな人だから。
「このままエルリアに戻っても、俺は、よく分からないままに、色んなものを誤魔化したままになっちゃうと思う。……答えを出したいんだ。もっと、考えたいんだ。色んなものを見て、自分の意思をはっきりさせたいんだ。だから……」
『まだ家には帰らない。ウェアの元で経験を積みたい、か?』
「……うん。我が儘なのは分かっているよ。だけど……お願いだ。俺がまだ帰らない事を、認めてほしい」
考える時間が欲しい。だけど、ただ適当に過ごしていたって、多分答えはずっと出ない。何も変わらない。
俺は見たいんだ。エルリアでは知れなかった世界を。その中で、俺って言う存在が、何を望んで何が出来るのか……俺の存在の意味を。それを、考えたい。
『そこにいる以上、お前は認めているんだな、ウェア?』
「お前たち次第だ。赤牙としては、責任をもって彼を迎え入れる準備は出来ている」
その返答を聞いた父さんと母さんは、お互いに顔を見合わせていた。少しして、二人は揃ってこちらを向く。
『それがお前の考えであれば、俺に口出しするつもりはない。その結果、お前がどんな答えを出したとしてもな』
『そうね。私たちも、自分の意思で答えを決めてきた。それが本当に正しかったかなんて分からないけれど……それは、あなたにもある権利だと、そう思っているわ』
「…………」
『あなたが選んでいいのよ、自分の生き方を。その結果、周りと衝突することもあるでしょう。間違った選択をすることもあるでしょう。でも、それを怖がる必要はないの。何ともぶつからず、何も間違えない人なんて、いないんだから』
俺が選ぶ、俺の生き方。今の俺じゃ、正しい道を選べる気はしない。だから……。
『もしも、選ぶのに迷った時は、全力で支えてやる。俺はお前の、父親だからな。ヴァンも、きっとそう言うだろう。……あいつがお前の父であることを否定するつもりはないが、俺がお前の父であることもまた、絶対に譲らない』
「……うん」
その言葉の力強さが、胸に痛い。ここまで言ってくれる父さんを、俺は。
『ウェア、それに誠司も……その子を頼んだわ。私たちは、まだエルリアを離れられない。みんなの帰る場所は私たちが護るから、あなた達は、みんなをお願い』
「ああ、任せておきな」
「俺はこいつ達の教師だからな。頼まれるまでもないさ」
二人は、笑顔で答えた。心配は何もない、と言うように。その気遣いに、心の中で頭を下げる。
……でも、エルリアを離れられない、って言ったか。やっぱり、父さん達も、きっとおじさん達も、何かをしているんだろう。また、あんな事が起こった時のために。
「……そろそろ、切るよ。今は多分、これ以上は……俺には、何も話せないからさ」
『ああ、分かった。だが……たまには、声ぐらいは、聞かせてくれないか? やはり、そうしないと……不安なんだ』
「分かったよ。そこまで意地を張る必要も、もう無いだろうし。でも、父さんでも不安なんて言葉を使うんだな。何だか、意外だよ」
『そうか? ……そうかもしれないな。だが、俺だってそこまで達観は出来ていない。不安にもなれば、焦りもする。何も分からない事だってあれば、恐怖に動けなくなった事だって、何度もある』
「……そんな当たり前の事も、考えてもみなかったな。俺にとって父さんって、完璧な人で、出来ない事も悩む事も無い、そう思っていたから」
だから俺は、心の奥底にある弱音は吐けなかった。父さんに認められるには、俺もそうじゃなきゃいけない気がして。
皮肉だよな。こうして出ていってから初めて、内面をもっと知ることが出来たなんて。
『言い訳がましいとは思うけれどね……本当は、あなたが大人になってから、全て話そうと思っていたの』
「うん、それはヴァン父さんも言っていたよ。結局は、こうなっちゃったけど……」
『あなたには、何でも知る権利がある。もしも聞きたい事が見付かれば、遠慮せずに聞いていいのよ』
「分かったよ。……今は大丈夫。後は、自分で考えてみたい」
聞きたい事は、すでにある。だけど、まだ聞く勇気がない。
母さんがヴァン父さんと結ばれた時、慎吾父さんの事はどう思っていたのか。ヴァン父さんがいなくなり、慎吾父さんと一緒になった時、未練は無かったのか。あの約束の事を、母さんは知っていたのか、そうだとしたらいつ知ったのか。それについてどう感じたのか。
……死んでいない事が分かった時、母さんはどっちの事を想い……もし、俺や瑠奈がいなければ、どっちを選んでいたのか――少なくとも、父さんがいるこの場では、とても聞く気にはなれない。半分は、怖いだけだけど。
『それから、あなたのお友達が、いつも訪ねてきてくれていたの。だから、あなたの口から無事を伝えてあげて?』
「あ……。うん、それも落ち着いたらちゃんとやっておく。みんなにも、謝らないと」
良に竜二に、部活のみんなに、慧に……まとめて、着信も拒否していたからな。我ながら、本当に勝手な事ばかりしているよな。
『お前が自分をどう思っているかは別として、お前の周りには、きっとお前の想像以上に、お前を慕う奴らがいる。せめて、それだけは忘れるなよ』
「……そうだな。そこだけは、本当に馬鹿だったと思う」
ヴァン父さんに会いに行くという結論自体には、後悔はしていない。だけど、もっと上手いやりようはあっただろうな。
「じゃあ、何かあったら連絡するよ。また、な」
『ああ。……いつか、直接会える時を、楽しみにしているからな』
そうして……通信は切れた。急激に、部屋の中が静かになる。
「…………」
「良かったのか? あれだけで」
「……はい。目的についてはちゃんと話せましたし、全部を一度に話せるほど、俺は賢くないですから」
ずっと黙って聞いてくれていたウェアルドさん達には、何となく気付かれているのかもしれない。俺が、全てをさらけ出す事は出来なかったって。怒りも、疑念も、喜びも、感謝も……色々と押さえ付けてしまったって。もしかしたら、父さん達もそうだったんだろうか。
「今さら、俺がとやかく言うことでもないがな……ともかく、これでお前は俺たちの一員だ。焦らず、答えを見付けていけばいいさ。みんなで一緒にな」
「……はい。よろしくお願いします、ウェアルドさん」
これから先の道にある答え。それが見付かった時、俺は――色々と考えていると、何だかよく分からないけど、ひどく泣きたくなった。