ミルフィ・アルガード
「……みんな、少しいいかしら。私からも、みんなに伝えないといけないことがあるの」
「そうか。覚悟は、固まったんだな?」
「ええ。パパのあんな姿を見て、迷ってる場合じゃないもの。……いきなりだけど、私、みんなにひとつ嘘をついていたわ。私の本当の名前は……ミルフィ・アルガード。リグバルドの将、クライヴの一人娘よ」
「え……」
さすがに、一同がざわついた。サングリーズで同じチームだったみんなは、もう聞いていたようだが。
「相沢はママの姓で、美久はマスターがつけてくれた偽名よ。パパの名前は有名だったから、少しでもごまかすためにね」
「それじゃ、お前……リグバルド人、だったのかよ?」
「ええ。赤牙に入る前の、12年と少し。私は、あの国で育ったわ。だから、少しは知っているのよ。あの国が……いいえ、あの男が、何をしようとしているのか」
セイン達の話を聞いた時から、様子がおかしいとは思っていたが……そういうことか。父が敵にいると聞いて、落ち着いていられるはずもないだろう。
「先に言っておくけれど、今から話すことには、人から聞いたことも混じっているわ。でも、信頼できる人の話だから、そこは心配しないで」
俺たちが頷くと、美久は改めて語り始める。
「少なくとも、小さな頃のリグバルドは、普通の国だったわ。パパはいつも忙しそうにはしていたけど、家に帰ったら私もママもすごく愛してくれる、そんな人だった。ママは、生真面目なパパをいつもからかうような、やんちゃな人だった」
闇の門で戦果を上げて、将にまでなったクライヴ。それでも、家庭では普通の父親でしかなかったのだと言う。考えてみれば、当然なのだろうがな。
「何かがおかしくなり始めたのは、私が10歳になった頃だった。パパの仕事が増えて、あまり家にいなくなったの。いきなり兵士の雇用数が増えて訓練が大変なんだ、ってパパは言っていた。私も最初は、そうなんだ、残念だな、くらいにしか思えなかった」
兵の雇用数の増加。闇の門という一大事を乗り越えた今の時代、戦える力を増やすだけならば、そこまで不自然ではない。リグバルドは闇の門でも被害が大きかった地であるから、そこで疑問に思えなかったのも当然だ。
「だけど、それだけじゃ終わらなかった。軍のさらなる人員増加。軍事拠点の増設。新しい武器の開発。国民からの、積極的な徴兵。パパがおかしいと思った時には、リグバルドは軍事国家と呼べるような国になっていた」
元々、リグバルドは屈強な軍を持っている事で有名であった。だが、ここ数年は、諸外国から見ても異様なほど、あの国の軍力は強大なものになっていた。それこそ……彼ら自身が脅威にならないか、危惧されるほどに。
「それを指示したのは、全て……リグバルド皇帝ゼアノートだった」
その名を口にした瞬間、美久の怒気が、目に見えて高まった。
「その時はまだ、軍のこと以外は、皇帝は昔と変わらない振る舞いをしていたそうなの。軍の強化も、闇の門以上の脅威が起きない保証はない、って言葉そのものは間違ってはいなかった。だから、みんな気付くのが遅れた。気付いていたとしても、本性を現すのが早くなっただけなんだろうとは思うけれど」
「本性……」
「パパはね、すごく忠誠心が強くて、皇帝の事を心から敬ってたわ。小さな頃はよく、帰ってきたら、どんなに皇帝が凄い人で、どんなに自分が彼に仕えることを誇っているか話してくれた。でも、その頃から、そんな言葉は減っていった。代わりに……後から知った事だけど、同じように考えている人と話し合って、流れを止めようとしたらしいの。これ以上の力を持てば、自分たちが世界の脅威になってしまう、って」
異常に気付いてしまったクライヴは、それでもその時点ではまだ、何とかしようという思いが強かったのだろう。忠臣であるからこそ、諫めようとした。
「そのうち、皇帝は目に見えて野心を見せ始めた。明らかに対人戦を意識した部隊の編成と兵器の開発も始まった。そして、ついにある日、パパにこう言ったそうよ。世界をひとつにしたい、って」
世界をひとつに……か。ものは言い様だが、今のリグバルドを見る限り、その実態はただの世界征服だ。力で全てを押さえ付け、自らを頂点とするための方便。
「……パパは、変わっていく皇帝を止めようとした。パパはそれが出来るだけの立場にいた。いたはずだった」
美久が、重い息を吐いた。ここからが、核心部なのだろう。
「会議で軍備増強の反対、そして世界平定の考え直しをパパとか古参の将軍に主張されて、皇帝はそれを聞き入れ、一度見直しを行う、と約束したそうよ。……だけど、それから……」
美久が震えているのには、すぐに気付いた。出されていた茶を飲むように促すと、彼女は小さくありがと、と言って、茶に口をつける。それから、深呼吸をひとつして、話を続ける。
「その数日後……パパの側近で、親友でもあった将軍、カールさんが、何者かに襲われたの」
「!」
「犯人は、見付からなかった。……酷く苦しむように調合された、毒の武器でカールさんは斬られた。パパが駆け付けた時には、手遅れだった。……丁度、最期の姿を見届けちゃうような時間を指定されて、パパもその場に呼ばれていたの」
最期の瞬間に居合わせてしまったクライヴは、見たはずだ。苦しみ恐怖する、友人の姿を。友人を救えない自分を、彼はどう思っただろうか。そして……それを指定した者は、間違いなく……。
「その後、パパと同じように皇帝を諌めた人の身内が、次々と不審な死に方をした。皇帝は、いけしゃあしゃあと、死んだ人たちを弔って、改めてパパ達に意見を聞いたそうよ。このような悲劇を無くすためにも、さらなる力が必要だとは思わないか、って……我らが全てを治める力となれば、争いなど起こらなくなるのだ、って」
「……何なんだよ。何なんだよそいつは!」
見せしめだ。
自分に逆らえばこうなるのだと。皇帝は、これ以上ないほどに分かりやすく、自らの配下に知らしめたのだ。隠すつもりも無かったのだろう。
それが自分の命であれば……あるいは、勇猛な者であれば、死をも恐れず突撃したのかもしれない。だが、それがもしも、自分だけで済まないとしたら? 大切な誰かが、罪のない誰かが、犠牲になるのだとすれば。
「カールさんはね……ほんとに、良い人だったのよ。生真面目なパパとは正反対で、気さくで。だから、なのかな。パパとはお互いに支えあう感じで、すごく相性が良かった。私も、よく可愛がってくれて、さ」
「美久……」
「パパはね、その後は数日間、全く眠らなかった。目を閉じると、カールさんの最期の姿が、言葉が、浮かんでくるんだって。毒が回って、もがきながら助けを求めてきたカールさんに……自分は何も出来なかったって、やつれた顔で……」
その時の事は、特に鮮明なのだろう。震え始めた美久に声をかけるも、彼女はそのまま言葉を続ける。
「それを私たちに話してしまうぐらいに、限界だったんだと思う。いつものパパなら、私やママに軍での辛い話はしなかったもの」
「…………」
「ずっと、苦しいって、嫌だって、死にたくないって……そう、カールさんは言っていたって。パパは、どんどん声が小さくなっていくカールさんに、何も出来なかったって。私にそう話しながら、泣いて……許してくれって、泣き叫んだ。……どうしてパパが、あんな思いをしなきゃいけなかったのよ! カールさんが、あんな目に遭わなきゃいけなかったのよ!!」
感情を爆発させてしまった美久に、かける言葉が見付からない。彼女も、本当にその人物になついていたのだろう。……少しして、彼女は一言だけみんなに謝り、語調を整えた。
「……パパは、全てを自分のせいにした。カールさんが死んだのは、自分が忠誠心を揺るがせたせいだって、そう決めちゃったんだと思う。そうしないと、次は誰だか分かんなかったから」
「それが、クライヴを縛っていた鎖の正体か。くそ……!」
「誠司、落ち着け。治療したとは言っても、興奮すれば傷に障る」
そう言いながらも、ウェアも血を沸騰させているかのような、憤怒の表情を浮かべていた。何度目であっても、聞くに堪えない話だろう。
「パパの人質になれる相手は、国中にいた。私も、ママも、軍の同僚から部下まで。全てを保護なんて無理な話だった。だからパパは……みんなを守るために、考えることを止めた。皇帝の野望は、その建前にごまかされてしまえば、世界のためっていう大義名分に姿を変えることができたから」
明確な逃げ道を与え、そこに逃げ込むように追い込み……その手間をかけてでも、クライヴは皇帝にとって使える存在であったのだろう。実力もだが、信頼の厚い将軍が皇帝に従えば、他の者を扱う上でも役に立つ。
……そして、それでもなお反乱されればその時はその時、か。こういった抑圧的な支配は、反発の恐れの強いものであるが、見方を変えれば、そこで歯向かってくるような相手は、将来的には間違いなく邪魔になる。ふるい落としとしての意図もあったのだろう。
「だからあいつは、あそこまで頑なだったのか……そう思い込まなければ、自分が疑問を持ってしまえば誰かが殺されると、そう植え付けられてしまったから!」
「私が去ってからの6年間で、また殺された人だっているのかもしれない。パパは、目をそらさないと、耐えられなかったんだと思う。多分、パパだけじゃない。昔からの兵士で、残っている人の多くが……セインって人も、そうだったもの」
言いつつ、美久は胸の辺りで強く手を握った。
「ごめんなさい、誠司さん。この事は、サングリーズに向かう前に話しておくべきだったわ」
「……いや。知っていたとしても、今回はどうにもできなかったと思う。そう思うからこそ、ウェアも黙っていたんだろう?」
「……ああ。だが、まだ間に合うと分かった以上、何とかしてあいつを解放してやらなければいけない」
変な先入観を持って挑み、それが的外れであった場合、危うくなるのは誠司の身だったはずだ。しかし、話によると、クライヴは誠司に降伏を勧告し、美久の姿に武器を振るえなかった。心が完全に死んでいないのならば、ウェアの言うとおりにまだ間に合うはずだ。
「話を戻すわ。あの時のパパは、目に見えて追い詰められていたけど、できることを必死にやろうとしていた。だから……完全に身動きが取れなくなる前に、私とママだけは何とかしようとしたの」
「それが……」
「ええ。パパは、昔の知り合いだったマスターに、私たちを預けたの。表面的には、カールさんが死んだショックから荒れたパパとママが喧嘩を続けて、ママが逃げ出したってことにして」
最初は美久と彼女の母は、クライヴの提案に反対したそうだ。その時点では事情を詳しく知らなかったのもある。だが、真実は話せないまでも、クライヴの必死な様子から察することは出来たようで、最後には父の意見に従ったらしい。
「実際に誤魔化せたかどうかはともかくとして、私たちは特に何の妨害もされず、国外に逃げることができた。その時、パパとママの幼なじみだったワルターさんって人も手伝ってくれたんだけど、軍の中で起きたことは、バストールについてからその人から聞かされたの」
そこで、美久は言葉を切った。国を出てから初めて、父がどのような目に遭っていたのかを知ったのか。だから彼女は。
「そうやって、私はそのまま赤牙に入って、マスターから戦い方を習い始めた。今日みたいな日のためにね。ママとワルターさんは、別の協力者と一緒にいるらしいわ。連絡はたまに貰ってるから、無事なのは確かよ」
「協力者?」
「それに関しては、俺が把握しているから問題ない。ただ、詳細はまだ伏せさせてくれ。とある国家の機密だからな」
「機密ですか……マスター、本当に色んな人脈があるんですね。さすがは英雄と言うか」
「英雄としてだけじゃなく、それ以前やギルドとしての人脈もある。ヴァンの力添えも大きいんだが、有り難い事に、顔は色々と利くよ」
改めて考えると、ウェアは、そして赤牙は、かなり特殊な立場だと思う。今回の作戦だけでも、一介のギルドという枠は越えてしまっているだろう。もちろん、俺自身の事を考えれば、言えた義理ではないが。
「……ちょっと長くなったわね。とにかく、私に言えることは、皇帝は変わってしまって、その野心は本当に、世界中を呑み込むような大きなものだってことよ」
「変わってしまった、と言った。つまり、昔はそうではなかった?」
「ええ。私が小さい頃、たまにパパに連れられて見た皇帝は、パパが言ってるのも分かるなあってぐらいに、ほんとに素晴らしい人だって思えたの。でも……」
美久の顔が、怒りに染まる。事情を知った今となっては、その気持ちは痛いほどに伝わってきた。
「今のあいつは違う。別人がそっくり成り代わったって言われた方が納得するくらいよ。昔が演技だったのか、何かあっておかしくなったのかは分からない。はっきりと言えるのは、今のあいつは本物のクズで、全ての元凶だって事よ」
昔の皇帝は、今のようではなかった、か。ウェア達の話だけでも、クライヴの本来の性格は何となく分かる。そんな男が忠誠を誓っていた相手……何がどうなって、今のようになったのか。
「おかしくなった原因……考えられるのは、誰かの影響を受けた事、とかでしょうか」
「誰かがそそのかしたってのは、いかにもありそうな話だがよ。一番怪しいのは、やっぱあいつじゃねえのか? アインの野郎が主っつってた」
「マリク、か。奴が皇帝をたぶらかし、愚かな夢を植え付けたとすれば……美久、奴はいつから?」
「分からないわ。でも、パパもワルターさんも、そいつの事は何も言っていなかったの。だから、少なくともあの時には、表には出てきていなかったんだと思う」
「じゃあ、別人が入れ替わり……だとしても、誰も気付かなかったくらいだしな。顔とかだけなら整形で再現出来るだろうけど、振る舞いまで完全にコピーってのは考えづらいか」
どれもあり得そうで、しかしどこか疑問符が残る。ここで答えが出るかは微妙なところだが、少し考えておきたいのも確かだ。
「ウェア、誠司、空。あなた達ならば、皇帝に会ったことがあるんじゃないか? だとすれば、そいつはどんな男だったんだ」
「……美久の言う通りの方だった。世界の平和を純粋に望み、その為ならば力を惜しまないような……先代にも劣らぬ良い皇帝になるだろうと、そう確信が持てるような青年だった」
過去形のその言葉が、重い。クライヴに対してもそうなのだろうが、信頼していたはずの相手が、今は敵である事実。本当は、受け入れがたいのだろう。
「青年、って、そいつ、そんなに若いんですか?」
「確か、今年で30歳だ。先代が急逝して戴冠した時には、まだ14だったからな」
「そんな歳で、国の頂点に?」
「血筋を重んじる国家であれば珍しくはない。彼の場合は、血筋以上にその才覚で……無論、当初は補佐も必要だっただろうが、一年も経つ頃にはまさに名君の風格を持っていた。それが……」
「今となっては暴君、かよ。笑えねえ話だぜ」
話を聞けば聞くほど、なおさら今の状態は信じがたいな。それほど能力があった人物なら、演技だってやってのけたのかもしれないが。
「あ、あの。そんなに、急に性格が変わっちゃったって……まるで、今回のこの国で起きたこと、みたいじゃないですか?」
「今回の……あ、確かに!」
飛鳥がぼそりと口にしたそれは、新たな可能性だった。人の心を操る石……人々を狂わせた、許しがたい所業。
「けどよ、アポストルは今回が初めての性能テストだったんだろ? そんな何年も前には無かったはずだぜ?」
「そうとも限らない。あくまでも今回は、初めて大々的に使われただけ。私たちには、あの石のプロトタイプはいつから存在していたかという情報はない。不明ということは、可能性はゼロではないということ」
「そ、そんなもんなのか。けど、あくまで可能性の話だろ?」
「そう、その通り。私たちには、皇帝が操られているかどうかを知る術は、今のところない。確かなのは、今の皇帝が敵であることだけ」
結局は堂々巡り、か。しかし、ここはいずれはっきりとさせなければならないな。もしも洗脳であるならば、皇帝を破ったとして、第二のそいつが生まれかねないのだから。可能ならば、皇帝を助け出す事だって必要となるかもしれない。
その時、ふと気付いた。ウェアは、何かを考え込むような顔をしている。
「どうした、ウェア?」
「……あくまでも勘の域ではあるが。俺は、マリクが先であるとは思えないんだ」
ウェアが呟いたそれに、一同の注目が集まる。
「皇帝が狂ったのが先だって、そう思うんですか?」
「俺は、マリクと対峙をした。その時、奴は言ったんだ。主への忠誠は、自分の中で唯一曲がらぬもの、だとな」
「あの男が、そんな事を? だが、ウェア、奴は……」
「分かっている。嘘で塗り固めた発言ぐらい、奴には造作もない筈だ。だから、あくまでも勘だと言った。……あれだけは、真実である気がするんだ。自分で操った相手に、忠誠を誓うのも不自然な話だろう」
マリクが……あいつのような男が、本当に忠誠を誓う相手?
あいつは、はっきり言って異常な存在だろう。それが、何らかのきっかけで皇帝の元に現れたのは確かだ。だが、もしも、マリクが始まりでないのだとすれば、奴らはどうして、お互いに辿り着いた?
「ウェアは鼻が利くからな。こいつの勘は、侮らん方がいい。盲信するべきでもないが。少々、俺たちの方でも調べてみる必要がありそうだな」
「頼む、空。俺はマークもされているだろうから、奴らをどこまで出し抜けるか分からないからな。……ん?」
と、その時、部屋をノックする音が聞こえた。返事をすると、現れたのはザックだった。
「皆さん、失礼します。シューラさん達が、皆さんを呼んでいます。こちらの話は終わったから、一旦集まって欲しい、らしいっす」
時間を確認すると、もう夜に差し掛かっていた。話が途切れた事で、再び空気が緩んだ。
「三本柱にも、この情報は伝えるべきだろうな。もっとも、それよりも目先の事を片付けるのが先か」
「そうだな……お前たち、もうひと踏ん張りだ。後片付けの手伝いを始めるとしよう」
「了解です!」
そうだな……難しい事を考える前に、これを片付けなければ始まらない。まだ警戒は必要だが、全ては終わりに向かっている。最後まで役目を全うしなければな。