おかえり
「そうして、お前はエルリアを出たのか」
「勢い任せでな。本当の事を知らなきゃいけない、ここにいたらそれは知れないかもしれないって……馬鹿だよな。慎吾父さん達にちゃんと聞いていたら、本当のことを教えてくれた筈なのに。でも、その時の俺は……二人を疑ってしまったんだ」
アインの言葉が真実ならば、二人は彼をずっと騙していた事になる。そう考えるように誘導されたのだから、一概に短慮だと責められもしないだろう。
「エルリアを出てから、何とか目的地に辿り着いて……俺は、アインの言葉が本当だったって知ることになった」
一目で分かったよ、と暁斗は続けた。
「写真は見たことあったけど、実物で見ると、本当に……我ながら、驚くくらいにそっくりだった」
「……そうだな。お前はヴァンとよく似ている。最近は貫禄も出ているが、幼い時とは瓜二つだ」
「ヴァン父さんも、すぐに俺の事には気付いてくれた。すごく驚いていたけど……俺が、何もかも知った上で来たことを伝えたら、向き合って話をしてくれた。最初は、すごく怒られたけどさ」
暁斗は目を閉じた。その時の気持ちを、思い返しているようだ。
「やっぱりさ。色々とあったけど、その瞬間は……とにかく、嬉しかった。自分と血が繋がった父親が、死んだと思っていた人が生きていた事は、すごく……」
「……お父さんは、どうして、お兄ちゃんに嘘を」
「ヴァン父さんは、さっき先生が言っていた通りに、数年間は死んだと思われていた。生きていると分かった時には、俺はもう物心ついていたんだ」
「だから、ヴァンと慎吾、楓は話し合い……ヴァンは、そのまま自分は死んだと教えておいてくれ、と提案した。幼かった暁斗を振り回したくないと、そう言って」
声は弱々しいながらも、誠司が補足を入れる。……本当に堪えているようだな。無理もないか。
「どうして、数年間も死んだって事に?」
「…………」
暁斗はそれを言い淀むと、ウェアの方に目配せする。ウェアもその意図を察したようで、続きは彼が受け持った。
「ヴァンも、俺と同じく英雄の一人だ。そして、俺たちはエルリアのみんなと違い、その情報を消してはいなかった。元の立場からして特殊だったこともあるが……端的に言えば、俺たちの存在が邪魔だった奴らもいたんだ」
「え。……それって、まさか」
「ああ。ヴァンは、事故死に見せ掛けて、幽閉されていたんだ。3年間もな」
「なっ……!」
力を持てば、得てして本人の意思とも無関係に多大な影響力を発揮する。良い意味でも、悪い意味でも。
慎吾たちは、それを怖れて英雄の立場を隠した。一方で、ウェア達はそれを受け入れた。その結果が……。
「殺すつもりでヴァンは罠に嵌められたが、辛うじて一命はとりとめたんだ。そして、首謀者は考えを変えたらしい。生かしておけば、いざという時の手札になるかも、とな」
「なんだ、そりゃ。英雄達がいなきゃ、自分だって死んでたかもしれねえんだぞ! それなのに、邪魔者とか道具扱いか……!?」
「自分の益になるものは褒め称え、厄介になれば掌を返す。それは、決して珍しいことではありません。英雄という称号も、嫌な言い方をすれば、危険をマスター達に押し付ける為の方便だったとも言えますからね」
「……考えると、耳の痛い話でもありますね」
大衆の中から産み出された英雄。人々はそれを褒め称えるうち、彼らを神格化し、同じ人であることを忘れてしまった。……自分には関係ないのだと、彼らがやってくれるのだと……全てを、選ばれた者に押し付けたとも取れる、か。
英雄に限らず、そういった側面は至るところで見られるがな。人が集団を形作る以上は、ある程度は仕方ないだろう。出来る者が、出来ることをやればいい。それでも、それが出来てしまった者も、ただの人であることを……忘れてはいけないのだと思う。
それにしても、特殊な立場、か。
あの時、ティグルは確かこう言っていた。英雄たちの中には、元々が高貴な身分の者がいる、と。それがウェアとヴァンの兄弟であると考えれば、辻褄は合う。身分には陰謀もつきまとうものだからな。ウェアの普段の振る舞いも、それを後押しする。
だが、だとすれば。ウェアはどうしてその身分を捨て、こうしてギルドを開くに至ったのだろうか。
「マスターは、大丈夫だったんすか……?」
「ヴァンの一件があってから、俺の周囲の警戒も強まってな。俺には、何も起こらなかったよ。当時の俺の状態もあって、ヴァンを潰すことを優先したんだろう」
「状態? でも、マスターほどの人を放置するなんて……」
「…………。そうだな、隠すことではないんだが。今は、暁斗の話を優先しよう。ひとつだけ言えるのは、当時の俺は、とても誰かの脅威になれる状態ではなかった。そのせいで、弟をあのような目に遭わせてしまったが」
言葉とは裏腹に、話すことを避けているのを感じる。今はそれ以上を聞かない方が良さそうだ。
考えた事もなかった。闇の門が終結したのは、ちょうど俺が産まれる少し前で、立て直しには数年を要したと言われているが……その時、役目を終えた英雄たちには、いったい何が起こっていたんだ?
「とにかく……俺はヴァン父さんから、色々と話を聞いた。二人の父さんがしていた、約束の話とか……俺が今まで知らなかった、知ろうともしなかった事を。それは、何日かぐらいで全部聞けるものじゃなかった」
「それで、数ヶ月にわたって、ヴァンの元で過ごしたと?」
「ヴァン父さんを説得するのにも時間はかかりましたけどね。エルリアの両親へ黙っていてくれって部分は特に。けど、やっぱり事情を知った後も、両親への怒りはありましたし……顔を合わせづらいのもあった。その気持ちに、整理をつけてから会いたかったんです」
その辺りを必死に伝え、ついにヴァンの方が折れたらしい。もっとも、ヴァンの立場を考えれば、それだけではないのかもしれないがな。
「その、約束ってのは?」
「……何てことはない、ありふれたものだったってさ。自分に何かあった時には楓を頼む……そう、言っていたらしい。さすがに父さんも、ここはそこまで詳しく言ってくれなかったし、俺も掘り下げづらくてさ」
「……まあ、そりゃそうだな」
ヴァンと慎吾、そして楓。三人はどのような関係で、どのような想いで二人の男は約束を交わし、そして生きている事が分かった時にどのような話をしたのか……か。
ただ、少なくとも、再会した後の選択に、暁斗と、そして瑠奈が関わっているのは間違いないのだろう。暁斗は悟いやつだから分かっていると思う。だからこそ、触れたくない部分であるだろうがな。
「そんな中で、俺は父さんの手伝いもしてた。UDBとの戦闘も、何度か体験したよ。訓練なんかもしてもらっていたんだ。この銃剣……〈黄昏〉も、父さんが俺のスタイルに合わせて、知り合いの銃工に造ってもらったものだ」
暁斗はホルスターから漆黒の二丁拳銃を取り出してみせている。ブレードは収納されており、戦闘の際に飛び出す仕組みになっているようだ。確かにあれも、一種の銃剣に分類されるだろう。
英雄の一人から指導を受けていたのならば、彼の成長にも納得がいく。聞いた話によれば、あのクリード相手に善戦していたようだからな。
「だけど、3ヶ月近くをヴァン父さんの元で過ごしても、心の整理はつかなかった。正直、もっと混乱したかもしれない。俺は、二人の父さんの……どっちの元にいるべきだったんだろうって」
「おい、どっちに、って。エルリアにいたのが間違ってたとでも言う気かよ?」
「勘違いしないでくれ。慎吾父さんの元を離れたいとか、そういうことじゃなくて……何て言うんだろう。一緒に暮らしてみて、ヴァン父さんもやっぱり俺の父さんだって実感した。もしこの人の子供として育っていたら、俺はどうなっていたんだろう……とか、そういう事を考えるようになったんだ」
暁斗は、ずっと悩んでいた。鏡を見るだけでも、自分だけが違う種族であると自覚してしまうことを。そんな彼にとって、一目で自分の血縁であると分かる実父は、どれだけ大きなものとして入ってきたのだろう。
慎吾の愛情は、暁斗にも伝わっていると思う。だが、ヴァンだって、会えなかった期間の分も暁斗に愛情を注いだのだろう。両方を父親として感じてしまったことで、余計に整理がつかなくなったのか。
「何だかモヤモヤしていたものが、いつまでも晴れなかった。エルリアに帰って慎吾父さんの子供として過ごす自分。このままヴァン父さんの元に残った自分。そのどっちを思い浮かべても、何か違うって感じたんだ」
「………………」
「ヴァン父さんは、ここにいろとも、帰れとも言わなかった。だけど、さすがにこのままでいるわけにもいかないと思って……俺は、正直に相談した。それを聞いた父さんは、俺にこう言ったんだ。だったら、俺からも離れて、もっと広い視野で世界を見てみるといい、って」
「……どうして、そんなことを?」
「最初は俺もよく分からなかった。けど、今は何となく分かった気がする。父さんは俺に、自分の望むことを自分で考えろって言いたかったんだと思うんだ」
自分の望むことを、自分で考えろ……か。
「アガルトに来て、また違う国の営みってやつを見た。今回みたいな事件に巻き込まれて、色んな立場が絡み合ってることを改めて知った。何が正しくて、何が間違っていると思うのか。俺自身が、どうしたいのか。……それを知りたいって思った」
「そうして自分の価値観を広げて、望みを見据える事で、先の疑問にも答えが出ると考えたのか」
「もちろん、俺の勝手な解釈ですけどね。だからこそ、さっき話したような目的に辿り着いたんです」
善も悪も、さまざまな価値観に降れて、それを自分がどう感じるか。自分の内面を、自分自身で見つめ直す旅か。ヴァンの真意はさておき、それも決して間違っている訳ではないのだろう。
思えば、暁斗がエルリアに残ったのは、自分を見つめ直させる為であった。まさかそれが、このように形を変えるとは思わなかったが。
「お前の言いたいことは分かった。ならばお前は、このままエルリアへは戻らずにいるつもりなのか?」
「……はい」
「お兄ちゃん、それって、お父さん達と話もしないつもりなの……?」
「…………。片意地を張っているのは、自分でも分かっているんだ。それでもやっぱり、怒ってもいるし……正直に言えば、話すのが怖いのもある。お前たちの前に出るのだって、すごく迷ったしな」
暁斗が溜め息をついた。話すのが怖い、か……それに、様々な感情が集約されているのだろう。家出した立場で親と向き合うのが怖いというのもあるだろうし、真実を知ってしまったが故に、自分がちゃんと話せるか怖いのも大きいのだと思う。
「だが、逃げ続けるわけにはいかないだろう。親にすら向き合えないのならば、先程の大層な目的は一気に薄っぺらくなるからな」
「手厳しい、ですね」
「厳しくもなるさ。お前の悩みも、お前なりの考えがあるのも分かった。一概には否定できないし、軽視するつもりはない。それでも、やはりお前は身勝手だ。お前が消えてしまった事で、慎吾と楓がどれだけ苦しんだと思っている?」
ウェアは、怒っていると言うよりは、どことなく悲しそうに見えた。弟が関わっている上に、友人である慎吾たちを思えば、その心境も推し量れるものだろう。
もしくは……ウェアにも、もしかしたら子供がいる、或いはいたのだろうか。俺には、親の気持ちと言うものは推測するしか出来ない。もしも彼がそれを知っているならば、その言葉に重みが出るのも当然なのだろう。
いや。仮に実子がいなくても、常日頃からギルドを家族だと言っている彼からすれば、みんなが子供のようなものなのかもしれないな。
「それに関しては、黙って忍び込もうとしたらしい他の奴らも似たようなものかもしれないが……最終的には、家族と話して、理解を得てからここに来ている。対話して、結果として理解が得られなかったのであれば、無理やり意思を貫くのもひとつの選択だろう。だが、対話すら避けてそれをやっても、逃避でしかないぞ」
「……それは」
「ギルドに入れろ、と言ったな。だったら、この場でひとつだけ聞かせてくれ。慎吾たちに、自分の思いを伝える気があるか?」
その返答こそが、試験になるのだろう。暁斗は数秒間ほど、考え込むように目を閉じた。そして、観念したようにひとつため息を吐く。
「直接会うのは、やっぱり全てを片付けてからにしたいんです。だけど、自分の考えを伝えて、納得してもらう必要は、あると思っています。だから……この話が終わったら、電話を入れようと思っています。それじゃ、駄目でしょうか」
対話はするが、それ以上に至るにはまだ時間が欲しい、と言うことか。ウェアは難しい顔で唸ってはいるが、反応を見る限りは、とりあえず及第点ではあったようだ。
「それで駄目かどうかを決めるのは、慎吾たちだ。だが、徒に時間をかけるだけならば、誰だって出来る。我儘を通そうとしているのだから、しっかりとあいつらと話して納得してもらって、そしていつか答えを出すと約束しろ」
「……分かり、ました。それだけは、絶対に約束します。無理を言って、すみません」
「謝るべきは俺にじゃないだろう。……声を聞かせるつもりがあるのならば、後は自分で話をするんだな。もしも納得されないのであれば、俺も話をしてやる。それでも駄目ならば、その後に考えるとしよう」
厳しい声音は、そこまでだった。ウェアはふう、と息を吐くと、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべる。
「それにしても、本当に大きくなったものだ。俺が初めて見た時には、子犬のように慎吾の後ろに隠れていたと言うのにな。もう覚えていないか?」
「こ、子犬って、一応俺は狼……って、会ったこともあったんですね。すみません、さすがに覚えていないです」
「はは。まあ、それはそうだな、1、2歳の頃の話だ。……難しい話はとりあえずこの辺りにしておきな。どうせ、後は慎吾と楓次第だ。それよりも、お前の無事を祝いたい奴らを待たせすぎるのも良くないだろうさ」
「あ……」
ウェアは、どうやら俺達を気遣ってくれているらしい。張り詰めていた空気が彼のおかげで少し緩むと、暁斗は先ほどとは違った意味で困ったような表情を浮かべた。改まると上手く言葉が出てこなくなったようで、口を開閉させている。
「そ、その……だな」
「何を今さら緊張してんだよ。ま、何だ。今まで一人でウダウダと悩んできたんだろ? だったら、これからは俺が一緒に考えてやるぜ」
「そうだぜ暁兄。オレらだっているんだから、あんま考え込むなよな?」
「そうだな。今はそれより、帰ってきてくれて本当に嬉しいんだ」
「……みんな」
もちろん、彼がいなくなってしまった理由は大事なことだ。これからの事も決めなければならない。だが、それよりも、行方知れずで安否も分からなかった彼がこうして戻ってきてくれた事。単純に、嬉しくない筈があるだろうか。
みんなにとっては、そちらの方が大事……いや、今この瞬間で言えば、俺にとってもそうだった。
「積もる話は山ほどある。それは、後で落ち着いて話そうと思う。その前に、お前が帰ってきたら、絶対に言おうとみんなで決めていた言葉があるんだ。それだけは先に伝えておいた方がいいだろう」
「そ……それは?」
暁斗は軽く身構えているが、それを最初に言うべきなのは俺ではない。彼女の方を見ると、ゆっくりと頷いた。話の間は堪えていたであろうものが、溢れそうになっているようだ。
「……おかえりなさい、暁斗」
「…………っ!!」
その一言に……数ヶ月にわたって言うことのできなかったその一言に、どれだけの思いが込もっているのか。俺は、よく知っている。
瑠奈は、泣いている。だけど、笑っている。兄の身勝手への憤り、両親への疑念を彼が拭い去れていない悲しみ、それを覆すほどの再会の喜び、兄の無事を確かめられた安堵……それは、とても表すことの出来ないほどの感情の波。そんな思いを、全て込めたその一言。
「……時間はある。時間はあるんだよ、お兄ちゃん。だからさ、焦らずに、ゆっくりと話していこう?」
目に涙を浮かべながらも、真っすぐ告げる。対する暁斗は、少し逞しくなったその身体を震わせ、顔を伏せている。そんな暁斗に、浩輝が、海翔が、蓮が、そして俺が、続けていく。おかえり、と。
「お、お前ら、止めろよ……止めろよ、そういうの! 俺、色々と、覚悟して、戻ってきた、のに……」
「お? 何だ、兄妹揃って涙目じゃねえか。へへっ、さすがにシスコンには効果覿面だったみてえだな」
「こんなの、シスコンとか、関係ねえだろ、バカトカゲが……!」
「ははは。……本当に心配していたんだぞ、暁斗」
「全くだぜ、暁兄はほんとにさ。ぐすっ……やべ、もらい泣きしそう」
みんな、この瞬間をどれだけ待ちわびていただろうか。いいじゃないか、シンプルで。面倒な説教は、後でいい。瑠奈の言う通り……それをぶつけ合う時間が、彼らにはあるのだから。
――俺には、どれだけ時間があるか分からないが。
ふと浮かんできた、気分の高揚を消し去ってしまうような言葉を、俺は頭の片隅に無理矢理追いやった。……今は考えるな、そんな事。素直に喜びたいんだ、この再会を。今、この瞬間ぐらいは、俺は……何の懸念もなく、彼の兄貴分でありたい。
「それで? そう言われた者は、普通はする返事があるんじゃないか?」
俺がそう催促すると、暁斗は浮かんでいた涙を拭った。そうだ、彼に泣き顔など似合わない。彼は、瑠奈にとって、いや、俺たちにとって……そこにいるだけで全てを明るくしてくれる、太陽なのだから。
「……ただいま、瑠奈、みんな!」
その力強い言葉、笑顔。以前と変わらないその表情に、本当の意味で彼が帰ってきたのだと感じた。そしてそれは、少なくとも今は、俺の心に差していた影を拭い去ってくれた。