この道の果てには
「全力のあなたを倒して、ようやく俺は本物の銀星になれる。……本気で来いよ、ガルフレア!」
本物の、銀星。本物の六牙。前任であり、なおもまだ生きている俺。彼がもしも……かつて、俺の下にいたのならば、この激情の理由は。
……いいや、違う。考えるのは後だ。余計なことを気にして勝てるような相手ではない。ならば。
「悪いが、俺も負けてやる訳にはいかない……!」
彼が、俺の裏切りにより、どれだけ俺を恨んだのかは、想像に難くない。
それでも、いや、だからこそか。彼に負ける訳にはいかないんだ。きっと、かつての俺は、彼の怒りも覚悟した上で裏切った。ここで、立ち止まる訳にはいかない!
「望み通り、全力で受けて立ってやる。お前の思い、全て受け止めてやろう!」
「……だったら受け止めろよ。全てを受け止めて……そして、死んでください!」
大地が振動するほどの勢いで、砂が膨れ上がる。それには何とか呑まれずに済んだが、砂は幾重にも分かれ、その先で凝固していく。あっと言う間に、周囲には無数の岩槍が生成された。
「貫けぇっ!!」
その怒号と共に、射出される槍。逃げ場はない。刀で防ぎきれるものでもない。まさしく、必殺の攻撃だ。
「……おおおおおぉっ!!」
――だから、避けもしないし、刀では防がない。全て、弾き飛ばす。
「なに!?」
さすがに予想外だったのか、青年が驚愕している。
月の守護者による波動は、普段は四肢か月光から飛ばすのみである。だが、それはあくまでも、それが制御しやすいためであり、同時に消耗を抑えるためである。
要するに、全方を囲まれてしまったのならば……全身から、波動を放出すればいいだけだ。
「ぐっ……!?」
砕かれた砂が、辺りを舞い、青年の視界までも覆い隠してしまう。今の攻撃に全神経を集中させたであろう青年は、動きを硬直させていた。
彼のPSは強力だ。そして、剣術も生半可な相手が太刀打ち出来るレベルではない。片方だけを見れば、彼は紛れもなく達人だ。
……しかし、その両方を同時に振るえてはいない。砂の制御と自らの剣術、どちらかに意識を割いたとき、もう片方は疎かになっている。
つまり、どちらかに全力を出した時には、切り替えに僅かなラグが生じる……だが、戦いにおいてその僅かは、決定的な瞬間となるものだ!
「遅い!」
青年が慌てて刀を構え直す前に。PSを全開にしたまま、一気に懐に飛び込む。そして、勢いを殺さぬまま、渾身の力を込めて……回し蹴りを、熊人の腹部に叩き込んだ。
「っ、か……!?」
強烈な衝撃に、くぐもった声を漏らしながら、青年の身体が大きく後退する。……同時に感じた妙な手応えに、俺は思わず目を細める。
今の感触は、人の体でも鎧でもない。金属では無いが、何かしらの固形物。岩を蹴り砕いたような、そんな感触だった。案の定、青年の腹には岩がまとわりついており、衝撃に砕けた砂が飛び散っている。
「う……ぐぅ」
……咄嗟にビンの砂で防御されたか。腰のビンをよく見ると、蓋はどうやら石材で作られているらしく、緊急時には蓋を砂にして開封が可能らしい。
とは言え、本当に咄嗟だったのだろう。防ぎきれなかった衝撃は確かなダメージとなったようで、苦しげに咳き込んでいる。
それでも構えは解けていないのは、彼も修羅場を潜ってきた証か。あれは、反撃を主体とした構え……迂闊に畳み掛けようとすれば、俺が斬られかねない。それに、俺も今の無茶で息が上がってしまっていた。
互いにしばし、呼吸を整える。そんな中、青年が口を開いた。
「何故……ですか」
「…………」
「何故、斬らなかった。もしも刀を使っていれば、俺は防ぎきれませんでした」
俺が奪ったのは、決定的な隙。間違いなく、致命傷を与える事が出来る時間だった。
それでも、出来なかった。打算を言えば、彼を殺してしまえば、今は奇妙な均衡状態にある彼らとの敵対が、加速すると考えのもある。だが、それ以前に……理屈抜きに、手が止まってしまった。
「お前は、殺したくない。俺の中の何かが……無くした記憶のどこかにあるもので、そう思った。それだけだ」
「……殺したくない、だと?」
それが、彼の導火線に触れてしまうであろう事は、今までの会話から予想は出来ていた。だが、今は素直な感情をぶつける事しか、俺には出来なかった。
「何だそれは……何なんだそれは! 自分で敵になっておきながら! 俺たちを殺す覚悟すら出来ていないって言うのか! そんな適当さで、俺たちは裏切られたって言うのかよ!?」
「……済まない」
「っ! 何もかも捨てておいて、今さらか! 何を裏切ったかすら把握していないくせに、謝罪など口にするな!!」
「そう、だな。俺は、お前たちを捨てて、その理由すら覚えていない。許しを乞うのも虫の良い話だ。それでも……俺は、俺と関わっていたであろう人を迷いなく殺せるほど、割り切れない」
熊人の表情が、激しく歪む。だが、その中に、怒りとは違う何かも混じっている気がした。
「……どうして、あなたは……記憶を無くしながらも、どこまでもあなたらしいままなんですか! いっそ、完全に敵として振る舞ってくれなければ、俺は!!」
感情の濁流が、抑えきれていないのが伝わってくる。その矛先である俺に、全てをごちゃ混ぜにした結果として生まれた殺意が叩き付けられる。
「あなたが殺さないと言うのならば、俺があなたを殺す! 俺が死ぬまで、何度でも殺しに行く! だから……死にたくないのならば、俺を殺してみせろ!!」
そのような滅茶苦茶な理論を叫ぶ青年に呼応して、砂が激しく渦巻く。……手加減を続けられる相手でもない。何とか、戦闘不能に追い込めれば。
「そこまでですよ」
その声で、全てが止まった。
聞き覚えのあるその声。俺たちが視線を向けた先には、やはりと言うべきか、小柄な犬人の少年が立っていた。
「ルッカ!」
「お久しぶりですね、ガルフレアさん。もっとも、のんびりと挨拶をする空気ではないですけど」
「……ルッカ、さん」
「今回は、この程度で十分でしょう。クリードもアルガードさんも撤退しましたし。ジョシュアは駄目だったようですけどね」
少年は、淡々と、どこか事務的に、そんな戦況を告げる。ここに来る前に、一通りの確認を済ませてきたか。
「やはり、ここに来ていたのはお前だったか。鎮圧の時、急に動きを止めた相手が何人かいたが」
「やはり気付かれていましたか。……そんな顔をしなくても、ギルドの方々はみんな無事みたいですよ。さすがに、それなりの傷を負った人はいるみたいですがね」
「……お前自身は、誰と戦った」
「向こうがそれを望んだから、相手しただけです。加減はしましたから、ご心配なく」
それはさしたる問題ではないとでも言いたげに、ルッカは熊人の方を向いた。
「これ以上の戦闘は、僕達に何のメリットもありません。ガルフレアさんの身に何かあれば、帝国とのバランスにも影響が出る。このタイミングで英雄たちを敵に回すのも避けたいところですからね」
熊人は歯噛みしつつも、落ち着きは取り戻していた。改めて、俺に向かって口を開く。
「分かりました……今回は俺の負けです。ですが、覚えておいてください。俺たちとあなた達が本格的に敵対する時は、そこまで遠くはないでしょう」
「お前は……」
彼らには、もっと聞きたい事がある。ギルドとしても、このまま逃がすのは憚られるのだろう。だが、先の戦闘から積み重なったダメージと疲労のある状態で、この二人を捕らえる事は、悔しいが俺には出来ない。
「そして、忘れないでください。どれだけ逃げたところで、あなたに平穏が訪れる事など、決して無い。あなたが浴びた血の量は、記憶を無くしたところで変わりはしない事を」
「っ!!」
「分かっていない訳ではないのでしょう? ただ、あなたは周りに影響されすぎて、無駄な希望を持ってしまったようだ。例え世界に平和が訪れようが、俺たちと彼らの生きる場所は違うと言うのに」
俺に平穏は、訪れない。俺とみんなの、生きる世界は違う。それは、俺も当初に考えていたこと。
「ガルフレアさん、あなたはどこに行こうとあなただ。夢を見るのは勝手ですが、あなたの存在は、あなた自身が思っている以上に大きいんですよ。それはそのうち、あなたの仲間を巻き込みます。いや、既に巻き込んでいると言うべきですか」
「お、俺は……」
「もしも、あなたが全てを捨てて、ただ静かに生きる事を望むならば、或いはそういう生き方も可能かもしれません。もしもそうなれば、俺もあなたに拘るつもりはない。ですが、あなたは記憶を追っている。あなたはきっと、それを止めない……あなたは、そういう人だ」
深く息を吐くと、彼は転移装置を起動した。少しずつ、周囲が歪み始める。
「過去に戻る事と、平穏を両立させる事は出来はしない。それを忘れないでください。何を選び、何を捨てるか。その決断をいつまでも先伸ばしにしては、全てを失うという事も」
言い返す時間もなく、青年の姿は空に溶けていった。……いや、仮に時間があったとしても反論は出来なかっただろう。
「本当に不器用な人だ。しかし、あの辛辣な言葉を聞くに、怒りは相当みたいですね」
「ルッカ……お前たちは」
「……分かっているでしょうけど、今回は彼の独断ですよ。まだあなた達と敵対するつもりはありません。一応リグバルドとは同盟ですので、悪く思わないでください。でも、彼の言う『いつかは本格的に敵対する』は、的外れでもありません。あなた次第ですが、どちらにせよいつまでも不干渉が続く訳ではないのは考えておいてください」
「俺次第、か。……俺に、再びお前たちと手を組めと?」
「それがベストだと思いますよ? あなたの為にも、僕たちの為にも。他のみんなの為にも、ね」
「ならば、なぜ目的を明かさない? 賛同する可能性があるならば、今この場で話しても良い筈だ」
「その前に、あなたにはその状態で世界を見る必要がある。そうすれば、本当に戦うべき相手だって見えてきます」
フェルも同じことを言っていたな……だが。
「……俺は俺なんだぞ、ルッカ。かつての俺が出した答えを、そう簡単に曲げると思うのか」
「その時は、その時です。世界が本格的に動くか、あなたが記憶に辿り着くか……時が来れば、改めて話をしましょう」
言いつつ、彼も転移装置を起動しようとする。俺は、慌ててそれを止めた。
「待て、最後に聞かせてくれ! 彼は、俺とどのような関係だったんだ? どうして、あそこまで俺に拘っている!」
「……あなたを最も尊敬していた方、とでも言っておきましょうか。それと、ガルフレアさん。あなたに拘っているのは彼だけじゃないですよ? 僕も、上層部も、他の六牙……フェリオさんや、シグルドさんもです」
「…………!」
「それだけ、あなたが残した影響は大きい。そして恐らく、これから与える影響もね。……逃げ出しただけならば、裏切りではあっても敵対とまでは言えない。ですが、本当に敵対したその時には……僕たちはあなたを、いや、あなた達を殺せますよ。それは、考えておいてください」
では、と一言残して、ルッカも消えていく。
そして、訪れた静寂。荒れた地面が激闘の痕を物語っているが、制御下を離れたためか、質量は元に戻っているようだ。
「…………」
こうしている場合ではない。早くみんなと合流しよう。ルッカの言葉通りなら敵はもう去ったのだろうが、完全に気を抜く訳にはいかない。
…………。
「くそ……!」
……考えている場合ではない、それは分かっている。分かっていたが、それと同時に、先の言葉が頭に焼き付いて何度も繰り返される。
俺に、平穏は訪れない。俺の存在は、既にみんなを争いに巻き込んでいる。
「ならば、俺は……どうすればいいんだ」
俺がそれを考える度に、みんなはそれを否定してくれた。みんなの暖かさが、俺に居場所を与えてくれた。
だが……本当に、このままそれに甘え続けてもいいのか? もう、タイムリミットは近いんじゃないのか。
俺のせいなどとは誰も思わない、そうウェアは言ってくれた。だが、事実として、このままでは。
過去を追う事を、止めるつもりはない。あの時、シグに言った通りだ。全てを終わらせるまで、俺に真の平穏はあり得ない。昔の自分の決意を、知りもしないままに投げ捨てたくもない。
――だが、あの男の言う通り、全てを終わらせたとしても平穏が訪れないとしたら。
みんなを最後まで護り抜き、一緒に帰る。そう、前向きになれていた。しかし……その最後が、俺に訪れる事が無いのならば。俺はみんなを、どこまで連れていくんだ。
俺は、このままでいいのか。
俺の存在が、平穏の対極にあるのならば。みんなをそこに、巻き込み続けて……俺は……?