遠い背中
「ごほっ! う……」
「レン、平気か!?」
「コニィ、オレはもう大丈夫だ。時村を治してやれ」
「は、はい!」
痛みをこらえられずに、また膝をついてしまう。身体が、上手く動かない。足に力が入らない。
だけど、ここで倒れたら、本当にあいつを諦めてしまう気が……二度と届かない気がして。急に、すごく恐くなった。
だからおれは、訳も分からないけどとにかく身体を動かした。置いていかれたくないって、それだけで頭がいっぱいになる。
「ちょっと、蓮!? どうしたのよ!」
「お、追いかけ、ないと……」
「蓮、落ち着いて! 」
「離して、くれ! やっと、やっと、会えた、んだ! このままじゃ……こんなの、こんなの……!」
「レンっ!!」
カイの張り上げた声に、思わず動きを止めてしまう。そちらを見ると、カイは怒っているようでも、少し辛そうでもあった。
「追い掛けてどうする気だ? どこに行ったかも分からねえのに、どうやって追い掛けるつもりなんだ? そんな状態でもし追い付いても、まともに言いたい事が言えんのか?」
「………………」
「……落ち着けよ。別にもう会えない訳じゃねえ。次に言い返してやりゃいいだろうが。次はあるんだ、焦るなよ。な?」
友達の、真剣な言葉だからこそだろうか。それは、興奮したおれの頭にも、すんなりと届いてくれた。
そのおかげで、ようやく少しだけ頭が冷えた。カイだけじゃなくて、他のみんなの顔も見る。無理を言ったおれが、みんなにかけた心配にも、やっと気付く。
「……ごめん……」
「気にしないで。……事情は分からないけど、あの人、蓮にとって大切な人だったんでしょう? だったら、気持ちも分かるから」
「そうね。私だって、パパの事で突っ走っちゃったし」
美久はとっくに落ち着きを取り戻しているみたいだった。コニィは、おれの背中に手を当てて力を発動させる。暖かい光に、痛みが少しずつ和らいでいく。
「美久、親父さんの事は……」
「いいのよ。私も一緒。パパはまだ生きてるんだから、また会えるわ。それから……こうなった以上、細かい事情はみんな揃ってからちゃんと説明させて」
「…………」
「蓮、あんただって、ちょっと整理するべきでしょう? 言われた事をちゃんと受け止めてから、あいつに何を伝えたいのか、改めて考えてみた方がいいわよ」
「……そう、だな」
しっかりと、考えていなかった。何とかなるって、楽観視していた。多分、もしも今追いかけたって、おれはまた言い負かされる。
ふと見上げると、今度は先生と視線が重なった。
「頭は冷えたか? 時村」
「……はい」
「如月の言う通りだが、とにかく焦らない事だ。……目標は、決して近くはない。走りたくなる気持ちは分かるが、そのせいで転んでしまっては、いつまでもたどり着けはしないぞ」
「……本当に、すみませんでした。勝手な行動をして……甘えていた、みたいです」
「分かっているならば、いいさ。今、オレが敢えて説教することでもないしな……ふう」
先生は、どこか辛そうな息を吐いた。片手は、脇腹の辺りにある傷を押さえていた。
「誠治さん……パパにやられた傷が?」
「そう深刻な顔をするな。コニィも治してくれたから、易々とくたばりはしない。……とは言え、さすがに血が足りんようだ。情けないが、しばらくは動けそうにない」
「なら、少し休んでいきましょうよ。敵のリーダーが帰ったって事は、これ以上は襲われないでしょうし」
「私も海翔に賛成です。他の部隊のフォローに回るにも、コンディションを整えてからでないと、足を引っ張る可能性もあります」
「その通りだな。各自、治療と休息を。念のため、周囲の警戒は怠るなよ」
「了解、っと。美久、俺らはちょっと辺りを見てこようぜ」
「うん、そうね」
先生の指示に従って、みんなは解散していった。少しだけ、気を遣われている気もしたけど。先生も、ちょっと離れた壁に もたれかかって、自分の手当てを始めている。
そばにいるのは、コニィだけだ。その力のおかげで、身体はかなり楽になってきた。
「蓮、大丈夫?」
「……ああ。ごめんな、力を使わせて」
「謝ることじゃないわ。こういう時に誰かを助けられるのは、私にとっては嬉しいことなのよ」
傷そのものを無かった事にするコウの力と違って、彼女の能力は、相手の体力や自然治癒力を活性化して、傷を癒す。治癒能力の有り難みは、戦闘が絶えないおれ達は身に染みて知っている。
「……気持ちは分かるって、言ったけれどね。さっきの事は、やっぱり無茶だったって、そう思うわ」
「うん……それは、分かってるよ。いや、分かったって言った方がいいな。あいつに、甘えてた」
軽々しく、一騎討ちの誘いを受けた。それがどれだけ無謀なことか、おれは分かっていなかった。
「あいつの言う通り、だったんだと思う。どこか、昔の関係が抜けてなかったんだ。どちらも相手を殺せるんだってことが……分かってなかった」
「……話しづらくないなら、聞かせて。あの子と蓮は、どんな関係だったの?」
「そうだな……兄弟、みたいなものだったよ」
あいつが時村家の養子だったこと、どんな風に一緒に過ごしてきたか。かいつまんで話す間、コニィは静かにおれの話を聞きながら、力を使い続けてくれた。
「そう、なのね。養子として、蓮の兄弟に……」
「兄弟と言っても、同い年だし……生まれはあいつのが早いけど、上下は決めてなかったかな。ほんとに、血の繋がった兄貴と同じくらい、ずっと仲良くしてて……さ」
コニィは慰めてくるでもなく、ただ聞いてくれた。今は、それが一番有り難かった。慰められたとしたら、きっと惨めになっていたから。
「……もう平気だよ。ありがとう、コニィ。後は、先生を頼む」
「……待って、蓮。まだ完全には治っていないわ」
立ち上がったおれを、コニィは止めようとする。だけど、おれも首を横に振った。
「いいんだ、君の力だって使いすぎは良くない。それに、おれみたいな馬鹿野郎は、痛い目を忘れない程度が丁度いい」
そう言った途端、コニィの表情が曇った。おれは、口を滑らせてしまったことに気付く。
「ごめん。余計なこと、言ったな」
「あまり、考え込みすぎないで。落ち込むのは分かるけれど、それで背負いすぎたら潰れてしまうわ」
「親父にも、そう言われていたよ。結局は、表に出ているんだろうな、そういう未熟さが」
「未熟だとか、そういう事が言いたいんじゃないわ……!」
「いや、おれは未熟者だ、それは分かってる。だからこそ、もっと強くならなきゃいけないし、弱い自分を正したい。……口で言うほど、上手くできてないけどさ」
「…………」
コニィは、何か言いたげに口を開いた。けど、それが言葉になることはなくて、少しだけ間が開いた。
「おれは、大丈夫だから。この痛みが自然に良くなったら、今まで通りにやれるから。な?」
「蓮、これは忘れないで。辛いことを背負い込むのは、枷をつけるのと同じなの。それが、自分の意志だとしても。そして、枷は自分を鍛えてなんかくれない。動きを鈍らせるだけにしか、ならないのよ」
「……うん、分かった」
そうだ、彼女の言う通り、これはきっと自己満足。何の意味もない、ちんけなプライド。だけど、そうだって分かってても、今はそれにすがりたかった。そうしないと……痛みを感じていないと、泣きそうだったから。
「………………」
私は、海翔と一緒に、部屋の周りを調べていた。
やっぱり、何かがいる気配は感じなかった。もちろん、空間転移なんて使ってくる相手だから気は抜けないけど、ひとまず撤退したのは間違いないと思う。
……そう。もう、ここにパパはいない。
行かせてしまった、それはすごく悔しい。だけど、それに少し安心している自分もいた。だって、あのままだと、本当に戦ってたかもしれないから。そうなることも覚悟してきたつもりだったけど、やっぱり実際にそうなるのは怖かった。
「……はあ」
駄目ね、こんなのじゃ。ちゃんと覚悟しないと、もし横槍が入ってなかったとしても、止められなかった。蓮に啖呵切った責任もあるし、私だってもっとしっかりしないと。
「平気かよ、美久?」
海翔が私の顔を覗き込んでくる。状況が状況だし、心配かけちゃってるのは分かってる。
「平気……とは言えないわよ、やっぱり。だけど、落ち込んでてもどうしようもないでしょ? それより、これからどうするかを考えないとね」
「そうだな。そいつは俺も同感だぜ」
「あんたは私より、蓮の心配をしてやりなさい。一応落ち着いたって言っても、だいぶ堪えてたみたいだし」
「まあ、な。あっちは後でフォローしてやらねえと、あいつ生真面目だからよ。惚れた相手が一緒なだけあって、そういうとこはガルにもそっくりだぜ」
「言われてみればそうね。真面目なタイプに好かれやすいのかしら?」
「自覚ねえくせに変なとこで押しが強えからな、ルナは。何かと考え込みやすい相手からすりゃ、あの勢いに惹かれるもんがあるんじゃねえか? ほんと、あの鈍感さえ何とかなりゃな……」
そんな軽口をお互いに叩いて……だけど、すぐにそれは途切れる。ふと、改めて海翔を見ると、何だか様子がおかしい。いつものこいつらしくないって言うか、妙に俯き気味って言うか。
「海翔?」
「……正直に言うとな。何って言ってやりゃいいのか、分からねえんだ。だから、俺もいったん落ち着きたくてよ」
溜め息混じりに、そう言った海翔。それが、見回りを提案した本音みたいだった。
「悩むな、なんて無責任すぎるし、かと言って、諦めちまえ、なんて言えるはずもねえ。蓮がどんな奴か知ってても、最適解なんて分かるわけねえよな。計算問題じゃねえんだから」
「……確かに、そうね」
「みんなが何を悩んでるのかは、知ってるはずなのによ。助けてやりてえ、けど、駄目なんだ。余計なこと言って、今よりもっと悩ませちまうんじゃねえかとか、そういうのを考えちまって。言葉に、ならなくなるんだ」
そう言ってから、海翔は口を閉じてしまった。本当に、たまらなく悔しそうな顔で。何だか、蓮以外の事も含んでる感じの口振りだけど。
私から見た海翔は、単純で勢いで突き進むようなやつ――に見えて、実際はものすごく繊細なとこがあって、脆いやつ、だった。
それを初めて感じたのは、アトラと喧嘩してたあの日。あいつの事情を知った海翔は、自分の言ってしまった事をほんとに悔やんでたんだろう、今にも泣き崩れそうな顔になっていた。
だけど、そういうとこは、結局のところ滅多に出さないし、それを見せてもすぐに取り繕う。何だか、こいつは……自分の弱さを見せたがらない。そんな感じに見える。
だけど、そんなこいつが、こんなにはっきり弱音を吐いたって事は、たぶん。
「あんたにとっても、大事な友達だったんだ?」
こいつも、相当堪えてるんだ。我慢が出来なくなってるぐらいに。
「そう、だな。ほんとに……良い奴だったんだ、あいつ。あれが全部、任務のためだったなんて、信じたくねえ。信じたく、ねえんだよ」
「…………」
「ほんとにさ。何で、こうなっちまったんだろうなあ。……ほんの数ヵ月前まで、一緒に遊んで、バカやってたのにさ。それが、気付いたらお互いに戦って、いつか殺しあうなんて言われて。このまま進んだら……そんな日が、いつか来るのかな……?」
硬く目を閉じたこいつは、震えてた。いつものふてぶてしさは全く無くて、言葉も少し幼くなって……私が言うのも何だけど、ほんとに年相応な、傷付いた男の子。
頭が良くて、辛いことだってすぐに理解しちゃって、頭が良いからこそ、理解出来たことは感情より先に受け入れちゃう。ほんとに、不器用なやつ。
…………。
「だったら、信じなければいいじゃない」
「え?」
「口では何とでも言えるでしょ? なら、今の方が芝居じゃないとも言えないじゃない。あいつの本心なんて、あいつにしか分からない。でしょう? だからさ……良い方に考えときなさい」
何て言ったら良いか分からない。そんなの、今の私だってそうよ。だから私は、思った通りのことを言うの。
少なくとも私は、もし始まりが任務だったとしても、長い間一緒にいたなら、完全に割り切るなんて出来ないと思う。あいつも、友達だと思っていた事は否定してなかったもの。
「あんたっていっつも、何というか、一歩引いてるわよね。バカやってる時はともかく、周りの空気にいつも気を配ってるって言うのかな。アトラの時だってそれが原因だったんだし」
「…………」
「でも、そんなに気を張らなくたっていいじゃない。何て言うべきか分かんないなんて悩んでる暇があったら、感じた事を素直に言っていいのよ。そうして一緒に悩んでいくのが、友達なんじゃないかしら?」
頭が良くて、責任感が強いこいつが、みんなを支えようとしてるのは分かるけど。後ろから見守って答えをあげるんじゃなくて、横に並んで、答えを探す。それでいいんだって私は思う。
海翔はまじまじと私の顔を見てきたかと思うと、小さく息を吐き出した。
「……やっぱお前、似てるわ」
「似てる?」
「姉貴に」
だからちょっと漏らしちまうんだろうな――それだけ言ってから、海翔は気合いを入れるみたいに自分の顔を叩いて、立ち上がる。
「はあ、ったく。レンがへこんでるの見て俺がへこむとか、確かに何の連鎖だってんだよな。止めだ止め、ウダウダ考えたって何にもならねえ」
「海翔、あんたね。そうじゃなくて……」
「心配すんなよ。……ほんとは、見栄張ってるのぐらい自覚しているけどな。それでも、これは張らなきゃいけねえ見栄なんだ。多分、俺自身のためにもな」
真面目な顔は、そこまでだった。気が付くと、いつもみたいに不敵に笑っていた。
「あ、こんなこと話したのは内緒にしろよ? 俺は弱味なんてねえって事にしなきゃいけねえからな」
「……分かったわ。だけどそれなら、知ってる私には、ちょっとは甘えに来なさい」
「へへ、その時は頼りにするぜ。二人だけの秘密の話って、何か恋人っぽくね?」
「何を寝ぼけてるの、馬鹿。余計なこと言ってないで、そろそろ戻るわよ!」
結局は馬鹿話に持っていった海翔の背中を叩いて、私たちはみんなのとこまで戻り始める。
最近まで気付かなかった。だけどもしかしたら、ガルだけじゃなくてこいつらも、私が思ってるより大きな何かを抱えてるのかもしれない。
もっと、気を付けて見てやらないとね。仮にも私は、こいつらの先輩で、支えてやらなきゃいけないんだから――だから、私も落ち込んでる場合じゃない。向き合わないと、パパの事に。私の、故郷の事に。