メルヴィディウス
轟音と共に現れたそれに、さすがに俺と空は揃って目を見開いた。
「これは……!」
体高は10メートルをゆうに超えているであろう、巨大な生物。六本の脚のうち、後ろの四本でその全身を支え、前の二本は、何もかもを切り裂いてしまいそうなほどに鋭利な鎌を備えている。全身を被う、金属質な鈍色の甲殻は、見るからに頑強だ。
頭部には、甲虫のような角が突き出ており、巨大な複眼が、俺達を映している。
「巨大な昆虫型UDB……?」
「これも、貴様の生み出した生物なのか!」
「ええ、そうですよ。実戦に出しているのは、主に高い知能と量産性を兼ね揃えた種ですが、それ以外の全てが失敗作である訳ではない。用途が局地的であったり……力がありすぎて私やアイン以外には扱いきれないだけであってね」
こいつも、その中の一体と言うことか。恐らくは、奴が最後に挙げた例に当てはまるのだろう。
『……命令、ヲ、確認、スル』
ギチギチと虫の口元が動き、しゃがれたような、どこか無機質な声が響く。
「喋れはするのか。頭が良いようには見えんがな」
「知能は簡単な命令を受け付ける程度しかありません。ですがその分、戦闘力は他とは比較になりませんよ。それこそ、Sランクに届いたかもしれない逸材だ」
Sランク。特級危険種。その分類が意味するところは、生きた災害。単純な区分けではAのひとつ上ではあるが、そこには絶対的な差がある。Aに属するものはまだ「人の手で対処可能」な存在だからだ。
しかしSは、その存在そのものがほぼ天災とイコールだ。全盛期の俺たちであっても、Sランクが一体現れれば、全員の全力を集結してなお賭けになるほどだった。
そして、この怪物を見るに、マリクの言葉は決して大袈裟ではない。届いたかもしれない、ならばAの範疇に収まるのだろうが、その中でも上位なのは間違いなさそうだ。
「見せてください。最強の戦士とまで呼ばれた、貴方の力を……メルヴィディヴス、標的はそこにいる二人です。殲滅しなさい!」
『命令、確認。殲滅、開始スル』
感情の込められていない声が響き、鎌が振り上げられる。俺たちは示し合わせるでもなく、左右に散開する。一瞬の間を置いて、魔物の鎌が、轟音と共に叩き付けられた。
「全く、面倒な事になったものだ」
「だが、やるしかないだろうよ。抜かるんじゃないぞ!」
深く抉れた床が、当たれば即死だという事実を嫌でも理解させてくれる。いかに鍛えようが、巨大な魔物の一撃を耐えられる道理は無いのだ。
地道に削り取るか、一気に決めるか……耐久力は目に見えて高そうだ。弱らせて仕留める方が確実だろう。空もそう判断したようで、まずは構えていたハウンドドッグの引き金を引く。だが、弾丸は虫の外殻にかすり傷すら負わせる事はなかった。
「む……!」
「ならば!」
顔をしかめる空と入れ替わるように、俺が刀で斬りかかる。狙いは脚。ここさえ断ち切ってしまえば、勝負は一気にこちらに傾く。
だが、その狙いは通らなかった。俺の渾身の一刀は、奴の甲殻に阻まれ、僅かな傷を付けるに留まったのだ。
「ちっ、何て硬さだ!」
「それが彼の強みですよ。さて、あなた達に、彼の防御を貫けますか?」
マリクは完全に傍観者となるつもりのようだ。高みから眺めているかのような男には不快感しかないが、奴が加わらないならばこちらに専念するだけだ。無論、警戒は続ける。
「傷すら付かんか。ならば、こちらを使うとしよう」
空の武器は、ハウンドドッグだけではない。彼は手にしていた拳銃をホルスターにしまうと、続いて、背負っていたライフル〈グレイウルフ〉に手を伸ばす。名前の通り、灰色の長い銃身を持つそれは、貫通力を高めるようにチューニングされており、高い攻撃性能を持つ。
空が使う銃は、全て彼が自らの手でカスタマイズしているのだが、特に取り回しの良いこの2つは、彼が最も愛用しているものだ。
「……ふっ!」
ライフルを構えたまま、鎌による薙ぎ払いを屈んで避けると、低い姿勢のまま、メルヴィディウスの脇腹目掛けてトリガーを引き絞った。
しかし、今度も駄目だった。かすり傷こそついたものの、ダメージと呼べるものではない。
「ウェアの刀が効かん時点で、予測はしていたが……な!」
メルヴィディウスの狙いが空に集中するのを阻止するため、俺も幾度となく斬りかかっていく。しかし、結果は同じ。この攻撃を仮に1000回当てたとして、倒せる事はなさそうだ。
俺たちが抵抗を続ける間、虫の鎌が幾度となく振り下ろされる。救いは、室内が窮屈なためか、胴体は殆ど最初の位置から動いていないことか。
それに加えて、素早さはそうでもない。大振りな一撃は範囲こそ広いが、俺達ならば避けるのはそこまで苦ではない。もっとも、疲労が溜まってくればそうも言っていられないだろうが。
『敵対者ノ、危険度レベル、測定完了……』
そして、向こうの手は、まだ出されてはいなかったようだ。無機質な声が響いたかと思うと、次いで――その口から、大きな泡がいくつも吐き出された。
「む!?」
泡の近くにいた空は、咄嗟に大きく飛び退く。生み出された泡は、光を反射しながら辺りを漂う。何だ、あれは?
そして、程なくして自然に答えは出された。地面に触れた泡が、弾ける。そして、見るからに粘性が高い液体を、周囲に撒き散らしたのだ。
「全く、厄介なものを……!」
地面で弾けた泡は、急速に固まり始めた。あれを浴びれば身動きが封じられるどころか、そのまま窒息死してしまうだろう。
鎌での攻撃は休めないまま、定期的に新たな泡を生じさせるメルヴィディウス。空が、吐き出された直後の泡を狙って弾丸を放つ。生じた粘液が奴の顔面を覆うが、先と違って固まる様子はない。自身は中和の方法を持っているのか。
「空!」
「心配するな、そう簡単には喰らわん! しかし、このままでは、こちらも攻めあぐねてしまうか」
空の射撃は精密だ。間接のみならず、口や眼など、脆いと思われる部位を正確に撃ち抜いている。だが、まともなダメージは通っていない。何もかもが、堅すぎるのだ。
ダメージになっていないのは、俺の攻撃も同じだ。俺の愛刀〈天空〉は、とある素材で生み出された、この世に二本とない業物。その切れ味は、普通の金属ならば易々と断ち切るほどだが……単純に、こいつの装甲は金属以上と言うことか。
「くく、どうしたのですか? かつては真のランクSと戦ったこともあるあなた達が、随分と苦戦しているようだ」
「上から物を言ってくれるものだな。第一、俺たちの苦戦は、そちらには好ましい事ではないのか?」
「そうですね。彼があなた達を倒すという結末にも、興味はありますよ。結局は、私の興味を満たしてくれるのであれば、どちらでも構わないと思っていますがね」
「外道が……!」
「俺も同感だ。ここまで気に食わん相手も久しぶりだな!」
珍しく怒りを見せながら、空は泡をまとめて撃ち落としていく。弾ける液体が俺と自分にかからない絶妙なタイミングでの銃撃だ。俺も、何とか隙間を縫いながら斬りつけていく。
だが、確かに苦戦しているのは事実。こちらの攻撃が通らない限り、このままでは押し負ける。
……あの魔人に、手札を見せたくはない。そうでなくとも、俺の力は……少し、厄介な状態だ。だからこそ今も、出力を最低限にして発動している。外見に、何も表れない程度に。
しかし、少しずつ切り崩すという当初の想定が上手くいかないとなれば……背に腹は代えられない、か。
「全く、非常識な硬さだな。こんな事ならば、〈ヴァナルガンド〉でも持ってきておくべきだったか」
「あれを持ち運ぶのは難しかった。無い物ねだりをしても仕方ないだろうよ。……〈ティンダロス〉は?」
「そちらは念のために仕込んである。ウェアルド、足を止めればいけるか?」
「だからこそ聞いたんだ。このまま決められないならば、出し惜しみをしている場合ではないからな」
確実に、全力を出せば奴の装甲を貫ける。それは、今までの経験から来る、確かな自信だ。そして、空ならばその全力を振るう為に、最高のサポートをしてくれるという信頼も。
「タイミングは?」
「こちらで合わせる!」
俺たちならば、わざわざ合図を決めるまでもない。それだけ言うと、再び散開した。
空はグレイウルフを収納すると、再びハウンドドッグと、もうひとつの拳銃を取り出した。
「このじゃじゃ馬を使わされる羽目になるとはな。本当に、面倒なものだ」
空が服の下から取り出したのは、彼の所持する銃のうちのひとつ。漆黒のボディを持つそれは、旧世紀から遺された物語の怪物から〈ティンダロス〉の名を付けられている。あれは、空がよく使っているハウンドドッグとは真逆のコンセプトで彼が改造した逸品だ。
「さすがにこれは、出来るだけ撃ちたくはないのでな」
泡の弾幕を掻い潜り、必要な分のみをハウンドドッグで撃ち落としながら、空はメルヴィディウスに接近していく。虫の鎌が容赦なく振り下ろされるが、空は危なげなくそれを回避していく。彼のPSと身体能力がなせる技だ。
そして、ある程度まで接近すると、腰のホルスターにハウンドドッグを素早く収め、両手でティンダロスのグリップを握る。
「容赦は、せんぞ」
静かに狙いを定め、空がトリガーを引く。途端、銃声――と言うより、まるで大砲でも放ったかのような轟音が部屋中に響く。
次の瞬間には、今まであらゆる攻撃を防いでいた大虫、その体を支えている四本の肢のうち、右前のものの付け根が……弾け飛んだ。
「っ……全く、我ながらどうしてこんなものを造ったんだか。もう少し歳をくったら使えなくなるな」
あれは、空が「拳銃クラスのサイズを保ちつつ、どこまで威力を高められるか?」という好奇心から、改造に改造を重ねて製造された……はっきり言ってしまえば、魔改造品である。
純粋に、ただひたすらに破壊力を求めた代償として、取り回しは最悪。サイズは拳銃としてはかなりの大型。重量は見た目を遥かに上回る。何よりも、反動は莫大。俺も一度だけ使わせてもらった事があるが……腕が折れるかと思ったほどだ。
極めつけに、銃身は拳銃相当の長さであるため、距離による減衰は避けられない。そのため、破壊力を相応に発揮するためには、ある程度接近する必要もある。
空曰く「最悪レベルの欠陥品、ただ興味本意で造っただけの危険な玩具」である。……そんな逸品を空が実戦に持ち出すことがある理由は単純。あらゆるものを犠牲にした結果として得られた破壊力が、完全に規格外であるからだ。
「ふふ、さすがはガンホリックとして名高いだけはありますね。そのようなものを製造するとは、ましてや使いこなすとは、正気の沙汰とは思えません」
「随分と人聞きの悪い評判だが、こいつに関しては同意せざるを得ないな!」
それでもなお怯まないメルヴィディウスに張り付いたまま、空は駆ける。そして、その『眼』で絶妙なタイミングを捉えると、足を止めてトリガー、それを繰り返す。
巨大な発砲音が、数発にわたって部屋の中に響く。その度に、先程までびくともしていなかった巨大虫の甲殻に風穴が空いていく。そして、そのうちの数発が、メルヴィディウスの脚のひとつを、完全に破壊した。体躯を支えきれず、その身体がぐらつく。
「さすがに効いただろう? 痛覚があるかは知らんがな……っ」
『損傷甚大……』
空の怒濤の攻撃に、メルヴィディウスの動きが、攻撃が、僅かに途切れる。だが、空の側も、反動で腕へのダメージが大きい。だからこそ、期待に応えねばならんのは俺だ。生じた隙に、空いていた距離を一気に詰めながら、跳んだ。
――俺の愛刀、天空に使われている金属は、特殊だ。ゼロニウムと対の関係にあり、等しくレアメタルとされるその金属の名は、グランニウム。
非常に高い強度を持ち、単純な武器としてもこの上なく強力なものになるのだが、それ以上に大きいのが、それが発する特殊な放射波である。
PSについての詳細が未だ解明されない現在、それらは便宜的な定義だ。だが、それによってもたらされる現象についてははっきりとしている。
ヒトがPSを使うときに発生すると言われる精神波を打ち消し、能力を封じ込めてしまう作用を持つゼロニウム。そして、グランニウムの作用は――精神波との共振。
眼前に迫る、魔物の頭部。そいつは、あくまでも機械的な動作で、近付く俺を危険だと判断したようだ。だが、迎撃態勢に移る時間は与えない。
戦うために生み出されたこいつの事を、哀れだとは思う。それが傲慢な感情だとは分かっているが、同情せずにはいられない。
だが、ここで倒れてやる訳にはいかない。俺には、まだ生きなければならない理由がある。だから。
「せめてもの、情けだ」
恨んでくれてもいい――少しでも楽に、逝かせてやる。