疾風と流転
「小手調べ抜きで行くぞ……!」
突風を起こし、クライヴを突き飛ばす。ダメージを目的としたものではなく、距離を離すためだ。近距離では、どうしてもあちらに分がある。
向こうもそこまでバランスを崩すでもなく、数メートル程の地点で踏ん張ると、再び距離を詰めるべく駆け出した。オレは少し下がりつつ、クライヴに向けて風の流れを作り出し、そこに数枚のチャクラムを飛ばした。
オレの基本的なスタイルは、中距離で風とチャクラムを用い、多方向からの攻撃で相手を翻弄するものだ。クローは懐に入り込まれた場合や、チャクラムでは止めを刺せないほど頑強な相手へに用いる。
今回のフィールドは、数本の柱以外には特に障害物の無い室内……広さもあるし、オレにとっては程々にやりやすい環境だ。
「流石です。物質操作能力でもなく、風の流れのみで制御するなど、あなた以外の誰にもできないでしょう」
「我ながら馬鹿な戦い方を身に着けたものだがな。それでも、ひたすら鍛錬を続けて、今では忘れたくても身体が覚えている」
オレは中距離を保ちながら、風に乗せたチャクラムをクライヴへと飛ばしていく。その度にクライヴは、必要最低限の動きでそれを回避、或いは弾き飛ばしていく。
弾かれたチャクラムは、当たりどころ次第では、風に乗せて回収するのは難しい。その都度、新たなチャクラムをストックから取り出し、追加していく。
「……確かに、思ったほどの衰えは無いようですね」
「正直、衰えてはいたさ。だが生憎、お前の同僚が攻めてきた事で、のんびり教師生活を送るわけにもいかなくなったのでな」
「……マリクの行動については、僕も把握しているのはごく一部です。思うところはありますが、あの一件も主のために必要だったのです」
「オレ達を戦いの中に駆り出すために、か。どういう風にオレ達を利用するつもりかは知らんがな。多くの無関係な子供たちを心身共に傷付けたこと、オレは決して許さんぞ」
「…………。僕にはそれを心苦しいと思う資格も無いんですよ。僕とて、それに荷担する一員なのですからね。今回の件も、同じことです」
罪悪感を、本心を隠しきれていない。その反応に、彼の根っこが変わってはいないと悟り、場違いながらも多少安堵する。
やはり、彼はまだ引き返せる。後は、どうしてそこまで頑なになっているのか、その原因さえ分かれば……。
「今さら、足を止めている場合ではない。僕に出来るのは……一刻も早く、全てを終わらせることだけです!」
だが、それを考えるのは後になりそうだ。
クライヴがそう宣言すると共に、不可思議な光のようなものが彼の周囲、計四ヶ所に集まり――次の瞬間には、その全ての地点に別々のクライヴが立っていた。
「…………!」
「ここからが、本番です。行きますよ!」
元々と合わせて5人のクライヴは、同時にオレ目掛けて動き始める。オレは周囲に10枚のチャクラムを展開、PSの出力をさらに強める。
それらをそれぞれの分身に向かわせ、チャクラムは、クライヴのうち数名を貫く――と言うよりは、すり抜ける。チャクラムの通過した分身は、まるで霧のように消滅していくが、それから数秒で、新たな分身が別の地点に生成された。
――〈乱相流舞〉。それが、クライヴのPSだ。
本当に分身しているわけではない。あれは幻影。本物の動きと違わぬ動作を行う、実体の無い幻。本体を除けば、全てが偽物だ。
だが、この力の厄介なところは……同時に全てが本物でもあることだ。
本物と思われるクライヴが、チャクラムを弾き飛ばす。オレはその近くにあったチャクラム4枚を一気に集中させるが……先ほどまで確かに実体のあったはずのそれは、今度はあえなく霧散した。
「幻影と実体、その切り替えを瞬時に行う力。常に正解の変わる本物探し……まったく、敵に回すと厄介なものだな!」
「種が割れた手品にはなりますがね。ですが、分かっていたからと言って、簡単に見切れるものではありませんよ!」
クライヴの意思ひとつで、僅かなタイムラグもなく、本物は偽物に、偽物は本物に切り替わる。それが、彼の力の真価だ。
全て幻であるが故にこちらの攻撃は通用せず、全て実物であるが故に無視も出来ない。仮に無視をすれば、彼はそれを本物にすればいいのだから。
本人の意思で操作を行わねばならない都合、分身の数はそこまで多くはないが、一対一ではこの上なく厄介だ。先ほどまで打ち合っていた相手が次の瞬間には幻影になっていた、などが起こる以上、下手な多人数よりもやりづらい。
無論、弱点もある。幻ではこちらにダメージを与えることは出来ないため、攻撃は本物が行うしかない。つまり、攻撃を行う瞬間、それは紛れもなくクライヴ本人にならなければならないのだ。
しかし、彼とてそれは百も承知であり、その対策は幾重にも練っているだろう。現に、その力を使いこなして、彼はあの戦役を生き残ったのだ。
「一騎討ちでやりたい相手ではないが、あいつらに無様な姿を見せるわけにもいかん!」
分身は、本体から一定以上の距離を離れられない。間違いなく本体はこの中にいなければならないそうだ。つまり、最もシンプルな対処は、全てのクライヴを巻き込む広範囲攻撃を叩き込むことだ。
そして、多大な集中力を必要とする彼のPSは、一度崩せば容易に復帰できない。その一度の機会を得られるか否か、そこが勝負だ。
「ふっ!」
風に乗せ、チャクラムを飛ばす。分身がいくつか消失するが、四散した端からから、新たな分身が生成されていく。オレは直感で振り返ると、背後から襲い掛かってきたサーベルにクローをぶつけた。
「見事ですね……!」
「生憎だが、オレの得意とするのは、空間的な思考を必要とする集団戦だ。忘れてはいないだろう?」
「ええ。その分野において、あなたや慎吾さんに勝る者などそうそういないでしょう。ですが、僕もそれについては負けるつもりはないですよ!」
そのまま、至近距離のクライヴに向けて、チャクラムを乗せた突風を叩き付ける。それが直撃する前に、そのクライヴは再び消滅し、オレの周囲を取り囲むように、五人の分身は陣形を組んだ。
そして、それぞれ数メートル程の位置で、懐に手を入れると……仕込んであったスローイングダガーを、全員が一斉に放ってくる。
「…………!」
分身は、本物の姿を模倣して生み出され、本物に変化があれば数秒の後に同期される。本体が持ち物を投げれば分身の持ち物も消えるが、分身が何かを投げる動作に制限があるわけではない。
もちろん、ただの牽制だ。身体から離れた時点で制御下からは外れ、それをいきなり本物とすり替えたりはできない。だが、偽物と看過する術もない以上、本物として対処が必要なのは同じことだ。
いずれにせよ、こうして同時に投げた以上、全て偽物は有り得ない。この中のどれかは、間違いなくオレに突き刺さる。
オレは周囲に旋風を巻き起こし、それらを弾き飛ばした。幻影のダガーは、風に飛ばされあえなく全て消滅した。――全て?
「――――!!」
気付いた時には、遅かった。何とか直感で左に跳ぼうとしたものの、オレの右肩に深々とダガーが突き刺さる。
「ぐぁ……!」
位置からして、一歩反応が遅ければ、喉元を抉られていたかもしれない。いや、それよりも……上か!
ダガーの角度から予測した方角を見上げると、クライヴの強襲はもう眼前だった。回避は不可能と判断し、オレはクローで何とか受け止める。
……どのタイミングかは分からないが、分身をさらに一人生み出し、柱の影やオレの死角に潜ませていたのか。
迂闊な。5人が限度、と言っていたのは昔の話だ。あれから技を鍛えた彼が、その上限を超えている考慮をしきれていないとは!
「負けられないのはお互い様だ。でもね、誠司さん。あなたと僕の決定的な違いは、分かりますか?」
「ぐ、う……!」
そのまま、分身を交えたクライヴの猛攻が始まった。まずい、態勢を立て直さねば。傷はそう深くはないが、ペースを持っていかれてしまった。
「あなたは言った、僕に勝ったら真意を聞くと。つまり、あなたは僕をただ単に負かし、生かそうとしている」
だが、クライヴは僅かな隙も与えてはくれない。逆に、六人の分身は巧みにオレの隙に潜り込み、次第に追い詰められていく。
「僕は違う。あなたが陛下の敵であるならば……僕は、あなたを殺す!!」
何とか捌こうとするものの、見切り続けるのにも限界はあった。反撃で振るったクローの前で、分身が霧散したのを理解した時には、もう遅い。
右の脇腹に突き刺さる、サーベルの感触。自分の体内に何かが埋まっていく、何とも言えない感覚。いっそ冷静に受け止めてしまったその気色悪さから、ワンテンポ遅れて――激痛が、脳に届く。
「がっ、は……!! く、おおぉ!!」
焼け付くような痛みに、全身が硬直しかける。そうならなかったのは、ひとえに経験の賜物だった。次の一撃をクライヴに食らう前に、反射的に周囲へと旋風を巻き起こす。
向こうも反撃を予測しきれていなかったようで、今度は後退してくれた。ひとまず窮地を抜けた……はいいが、その代償は大きい、か。
「く……う」
かろうじて……臓器や動脈は避けた。しかし、出血は決して軽くない。さすがに、まずいな……そう長くは、保ちそうにない。
「よく凌ぎましたね。ですが、その傷でこれ以上動けますか?」
「……まだだ。そう、簡単には……!」
「いいえ。誠司さん、もう投降してください」
「何、だと……?」
「殺すと言った矢先ではありますが、もう十分でしょう? ほとんどど決着はついたようなものだ。我らに協力してくれるのであれば、あなたの存在は相当に心強い。陛下も、悪いようにはなさらないでしょう」
突然の提案に、少しだけ思考が遅れる。降伏しろ、だと? オレが、リグバルドに?
………………。
「誠司さん。長く戦いから離れていたあなたには、見えていないものだってあるでしょう。こちらに来れば、本当にやるべき事だって分かります。ですから……」
「……ふ」
「え……?」
「ふふ。はははっ……!」
笑い始めたオレに、クライヴがさすがに困惑したような様子を見せる。……場違いなのは分かっていた。だが、込み上げる笑いを抑えられなかった。痛みが激しすぎて、ハイになっているのかもしれない。
「く、はは。何が躊躇わない、だ。投降? 戦意を見せている相手に対して言うのか、それを。お前は……非情になど、なりきれていないではないか」
「……っ!? 先の攻撃は、殺すつもりでした」
「だろうな。だが、お前が本当に情を捨てていたならば、そんな提案は、必要ないだろう? オレが決して協力しないことなど、分かりきっているだろうに」
戦いを避ける可能性を探している段階で、情が残っている証拠なのだ。そう、分かっていた。こいつは、冷血になど決してなれない、優しい男なのだと。
「……気に食わん。ああ、気に食わんな。言ったはずだぞ、クライヴ。オレは、あいつのやり方を、認めないと。それは、オレの今まで生きてきた軸に、奴が間違いなく反していると、確信をもって言えるからだ。そう簡単に曲がるほど……それは、脆くない」
「誠司さん……」
「在り来たりな言葉だが、それはオレの信念で、覚悟でもある。……ひとつ聞こうか、クライヴ。今のお前に、それがあるのか? 今のお前は、己の芯を曲げていないと、自信を持って言えるのか?」
「っ!!」
誰かの言いなりになって、自分の感情を押し殺して。それで、迷いなく剣を振るえるはずがない。躊躇わずに戦えるはずがない。
もしもこいつが、本当に自分の信念で戦っていたならば、オレはもう死んでいただろう。
「言ってやるよ、クライヴ。……お前には、暗い道を進む覚悟など、できていない。その先に望む世界があると、信じられていない。その振りをしているだけだ。そのままではいつか、お前は……矛盾に耐えきれず、壊れるぞ」
「……黙ってください!」
怒気の籠ったその拒否は、オレには逃避にしか聞こえなかった。
「僕の覚悟が、足りないと言うならば! 見せてくれるのですか、あなたがそれ以上の覚悟を!」
「ああ。いくらでも、見せてやろう。お前と違い……オレに、迷いは無い」
「っ。あなたと言う人は……!」
歯を噛み締めるクライヴから感じる殺気が鋭くなった。よほど、今の指摘が堪えたらしい。
「良いでしょう。認めますよ、甘さが残っていたことを! ならば……あなたを殺して、それは捨て去ってみせよう!!」
クライヴは、勝負をかけに来たようだ。全ての分身をオレの周囲に展開したかと思うと、その全てが、統率された動きでオレに襲い掛かってきた。
……そうやって、感情を表に出す辺りが、似合わないと言ったんだ。オレが出血で倒れるまで地道に攻めれば、オレには打つ手はほぼ無かった。
そして――先ほどの会話のうちに、オレの準備は整った。
全ての感覚を集中させて、その瞬間を待った。全ての分身がオレと一定の距離まで近付く、その時を。
そして、それは彼の焦りからか、すぐに訪れた。まずは必殺のサーベルを、確かにクローで受け止めてから……解放する。周囲に、今までと異なる風が渦巻き始めた。
「…………!?」
彼は疑問に思うべきだったのだ。出血がある以上、オレにとって時間をかけるのは好ましくない。なのに、何故あのように話を長引かせたのか、と。無論、内容そのものはオレの本心ではあるが。
オレのPSは、ある程度ならば即座に風を生み出せる。逆に言えば……強力なものを生むには、チャージに時間が必要だ。そして、今の会話は、それには十分な時間だった。
この部屋のどこに分身が潜んでいても、同じことだ。逃げ場など……どこにもない!
「――吹き飛べ!!」
PSの出力を全開に――巻き起こるのは、もはやそれ自体が物理的な破壊力を持つ、暴力的な嵐。人の命を奪うことも容易い自然災害。オレを中心とした、竜巻クラスの風だ。
クライヴの分身は纏めてかき消え、残された本体は何とか抗おうとするが、人に抵抗が可能なものではない。あえなく、彼は暴風の中へと巻き上げられていった。
「う、あ……がぁっ!!」
激しい音と共に、クライヴは壁に叩き付けられた。
そのまま、ずり落ちるような形で、猫人は地面に倒れ伏していく。……命を奪わないように制御はしたが、叩き付けられたダメージは相当のものだろう。
「オレを……オレの覚悟を、甘く見るなよ。あいつらを導く覚悟も、お前を止めるという、覚悟も」
「誠司、さん……グッ!」
まだ、終わりではない。呻きながらよろよろと立ち上がったクライヴ。そこにさらなる追撃を加えるべく、オレは精神を集中させていく。
――しかし、巻き起こった風は、自分でも驚くほど明らかに、弱々しくなっていた。
「……ハァ、ハァ……うっ!」
……いかん、な。こうするしかなかったとは言え、PSを全力で起動したことの反動は、出血が続く身体には堪えた。視界が、少し回り始める。限界はそう遠くない、か。
「迂闊、でしたよ……我ながら、冷静さを、欠いていた。ですが……そろそろ限界の、ようですね……」
「くぅ……お互い様、だろうが」
数こそ減ったものの、2体の分身が生み出される。あれだけの攻撃を与えたと言うのに、こいつはまだ、折れてくれないか。
今にも倒れそうだが……やるしかない。オレはまだ、負けてやるわけにはいかん。それに、こいつを止めてやらなければ、今度こそ戻れなくなるだろう。
「退く前に、決着はつけさせてもらいますよ……!」
「そう簡単に……やれると、思うな!」
少なくとも、こいつに殺されてやるわけにはいかん。残りの力を、使い果たしてでも――
「そうはさせねえよ!!」
「――――!」
だが、オレ達が最後の衝突をする前に。少年の咆哮が、オレ達の耳に届いた。