狩人と守護者達
「……さて、そろそろか」
クリードはそう呟くと、腰の両側に携えた愛剣の感触を確かめた。
広い部屋の中には、今はまだ彼ひとり。フロア全てがひとつの部屋となっており、これから始まる戦闘にも支障は無い広さだ。欲を言うならば、彼は障害物の多い野戦の方が得意としているのだが。
(データがどうの言ってた以上、今も視てんだろうが……ま、俺が気にする事じゃねえな。ったく、本当に、今回のクライアントはどうなってんだか)
厄介な依頼主なら数え切れないほど見てきた。だが、今回ほどに異質な相手は、彼の経験でも初めてである。
騙して利用しようとする相手であれば御しやすく、逆に利用することも容易い。アインの言う通り、クリードはその辺りの嗅覚に優れ、確実に利益の出る依頼しか受けない。
そういう意味で、マリクは読めなかった。
確かな見返り――今回の依頼だけでも、彼らに与えられた契約金は膨大であった――を用意され、今後の雇用まで約束してきている。少なくとも現状では、労力に対するリターンは十分を通り越して多すぎる程であった。それが得体の知れない実験の補佐であることを含めても、だ。
(上手い話には裏があるのが常だ。旦那の場合、裏どころの話じゃねえのは確かだろう。が……リスクって意味じゃ、降りる方がよほど高い)
マリクは敵に回してはいけない存在、それは明らかだった。そして、今回の依頼を断ったとして、これからの世界で傭兵稼業を続ければ、いずれは何らかの形で関わる事になる。その確信がクリードにはあった。
ならば、自分はどう動くのか。どうすれば自らにとって最も利があるのか、そしてリスクを削れるのか――考え直してみても、結論は変わらなかった。
(どうせ流れに呑まれるなら、勝ち馬に乗るのが一番だ。もしも舟が沈みそうになったら見限ればいい。せいぜい、この流れを利用して稼がせてもらうだけだぜ)
リグバルドによってもたらされるであろう混迷の時代は、クリードにとっても望むところだ。向こうがこちらの利を損なわない限り、その存在を後ろ楯とするのが賢い。それが彼の出した答えである。
彼の勘定に含められるのは、自らの身、得られる稼ぎ、それだけだ。リグバルドに協力する事で課せられるであろう、非人道的な作戦への躊躇いは全くない。だからこそ、彼は今日まで生きてきたのだから。
「……ま。とにもかくにも、だ」
今度は声に出して、クリードは視線を移す。聞こえてくる足音。辿り着けない可能性は、先の戦闘を見た段階で排除されていた。
「先の勘定よりも、この場を生き延びねえと意味がねえってやつだな」
クリードの視線の先に、敵が、誰一人欠けることなく現れた。
「よう、遅かったじゃねえか」
最上階、広大なスペースのちょうど中央付近に、その男は佇んでいた。
グレイの毛並みに、髪を長く伸ばしたハイエナの男。シューラから渡されたデータに写っていた人物と、特徴は完全に一致していた。
「お前が、クリード・リスティヒだな?」
「知ってもらえてるとは光栄だねえ。ま、話したのはシューラの旦那だろうが。どうだ、あのオッサンは元気かよ?」
「……暗殺を企てた人の言う言葉とは思えません」
「ま、そう言ってくれるなよ嬢ちゃん。俺らの仕事ってのはそういうもんだ。旦那のことは嫌いじゃねえが、敵対するなら情けはいらねえ。旦那も、その点は分かってると思うがね」
「そうなのだろうな。だが俺たちは、その考えの是非について語りに来たわけではない」
彼の言葉は、彼の立場からすれば正しいのだろう。しかし、俺たちは彼のやろうとしていた事を認めるわけにはいかないのだ。
確実に相反する存在……それが分かっている以上、多くを語る必要もない。避けられない戦いであるのならば、俺もこの刀を躊躇わずに振るうだけだ。
「あなたの言葉を借りるならば、あなたは私たちの敵対者だ。ならば、敵であるあなたを放置するわけにはいかないのですよ」
「これ以上、あなた達に好き勝手はさせない……! この国のためにも、私たちがあなたを止めます!」
「なるほどねえ。実に正義感が強くてよろしいことで。羨ましくなるぜ」
「青臭いと思うなら好きにしてください。あたし達は、自分のやりたい事をやっているだけです。……自分の意思で、あたしはあなた達の無法を認めない!」
それが彼の仕事であり、彼の行動はその雇い主の意思であったとしてもだ。誰かの命を脅かす行動を、無関係の人々を巻き込む実験を放置するつもりなど、毛頭ない。
「どちらにせよ、俺たちと戦うのはお前の目的でもあるのだろう? そうでなければ、他の傭兵と共に、お前も撤退しているだろうからな」
「察しが良くて助かるぜ。どうにも今回の雇い主は、無茶なお遊び注文が多すぎてよ」
下の階にいたのはUDBだけだ。他の区画に戦力を回したにせよ、恐らく大半の戦力はすでに退いたのだと予想はできた。そして、彼ひとりがこうして待ち構える意味は、今さら問うべくもない。
ならば……その報いを受けさせてやろう。クリードほどの男が欠ける事は、間違いなく奴らの打撃になる。油断しきった相手に報いる一矢としては、十分だ。
……無論、油断が大敵なのはこちらも変わらないが。
「兄ちゃんの言う通り、あんたらと戦うのは、俺の仕事でもあるんでな。存分にやらせてもらうが……注意しとけよ?」
不敵に笑い、クリードは指を鳴らす。それと同時に、周囲に無数の歪みが現れ始めた。一対多数を許してもらえるとは思っていなかったが……かなりの数のようだな。
そして、自身は二刀を構えるクリード。片方が短剣、片方が刀という二刀流だ。そして、その構えには隙が無い。分かってはいたが、達人だ。一瞬でも気を抜けば……喰われる。
「旦那がデータ収集とやらをお望みな以上、簡単にくたばってもらったら、それはそれで評価に響きそうなんでな。せいぜい、良い映像を届けられるように……数分ぐらいは、粘ってくれよな!」
獣の群れが姿を見せるとほぼ同時に――俺達とクリードは、動き始めた。