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ルナ ~銀の月明かりの下で~  作者: あかつき翔
2章 動き始めた歯車
15/428

前日 ~少女と銀狼~

 私達とガルが出逢ってから、だいたい一ヶ月が過ぎた。



 最初はどうなることかと思ったけど、意外にも何のトラブルも起きず、ガルは普通に私達の先生をしてる。むしろ大人気で、記憶喪失すらミステリアスだって、ファンクラブまでできてるくらいだ(本人はたぶん知らない)。

 学校で、そして家で一緒に生活するうち、私達はどんどん仲良くなっていってると思う。記憶はほとんど戻っていないらしいから、さすがに心配だけどね……。



 そして今、私達は。


「……瑠奈」


「ん、なに?」


「そろそろ止めたほうが良い。明日に影響が出るぞ」


「そんなこと言って、勝ち逃げするつもり? 今日こそ勝ってみせるんだから!」


 私とガルはお昼過ぎに学校に来て、特別に開放された学校の闘技場で試合をしてる。土曜日だから、時間はたっぷりある。……戦績? うん、10戦10敗だけど?


「明日は大会だ。気持ちは分からないでもないが、ベストコンディションを維持しないといけないだろう」


 そう、明日はついに闘技大会。大会が近くなると、私達のために闘技場を開放してくれた。って言っても、今日はコウ達は普通に遊んでるらしいけどね。前日にまで根を詰めすぎない方がいいのは私にも分かってる。


「分かったよ。あーあ、勝って景気付けしたかったのに」


 なんて言ってみるけど、やっぱり勝てるかどうかとかそういう差じゃない。あれからガルとは何回も戦ったけど、私の攻撃は当たったことすらない。と言うか、ガルが誰かに負けたのを見たことがないし。上村先生が相手ならどうなるんだろうね?


「だが、始めて試合をしてからひと月……俺の動きにも、だいぶついて来るようになったな」


「そりゃまあ、私だって負けっぱなしは嫌だもん。……でもそれは、あなたが私に合わせてくれてるから、ってのが大きいでしょ?」


「ふ。それが分かっているなら、上出来だ」


 ガルは相手に合わせてしっかりと手加減してくれる。次に何をするべきなのか、言葉にせずに導いてくれるような試合をするんだよね。ガルのおかげで、私はかなり成長できたと思う。


「でも、今からまっすぐ帰っても、けっこう半端な時間なんだよね」


 時間はまだ15時。早めに帰って身体を休める、でもいいんだけど、さすがにヒマしそうだ。コウが誘ってくれたのも断っちゃったし。


「……ね、ガル。ちょっと一緒に買い物に出掛けない?」


「買い物?」


「うん。前から欲しいものがあってさ、明日の願掛けに買っておきたいんだ。それに、あなたと二人で出かける良い機会だし!」


 ほんとのこと言うと、彼と二人で練習をしたいって提案したのは、半分は建前。私にとって今日の本当の目的は、ガルを町に連れ出すことだった。


「俺はもちろん構わない。ならば、手早く後片付けをするか」


「うん!」


 良かった、断られたらどうしようかと思ったよ。さて、それじゃ……今日は彼と、しっかり話をしないとね。











 ――と、言うことで。私達は、学校の近くの商店街にやって来ていた。

 色んなジャンルのお店が並んだこの通りは、週末ってのもあって、とても賑やかだ。特に今日は、いつもより人通りが多い。闘技大会の時期には、よそから集まる観光客が一気に増えるからね。知り合いのおじさんも稼ぎ時だってすごく張り切ってた。


「ガルと二人っきりで出かけるのって、初めてだね」


「そうだな。平日は仕事もあるし、休日はしばらく検査や仕事絡みの話が続いていたからな。仕事については、慎吾のフォローで余裕も出てきたから、感謝せねばいけないが」


「感謝なんて必要ないって。元々、お父さんが変な遊び心出すからあなたが苦労してるんだもの……」


 ガルは正式な教員免許を持ってるんだけど、まだその話について完璧に納得したわけじゃない。と言うか、納得したら負けな気がする。

 もちろん、それはお父さんのめちゃくちゃなやり方についての話で、ガルが先生を何だかんだで楽しそうにやってるのは良いことだと思うけどね。


 ちなみに、今日は仕事じゃないから、ガルも普通にラフな格好だ。彼が元から着てた黒いコートはお気に入りらしくて、出掛ける時にはだいたい着てる。ガルの毛並みは明るめの白銀色だから、対照的でよく似合ってる。


「ところで、買いたい物とは何なんだ?」


「んー、それよりも、ガルはどこに行きたい?」


「俺が?」


「すぐにその店に行っておしまい、じゃつまんないし。せっかくだから、ガルも欲しい物を買ったりしなよ」


「……そういうものか。ならば……」


 しばらく考えてから、少しためらいつつガルは言う。


「本屋に行ってもいいか?」


「本屋?」


「ああ。家にあった本は、あらかた読んでしまったからな」


 そういえばガル、家にいる時はよく本を読んでたね。この前も暁斗が何か貸したって言ってた気がする。


「好きなんだろうとは思ってたけど、真っ先に浮かぶくらいに本が好きなんだね」


「ああ。どうも俺は、孤児院にいた時から本ばかり読んでいたらしい。他に娯楽と言う娯楽も無かったからな。うっすらと、そんな記憶がある」


 ……孤児院、か。

 ガルの記憶は戻ってないけど、彼が覚えてる範囲の話だけで、辛いことがたくさんあったんだろうってことは分かる。もし私だったら、親もいない状態で一人で生きていけたのかな? 想像もできない。


「……無論、他の子供達と遊ぶぐらいはしていたがな。孤児院に拾われてからの日々には、嫌な思い出が無い。良い場所だったのだろう」


 私の様子を見てだろうか、ガルはそんなことを付け足した。少し気を遣われたかな……辛いのは彼の方なのに、ガルはいつも私達に気を遣う。だけど、その気遣いを無駄にしたらいけないよね。話をちょっと変えよう。


「よく本を読んでたからそんなに頭いいのかな、ガルも。カイなんかもそうだけどさ」


「ああ、海翔はかなりの読書家だな。彼とはよく本の話で盛り上がっている」


 なるほど、確かに本が好きならカイとは趣味が合うだろうね。……盛り上がるガルは見てみたいかも。


「まあ、それはさておき、本屋でいいんだね?」


「ああ。……勝手を言ってすまないな」


「いや、私が聞いたんだから謝ることじゃないよ。私も本は好きだし、一緒に見よう?」


「それなら良いが……」


 ガルにはどうにも謝罪癖があると言うか……自分が周りに迷惑をかけてばかりだって思ってるんだろうね。これでも最初よりは減ったんだけど、まだガルの中には、どこかで壁があるんだと思う。


 だから、私は今日、それを砕くつもりで彼を誘った。


「ね、ガル。右手伸ばしてみて?」


「……なぜだ?」


「特に理由はないよ。いいから、ね?」


 私の唐突な提案に、一瞬だけ迷ったみたいだけど、それほど間をおかずに私の言う通りに手を伸ばしてきた。うん、素直でありがたいね。


「これでいいか?」


「うん。それじゃ……」


「ん……?」


 私は飛びっきりの笑顔のままガルに近づいて……おもむろにその手を握った。ガルはどういう事なのか理解していないようで、首を傾げてる。


「何を……」


「手をつないで歩こうって事」


「……なぜ?」


「デートなんだから当然でしょ?」


「!!!」


 その言葉を聞いたガルの反応は私の想像より遥かにすごかった。全身を硬直させて尻尾がぴんって伸びて目を見開いて、全身の毛がぶわって爆発してる。


「な、何を言い出すんだ、いきなり!?」


「……うわぁ、本当に免疫ないんだね」


 この手の話、苦手そうとは思ってたけど、予想以上みたい。この前のレンと同じくらいに慌ててる。


「若い男女が一緒に町を歩くんだから、デートって呼ぶんじゃない?」


「うっ!? い、いや、しかしだな。俺は教師で、お前は生徒で……いや、兄と妹と考えれば……そ、それでもこの歳ではどうだろうか?」


 普段の冷静沈着さはどこへやら、完全にしどろもどろになってる。ごめん、ガル。恥ずかしいんだろうけど……凄く可愛い。


「せっかくなんだから、今日はしっかり付き合ってよ? ガル」


「む、むう……」


 押されると弱いみたいで、ガルはそれ以上の反論を諦めたようだ。私はここぞとばかりに体を寄せる。


「意識しすぎないでね? 初めて会った時の握手と同じと思えばいいんだって!」


「だ、誰が意識させたんだ!」


 結局、本屋に着くまで、ガルはずっとガチガチだった。









 で、本屋に入って一時間後。


「ガル、随分買ったね」


「すまない。だが、次はいつ来れるか分からないからな」


 そう言う彼の顔は満足げだ。まあ、10冊近く買えば満足もするだろうね。その内訳は思ってたよりでたらめで、エッセイから小説、雑学本にマンガまである。


「ガルって小説はともかく、マンガとか読むんだね」


「おかしいか? 暁斗のものを借りて、同じ作者の作品が面白かったからな」


「おかしいわけじゃないけど、イメージ的には哲学とかしか読まないのかなあって思ってたからさ」


「……そういうものも読みはするがな。やはり、堅苦しいイメージがあるのか。他の奴らにも同じようなことを言われた……」


 あ、少し落ち込んだ。

 一緒に暮らしてみて分かったことがあって、ガルってクールに見えるし実際に落ち着いてるんだけど、割と純情と言うか、繊細なとこもある。変なとこで子犬感があるって感じかな。


「ごめんごめん、ガルってどうしても真面目だからさ。あまり趣味の話とかはしなかったし」


「……哲学書も嫌いではないが、物語に触れるのは特に好きだ。誰かが作り出した世界に触れるのは、楽しい。どんな媒体でもな」


 なるほど。考えてみたら大学生くらいの歳なわけだし、意外と男の子っぽいことも好きなのかもね。今度、色々と試してみようかな?


「じゃ、次は私の買い物に付き合ってもらうよ?」


「ああ、もちろんだ。ただ、その……手をつなぐのは、止めてくれ」


「えー、ガルの反応、面白いのに」


「……勘弁してくれ」


 本気で恥ずかしいみたいだ。ウブにもほどがあるなあ……せっかくイケメンなんだし、経験くらいあるかなって思ったんだけど。いや、経験あっても忘れてるのかな? そう考えると、あまりからかえないかも。

 嫌がるのを無理強いする気もないので、私達はそのまま次の目的地へと向かう。って言っても、目当ての店は、ちょうど良く本屋のすぐそばだ。私はある店の前で足を止めた。


「瑠奈、ここは?」


「見ての通り、アクセサリーのお店だよ」


「……やはり瑠奈も女の子だったんだな」


「やはりってどういう意味かな?」


「!? ……い、いや、深い意味はない……すまない(な、何だ? 今、死神が見えた気が……)」


「ま、いいや。さっさと入ろう?」


「あ、ああ(……瑠奈を怒らせてはいけないようだ)」


 命の危険を感じ取ったのか、ガルは尻尾を丸くしたままついてくる。ほんと、失礼しちゃうよね。まあ、お兄ちゃんとかコウとかといつも一緒なせいで、色々とちょっと男の子寄りなとこがあるのは否定しないけどさ。

 自動ドアの機械的な音と共に開かれた先には、これでもかというほど、びっしりとさまざまなアクセサリーが置かれていた。


「うーん、やっぱりデパートの小物屋とはワケが違うね」


「そうだな。専門店なだけはある」


 ガルも多少は興味があるようで、辺りを見渡している。彼は素材がいいからどんなものでも似合いそうだなぁ、なんて思う。


「欲しいものは決まっているんだったか」


「うん。でも、せっかくだしいろいろ見て回ろうよ」


「ああ、そうだな」


 私達は店の中を回り始める。指輪、ネックレス、ブローチ……基本的にはお手頃な値段なんだけど、中には大量の宝石があしらわれた、目が飛び出しそうな金額のものもある。誰が買うんだろうこんなの。


「……眩くて、目が痛いぐらいだな」


「本当だよねえ」


 適当に見ながら店内を歩いていく私達。そして、ある地点で私は足を止める。


「あった。これこれ」


「これは……月長石の、首飾りか」


「うん。私の名前って、月から取ってるからさ。この前見かけてから、欲しくなっちゃったんだ」


 私が手に取ったものは、チェーンの先にムーンストーンが取り付けてある首飾りだ。私には少し大きいサイズだけど、不恰好ってほどでもないと思う。……まあ、私に大きい方が都合がいいんだけどね。


「金は足りているのか?」


「うん。コツコツ貯めてたからね」


 そこまで高いものが使われているわけじゃないらしくて、私のお小遣いでも無理なく届く金額だ。でも、ガルはちょっと申し訳なさそうに視線を落とした。


「すまないな。こう言う時は俺が買ってやるのが筋なんだろうが」


「気にしないの。給料もまだ降りてないんでしょ? 少しの小遣いぐらい、自分のために使いなよ」


「……すまない」


「だから謝らないでって……」


 こういうとこ、変に律儀だよね。教養があるって言うか。……謝罪癖は、元からの性格もありそうだね。










 店を出ると、もう空は暗くなり始めていた。今は冬だし、日もだいぶ短くなってきたね。まあ、目的はこれで『半分は』達成したかな。


「では、そろそろ帰るか?」


「それなんだけど……もう一ヶ所寄ってもいいかな?」


「む。まだ買う物があるのか?」


「違うよ。ただ、どうしても行きたい場所があるんだ」


 そう。どうしても、ガルを連れて行きたい場所が。


「俺は別に構わない。ただ、遅くなるなら連絡はしておけよ」


「うん」


 こうして私達は、今日の本当の目的地……街外れのとある場所へ向かうことになった。








 そこに着いた時には、夜の6時半を過ぎていた。もう冬なので、空はとっくに真っ暗だ。


「瑠奈、ここは?」


「フィガロ自然公園って言うんだ。そして、私達の秘密基地だよ」


「秘密基地?」


「うん。子供の時の、だけどね」


 昔を思い出して笑いながら、私は自然豊かな道をガルと並んで歩く。


「私、この辺に引っ越してきたのは6年くらい前なんだ。最初はどこに何があるかも分からなかったから、みんなで遊べる場所を探してね。そんな時に見付けたのがここなの」


 それは、ちょっとだけ嘘だった。あの時の私達が探していたのは、遊ぶ場所じゃなかったから。


「コウと、カイと、レンと、暁斗と私。みんなでいつもここを隠れ家にしてた。って言っても、他の人も来るし、お父さん達も知ってたんだけどね。でも、ここは自然もたくさん残ってるし、子供の隠れ家にはうってつけでしょ?」


「……そうだな」


 特に気に入っていたのが、一番奥。ちょっと拓けて丘みたいになっているとこで、すごく見晴らしがいい場所だ。私はそこまでガルを案内してから、昔からの特等席に腰かけた。彼も隣に並んで座る。


「さすがに秘密基地にして遊ぶことは無くなったけど、今でもたまに来てるんだ。自然を感じたくなった時とか、夜空を見たくなった時なんかにね」


 そう言って、私は空を見上げる。街中から見るのとは違う、満天の星空がそこにあった。横で見上げるガルも、その光景に目を奪われてるみたいだ。


「月が、綺麗だな」


「ふふ、本当だね」


 ちょうどよく、今日は満月の夜だ。空は雲ひとつなくて、お月様がよく見える。


「ここには、思い出がいっぱい詰まってるんだ。楽しいだけじゃなくて、辛い時にもいつもここに来てた。この景色を見ると、何だか悩みも吹き飛んじゃうからさ。……私にとっては、特別な場所なんだ。だから、ここで明日の願掛けをしたかったの」


「特別な場所、か。そこに俺を連れてきても良かったのか?」


「そうじゃなくて、あなただから連れてきたかったんだよ。あなたにもこの空を、私にとって大事なものを知ってほしかったからさ」


「……俺だから。そう、か」


 ガルはほんの少しだけ表情を緩ませた。彼が穏やかな顔をすることは、ひと月前と比べて増えてると思う。……だけど、だから余計に気になる。その話は、もう少し後だけど。


「それに、ほら。せっかくの願掛けだし、コーチが一緒にいてくれたらご利益がありそうじゃない? あはは、なんてね!」


「……ふ。瑠奈、お前の実力は確かなものだ。それは俺が保証する。後は全てを出し切れば、結果はおのずとついて来るだろう」


「ありがと。あなたにそう言ってもらえたら、自信がつくよ」


 おだててるわけじゃなくて、心からそう思う。そのぐらいガルを信頼できてるんだなって思うと、自分でも何だか嬉しい。そのぐらい信頼してるガルだから、私と同じ景色を見てほしいって思ったんだしね。それに、この場所の雰囲気はうってつけだし。


「ね、ガル。頭を近づけて?」


「む。今度は何だ?」


「今度は何もしないって。ね?」


「……分かった」


 さっきのことのせいでちょっと身構えはしたけど、それでも言うとおりにしてくれるガル。素直だなぁなんて思いながらも、おかげで私もやりやすい。


「うん、それじゃ……」


 私が手を伸ばすと、彼は少しだけ身を縮めた。だけど、すぐに私が何をしようとしているか分かったらしくて、緊張が解ける。抵抗が無くなったところで……私は、さっきの首飾りをガルにかけた。


「うん、やっぱり似合ってるね。サイズもちょうどいいし」


「これは、お前が欲しかったのではないのか?」


「うん、最初は自分のためだったんだけど、ガルのほうが似合うと思ってね」


「そうか……?」


「そうだよ。ガルって何だか、お月様みたいだし」


 優しくて、だけど大きな存在。暗い夜道を照らしながら、みんなを見守るお月様。私のガルへの印象は、そんな感じだ。

 ガルはじっと淡青色の月長石を見つめている。優しくそれを撫でている彼は今、何を考えているんだろう。


「ねえ、ガル。今、ガルは幸せ?」


 私は意を決して、ずっと聞きたかったことを聞いた。ガルは突然の質問に、ちょっと驚いたような顔で私を見た。


「なぜそんなことを? 俺は幸せだ。教師としても充実しているし、みんなも俺によくしてくれるからな」


「本当に?」


「本当だ。どうしたんだ、瑠奈」


「だったら、何で……ひとりでいる時、あんな思い詰めたような顔をしてるの?」


 そう問いかけた瞬間、ガルの動きが止まった。

 驚いたような視線が、私に向けられる。


「俺は、そんな顔をしていたか?」


「……うん。何回か、すごく考え込んでるの、見かけたよ」


「そうか。……誰にも気付かれてはいないだろう、と思っていたが、顔に出ていたか」


 自覚はあったらしい。自嘲みたいに呟くと、ガルは尾を垂らした。


「やっぱり、記憶が無いのが辛い? 本当は、手がかりを探しに行きたいんでしょ?」


「……最初はそうだった。それは否定しない」


「じゃあ、今は違うの?」


 そう尋ねると、ガルはしばらく目を閉じていた。しばらくして、ぽつりと呟く。


「記憶が戻ることが、怖い」


「え……?」


 それは私にとっては予想外の答え。だけど、溜め込んでたものを吐き出したガルは、何だか泣きそうな顔になってた。


「今の暮らしは幸せだ。毎日が楽しい。だが、記憶が戻ってしまえば、俺はもうここにはいられないかもしれない」


「…………!」


「言っただろう。俺には、目的があった。それを思い出してしまえば、きっと俺はそれを無視できない。……分かるんだ。それは、過去の俺が、強い覚悟をもって果たそうとしていたものだと」


 本末転倒だろう? とガルは呟く。ガルが目的を果たすために、どこかに行かなきゃいけないんだとしたら。


「それだけではない。そもそも、俺はこんな平穏な暮らしを送る資格があるのか……そんな不安が、晴れないんだ。過去の俺は、もしかしたらとんでもない大罪人だったのではないか。記憶が戻れば、君達を傷付けてしまうのではないか。そんなことを、考えるようになった」


「………………」


「だから、怖い。幸せになるほど余計に。俺の記憶が、過去が、幸せを壊してしまいそうで」


 私は少しの間、何も言えなかった。

 それは、彼が初めて自分から見せてくれた不安。自分の過去が今の幸せを奪うかもしれない、そんな漠然とした恐怖。

 普段通りの、当たり前の暮らしの中で、彼はずっとそれと戦っていた。そこに幸せを感じてくれているから、逆に。


 それはきっと、彼にしか分からない苦しさなんだろう、とは思った。

 だけど、私は口を開いた。私にも、分かることはあったから。


「大丈夫だよ」


「……大丈夫?」


 私がそう言うと、ガルは少しだけ怖い目をした。怒ったと言うより、怯えてるように見えた。


「ガルにどんな目的があって、どこかに行かなきゃいけないとしてもさ……終わったら、帰ってこれるでしょ? あ、もちろん、昔の知り合いのとこに戻ってもいいんだけど。それでも、ここに戻れないわけじゃない。私は、いつだって帰って来てほしいって思ってるよ?」


「…………!」


 その提案に、一瞬だけはっとしたような顔をしたガルは、すぐに首を横に振った。


「……君はいつもそうだ。俺のような得体の知れない男を、当然のように受け入れる。その目的のせいで、巻き込まれるとは考えないのか。俺は、どれだけ危険な男だったのか分からないんだぞ……!」


「そうだね。だけど、それでもガルはガル、でしょ?」


「……な、に?」


「もし、ガルが過去にどんな人だったとしても、私の家族になったガルフレアを、私は信じてる。このひと月、一緒に暮らしてみた結果だよ? 私だって、あなたがどんな人なのか見てきたからね」


 本当は、甘い言葉だって自分でも感じる。危機感がないって、ガルに思われるのも仕方ない。だけど、理屈を抜きにしても、ガルを信じちゃったんだから、それも仕方ないよね。


「少なくとも、ガルには何かある。それは私にだって分かってるんだ。だって私は、あなたが出てくるとこを見てるし」


 突如として空間を越えてきた男を、元々は平凡な暮らしをしてた人だと思うほどには、私はお気楽じゃない。だけど、放ってもおけなかった。


「最初はたぶん、好奇心もあったよ。それで、優樹おじさんとかお父さんもあなたを受け入れて、私もちょっとだけ話してみて……ああ、この人なら一緒に住んでもいいかな、って思えたんだ」


「……それだけで、人を受け入れられるのか?」


「そりゃ、心から信じてたとは言わないよ、正直に言えばね。そうは見えなかったかもしれないけど、警戒だってしてた。……でも、今はしてない。今は心から信じてるもの、あなたのこと」


 この場所の雰囲気もあって、普段なら恥ずかしいようなことだって、惜しげもなく言えた。私がガルを心から信じてるのはほんとだしね。


「何かまとまらなくなってきたね。えっと、つまり、私はガルフレアを大切な家族だと思ってるってことだよ」


「大切な、家族……」


「そうだよ。ガルは、どうかな? 私にこんな風に思われるのは、迷惑?」


「そんなことはない! 迷惑だとしたら、こんなに悩んではいなかった……!」


 強く吠えたガルに、私は笑う。ああ、やっぱりこの人は、自分で思ってるみたいな悪人にはなれない。私は発破をかけるように、彼の背中を平手で軽く叩いた。


「だったら、あまり難しく考えないの! 私はガルを信じてるし、一緒に暮らした時間は消えない。記憶が戻っても戻らなくても、私はガルフレアを嫌いになんてならない。それだけは、自信を持って言えるよ」


「……瑠奈」


 その後はお互いに、何も言わなかった。しばらく、二人で空を見上げる。街灯もない場所なので、月の光だけが私たちを照らしている。


「俺は、馬鹿だな」


 ぽつり、と呟かれたその言葉。その声音から、さっきまでの苦しそうな様子は消えてた。


「俺はお前達を信頼できていなかった。みんなは俺のことを、ただの同情で受け入れているだけで、何かあれば俺は嫌われるのだと……そう、思っていた」


「馬鹿だったって思うなら、今度から変わればいいんだよ」


「そうか……そう、だな」


 ガルは長く息を吐いた。どこか憑き物が落ちたような顔をして。……きっと、私の思いは伝わったと思う。うん、これで今日の目的は全部達成した。


「さあて! 明日は大会だし、そろそろ戻って寝るとしますか!」


「……ああ。帰ろう、俺達の家に、な」


 私達は立ち上がり、元来た道を歩きだす。二人並んで歩いていると、本当に恋人同士みたいだ。

 本当にガルみたいな人が恋人だったら嬉しいけど……なんて、ね。


「瑠奈、ひとつだけ言わせてくれ」


「ん、何?」


「ありがとう」


 そのありがとうには、いろんな意味が込められてるのが分かった。……うん。済まないって言われるより、よほどいい。


「どういたしまして。ガルこそ、付き合ってくれてありがとね」


 来るときと比べて、足取りは軽い。来て良かったと、心から思う。


「またいつか来ようね、ガルフレア。そして、もう一度星を見ようよ」


「ああ、いつでも付き合うさ。……俺達は、大切な家族なんだからな」


 月明かりに照らされた道を歩いていく私達。よし、気合いが入った。私ならやれるって言ってくれたガルのためにも、明日は絶対に負けられないね!




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